白龍亭・道節は殿様失格

目次 >> 考察 >> 八犬伝邪読/道節は殿様失格(1998年 1月〜)

[ 八犬伝邪読 - 06 ]

● 豊島一門の自覚がない道節
 里見義実の請願により朝廷から八犬士たちに正式な氏として「金碗」氏を認められた。
 この金碗氏の話が犬江親兵衛の京都物語の発端になるのだが、気になることがある。名門の出である犬山道節と犬阪毛野だ。道節は豊島一族、毛野は千葉一族。ともに氏は「平」氏である。
 名門「平」を捨てて「金碗」になることに抵抗はないのか?
 この件を義実が持ち出した第百三十一〜百三十二回を読むと意外なことが判明する。八犬士の中で真先にこの提案に賛成したのが道節なのだ。名門平氏などを鼻にかけたりしない「いい奴」とも考えられるが、道節は豊島一門を背負っているのではなかったのか?

● 道節に期待する豊島の残党
 姨雪世四郎は道節とともに戦う勇士を探すために四犬士を助けた。十条兄弟はその四犬士のために戦って死んだ。豊島の残党にして穂北の郷士・落鮎余之七は道節のために軍勢を出して扇谷定正を討とうとした。
 なぜ皆、道節のためにここまでやるのか?
 世四郎や十条兄弟はもともと犬山家の家臣だから当然としても、落鮎余之七は豊島信盛の小姓であり道節とは主従関係ではないのに、である。
 それは道節が豊島一門期待の星だからである。史実は知らず八犬伝世界では道節以外に豊島の血を引く者は生き残っていないようである。道節は唯一の生き残りとして豊島一門を背負っている殿様なのである。
 そんな殿様に残党たちは何を期待しているのか? 仇討ちだけではない。当然豊島家再興を期待しているはずだ。皆、生活がかかっているのだ。御家再興してもらわなければ困るのである。

● 期待はずれの殿様
 里見家臣として扇谷定正軍を破り一城の城主となった犬山道節。
 御家再興を果たした、と言えなくもない。道節と関わった残党たちは里見家によって生活を安堵されはしたが、道節は彼らに何かをしてやったわけではない。結果オーライとはいえ残党たちにしてみりゃ道節は期待はずれの殿様である。
 ただし、残党たちは道節が平氏から金碗氏になった時点でそれを予期していたのかもしれない。
 世四郎あらため姨雪代四郎は犬江親兵衛の従者として活躍するが道節のためには一切何もしなくなったし、落鮎余之七は対関東管領戦の時、扇谷方が不利になった時点で道節とは無関係に参戦して忍岡城を落とした。里見家に恩を売った形である。一応忍岡城は道節に渡したけれども、城を落とした功績は道節になく落鮎にある。道節に従うかたちで参戦しなかったことにより里見家から穂北を安堵される形式が整ったわけだ。

● 父祖の地を大切にしない唯一の犬士
 毛野も似たような境遇ではあるが、粟飯原の残党は登場しないし千葉の一族は滅びていない。そんな毛野ですら後に次男に粟飯原を名乗らせて千葉に住まわせている。
 道節はどうか。嫡男は安房国朝夷城主を継ぐとして、他に二人の男子がいる。しかし次男は落鮎家の養嗣、三男は出家してしまう。誰一人として豊島練馬の父祖の地に行かない。
 次男を父祖の地に送り込んでいるのは毛野だけではない。親兵衛、大角、現八、信乃、小文吾。八人のうち六人が父祖の地を大切にしているのだ。残りの二人のうち荘助は次男がいない。次男のみならず三男もいるのに、父祖の地をまるで無視している道節は八犬士の中で特異な存在である。

 要するに道節は自ら背負っているものへの自覚がまるでない。
 家臣たちの期待に応えようとする姿勢もなく、先祖代々の地に何も思いのない人物。どう考えても殿様としては失格である。


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