出産直後

母子対面

「おめでとうございます。お嬢ちゃんよっ。13時58分です。」 と年配の助産婦さんが大声で叫んだ。 「ああ、やっと、おめでとうございますって言ってもらえるところまで来たんだ。」 と感慨にふけっていたが、子供の泣き声が聞こえない。 先生が「○△×*急いで持ってきて。何で準備しておかないの。早くっ!」 と若い助産婦さんに何かを持ってくるように指示していた。 「スイマセン。こんなことになっているとは思わなかったので。」と言いながら、 医療器具の入っている棚へ走って行き、 あちこちの引き出しや扉を開けて一所懸命何かを探している後姿が見えた。 足元には先生がイライラした様子で待っていて、何かを持って若い助産婦さんが先生へ手渡した。 (それが何だったかは見えなかった)
不安になり「先生、子供は大丈夫ですよね?」と尋ねると「ちょっと待っててね。 処置してるから。」と返事をしながら、何かしている様子だった。 それは、分娩台で寝ている私には見ることが出来なかった。 「処置って何ですか?どういう状態ですか?泣かないってことは息してないんですか。」 その問いかけには返事はなく、不安感がだんだんと大きくなってきた。
やがて「よし、終り」と先生が器具を置いたとたんに「ホニャラ〜ホニャラ〜」と泣き声が聞こえた。 「口の中が詰まっていたのと、ヘソの獅ェ二重に巻き付いていたからね。 泣くのが遅かったけど大丈夫よ。こんな巻き付き方だから、子供がなかなか下がってこなかったのね。 これじゃあ時間もかかったわけよね。 出血が多かったからお母さんは後処理にまだまだ時間がかかるから。 いや〜、久々の難産だったわよ」と先生が説明してくれた。
年配の助産婦さんが「ほら、こんなに元気よ。」と「ホニャラホニャラ」している子供を見せてくれた。 「よかったよかった」と喜んだのも束の間、産まれたばかりの子供は、赤紫色の塊で、頭がとんがっていて、 何やら粘液が身体にまとわりついていて、内臓の一部を見せられているようだった。 「可愛い」の「か」の字も思えず、スプラッタ、グロテスクという形容しか思いつかなかった。 自分の子供の場合は、そんな状態にあっても身体のあちこちから「カワイイ〜」 という感情に満ち溢れると聞いていたが、それはウソだった。 見れば見るほど、恐ろしくなってきた。 そういう物に弱い私は「ひぇ〜、何じゃこりゃぁ。やっぱりダメだ〜。」 「ほら、よく見てちょうだい。元気でしょう。」と目の前に突きつけられた。 あれほど先生に子供の状態を質問したので、 助産婦さんは子供の無事を見せてあげようという心遣いだったのだろう。 しかし、動揺のあまり「分かりました、ありがとうございます。もう下げてください。」 とファミレスの店員に向かって言うようなことを言っていた。
子供は洗われて、身長、体重など測定をされていた。その間、 私の方は胎盤が出て「見る?」と先生に聞かれたが「ブルンブルン」と首がちぎれんばかりに横に振った。 また、気をきかせて見せられたら気持ち悪くなりそうだったので 「全然見たくないから、いいですいいです」と強い意思表示をしておいた。
すっかりきれいになった子供は助産婦さんに抱かれ、再び私の元へ来た。 相変わらず頭はとんがっていたが、血色もよくなり、ホヤホヤの湯気が見えそうだった。 身体の隅々まで見まわすと、助産婦さんの腕の中にすっぽりと収まるほどの身体で、 手をギュッと握りしめ、足をバタバタさせていた。 小さな兆しだった生命は、大きく存在感のある生命になっていた。 「どっちに似ているのかな?」と最後に顔を見た瞬間「ハッ!」とした。 30週の検診の時に超音波で見た時と同じ目と口だった。 あの時と同じように、目をパチパチさせ、口をモゴモゴさせ、 急激な環境の変化に困惑しているような表情だった。 見たからそう思えたのかもしれないが、どんな子が生まれるか分かっていたような気がした。 「あんたは初対面かもしれないけど、私はずっと前に一度会っているんだよ。知ってた?」 とその表情を見ながら心の中で問いかけた。その返事は「ホニャラホニャラ」だった。 そして、パチパチさせている横長の目は彼に似ていて、 モゴモゴさせている鳥のくちばしのような口は私に似ていた。
子供は新生児室へ連れて行かれ、私は後処理をされていた。 体内の血管がかなり切れてしまって(そのせいで出血が多かった)、縫合にかなりの時間を要した。 その間は、先生と世間話をしていて、かなりノンキな様子だった。 「様子を見るために、2時間ほどここで休んでいてください。」と言われ、 分娩室には私一人が残された。「ああ、全部終わったんだ〜。もう痛い思いしなくていいんだぁ〜」 とホッと開放感にひたっていたら、すぐに爆睡していた。
「起きてください。病室行きますよ。」という助産婦さんの声で目がさめた。 時計を見ると5時近かった。 顔を覗きこまれ、血圧を計ってもらうと「ん〜、血圧が上がらないな〜。顔色もかなり悪いし…。 気分は悪くないですか?ちょっと心配ですねぇ」と言われた。 鏡がないので自分じゃどんな顔しているか分からないが、 覗きこんだ助産婦さんの表情の固まり具合から、かなりひどいようだった。 「気分は悪くないですよ」と答えたものの、話す声に力が入らない。 やっぱり、結構疲れてて、弱っているみたい。
点滴をつけたまま、車椅子に乗り、助産婦さんに押してもらい廊下へ出た。 私の部屋の横にあった新生児室前のソファには、 彼が一人でポツンと座っているのが見えた。車椅子の音で気づいたのか、彼がこっちを向き、 歩いてくるのが見えた。その瞬間、彼の姿がゆらゆらと揺れて見え、 大粒の涙がボロボロ出てきて、止まらなくなっていた。 助産婦さんがビックリして「どっか、痛い?大丈夫?」 と心配してくれ「違うんですぅぅ〜、なんかなんか、彼の顔見たら安心しちゃってぇ〜。 どこも痛くないですぅ。」とあふれる涙と嗚咽をこらえながら、やっとのことで返事をした。 「そうですよね、大変でしたもんね。気が張っていたのが緩んじゃったのね。」 と納得してくれ、彼に「大変だったんで、ご主人の顔見たら安心しちゃったみたいですよ。 奥様、よくがんばってましたよ。」と事情を説明してくれた。 「子供が、新生児室に展示されているんだよ。可愛いな〜。本当にどうもありがとう。 よくがんばったみたいだな。」と言われ、いつまでもいつまでも涙があふれていた。
入院してから1日半、初めて自分の病室に入った。 ベッドに横たわり窓の外を見ると、遠くに見える「野島公園」の桜が咲いていて、 一面ピンク色に染まっていた。 季節はすっかり春になり、そして我が家にも小さな春がやっと来た。[完]