白龍亭・八玉と四天神王像

目次 >> 考察 >> 八犬伝の謎/八玉と四天神王像(1997年〜/2012年 3月 画像変更+追記)

[ 八犬伝の謎 - 04 ]

● 八玉と四天神王の対応
 八犬士の持つ「仁義礼智忠信孝悌」の玉は、里見八姫と結婚してから15年後の明応九年に突然文字が消える。同時に丶大法師に「玉を返せ」と言われ、丶大が彫った「須弥山の四天神王像」の目にはめることになる。この像を安房国の四方に埋め、国の守りとするのである。

 下図はどの玉がどの方位の四天神王像の目になったかを示したもの。

図解

 前半の主人公・犬塚信乃の玉と、後半の主人公・犬江親兵衛の玉が仲良く東側。八犬伝には四天神王の名は書かれてはいないが、東の神王は「持國天(持国天)」である。
 名門出身の二人の犬士、犬山道節と犬阪毛野の玉がこれまた仲良く(?)北の神王「多聞天」の目。
 組み合わせに意味がありそうである。

 しかし、南「増長天」の目は犬村大角と犬田小文吾の玉、西「廣目天(広目天)」の目は犬川荘助と犬飼現八の玉。これはとても接点の弱い組み合わせの犬士同士。大角と小文吾はともに悪女舩虫に苦しめられたという共通点があるが、それぞれ別の場所で舩虫に苦しめられた。荘助と現八はともに足利公方家臣の子という共通点があるが、本人同士は接点がない。
 メンバーを入れ換えて犬村大角と犬飼現八、犬田小文吾と犬川荘助にすれば強い接点があるのに、なにか変な感じがしてしまう。

 南総里見八犬伝では「仁義礼智、忠信孝悌」と、間に句読点を入れられ、分割されている場合が多い。
 仮に「仁義礼智」をa、「忠信孝悌」をb、とすると各四天神王の目はabそれぞれから一つずつもらっている。aとbという二つのグループ分けに何か意味があるのだろうか?

 儒教の徳目という文字本来の視点で考えれば、aは、孟子「惻隠之心之端也、羞悪之心之端也、辞譲之心之端也、是非之心之端也」(四端の説)の徳目である。
 一方、bは四つの徳目がまとまって出てくる出典はないようである。論語「主忠信」、孟子「堯舜之道、孝悌而巳矣」等は見つけたが他は知らず。

 a「仁義礼智」のうち、仁と智は論語などで対になって出てくることが多い。また、b「忠信孝悌」のうちでは「君に忠、親に孝」などと忠と孝が重視される。この仁、智、忠、孝にあてはまる犬江親兵衛、犬阪毛野、犬山道節、犬塚信乃という四人は、実際、他の四人よりも目立つ存在である。

 犬江親兵衛、犬阪毛野、犬山道節、犬塚信乃の四つの玉。
 これが北と東に置かれた四天神王像の目となる。前述したとおり北と東は犬士の組み合わせも意味がありそうである。つまり "納得のいく" 組み合わせということだ。
 それにくらべて南と西……。
 影の薄い方の四犬士たち。しかも接点の弱い犬士同士の組み合わせ。北と東にくらべて、ちょっと差がつきすぎていないだろうか?

 安房の守りとなる四天神王像。
 地理的にいえば安房防衛の要は北と西である。しかし、ここでそれは関係あるまい。問題は霊的な守りである。北東が鬼門であるところから北と東がより重い扱いとなっているのか。それとも他に意味があるのか。
 南総里見八犬伝中には「須弥山の四天神王」とだけ書かれていて、持国天といった具体名は出て来ない。ここでいう「四天神王」は実は持国天等とは違う何かなのだろうか。

 15年の空白の後に出てくる「明応九年」の物語は、唐突で不自然ですらある。それにもかかわらず語られなければならないのは、これこそが南総里見八犬伝の真のエンディングだからに違いない。
 それだけに八玉と四天神王の関係には何か重要な謎があるように思える。


● 太極 - 2012年 3月追記
 ここにもまた、15年の空白あり。
 このページを書いて 15年の放置。読み返してみると、問題提起(というほどではないが)をしているだけで、何ひとつ考察などしていない。よくこんなページを作ったものだと思うが、高いレベルを追求しすぎたら、亭主程度の輩には何を書けなくなってしまう。こんなもんで妥協するしかあるまい。
* 八犬士と四天神王像の関係についての、まともな考察を読みたい人は、ゆーかさんの「伏姫屋敷」の、勘ぐりの項目下に分析ページがある。自力分析を放棄して、安易に他力本願に走る。また楽しからずや(?)

 安房の周囲に四天神王が配置されているんだから、安房=須弥山、という話になる。
 だが、この図式が何を意味するのか。難しすぎて、さっぱり分からんので、これまた放棄。それでいいのか? いいのだ。

 数字の話のみ追記する。
 八 → 四、と減じている。これに関して、小谷野敦著「八犬伝綺想」で〈四=死〉と規定した上で、次のように書かれている。

「〈八〉を尋ねて旅発った男が見出し、我々に示したのは、彼自身が、四十余年の敗残の生を生きて見せることによって発見した〈死=人間の限界〉だったのである」
 ここでいう彼は丶大だ。
 ふと易を思い出した。易では、太極 → 両儀 → 四象 → 八卦、と分かれてゆく。
 これを、八犬士 → 四天神王、に当てはめて考えれば、流れは逆となり、その先は二つの何かを経て、一に帰すのではないか。二つとは、易なら陰陽。八犬伝なら、小谷野氏の分析を参考にすれば、伏姫と丶大しかあるまい。となると、その先の一とは? 伏姫と丶大が一に帰す?
 第百八十囘上のタイトルは「一姫一僧、死生栄貴を等くす」であり、小谷野氏は「もはや言語をもって語れる領域ではない」と書いている。同書に易の話はないが、これは、まさに易でいう「太極」だ。数字が減じるのは、そのことの暗示でもあろう。

 物語の終息が逆流だとすれば、発端は正流。
 太極 → 両儀 → 四象 → 八卦、は何に相当するのだろうか。両儀を伏姫と八房(あるいは丶大)、八卦を八犬士に置き換えるとして、 四象は何だろうか。太極は?
 発端の発端、八犬士の事始となる一とは何だろう。
 ──玉梓?

 いや、絶対に違う。それなら玉梓に回帰して終わることになる。
 北村透谷の有名な言葉に「伏姫の中に因果あり、伏姫の中に業報あり、伏姫の中に八犬伝あるなり」があるが、これでは「玉梓の中に八犬伝あるなり」になってしまう。もっとも、この台詞もかっこいいかも。


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