末はハカセか…


どんな子に?

会社でボクの周りにいる先輩、後輩、同僚、トモダチ達が、モエナが生まれたお祝いってことで、 コドモにプレゼントを買ってくれた。モエナが2ヶ月になる少し前に、その買い物に、ありがたい有志の一人、 オバラに同行してもらったんだけど、 その時にオバラから「どんな子に育って欲しいんですか?」と聞かれた。 で、ハタと考えた。「ん?」って感じで、本当に一瞬思考が止まっちゃった。 なぜかというと、そうオバラから聞かれるまで、一度もモエナの将来っていうか、 「こんな風に育って欲しいなぁ」なんてこと、考えたこともなかったから。
「末はハカセかダイジンか」なんて言葉が昔からあるけれど、言われてみれば、コドモが生まれた直後に、 顔を見ながらお父さんとお母さんが、「将来はきっと…」とか、夢見るような顔して言ってる情景って、 ありがちだ。ドラえもんの中でも、のび太が生まれたときに、パパママが「君に似ると…」「あなたに似れば…」 なんて、言い合っている場面がある。
でも、ウチではそんな場面はなかった。「将来どんな子に」なんて考えても見なかった。 ヨメが「コンピュータと英語とスキーは教えよう」なんて宣言してたけど、全然次元が違うものね。 「子タレにして楽させてもらおう!」なんてことも話したけど、 これなんか明らかに不真面目にシャレで言ってただけだし。 でも、もしかすると、ヨメはヨメなりにボクには言わなかったけれど、 何かイメージというか希望というか、そんなようなものを持っているかもしれない。 後で聞いてみよう。
で、ボクはと言えば、オバラに聞かれたその時には、「考えてないけど、やりたいことはなんでもやらせて、 自分で選んでもらいたい」とかなんとか答えたと思う。だけど、その後も時々、 「どんな風に育って欲しいんだろう」って自問自答を続けていた。

ボクの出した答え

そういう自問自答を、たまに思い出したようにしながら、 だんだん自分の中で形があきらかになって来たものって言うのは、結局のところ、ありきたりなというか、 陳腐なというか、要するにみんなが多分願う「幸せな子になって欲しい」ってことだった。 これは、もともとの命題の、「どんな子に育って欲しいか?」って言う質問に対しては、 正面に立った答えではないと思うけれど、とにかく今考えられるのはそれ。
「職業」っていう意味で無理矢理考えると、「人の役に立つ仕事」なんだけれど、 これも良く考えてみれば、「誰の役にも立たない仕事」なんてあるわけないし、 模範的な回答とは言えないな。
少し前のCMで明石屋さんまが、「しあわせ〜ってなんだっけなんだっけ」って歌うのがあったけど、 ボクが考える「幸せ」っていうのは、「好きなものが周りにある」っていう"積極的な幸せ"と、 「イヤなものが周りにない」っていう"消極的な幸せ"の2種類がある。 もちろんこの両方が両方とも手に入ってベストな幸せになるんだろうと思っているんだけど。
#さんまのCMでは、「ポン酢しょうゆ」があることだったかな。<-積極的幸福
で、モエナには、自分で「何が自分の幸せか」がわかるような、 そんな人生を歩んで大人(あるいはその途中)になって欲しいなと思う。 そのためには、世の中にあるイヤなことも知らなきゃいけないし、 悲しいことや辛いことも知らなきゃいけない。もちろん、 同じように楽しいことや嬉しいことも知らなければいけないね。 そして、できることならば、イヤなことや悲しいことは書物やTVなんかでの擬似的な体験で、 楽しいことや嬉しいことは実際の体験で学ばせてあげられればいいなと思う。でも、 そうは言っても不幸の一つや二つ、自分で経験しなければ、 本当の意味でそれを理解することはできないと思うから、モエナには悪いけれど、 辛いことやイヤなことも経験して、それを乗り越えたり克服したりできる人生だといいなと思う。 そして、ボクら親は、その手助けがいつでもどこでもできたらいいなと思う。
おまけに言うなら、モエナに対してしてあげられるのと同じような手助けが、 ボクらが先代にしてもらったのと同じように、次代を担う子供たちのためにしてあげられるような、 そんなゆとりが欲しいなとも、ちょっとだけだけど思うよ。(結構カッコつけかもしれないけれど)
1999.7.5