白龍亭・無法地帯・行徳

目次 >> 考察 >> 八犬伝邪読/無法地帯・行徳(1998年〜)

[ 八犬伝邪読 - 09 ]

● 小文吾の町
 悌玉の犬士・犬田小文吾が生まれ育った町・下総国葛飾郡行徳。
 今は千葉県市川市行徳。東京ディズニーランドのある隣の浦安市が目立っているためになんか地味なイメージだが、南総里見八犬伝が書かれた江戸時代は江戸への塩の供給基地として重要な町だった。行徳から江戸へ塩を運ぶために徳川家は小名木川という運河まで掘っているのである。

 そんな江戸の読者にとって身近な町、行徳。
 しかし、八犬伝での行徳は住むにはとてつもなくおっかない町なのである。

● 犬太の悪事の背景
 もがりの犬太。
 行徳の町のど真ん中を通せんぼして、通る者から法外な通行税をとろうとした悪党。結局、小文吾にぶっ殺されてしまうのだが、この事件はおかしい。

 小文吾は十五金を出して名刀を買った。彼の裕福さは旅籠古那屋が儲かっているためである。旅籠が儲かるほど人の往来がある行徳の町が貧乏であるとは考えにくい。豊かな町なのだ。
 当然、税収も期待できるはずであり、支配者たる千葉氏にとって重要な町であるはずだ。
 となると、町の経済活動を妨害する者は断固として取り締まる必要があるし、そもそも税の徴収権を犯す者を許すわけもない。もがりの犬太は、支配者の手によって真先に捕らえられなければおかしい。

 しかし、支配者側に動きはなく、屈強の若造小文吾だけが犬太の行為を止めた。

 もがりの犬太も鎌倉で捕らえられて追放になった身であって、あからさまに官憲に逆らう愚は知っているはずだ。悪事を行うならこっそり目立たぬようにやるに違いないのだ。ところが行徳の町のど真ん中で堂々と悪事を行う。堂々とできるということは、行徳には支配者の治安維持機構が存在しないということではないのか。

● やる気のない千葉氏
 税収が期待できる町を放っておく支配者千葉氏。
 この時代、千葉家は二つに分裂しているのだが、行徳は千葉孝胤側である。すぐ西側の葛西が対立する千葉自胤領であるので、ここは孝胤方にとっては防衛線であって税収云々以上に重要な地域のはず。ここを放っておくなんて謎である。

 芳流閣の決闘の後、信乃と現八が上流の滸我から行徳に流れつく。
 この時、滸我足利家の家臣・新織帆大夫が信乃を捕らえるために行徳にやって来る。足利家は古河公方であり千葉家にとっては主筋。帆大夫が行徳で何をしてもおかしくはない。とはいえ領主は千葉氏。帆大夫とともに千葉の家臣も行動しなければ、支配者たる千葉氏の立場がない。
 ところが、どこにも千葉氏の影はないのだ。まるで滸我足利家の領地という感じであり、亭主も最初はそうなんだろうと誤解していた。しかし千葉氏の領地だとはっきり書いてある。

 何をしてるんだ、千葉孝胤!

● 小文吾不在の恐怖
 結局、行徳の治安を守って来たのは、屈強の男犬田小文吾の存在である。
 悪党どもは彼を恐れて何もできないのである。だから、小文吾の弱みを握るや否や、塩浜の鹹四郎、板扱均太、牛根孟六といった悪党どもが急に動きだす。
 上記の悪党どもは現八に斬られるが、悪党なんぞいくらでもいる。
 それなのに行徳の治安は小文吾頼みなのだ。つまり、小文吾が行徳を去った後、行徳が里見領になるまでの間、この町はとてつもない無法地帯と化したに違いない。恐ろしいことである。

 行徳が里見領になったのは、行徳の地主たちがやる気のない千葉氏を見捨てて里見家に頼んだということだろう。そこまでしなければいけないほど、小文吾不在の行徳の町は荒廃していたのだ。

 後に里見領となり、対関東管領戦で行徳近くに小文吾が布陣した時、行徳の人々は「ああ、あの人が帰って来た」という安堵感を感じたに違いない。行徳の駅前に犬田小文吾の銅像を立ててほしいものだ!?


 ……そういえば隣町市川も、山林房八の死後、暴風の舵九郎という悪党が大きな顔をしはじめた。同じくやる気のない千葉氏の領地でもあり、房八不在の市川も無法地帯と化したのだろうか?


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