こども…

こどもの頃の私

私の子供ではない。まだお腹の中にしっかりと入っている。この赤ん坊は生後1ヶ月の私である。
明け方からの冷え込みが厳しく、水道が凍結するくらい寒い日に、 横浜市内の病院で私は生まれた。3450グラムと女児の中では病院で一番大きい(重い)子供だった。 お世辞にも可愛いとは言えず、ただただ「立派な赤ん坊」という誉め言葉しか、言われなかったそうだ。 女児で「立派な」というのは、誉め言葉にならないと思うが、親にしてみれば、 その言葉も嬉しかったそうだ。
最近、母に会う機会があったので、私の赤ん坊の頃のアルバムを一冊譲ってもらった。 自分でも、可愛い赤ん坊ではなかった事は自覚していたが、改めてその「立派さ」に驚いた。 「立派な赤ん坊ってさ、女の子だと全然誉め言葉じゃないよ。ほんと、可愛くないよね〜、私って。」 と言ったら、「私が苦労して産んだ立派な赤ん坊に何て失礼なことを言うんだろうね、この子は。」と、 怒られた。私が生まれた頃は、今ほど世の中も両親も裕福ではない時代だったので、可愛い、 きれいという以前に、立派な赤ん坊を産むことが大変だったのだろう。まっ、立派もいいっか。

こどもはキライ

私は、ハッキリ言って子供は大キライだ。泣くし、うるさいし、落ち着かないし。 町中で子供に手を振られて、愛想で手を振り返す。すると、 母親が「は〜い、お姉ちゃんのところへ行って、遊んでもらいなさい。」と、 見ず知らずの私の元へと子供を走らせる。 そうなると心の中で「しまったっ〜!手なんか振らなければよかった。」と思うが、 子供は遊んで欲しさと親の言葉で、一心不乱こっちへ向かってくる。 そのまま、知らん顔するほど大人げなくはないので「お姉ちゃんは忙しいから、 ママのところへ帰ろうねぇ。」と追い返す。そばにいた子供好きな友人には「ヒドイ女!」と言われるが、 だって、キライなんだも〜ん。
一般的な女性が「カワイイッ〜。」と叫んでしまうような物もキライ。キャラクターグッズ、ぬいぐるみ…。 こどもを物と一緒にするのは、世の中のお母さんに申し訳ないが、私にしてみれば延長線上にある。 カワイイよりもカッコイイ方がいいと思うんだけどな〜。
ところで、私には同じ年の女性のいとこがいる。彼女は、若いうちに結婚し、 小学生と幼稚園の子供を育てている。 二人とも顔がチャイドルのように可愛いかと言えばそうでもない。(ごめんね) でも、私は可愛いがるし、実際、会った時などは、お買い物や遊園地へ行ったりして遊び、 本当の親子に間違えられるほどである。
そんな事から、子供全部が嫌いというわけではなさそうだった。たぶん「血」のせいだと思う。 血のつながりがあるから、可愛いと思えるんだと思う。実は、友人の中にも、子供嫌いは多い。 しかし、そんな人でも「自分の子供やつながりを持った子供は別格よ〜。 今でも他人の子は嫌い〜。」と豪語し、立派に子育てをしている。やっぱりそういうもんだったのね。
私は自分の事が好きで、もちろん彼の事も好きで結婚し、一緒にいる。 その二人の子供ならば、絶対大好きになれると思っている。DNAの絶大なる作用を信じて止まない。 少し前からお腹の中の子供が動き出し、一所懸命に生きている事を嬉しく思う。 最近、家の中にぬいぐるみが発生したのも、そのせいだろうか…。

こどもにしてあげられる事

妊娠中の女性は、生まれてくるこどものためにいろいろな事をするだろう。 おしめを縫ったり、手袋や靴下を編んだり、ベビードレスを作ったり…。 間もなく生まれてくる可愛い自分の子供の事を思いながら、楽しいひとときを過ごすのでしょう…。
ところが、私は、縫い物、編み物が出来ない。彼のお母さんが雑巾を縫ってくれた時などは、 こんな私が嫁になってしまって、申し訳ないという気持ちになる。 小さい頃から、家庭科よりも図画・技術工作が好きで、自分のセーターを編むより、 自転車の手入れをしている方が好きな女の子だった。
情けないんだけど、私が母として子供にしてあげられる事って、ほとんどない。 家庭科を真面目に受ければ良かったとか、今から習おうかと、いろいろな事を考えた。 お腹に入っている間に「証(あかし)」として、何かをしたくなった。 「こんな不器用な私に出来ることはないだろうか?」と考え、とりあえず日記を書くことにした。 身体や心の変化、病院へ行った事などの日常生活をパソコンへ入力していた。
ある日、その日記を「こんな事、書いてるんだ〜。」と彼に見せてあげると、 「へぇ、結構いろいろ書いてあるんだ。」と、興味深く読んでいた。夫婦でも、 全ての気持ちを話しているわけじゃないから、父親になる彼にとっても、 妊娠状態にある私の心理状態や変化を、より知ってもらうために、日記がまとまった時は見せる事にした。 何回か見せた時に「ホームページもあるし、妊婦日記を作ってみたら?」と言われ、「あ、これだっ!」 と思った。靴下は編めないけれど、ホームページは作れる事に気づく。靴下はどこでも売ってるけど、 母としてのホームページは、私にしか出来ない素晴らしい「証」であることに気づく。
それから、暇さえあれば彼とイメージやデザインについて話し合いつつ、日記も書き続けていた。 アップする時期は「安定期になったら」という事だったが、 予定していた時期より少し遅い11月4日に、無事アップすることが出来た。
無事に生まれた子供が成長したら、ふり仮名でも付けて、読ませてあげようと思う。 「あなたがお腹にいた時のお母さんの日記なのよ。」と。