出産
妊婦生活が終わった
出産に立ち会うのは、年配の助産婦さん、若い(新人風)助産婦さん、
今まで検診でお世話になってきた先生の3人のメンバーだった。
若い助産婦さんがメインとなるようだった。
分娩室に入り、モニタを装着し、あれこれと準備しているうちに、
あれほどいきみたかったのに、陣痛がおさまってきて、モニタの反応もほとんどなくなっていた。
「あんまり痛くないよね?陣痛おさまってきてるよ。」と助産婦さんに言われ
「ええ、そのようですね。」と平然と返事が出来るほどだった。
「困ったわねぇ」としばらくみんなでモニタを見ていたが、そのうち手術台のライトが消され、
下半身には毛布がかけられた。
「この様子じゃまだまだね。あなた(若い助産婦さん)ここで付き添っててちょうだい。
私は、×△*の方へ行ってくるから。」と、先生は病院内のどこかへ用事を足しに部屋を出てしまった。
分娩室に取り残された若い助産婦さんと出産を待つために分娩台に寝たままの私。
そんな状況で話すこともなく静まりかえった分娩室には異様な空気が漂っていた。
消されたライトと天井からぶら下がっているナースコールのスイッチを見ながら
「こんな硬い狭いベッドにいつまで寝てなくちゃいけないんだろう。足しびれちゃったな。
陣痛室のベッドに返してほしいなぁ。(私がみんなを待たせているくせに)
もしかして、一度分娩室に入った妊婦は出産するまで、出してくれないのかな〜?」と疑問に思ったが、
待ちくたびれて疲れた様子で、丸椅子に座っている若い助産婦さんにそんなくだらない質問は出来なかった。
時々、腰やお腹に痛みがあり、横にあったモニタを見ると、
陣痛室での大きな波形は見られず、さざなみ程度の波形だった。
寝ている頭の方の壁に時計がかかっているのを思い出し、
そっくり返るように時計を見ると12時45分。
入室してから30分以上経っていた。その間、担当の先生、もう一人の産婦人科の先生、
他の助産婦さんが入れ替わり立ち代り様子を見にきてくれたが、一様に「ちょっと、まだだねぇ。」
とつぶやいていた。
「あたしゃ、どうなるのかねぇ。」なんて考えながら、時計の秒針を眺めていた。
1時を過ぎた頃から、急にお腹や腰が痛みだし、お腹がビンビンに張ってきた。
「イタッ、痛くなってきたぁ〜。」と若い助産婦さんに訴えると、
モニタを確認し「ちょっと待っててね。まだ、いきまないでね。」と、
痛がっている私を残し部屋を出てしまった。
「ちょっと〜、一人にしないでよぉ。産まれたらどうすんのよぉぉ。」と思ったが、
訴えようにも誰もいない。誰かが来てくれるのを待っている間にも定期的に激痛が襲ってきて、
モニタの針は「ブルンブルン」とぶっちぎれてしまうほど大きな波形を記していた。
若い助産婦さんを先頭に、年配の助産婦さん、先生が部屋に入ってきてモニタを見ていた。
「ん〜、まだ弱いよ。こりゃ、○×*を使わないとダメだよ。もう限界だよ。」
と先生が助産婦さんに相談していた。「分かりました。そうします。よ〜く聞いてくださいねぇ。
微弱陣痛でね、この陣痛だと出産に結びつけるには難しいのよ。これ以上長引かせると、
母子とにも辛い状況になるの。だから、陣痛促進剤を今やっている○△*の点滴に入れるけどいいわね?」
と確認された。何に入れるのかは聞き取れなかったが、聞きなおす気力もなく
「はいはい、もう使ってくださいぃぃ。お任せしますからぁ〜」と了解の返事だけがやっと出来た。
その直後、点滴の袋が交換された。
5分もたたないうちに今までとは比べものにならないくらいの痛みが頻繁に起きた。
モニタをチェックしていた助産婦さんに「促進剤が効いてるからね。これなら何とかなるね、
もういきんでもいいから。」と言われた。
「じゃあ、赤ちゃんが出てくるところをきれいにしますからね。」
といろいろな道具の入ったトレイを持った助産婦さんの頭が大きなお腹越しに見えた。
間もなく激痛とともにお腹の皮がはちきれそうに張ってきて「…ぐぐぐっ」
と力を入れてみたが、一体どこにどういうふうに力を入れるのか分からなかった。
「力入れているところが違うわよ。もっと違う場所。」と先生に半ば怒られながら、
ちょっとづつ力の入れる場所を変えてみた。「そうそう、もっと力入れて。そのままがんばってね。」
と言われたが、ものすごいパワーが必要で、持続させる体力も気力も衰えているのが分かった。
息が絶え絶えになりクラクラとして、意識朦朧となり、手術台の電気がチカチカとして、
大きな電球がだんだん小さく見えてきた。
「にしざわさん、長引いて辛いだろうけど、今がんばらないと、赤ちゃん死んじゃうよ。
ダメだよ、しっかりして。」と足やらお腹をバシバシと叩かれた。
先生が「○△*だから、マスク使って。」と助産婦さんに指示を出すと、天井から酸素マスクが下りてきた。
「にしざわさん、マスクあてるよ。」と言いながら、ゴムのついた透明の酸素マスクを付けてくれた。
マスクのせいか、意識と元気が少し戻ったところで、目に入る汗が気になってしょうがなかった。
「そんな大事なときに汗が気になるなんて、我ながら集中力のない奴だなぁ」
と頭の片隅に残っていた冷静な気持ちで自分をあきれながら「ガーゼ、ガーゼちょうだい。」と頼み
(もう敬語なんか使ってられない状況)、
顔の汗を拭くと一回でガーゼがビショビショになるほどの汗をかいていた。
どれくらいそんな状況が続いたのかは、もう検討もつかなかった。そのうち
「頭、頭が見えてきてるわよ。」と言われ、力をふりしぼった。
そんな時に何故か内田春菊の「私たちは繁殖している」に書いてあった
「いきむ時は目をつぶらないでヘソを見る」「声を出すと力が逃げる」を説明している挿絵が頭に浮かんだ。
「目をつぶらず、声を出すな…か。…ぐぐぐ。」と、自分のふくらんだお腹を見て、
声をのどの奥でこらえて、何回も何回もいきんだ。
「ダメだ、まずいまずい、早く出さないと。」と先生が大声で言ったとたんに、
年配の助産婦さんが「このままだと危ないからお腹にのるわよ。」と私に言いながら、
「ヒョイ」と私のお腹にのって(この時の身軽さ素早さは若い人もかなわないだろう)、
グイグイとお腹を押し始め、「はい、後は自力でがんばってよぉ。いっせ〜のせぇぇ」
とかけごえを何回もかけながら、助産婦さんはお腹から降りた。
「痛い」という単純な一言だけでは言い表せない感覚が下半身にあり、
大きな大きな塊が下りてきて、今まさに外へ排出されるようとしていた。
そして、もうすぐこの凄まじい状況が終わることが何となく分かった。
「あ〜、ダメだ。間に合わない。これはあなた(若い助産婦さん)じゃ無理だから、
私がやるから交代交代!!」と若い助産婦さんと場所を交代した先生は、
私の身体の中に手を入れ(恐ろしいことだけど、たぶんそうだと思う)、
子供(たぶん)を回しながら「出てきてるからねぇ、もう大丈夫、もうすぐだよ。」の声と同時に、
高い所から低い所へ水が流れる、引力に引っぱられるという感じで自分の意思に関係なく「スルスル」
という感覚があったかと思ったら、身体が楽になった。
すぐに膨らんでいたお腹は高さを失い、見えなかった先生の顔が両足の間から見えた。
そして、この時に数ヶ月に及んだ妊婦生活が終わった。