白龍亭・八犬伝の名刀

目次 >> 情報整理(物事) >> 八犬伝の名刀(1997年春〜/2012年 2月 追記/2015年 11月 追記)

 南総里見八犬伝には何本か名のある刀が登場する。
 最も有名なのは犬塚信乃が持っている「村雨」だが、それ以外にも名刀がある。とはいえ、奇跡的力を放つのは村雨だけ。他は通常の刀。
 全名刀解説のつもりだが、今のところ細かい所まで確認していないので完全かどうかは分からない。
 ( )付数字は、その刀で斬った相手。数字は順番。ただし対関東管領戦時に誰を斬ったかについては未確認。


[ 村雨 ](むらさめ)

 関東足利家の重宝。
 八犬伝を代表する名刀。殺気をもって抜き放てば水気が発せられ、刀身に血糊もつかないというスーパーマジカルソード。なんと消火の力も発揮する。村雨という命名もそれゆえ。アレンジ系の八犬伝では妖刀という扱いになっているものもあるが、原作では妖刀ではない。実際に妖刀伝説があったのは「村正」である。名前が似ているので混同されているのかもしれない。

○足利持氏→春王
 足利尊氏の子、初代関東管領・足利基氏以来、関東足利家に伝わる。第四代関東管領足利持氏が将軍家に逆らって滅んだ時、嫡男ではなく何故か二男春王が所持。
 ----持氏はいざという時に逃げられる立場の人間に渡しておいたのか。その辺の事情は語られていない。

○春王→大塚匠作三戍
 春王と弟の安王は結城で挙兵。結城落城の時、なぜか春王ではなく持氏の近習だった大塚匠作三戍が所持。
 ----これまたいざという時に逃げられる立場の人間に渡してあったようである。記述はされていないが「京都の将軍家には絶対に渡さないぞ」という執念を感じる展開。

○大塚匠作三戍→大塚番作一戍
 結城落城の日、大塚匠作は子の番作一戍に村雨を渡す。
 匠作は言う「自分は捕らえられた春王奪還の隙を窺うが、おまえは春王が御家を再興する日まで村雨を守れ」と。匠作は春王護送の軍隊にまぎれこむが、番作も結局のところ同じ道を歩んでしまう。
 春王安王兄弟は美濃国垂井の金蓮寺で処刑。匠作は斬りこんで安王を斬首した錦織頓二の首を落とすが、自身も春王を斬首した牡蠣崎小二郎に斬られてしまう。それを見ていた番作は、村雨をもって(1)牡蠣崎を斬り、春王安王と匠作の首、および匠作の刀(桐一文字)を奪還。水気を放つ村雨ゆえに篝火が消えてしまい、闇になってしまったため番作は逃亡に成功。
 逃亡の途中、拈華庵で悪僧蚊牛に村雨で切りかかるが相手の薙刀を落としただけ。とどめはその薙刀。
 番作が故郷に戻った時に異母姉亀篠の婿蟇六が大塚家を継いでいた。亀篠は番作に「他郷に行け」と言うが、番作は「他郷に行けというのなら、この村雨をもって鎌倉に行き自分が正当な後継者だと訴え出るぞ」と突っぱねる。こんなことを言うから番作が村雨を持っていると知られてしまうのだが、そのおかげで大塚から追い出されずにすむ。ここで大塚番作は犬塚番作と改姓。

○犬塚番作一戍→犬塚信乃戍孝
 偽御教書破棄事件をきっかけに、番作は信乃を元服させて「いずれ村雨を足利成氏(春王安王の弟)へ献上して身を立てよ」と言い残す。その後、(2)番作は村雨で自害。父親の死後、その手から村雨を受け取った信乃は、事件のきっかけとなって槍で刺されて弱っている飼い犬の(3)与四郎を村雨で介錯。この時に「孝」の玉が飛び出す。その後、信乃も村雨で自害しようとするが番作の自害を知ってかけつけた人々に止められる。以後、信乃は大塚蟇六のもとで暮らす。

○犬塚信乃戍孝→網乾左母二郎
 大塚蟇六の養女浜路に陣代からの縁談の強要があり、許嫁の信乃を追い出すことになる。蟇六は信乃に「今年は許我に足利成氏公が戻っているので村雨を持っていったらどうか」と言い信乃ももっともと思って出立することにする。出発前、信乃を釣りに誘った蟇六は川に落ちて溺れかかり信乃が飛び込んで助けた。この隙に亀篠から刀身のすり替えを依頼された網乾左母二郎が刀身を入れ換えるのだが、信乃の刀が村雨だと気づき、村雨の刀身を自分のものにしてしまう。蟇六の鞘には水を入れて村雨っぽくごまかす。

○網乾左母二郎→浜路
 浜路を奪い取って逃げた網乾左母二郎。本郷円塚山で浜路を乗せた駕籠かきが追剥に変身。左母二郎は村雨で駕籠かきの(4)板の井太郎と(5)相肩の加太郎を斬る。そこへ追いついた追手の(6)土田の土太郎も斬る。
 左母二郎は浜路に村雨が手元にあるから仕官は思いのまま、幸せにしてやるなどと自慢。本当に村雨なのか見せてくれという浜路の右手に渡す。

○浜路→網乾左母二郎
 村雨を受け取った浜路は「夫の仇」として左母二郎に切りかかるが、逆に小刀で刺されてしまう。左母二郎は再び村雨を手にする。一旦は鞘におさめるが「村雨にて引導を渡してやる」といって再び抜き放ち、ふりあげた所で犬山道節の投げた手裏剣にてあっけなく死ぬ。

○網乾左母二郎→犬山道節忠与
 左母二郎がふり落とした村雨を道節が拾い(7)左母二郎に止めを刺す。道節浜路の兄妹対面の後立ち去ろうとする道節を額蔵が呼び止めて「村雨を返せ」といい戦うが道節は火遁の術で逃亡。この時に道節が抜いた太刀は、元々所持していた太刀なのか村雨なのかは不明。
 上野国妙義山の近く。
 道節は村雨を売りたいといって関東管領扇谷定正の鷹狩りの一行に近づいて村雨で定正の首を斬るが、実は影武者の(8)越杉駄一郎遠安。その後、道節の父道策を斬った(9)竈門三宝平五行を斬る。

○犬山道節忠与→犬塚信乃戍孝
 道節は荒芽山に向かう途中の地蔵堂で何者か(実は荘助)と戦うが、これまた火遁の術で逃げる。その後、荒芽山の音音の家で他犬士に会った道節は村雨を犬塚信乃に返す。
 以後、長く信乃の佩刀となる。
 信乃が泡雪奈四郎を斬った時は、奈四郎の刀を奪い取ったので村雨は使用せず。信乃が毛野の仇討ちに乗じて五十子城を取った時には(10)城の頭人らを斬っている。名前は不明。

○犬塚信乃戍孝→足利成氏
 終盤の対関東管領戦時に信乃が村雨で誰かを斬ったかどうかは未確認。
 対関東管領戦後、里見家と管領方連合軍の和睦が成立し、捕虜となっていた許我公方足利成氏は帰国。その途中、国府台城にて犬塚信乃は成氏に村雨を返す。父番作の遺言はここにようやく成る。


[ 小篠 ]- 雪篠の太刀(をざさ)

 犬川家の重宝、雪篠(ゆきざゝ)の両刀。小笹との記述もあり。長い方が小篠。
 対になる「落葉」とともに八犬伝で最も数奇な運面を辿る刀。八犬士で最も辛い人生を歩んだ犬川荘助の佩刀らしいといえばらしいかもしれない。

○犬川衛二則任→堀越公方家
 伊豆国北条の荘官、犬川衛二則任が所持。刀の名は犬川家の家紋雪篠に由来。犬川衛二は堀越公方足利政知を諫めて自害。犬川家はおとりつぶし。財産も没収。雪篠の刀も堀越公方家のものとなる。

○堀越公方家→?→鎌倉の商人
 堀越公方家滅亡後、どこをどうめぐったかは不明だが、鎌倉で売りに出される。
 ----原作には「堀越の御所滅亡」としか書いてないが、この件について補足。父たる堀越公方足利政知をぶっ殺して後を継いだ茶々丸。この乱暴な小僧を追い出して堀越公方家を滅亡させたのは隣国駿河国興国寺城主だった後の北条早雲。後に里見家と二度にわたって戦う北条家が世に躍り出た第一歩がこの事件。なお、八犬伝では北条家の進出は史実より数年早い設定になっている。

○鎌倉の商人→粟飯原首胤度
 鎌倉で売りに出されていた雪篠の両刀を買ったのは犬阪毛野の父親、粟飯原首胤度。

○粟飯原首胤度→千葉介自胤
 粟飯原首胤度は主君、千葉介自胤に進上。自胤は副佩刀として、この両刀に「小篠」「落葉」と命名して秘蔵した。前者は刀の縁に金の雪篠があることから、後者は葉が自ずから落ちるというほどの切れ味の鋭さからの命名。

○千葉介自胤→粟飯原首胤度
 馬加記内(当時はまだ大記と名のっていない)常武の罠により、許我公方足利成氏との和睦を図ることになった千葉介自胤は、粟飯原胤度の提案により、引出物に小篠・落葉の両刀を追加することになる。胤度は何も知らずに許我へ向けて出立。

○粟飯原首胤度→並四郎・舩虫
 胤度出発後に馬加常武から許我公方家との和睦の話が粟飯原のでっちあげだと聞かされた自胤は、籠山逸東太縁連を討手に差し向ける。
 胤度が討たれた時、馬加の息のかかった並四郎・舩虫の夫婦が引出物の宝を盗み出す。籠山縁連は宝を取り戻せなかった罪を問われるのを恐れて逐電。

○並四郎・舩虫→?→行徳の商人?
 舩虫らが盗んだ引出物のうち、千葉家相伝の嵐山の笛は保管。雪篠の両刀は売りに出されてしまう。

○行徳の商人?→犬田小文吾悌順
 行徳で売りにだされていた雪篠の両刀を、武士にあこがれていた武勇の町人小文吾が十五金を出して購入。本当は三十金だったが、どうしてもすぐに金が欲しいということでまけてくれた。しかし父親の古那屋文吾兵衛は気に入らず、小文吾は腰に帯びずに秘蔵。

○犬田小文吾悌順→犬塚信乃戍孝
 芳流閣の決闘の後、行徳に流れ着いて古那屋の世話になった犬塚信乃。刀を失っていた信乃に、小文吾は秘蔵の雪篠の刀を譲る。以後数日、信乃の佩刀となる。

○犬塚信乃戍孝→犬川荘助義任
 庚申塚刑場で額蔵こと犬川荘助を救出した信乃・小文吾・現八。この時、信乃は(1)軍木五倍二を斬る。
 ----信乃が使ったのは、後に雪篠と判明する大小のうちの太刀の方との記述があるのみ。切れ味が鋭い云々という発言があるので「落葉」である可能性も高いのだが。
 その後、夜通し逃げて雷電神社で休憩。荘助は現八が敵から奪って自分に渡してくれた刀が「桐一文字」だと気づき信乃に返す。信乃は入れ換えに自分の雪篠の両刀を荘助に渡すが、刀の特徴から犬川家先祖相伝の雪篠と気付く。かくして雪篠は本来の持ち主に返る。
 ----雪篠という言葉はこの場面が初出。大金を出してこの刀を買っていた小文吾は知らなかった。小文吾に刀を売った人間もこの刀の名前を知らなかったことになる。盗品ゆえか。

○犬川荘助義任→稲戸津守由充
 越後国片貝にて執事稲戸由充に小文吾とともに捕らわれた時、雪篠の両刀も奪われる。片貝城主箙大刀自の娘が大石家・千葉家に嫁いでいたため、庚申塚刑場脱走の荘助と対牛楼仇討の仲間とされた小文吾は罪人とされた。

○稲戸津守由充→馬加蠅六郎郷武
 荘助・小文吾の偽首とともに証拠の品として差し出された雪篠の両刀。千葉家から来た馬加郷武は雪篠の両刀に見覚えがあったので納得して帰路につく。
 稲戸由充の配慮により命を救われた荘助・小文吾は新たな刀をもらって密かに抜け出すが、先祖相伝の雪篠の両刀をとりもどすべく馬加郷武一行を追う。

○馬加蠅六郎郷武→犬阪毛野胤智
 馬加郷武は信濃国下諏訪で「落葉」の試し斬りをする。この時、乞食仲間に化けていた犬阪毛野が仲間の仇として馬加郷武を斬り、父が関わった名刀を手にする。
 ----小篠・落葉、両刀の大小が分かるのは、第七十八回・馬加郷武の「寡君自胤の秘藏し給ひし、小篠・落葉の大小刀」という発言から。

○犬阪毛野胤智→犬川荘助義任
 そこへ追いついた犬川荘助は雪篠の刀をめぐって毛野と戦う。この時、毛野が振り回したのは「落葉」。遅れて到着した小文吾があわてて両者の間に入ってとめて、刀の由来を語る。毛野は納得して荘助に両刀を返す。
 以後、荘助の佩刀となる。対関東管領戦等で誰を斬ったかは未確認。


[ 落葉 ]- 雪篠の小刀(おちば)

 犬川家の重宝、雪篠の両刀。短い方が落葉。
 つねに小篠とともにあったので、辿った運命は上記「小篠」と同じ。しかしながら、こちらの方が振り回す場面が多い。
 前述、雪篠の両刀が馬加郷武の手にあった時。人を斬れば周りの木から落葉が散るとの噂は本当かどうか試すとして、信濃国下諏訪にて、乞食の(1)鎌倉蹇兒を斬り殺す。それを見ていた乞食仲間の相模小猴子、実は残りの仇・籠山縁連を探すために乞食に身をやつしていた犬阪毛野は仲間の仇をとって馬加郷武を切り殺す。
 また、雪篠の両刀をめぐって毛野と荘助が戦った時、毛野はこの刀で戦った。
 ----雪篠=小篠・落葉、という図式は最初は明らかではない。荘助がらみでは雪篠、毛野がらみでは小篠・落葉と書かれる。この両者の一致が明らかになるのは、荘助・小文吾・毛野がかかわる越後・信濃物語から。


[ 桐一文字の小刀 ](きりいちもんじ)

 大塚家の重宝。

○大塚匠作三戍→亀篠
 大塚匠作は結城に籠城する前に、娘の亀篠に先祖相伝の短刀を残していった。

○亀篠→額蔵
 犬塚信乃が許我へ旅立つ時、亀篠は額蔵に桐一文字を渡し、途中で信乃を殺せと命じる。桐一文字を貸したのはこれぐらいの切れ味がないと信乃に太刀打ちできないだろうとの判断から。

○額蔵→簸上社平
 信乃を送った帰りに額蔵は道節と戦っているが、おそらく振り回したのは桐一文字。
 ----というのも額蔵はこの時点では侍扱いはされていない。当然太刀を持っているはずもなし。これしかなかったはず。道節の肩を斬ったのは当然この刀ということになる。それにしても、短刀をもって太刀と戦うとは……。
 その後大塚に戻った額蔵は、亀篠らを殺した陣代の(1)簸上宮六を斬り殺す。その配下の軍木五倍二も斬るが殺すには至っていない。陣代殺しのみならず亀篠らも殺したことにされた額蔵は獄舎につながれる。刀は没収され公儀のものとなるが、簸上宮六の弟社平はこっそりと自分のものにしてしまう。

○簸上社平→犬飼現八信道
 額蔵はやがて処刑と決まり庚申塚刑場で磔。その時に信乃・小文吾・現八らが刑場に乱入して額蔵を助ける。この時に現八は簸上社平を殺して両刀を奪ったが、この中に桐一文字があった。

○犬飼現八信道→犬川荘助義任
 現八は簸上社平から奪った両刀を刀のない額蔵あらため犬川荘助に渡す。この時点では逃げるのに精一杯で、それが桐一文字だとは気付かず。

○犬川荘助義任→犬塚信乃戍孝
 四犬士が雷電神社で一息ついた時、荘助は刀が桐一文字だと気付いて信乃に返す。この時信乃が持っていたのは犬川家相伝の「雪篠の両刀」、互いに相伝の刀を交換することになる。
 以後、信乃の脇差となる。


[ 桐一文字の太刀 ](きりいちもんじ)

 大塚家の重宝。
 二尺九寸。土中に埋もれた名刀。

○大塚匠作三戍→大塚番作一戍→拈華庵の土中
 足利持氏の近習大塚匠作三戍が所持。結城落城後、足利春王安王兄弟は美濃国垂井の金蓮寺で処刑。この時、匠作は斬りこんで安王を斬首した(1)錦織頓二の首を落とす。しかし自身も斬られてしまう。この時、匠作の一子番作一戍が春王安王の首とともに匠作の首と桐一文字を持って逃亡。信濃国吉蘇(木曽)の拈華庵に埋める。

○拈華庵の土中→犬塚信濃介戍孝
 はるか後年。八犬士は叙任の御礼に京都へ赴き参内。その帰りに拈華庵にて信乃(正確にいえばこの時は信濃介)は、春王安王の首と祖父の首、および大塚家相伝の桐一文字の太刀を土中から入手。錆びついていたが後に研いで佩刀とした。


[ 木天蓼丸 ](わたたびまる)

 長尾家の重宝。
 九寸五分の短刀。こしらえが木天蓼(またたび、南総里見八犬伝では「わたたび」の振り仮名)でできている。土中に埋もれていた刀。

○白井城の地中から出土→長尾景春
 長尾景春が扇谷定正から白井城を奪い取った後、井戸を掘っていた時に出土した。

○長尾景春→籠山逸東太縁連
 長尾景春は、この刀が噂の「村雨」ではないかと疑い、赤岩一角に鑑定を頼むため、籠山縁連に持たせて下野国へ。

○籠山逸東太縁連→偽の赤岩一角武遠
 籠山縁連が赤岩一角を訪ねた時、ちょうど一角は前日に現八に矢を射られて目をやられていた。目を治すためには四ヶ月以上の胎児の生肝とその母の心臓の血、さらに百年土中に埋もれた木天蓼が必要とのことで、偽一角は妖力をもってこの短刀を盗む。
 ----鑑定した偽一角は、「村雨丸の名刀と長短同じからず」(第六十二回)と言って、木天蓼丸が村雨ではないと断言。当然といえば当然で、この短刀を村雨と疑った長尾景春の方がおかしい気がする。

○偽の赤岩一角武遠→舩虫→雛衣
 木天蓼を手に入れた偽一角は、次に胎児の生肝と母の血をもとめて懐胎している(と思われていた)角太郎の妻雛衣の命を求める。偽一角の妻舩虫は既に木天蓼でできた鞘を削り取った後の木天蓼丸を雛衣に渡して自害を迫る。かくして(1)雛衣は自害。懐胎と思われていた膨らんだ腹中にあった「礼」の玉が飛び出して偽一角を撃つ。

○雛衣→犬村角太郎→籠山逸東太縁連
 瑞玉に撃たれて化猫の正体を現した偽の赤岩一角を角太郎が退治。その後、籠山縁連は角太郎の許しを得て木天蓼丸をとりもどし、舩虫を連行して白井城に向かう。

○籠山逸東太縁連→舩虫
 白井城に向かう途中の信濃国沓掛(実は地理的におかしい。沓掛は今の軽井沢の一部、白井を通りすぎてしまっている)。舩虫は縁連に「妻にしてくれ」と誘惑。縁連も先妻を失って長いのでたまっていた!?のか、舩虫の縄をほどいて一緒に寝る。
 朝起きてみると、舩虫は木天蓼の名刀とともに消えていた。かくして長尾家に戻れなくなった籠山縁連は逐電。

○舩虫→石亀屋次団太
 越後国で山賊の妻となった舩虫は(2)鮫守磯九郎を殺して金を奪う。
 その後、犬田小文吾が石亀屋にいてしかも目が見えなくなっていると知った舩虫は、按摩に化けて小文吾を襲う。この時に使ったのが木天蓼丸。結局取り押さえられて短刀は石亀屋に残る。

○石亀屋次団太→箙大刀自(長尾景春の母)
 短刀のことをすっかり忘れていた石亀屋次団太。泥海土丈二と密通していた後妻の嗚呼善は、次団太を追い出すために片貝城主に「次団太は盗賊の一味。証拠は木天蓼の短刀」といって訴え出る。かくして捕らえられた次団太。この時に木天蓼の短刀は長尾家に戻った。
 後に次団太の無実が分かり釈放されるが、短刀所持を忘れていた罪に問われて越後国追放となる。


[ 小月像 ](こつきがた)

 里見家の重宝。
 相伝の刀というが、結城落城の時、義実主従は命からがら逃亡して荷物は持っていたとは思えない。ということで義実がその時に帯びていた刀だと考えられる。

○里見義実→犬江親兵衛
 大月像を義成に譲った後も義実が持っていたが、富山で犬江親兵衛に助けられた時に、名馬・青海波とともに親兵衛に与えた。以後、犬江親兵衛の佩刀となる。親兵衛は一人も殺していないため、この刀が使われる場面はない。
 ----親兵衛は小刀として「伏姫神授の刀」を持っている。「小月像」も小刀なので、この二本を大小として持っている親兵衛は謎。


[ 大月像 ](おほつきがた)

 里見家の重宝。
 上記「小月像」同様の理由から、義実が結城落城の時に帯びていた刀だと考えられる。

○里見義実→里見義成
 義実が義成に家督とともに譲った。以後、義成の佩刀。

SPECIAL THANKS:
* 1999年8月以前は「大月像と小月像の大小は不明」と書いていたが、犬玉梓之介様から御指摘あり。「大月像・小月像、大小の兩刀は當家相傳の重寶なれども…」(第百三十回)との記述があった。


[ 狙公 ](さるひき)

 里見家の重宝。
 土中に埋もれた太刀。「退蛇之神刀」の銘あり。後に里見季基が「依弓馬之力不料所得狙公之刀源季基」と刻んだ。

○朝暮七の親→朝暮七
 狙公(猿牽)の親から子へ。

○朝暮七→里見季基
 狙公・朝暮七が上州里見領内の底不知の池の畔でうたた寝中、大蛇に襲われた時に刀自体が大蛇と戦う。それを見た里見季基が大蛇を矢で倒し、その礼として刀を譲り受けた。

○里見季基→十十八(浄西)→左右川ほとりの地蔵堂
 結城落城の日、戦死した里見季基に最後までつき従った馬のくちとりの十十八。季基の首と狙公の名刀をもって逃げ、僧・浄西となって地蔵堂を建立し、首と名刀を埋めた。

○左右川ほとりの地蔵堂→丶大法師
 丶大法師の結城法要の後、浄西の霊験により季基の首と名刀があると分かる。

○丶大法師→里見義実
 丶大法師は、季基の白骨とともに狙公を安房に持ちかえり、杉倉氏元の手をへて里見義実に渡す。

○里見義実→里見義成
 季基改葬の法要が終わった後、義実は現国主の義成に譲った。以後、「大月像」とともに義成の佩刀。


[ 若鮎 ](わかあゆ)

 京都の管領・細河政元の持つ名刀。

○細河政元→犬江親兵衛仁→細河政元
 京の五虎との武芸の試合に勝った親兵衛への褒美として管領・細河政元が親兵衛に授けた。一旦返した親兵衛だが政元の強い要望の前にその場では腰に帯びる。しかし後日は一切腰に帯びず、名馬走帆以外に政元から受け取ったものを全て返して安房へ帰る。


▼無名ながら重要な二振りの刀。


[ 赤岩一角の形見の短刀 ]

 赤岩一角の短刀。後に子の犬村大角が腰に帯びる。

○赤岩一角武遠→犬飼現八信道
 赤岩一角が庚申山で妖猫に襲われた時、唯一奪われなかった短刀。後に犬飼現八が妖猫の片目を射た時に亡霊として姿を現して、現八にこの短刀を渡して角太郎へ真実を伝えることを依頼。

○犬飼現八信道→犬村角太郎禮儀
 雛衣の自害とともに腹中から飛び出した玉が偽の赤岩一角を倒す。その際に現八は角太郎の亡父の真実を伝えて、短刀を角太郎に渡す。短刀に魚葉牡丹の赤岩家の家紋を見つけて確認。その後、妖猫の姿になって息を吹き返した偽一角を現八と角太郎が倒し、最後にこの形見の短刀で(1)偽一角に止めを刺した。


[ 伏姫の懐剣 ]

 伏姫自害の懐剣。後に犬江親兵衛が腰に帯びる。

○伏姫→伏姫の墓
 伏姫が八房に「情欲を遂んとならば、わが懐劍ここにあり。汝を殺して自害せん。(中略)戀慕の欲を斷ならば、汝は則わが爲に菩提の郷導人なるべし。然るときは汝の随意、何地までも伴れん」(第十回)と言って富山に持参した短刀。後にこの刀で(1)自害。亡骸とともにこの懐剣は埋められた。

○伏姫神女→犬江親兵衛仁
 富山で親兵衛が再出現した時に親兵衛が持っていた短刀。伏姫神女が親兵衛に与えた。里見義実は埋めたはずの刀を親兵衛が帯びているのを見て、伏姫神女が与えたことを理解した。


▼名前だけ登場する刀のブランド名。


[ 鐵斫 ](くろがねきり)

 刀匠・麻呂太郎平信之が、自ら打った新刀に、塗れば鉄をも切れるという「人魚膏油」を塗って売った時の名。個々の刀剣名ではなく、同じ名前で複数を売っているようなので、いわばブランド名である。
 ----後に、信之から数えて第五代丸屋太郎平の弟子・木瓜八から、滿呂復五郎重時が「人魚膏油」を手に入れた。彼と滿呂再太郎、安西成之介の三人は、自分たちの刀に膏油を塗って、敵陣の手前の川の中に張られた鉄鎖を切り、里見軍の渡河に道を開いた。同じ効能ではあるが、かつてこのブランド名で売られた刀を使ったわけではない。
 ----これも「村雨」同様に奇跡的な力を発揮してはいるが、奇跡は「人魚膏油」にあり、刀は通常のものでしかない。よって、白龍亭では奇跡の刀とは見なさない。


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