卒論のぐあい
匿名の理由。
黒白あわせた「まにまに」全体で見た場合、個人名・地名などは、関係がない場合ほとんど伏せられています。これにはこれで一応の理由があるんですが、特にこの「卒論のぐあい」で個人名が伏せられているのにはかなり切実な事情があります。
私、繰り返すようですが「馬鹿学(部)生」でして、恩師の著作も殆ど目を通しておりません。ゆえに、私の「卒論指導教官」、つまり恩師、が、どこでだれにどんな(学術上の)「けんか」を売っているのか私には分からないんですね。
「学問の上でのけんかなら、いくらでもやれば良いんですよ。」
せんせい、馬鹿学生にそんなもの受けて立つ知力があるわけないでしょに。
受けて立てたら馬鹿学生じゃないですって。
言語分野の研究者の方が、どこでどういうネットサーフィンをしているのか、私にはさっぱり予測がつきません。
ページを公開する、どなたかがページをご覧になる、
「@@先生の発表なさった##という論文では%%%との見解を示していらっしゃいましたが、これに関しては**先生はどのようにお考えでしょうか.............」ってなメールが来て貰っても、笑うしかないわけですよ。トリ頭なんですから。
またこれとは逆の、もっと怖ろしいケースもありえます。
私がウェブでこーゆーものを発信してる、なんてことは、恩師は全然知らないわけです。教えてませんから。
で、どなたか研究者の方が見る、学会か研究会に行く、「そういえば先生の所のお弟子さんがインターネットで........」「は?」......................想像するだに怖ろしいでしょうが。
闘え馬鹿学部生。夜明けは遠いぞ。