白龍亭・八犬伝の基礎

目次 >> 入門 >> 八犬伝の基礎(1996年 6月〜/2013年 5月 再構成+追記)

* この頁は、サイト縮小化以前の「作者とあらすじ・超簡略解説」「作者・曲亭馬琴」「八犬伝の時代(戦国の関東)」「八犬伝世界の掟 」といった入門ページを整理統合して再構築したもの。長年経過した後で見直すと不満点もあったので、書き直した個所もある。

レベル1:八犬伝ファンでなくても

●南総里見八犬伝とは?

 江戸時代後期に、曲亭 馬琴 (きょくてい ばきん)によって書かれた、戦国時代の関東を舞台にした、伝奇小説。九十八巻百六冊という、日本の古典文学史上、最長の物語。


●どんな話? ──大雑把なあらすじ

 今の千葉県、房総半島の南端を、安房国(あわのくに)という。
 領主・里見義実(さとみよしざね)の娘、伏姫(ふせひめ)は、かつて義実によって処刑された悪女・玉梓(たまづさ)の呪いによって、体に八つの牡丹の痣がある飼い犬の八房(やつふさ)と夫婦になり山の中で暮らす。ある日、仙童が現れ「八房の子が出来ている」と告げた。伏姫は「身に覚えがないのに犬畜生の子をはらむなんて」と思い詰めて自害。だが、「形」のある子が出来たのではなく「気」だけの子が出来ていたのだ。その時、伏姫が持っていた数珠の「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字が浮きでた八つの大玉が「気」とともに空高く飛び上がり、散り散りになり遠く飛び去っていった。伏姫の婚約者であった金碗大輔(かなまり だいすけ)は髪を切り丶大法師(ちゅだいほうし)となって飛び去った八つの玉を探す旅に出る。



 やがて関八州(関東)各地に、犬で始まる名を持ち、体に牡丹の痣があり、文字の浮きでる玉を持つ若者が生まれる。「気」だけで生まれた八人の子が「形」を成したのである。彼らが、八犬士である。

・犬江 親兵衛 仁(いぬえ しんべえ まさし)の玉を持つ
・犬川 荘助 義任(いぬかわ そうすけ よしとう)の玉を持つ
・犬村 大角 礼儀(いぬむら だいかく まさのり)の玉を持つ
・犬阪 毛野 胤智(いぬざか けの たねとも)の玉を持つ
・犬山 道節 忠与(いぬやま どうせつ ただとも)の玉を持つ
・犬飼 現八 信道(いぬかい げんぱち のぶみち)の玉を持つ
・犬塚 信乃 戍孝(いぬづか しの もりたか)の玉を持つ
・犬田 小文吾 悌順(いぬた こぶんご やすより)の玉を持つ

 別々の場所に生まれながら、宿縁に導かれて集まり、やがて里見家に仕える。里見家は関東管領・扇谷定正(おうぎがやつ さだまさ)等の諸将連合軍に攻められ水陸両面で戦うが、八犬士の活躍等により圧勝。八犬士はそれぞれ城主となる。
・参照 →「八犬伝の粗筋


レベル2:八犬伝ファンならば

●作者について

 曲亭 馬琴 (きょくてい ばきん)
 明和四年・六月九日生(1767年 7月 4日)
 嘉永元年・十一月六日没(1848年 12月 1日)
 享年八十二歳。

 江戸時代後期の、読本(よみほん。文字を中心とした「読ませる」小説)の第一人者。江戸時代最大の文豪。代表作「南総里見八犬伝」は 1814年(四十八歳)から 1842年(七十六歳)まで二十八年かかって書かれた。執筆終盤に失明し息子の嫁のお路(おみち)に口述筆記させて完結させた。


* 本名が、瀧澤(滝沢)興邦(おきくに)、後に、解(とく)であるため「滝沢 馬琴」とも呼ばれるが、これはおかしい。下の表を見れば一目瞭然。よって、白龍亭では正しく「曲亭馬琴」と呼ぶ。

芸名/筆名 本名 まぜこぜ
曲亭 馬琴 滝沢 興邦(解) 滝沢 馬琴 ありえると思う?
松田 聖子 蒲池 法子 蒲池 聖子 ありえない
明石家 さんま 杉本 高文 杉本 さんま
所 ジョージ 芳賀 隆之 芳賀 ジョージ
アジャ・コング 宍戸 エリカ 宍戸 コング

* 白龍亭主は文学研究者ではないので、作者について詳細には知らない。馬琴について、これ以上の知識を求める方は、検索して他サイトへどうぞ。
・御尊顔 →「馬琴をメイク♪


●戦国時代の関東

 関東の戦国大名といえば、下克上の雄・早雲庵宗瑞を祖とする北条氏が有名。だが、八犬伝の舞台である戦国初頭の関東は、北条氏が関東に乗り出してくる以前のことであり、一部歴史好きを除外して、どんなことがあったのか一般には知られていない。八犬伝世界を楽しむ上で、この辺の歴史は知っておいた方がいい。

[ 鎌倉府 ]

 京都を本拠とする室町幕府の、関東における出先機関。それが、鎌倉府。
 なんでこんなものが鎌倉にあるのか? 答はシンプルで、新しく権力を握った者は、それ以前の権力者の本拠地に、自分達の勢力を常駐させるものなのだ。後年の徳川幕府だって、豊臣家の大阪城を破棄するのではなく自分たちのものとして城代を置いた。鎌倉幕府だって、平家の本拠地であった京都六波羅を自分たちのものにして、六波羅探題なる出先機関を作っている。それと同じく、室町将軍家は、鎌倉幕府の地に拠点を置いたのだ。
* 余談だが、九州の地に「太宰府」という出先機関がなぜあるのか? 亭主は、古田武彦氏の「九州王朝説」を支持するものである。日本神話だってほとんどの舞台は九州だし、大和朝廷以前の日本の支配者が九州にいた、というのは一番自然な論理だと思う。ちなみに九州王朝説においては、九州を拠点とした日本の支配者は、天孫降臨神話の瓊瓊杵尊の嫡流子孫。降臨すなわち建国(但し降臨の地は、日向国ではなく、筑紫国日向。今も九州の中枢は博多周辺だが、それは古代でも同じだった)であり、瓊瓊杵尊は初代の神格化である。神武東遷はその分家の征東譚だ。後に、白村江の敗戦をきっかけに滅亡した九州の本家を、すでに近畿の支配を確立していた神武子孫の分家が吸収し、本家の歴史を自分のものとして書き換えてしまった、ということ。
* さらに余談だが、上記と似たような話が身近にある。亭主の母方の曾祖父が作った食品製造会社を、祖父が受け継いだのだが、結局、経営に失敗して廃業。一方で祖父と喧嘩別れした祖父の弟は独立して同業の別会社を設立。その会社はその後成長して現存。しかし、ネット上でも読めるその社史を見ると、祖父の会社の歴史をもその会社の歴史として書いてあり、別会社として独立した話は一行もない。もっとも、書類上は廃業した祖父の会社(曾祖父が創業したから、創業年が古くて伝統がありそうに見える)が存続会社になっていて、祖父の弟が受け継いだことになっている。だから法的には間違いではないにしても、事実上は別会社だったのだから嘘の記述というしかない。祖父の存在はなかったことにされているし、ここが八犬伝世界だったら、無念のうちに死んだ祖父は怨霊になってもおかしくはない。やがて真実を知る世代がいなくなれば、公式に記述されたものが事実として定着してしまう。合法的改竄による歴史の捏造だ。──人間っていうのは、こういうことをするものなのだ。

 この鎌倉府の長。
 京都の幕府の職制でいう「関東管領」だが、代々、初代将軍・足利尊氏の子孫に継がれている。源頼朝が開いた武家の都の長にして、尊氏の直系。この格式の高さゆえに「副将軍」とか「鎌倉公方(公方=将軍)」を自称するに至った。

幕府の正式役職名 鎌倉府の自称
足利氏 関東管領 鎌倉公方
上杉氏 関東執事 関東管領

* 足利氏は源氏の本家に近い血筋だし、本家の源為朝の血筋が入っているという伝説もあるし、源氏の都を支配するのに相応しい存在ではある。それもあって、 鎌倉府の長が「俺は鎌倉将軍だ」と言っているのだから、極論すれば、関東では鎌倉幕府が継続しているのと同じような状態だったということだ。実際、鎌倉時代もこの頃も、地元の人々の呼び名は同じ「鎌倉殿」や「鎌倉御所」だったらしい。


 一方で、室町将軍家。
 争いを避けるためだろうが「後継ぎ以外の男子は、寺に放り込んで僧侶にしてしまう」という極端な方針。
 当然、正規の後継ぎが絶える日はやってきた。その時、幕府重臣は、一度出家した者(=世を捨てた者)を将軍の座に据える、という前代未聞のことをやった。六代将軍・足利義教だ。これは、天下の副将軍・鎌倉の足利持氏にしてみれば「将軍家が絶えたのなら、跡を継ぐのは俺のはずだろ!」ということになる。
 必然的に、将軍と鎌倉公方は対立。
 しかし、足利義教の苛烈な性格もあって丸く収まることはなく、ついに戦争。追い詰められた足利持氏は死に至り、ここから八犬伝の物語も始まるのだ。
* 戦国時代は「応仁の乱」から始まるとされる。でも、関東の争乱の起点である持氏の死は、その三十年近く以前。つまり、八犬伝の記述「世は戰國となりしころ」というのは、この一足早い「関東の戦国」のことである。

[ 関東の争乱 ]

 足利持氏死後の歴史は、八犬伝の物語の中でも語られるが、ここでも大雑把に触れておこう。
 持氏を倒した京都将軍家とそれに味方した関東執事上杉氏はよほど嫌われていたのか、里見家を含む一部の関東武士たちが持氏遺児を奉じて結城に籠城。八犬伝の発端、結城合戦(1440-41)である。結局、結城方は敗北し、持氏の次男と三男は処刑。一方、将軍義教も終戦二ヶ月後に播磨国主赤松満祐に殺されてしまった(嘉吉の乱 1441)ため、持氏の末子は生き延びた。
* 結城の敗軍から生き延びた中に、里見家再興初代・里見義実がいて、犬塚信乃の父・大塚番作もいた。
 以後、関東の混乱は収まらず、持氏の末子・成氏を鎌倉公方に迎えて一段落。
 しかし、鎌倉公方・足利成氏の下にいた関東管領・上杉憲忠は、成氏の父である持氏を裏切って将軍方についた上杉憲実の子。つまり、仇の子。仲良くやれるはずもなく、ついに成氏は憲忠を殺害。とはいえ、実力者・上杉氏を敵にまわして鎌倉に留まることもできずに古河に退去。そこも攻めたてられ、遂には千葉康胤に匿ってもらうはめに。
* 千葉康胤の子が、八犬伝に登場する千葉孝胤。また対牛楼で犬阪毛野に仇討ちされてしまう馬加大記はこの康胤の甥。
 その後、和睦が成立して成氏は古河に戻った。これが「古河公方」である。
* 八犬伝では、古河ではなく許我(または滸我)だが、はるか昔は本当にこう書いたようだ。
* 古河公方の屋敷に、八犬伝名場面のひとつ、芳流閣がある。
 そんなこんなで乱れまくった関東。
 将軍家も黙っているはずもなく、新たな鎌倉公方として、将軍の弟・足利政知を送り込んできたが、関東には入れず伊豆国止まり。これが「堀越公方」である。
* どうやら「ほりごえ」と呼ぶらしいが、八犬伝中では「ほりこし」という仮名がふられている。
* この堀越公方が伊豆に存在したことが、むしろ争いの種となり、後に北条早雲の下克上出世の足掛かりになるわけだから皮肉な話だ。

 かくして足利家に代わって関東管領となった上杉氏も、宗家・山内家と実力者・扇谷家が対立。
* 扇谷家の当主定正が八犬伝での敵役。定正のライバル山内顕定も最後の方にちょこっと登場。歴史上に実在した人物が敵なので、八犬伝はこの主敵を殺すことができないわけである。
* ちなみに、山内や扇谷は鎌倉の地名。山内に屋敷のある上杉家と、扇谷に屋敷のある上杉家ということだ。

 さらに上杉氏の家宰であった長尾氏が自立。
 その長尾氏に味方した関東の名家豊島氏は扇谷家の家宰・太田道灌に攻められて滅亡。その太田道灌も後に山内顕定の策謀により主人扇谷定正に謀叛を疑われて謀殺される。もう、しっちゃかめっちゃかだ。
* 犬山道節は滅びた豊島の一族という設定。
* 長尾氏の子孫が上杉謙信であり、その上杉家は馬琴の生きた江戸時代も大名として存在した。だから、悪という設定にはできなかったのか、後に里見の敵にまわるものの、扇谷定正のような暗君には描かれていない。
* 太田道灌といえば、江戸城を作った人として有名。つまり、江戸という地が水運の要になると見抜いた有能な男だったということ。そんな人物が扇谷家の家臣なのだから、同族のライバル山内家にしてみれば邪魔だったのだろう。そんな敵の策に嵌まって有能な家臣を殺してしまった扇谷定正も愚かであるが、山内顕定だって愚かだ。結局、太田道灌を失ったことで、上杉家そのものが衰退し、北条家に勝てなくなってしまったわけだから。……内輪で不毛な争いをして両者消耗したところを外敵にやられてしまう。歴史にはよくあることだ。いや、現代だって、下らない社内政治で消耗した結果、他社に抜かれたり、不毛なストレスが原因でありえないミスをして信用を失う会社はある。よく「歴史に学ぶ」なんていうけど、個々では教訓にできる人間が少数いるにしても、社会全体として見れば、人類が歴史から学ぶ日は永遠に来ない気がする。悲観的なのさ。

 この関東の争乱を終わらせたのは、伊豆に興り、箱根を越えて、関東の南東端・小田原を拠点とした早雲とその子孫北条家。
 相模、武蔵、上野と攻め上った北条氏と、上総、下総と版図を広げた里見氏はやがて衝突するが、八犬伝ではそこまで至らない。関東をほぼ統一した北条氏は五代にして秀吉に滅ぼされ、里見氏は十代にして徳川家につぶされた。

[ 稗史と正史 ]

 ……という時代を舞台にしてはいるものの、南総里見八犬伝は史実に忠実ではない。
 馬琴は言う。
 第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評。

「本傳なる里見父子、並に八犬氏てふ善士等は、昔の里見氏にして、昔の里見氏ならず。昔ありける八犬士にて、昔ありける八犬士ならず。且本傳の歳月も、則昔の歳月にて、亦是昔の歳月ならず。いはでもしるき架空の言、畢竟遊戯三昧にて、毫も世に裨益なし」

 つまり架空の時代小説(稗史。「はいし」又は「よみほん」と読む)である南総里見八犬伝は、戦国の関東という時代をいわば「借景」にして独自の世界を築いているのである。
* 八犬伝のクライマックスにある「里見家 vs 関東諸将連合軍」の戦争なんて、完全に架空。上杉氏と足利氏が連係するなんて、歴史的にはありえない話だ。
* 江戸の当時から史実に忠実でないという批判はあったらしいが、自然を模した庭を見て「本当の自然じゃない」とか言うようなものだ。馬琴は「史実にこだわるなら歴史書(正史)を読め」てなことを言っている。

 過去を舞台とした架空の物語といえば、時代劇。
 現代人にとっての時代劇とは江戸時代だが、それはちょうど二つ前の時代だ。それを江戸当時の人々に当てはめてみれば、二つ前の時代は、戦国時代なのである。

二つ前の時代 一つ前の時代
徳川時代(維新前) 大日本帝国(戦前) 現代人
関東争乱期(分裂した関東) 北条時代(関東の統一) 江戸の民(徳川支配下=含・豊臣時代)

 戦国時代とは、現代における「水戸黄門」や「桃太郎侍」のように、古すぎず新しすぎず、架空の物語を設定するのにちょうどよい過去だったのだろう。
* 関東の視点に立つと信長・秀吉の存在感のなんと希薄なことか。
* まぁ「水戸黄門」や「桃太郎侍」そのものが、すでに過去のものとなりつつあるが…。


レベル3:もう少し八犬伝に踏み込んでみる

●八犬伝世界の掟

 南総里見八犬伝は、正史ではなく稗史である。つまり、馬琴が創造した架空の世界。
 そこでは、現実の世界とは違い、神(造物主)たる馬琴が設定した掟が厳密に適用される。登場人物たちの運命はその掌中にある。以下、その掟を知るための基本用語集。

[ 勸善懲惡(勧善懲悪)
 くわんぜんちゃうあく(かんぜんちょうあく)
 略して「勧懲」ともいう。
 善をすすめ悪をこらす。要するに「正義は勝つ」という掟。
* 最終的には正義が勝つにしても、最初は悪が勝っている。だからこそ、正義のヒーローの需要はあるわけだが、ヒーローが登場する以前に悪の犠牲になって死んだ人間は、結局、何も報われはしない。いやぁ「水戸黄門」なんかを見てても、結局、そこがスッキリしないんだよなぁ。八犬伝もね。

[ 因果應報(因果応報)
 いんぐぁおうほう(いんがおうほう)
 八犬伝中では略して単に「応報」と書いてある場合もある。
 勧善懲悪を支える運命的ルール。良いことをすれば必ず良い結果が報われ、悪いことをすれば必ず天罰が下る。仏教の基本ルールでもある。
 ただし「因(因縁)」と「果(果報)」の関係は三種類ある。

  因縁 果報 解説      八犬伝の例   
本人 本人 「良いことをした人が幸福になる」あるいは「悪人に天罰が下る」という単純なパターン。 多い。
前半で八犬士たちを苦しめた悪人どもは最後にはみな報いを受ける。読んでいて「ざま〜みろ」と感じて壮快になる。勧善懲悪がエンタテインメントの王道になるのもこのカタルシスゆえであろう。
先祖 子孫 「親の因果が子に報い」などと言われるパターン。 少ないが重要。
・父の仁義 → 親兵衛が仁玉の犬士。
・母の殺人 → 娘の浜路の不幸。
本人(前世) 本人(今生) 輪廻転生、人間は生まれ変わる。この世に生まれ変わる以前の人生での行いの報いをこの世で受ける。 具体例は少ない。
・悪女玉梓 → 犬の八房。
ただし何かが起きた時に「過世なのか」と前世の因縁を匂わせるような記述は多い。

 2と3はつらいものがある。2は「自分のせいじゃないのに」だし、3も「自分としての記憶がないのに」ということでなかなか納得できるものではない。それを考えると「因果応報」というのもけっこう非情なシステムである。
* だからこそ釈迦は、このシステムから離脱(解脱)して二度と転生しないための方法を求めたのだ。何度もこの世に生まれて苦しむことからの離脱=成仏である。

[ 倚福 ]
 いふく
 八犬伝中では「きふく」との振り仮名あり。
 幸福の中に禍の種があり、禍の中に福の種がある。何が幸福なのか人知では計り知れない、ということ。同じ意味の諺 →「禍福はあざなえる縄のごとし」「人間万事塞翁が馬」
 八犬伝での一例。伏姫は不幸になるが、そのことによって八犬士が生まれて後に里見家に幸いをもたらす。

[ 名詮自性 ]
 みゃうせんじしゃう(みょうせんじしょう)
 八犬伝世界で一番重要な掟かもしれない。
 名前はそのものの性質を表すという仏教用語。八犬伝世界では性質どころか運命にも影響を及ぼす。名は体を表すどころの話ではないのだ。
 たとえば、伏姫。
 伏という漢字は人篇に犬。これは「人にして犬に従う」という運命を負った名前だったのだ。
 この掟があるために、いかにも悪そうな名前のキャラクターが登場すれば、それは必ず悪人である。


●八犬伝の深奥への扉

 表があれば、裏がある。
 八犬伝世界には、表から見えないディープな世界があるが、その入口のヒントは示されている。

[ 文外の劃、劃中の文(文外の画、画中の文)
 ぶんぐわいのぐわ、ぐわちゅうのぶん(ぶんがいのが、がちゅうのぶん)
 文だけじゃなく絵も読め、という作者馬琴の言葉。
 挿絵には隠微(後述)を解くヒントが秘められている。
 今の小説の挿絵と違い、当時は挿絵の内容も作者が指定した。画家はその指定に忠実に絵を描いたのみ。というわけで挿絵は本文と不可分なのである。
* 高田衛著「八犬伝の世界」が挿絵から隠微を解く分析を行っていて面白い。
* 犬藤九郎佐宏著「図解・里見八犬伝」には、八犬士全員の家紋が掲載されているが、これなどは挿絵を見なければわからない。本文だけでは全員の家紋はわからず、自分の目は節穴だったので、家紋のことはこの本を見るまで気づかなかった。

[ 隱微(隠微)
 いんび
 表の八犬伝世界とは違う顔を持つ、秘められた作者の真意のこと。
 つまり、裏の八犬伝世界ともいうべきものがある、と作者馬琴は匂わせている。
* この「隱微」は、馬琴の小説論「稗史七則」の一則。

稗史七則 読み 馬琴の言葉(南総里見八犬伝第九輯中帙附言) 解説     
主客 しゅかく 能樂にいふシテ・ワキの如し/主も亦客になることあり 主役と脇役の書き分け。
伏線 ふくせん 後に必出すべき趣向あるを數囘以前に竺墨打をして置く事なり 後に出てくるものをちょろっと匂わせておくこと。
襯染 しんせん/
しこみ/
したぞめ
後に大關目の妙趣向を出さんとて數囘前よりその事の起本來歴をしこみ措なり 因果応報、後に出てくることの因を事前に書いておくこと。因果に関係なく事前に匂わせておく伏線と区別している。伏線と襯染を区別しない現代人にとっては多少分かりにくいかも。
照應(照応) せうおう
(しょうおう)
照對ともいふ。譬ば律詩に對句ある如く彼と此を相照らして趣向に對を取るをいふ。かヽれば照對は重複に似たれども必是同じからず 例としてあげられているのが、悪女舩虫が牛に突かれて死ぬ場面と、越後の牛の角突きの場面。同じモチーフをくりかえして強調する。今も使われるし、小説に限らず音楽でも使われる手法。八犬伝中ではかなり多く使われている。
反對(反対) はんたい 反對は照對と相似て同じからず。照對は牛をもて牛に對するが如し。その物は同じけれどその事は同じからず。又反對はその人は同じけれどその事は同じからず 例としてあげられているのが、犬飼現八が犬士同士で剣を交わらせるシーン。先に芳流閣の屋根上の決闘があり、後に千住河原の舟上あり。人は同じだが趣向は異なるのを反対という。  反対とはつまり、単に対になっているだけ。「本傳にはこの對多かり」と馬琴が言うとおり例は多いのだが「だから何なの?」と言ってしまえばそれまでという気がしないでもない。
省筆 せうひつ
(しょうひつ)
事の長きを後に重ていはざらん爲(中略)作者の筆を省くが爲に看官も亦倦ざるなり 同じことを何度もくりかえして語らないという事。そのために別の人物に立ち聞きさせるといった手法を使う。そうすれば別の人物にあらためて説明するといった場面が省略できる。ちなみに、この「立ち聞き」という手法はかなり多い。「そんなところで立ち聞きしてないで助けてやれよ!」と言いたくなるような場面もある。
隱微(隠微) いんび 作者の文外に深意あり。百年の後知音を俟て是を悟らしめんとす 前述のとおり。

* とある本に「伏線と襯染の区別は無意味だ」と書かれているが、それは暴論ではないかと亭主は思う。八犬伝は因果律を厳密に適用した構造物。伏線と襯染の厳密な区別なしにはこういう構造物は作れない。
* 坪内逍遙の「小説神髄」では、馬琴の文体である雅俗折衷体に多くみられる音韻轉換について「音韻轉換のところいと多かり。蓋し省筆の一法なり」と語る。これも省筆だというのだ。音韻轉換というのは、音が同じだが意味の違う言葉を重ねて話を転換してゆく方法。ひとつの単語にふたつの意味をもたせている分だけ省筆になるとか。でも馬琴のいう省筆とはなんか違うような…。


レベル4:八犬伝をしゃぶりつくしたい

[ いってらっしゃい ]

 八犬伝世界の観光ガイドは、レベル3まで。
 この先の獣道、いや、道なき森の中へは、おひとりでどうぞ。
 正直、ここから先の世界は奥深すぎて白龍亭主には案内しきれない、という理由もある。だが、仮に案内できたとしても、案内はしない。そもそも、案内付などというのは不自由な枷に縛られているのと同じ。だから、真に自由な旅は、ひとりで行くしかない。
 んじゃ、アディオス・アミーゴス! ──なぜ、エスパニョール?



[ あとがき ]

 考えてみれば「入門」だの「基礎」だのって、ずいぶんと上から目線なページである。
 なんというか「俺が手とり足とり教えてやるぜ、ぐへへ」とか「優しく教えてあげるから、怖くないよ」みたいな、いやらしさがある。その手のセリフは、そもそも自分自身が「エロスの先達」だという、思い上がった自覚があるからこそ出てくるものだ。このページもまた、白龍亭主の思い上がりが透けて見え、敏感な訪問者なら「けっ、何様のつもりだ?」などと吐き捨てるのは必定。
 実を言えば、白龍亭を開いた頃は、訪問者を原作ファンに誘導しよう、などという邪念というか野望があった。入門ページもその意図を含んでいた。
 だが、時は流れた。
 今となっては、訪問者が原作を読みたくなるか否かなんて、割とどうでもよくなった。いや、原作を読んでほしいという思いは変わらないが、結局、読む人は読むし、読まない人は読まない。読もうというきっかけだって、人それぞれ。自分のサイトがそのきっかけになろう、なんて傲慢な邪欲でしかない。それに気づいてしまった。
 じゃあ、今は何のための入門ページなのか?
 原作というものを最終目的地にしなくても、入門になりうるように情報を整理しておけば、役に立つこともあるかもね。そんな感じか。例えていえば、東武鉄道は日光までつながっているけど、何が何でも観光客を日光に運んでやろうということではなく、途中、東京スカイツリーに行くのも、東武動物公園に行くのも、あるいは鬼怒川温泉方面に向かって東武ワールドスクエアに行くのも、勝手にどうぞ。そういう路線だ。……わかりにくいか。それに、これじゃ東武鉄道のまわし者みたいだな。じゃあ、小田急電鉄に例えると、何が何でも箱根に(以下略)


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