7週目-(8月15日)

二軒目の病院

終戦記念日、友達に紹介された金沢区内の総合病院へ行く。 ここは友達の紹介でもあったが、Web検索を行った結果、個人のサイト、掲示板のサイトなどでも、 比較的評判が良かった。 昔からあったけれど、立て替えたばかりで清潔感(これ重要)があり、閑静な住宅街の中にある。 大好きな海も近いし、横浜で超有名な『島寿司』が近所にある。 お見舞いに折詰を持ってきてもらえるかも…と、気の早い期待をしていた。 (もちろん入院中は病院食以外の食事は厳禁です)
サイトで見た情報によると、土曜日は3時間待ちということだったので、本やポケットゲームを持ち込んだ。 しかし、産科の待合室で、ポケットゲームをやっているのは私だけだった。 ほとんどの方は、育児書やマタニティブックなどを読んで、これから迎える出産&子供に 「万全の体制で臨むんだ!」と、入試目前の受験生のような意気込みが感じられた。 それに比べてのんきな私は、まだ不安もなく、ゲームのステージクリアの方が大事だった。 2時間弱ほど待つと、やっと呼ばれた。
診察室にいたドクターはいかにもベテランという感じの年配の男性だった。 2週間前に超音波で見たときは豆粒だったのに、 今では細胞分裂が進み手足が出来ていて大きな頭が私の体の右側に来ている。 脳みそがいっぱい詰まっている賢い子だといいな…と、 細胞分裂途中の胎芽に対して、過大な期待を抱いている自分が変な奴に思えた。 8週までは、「胎児」ではなく「胎芽(たいが)」と呼ばれる事を教えてもらう。 出産予定日は1999年3月29日との事。超音波で、 お腹の中の胎芽を確認しても、出産なんてまだまだ先の話で実感がない。 その超音波写真は頼めば200円で買えるのに、ちょっとした手違いでもらい損ねてしまった。 成長過程にある貴重な写真をもらえなかったことで、重大なミスをしたような気がした。 彼にも「自分だけ見てズルイ!どうしてもらってこなかったんだ。」と怒られ、 本当に申し訳ないことをしたと思う。
検診後、看護婦さんから、入院手続き、母子手帳、血液検査、腹帯、母親学級など、 これからのおおまかな予定を説明してもらう。 40代くらいの看護婦さんのお顔は、政治家の田中真紀子氏に似ていて迫力があったけれど、 とても親身な人だった。 初めて聞く言葉が多く、説明された内容も多かったので、 初心者の私には整理しきれないたくさんの言葉が、グルグルと頭の中を駆け巡っていた。 今まで、マタニティ本は読んだことも買ったこともなかったが、 さすがに、この時は「一冊買ったほうが良さそう…」という気になった。
説明が終わった後に、検査室に行き採血をし、結果は2週間後に聞きに来ることになった。 この検査では、貧血、血液型、梅毒、B型&C型肝炎、HIV、風疹抗体価などを調べる。 結果が分かるまでの2週間にやるべきことは、入院時のベッド予約と母子手帳の取得らしい。 なんか、やっと「妊婦」と呼ばれる資格を得たような気がした。
初診料、血液検査などで2万円なり。