白龍亭・関八州大戦ウォッチング

目次 >> 考察 >> 八犬伝の謎/関八州大戦ウォッチング(1998年 8月〜/2012年 3月 微追記)

[ 八犬伝の謎 - 07 ]

 南総里見八犬伝のクライマックスであり、八犬士たちの最大の活躍の場である対関東管領戦。厳密に言えば関東管領以外をも敵にしているし、敵側から里見家を見ることもあるので、ここは関八州大戦としておく。この戦場、よーく見ると色々あるのである。ウォッチングしてみたい。


[ 行徳口の陸戦 ](「行徳口の陸戦図」参照)
 里見方。防禦正使・犬川荘助、防禦副使・犬田小文吾。
 敵将。上杉朝良、千葉介自胤。箙大刀自代軍・稲戸由充。

● 領土問題と里見家のイメージダウン
 犬阪毛野以外の七犬士はすべて「防禦使」であり、里見家の領地を専ら守るのが使命だ。つまり領土外の敵地に対して先制攻撃はしない、ということである。これは「うちらは守るだけだから、もし戦争がおきるとしたら、攻めて来たあなた方がすべて悪いんだよ」という主張でもある。
 実際、敵地に対して本当に先制攻撃をしないのであれば、こう主張することは戦略的にみて相手へのプレッシャーになるだろう。しかし、これに領土問題がからむとややこしいことになるのだ。その領土問題が、この行徳口の戦場には存在する。

 関東管領扇谷家が主張する国境は江戸川である。それに対して里見家は江戸川を西に越えて葛西のあたりまでが近頃自領になったと主張する。この「近頃」というのが話をさらにややこしくするが、まずこの問題は置いておく。

−−−  



 
−−−→ ←−−里見家の主張する領土−−−−−  



 
−−−

 
葛 西   
 

−−− −−−−−−−−−扇谷家の主張する領土−−→ ←−−

 両者の主張する領土が重なる範囲内に、扇谷方の陣地である「今井河原柵」と「妙見島柵」がある。
 里見方(犬川・犬田)はこの陣地を先制攻撃する。自領内に敵が陣地を作ったら当然防衛のためこれを破壊しなければならない。しかし、敵の扇谷方もここは自領だと思っているのである。扇谷方から里見方を見れば「防禦使などといっているくせに他領に侵攻しやがった」ということになる。実際、両柵が落とされた時に扇谷方の守将は文句を言う。
 領土問題があるおかげで、双方が自領防衛のための戦いであり、双方が敵方を侵攻とみる。
 となると専守防衛の「防禦使」を名乗ったことが、かえって「嘘つき」というイメージを与える。扇谷方から見れば、里見方の言っていることはどこまで本当か信用できない、ということになる。

 しかも里見家の主張は「近頃、自領になった」である。
 自領になった経緯は不明だが、この辺は本来千葉家の領地である。扇谷派の千葉自胤か、滸我公方派の千葉孝胤か。元の領主はよく分からないが、少なくとも「葛西」は千葉自胤領だった。対牛楼の頃の記述を見ればそう書いてある。
 八犬伝において、存在があってなきがごとき千葉孝胤はともかくとして、千葉自胤領だったところが何故、里見領になるのか。葛西の主が千葉自胤のようなとんでもない殿(後述)を戴くのが嫌になって里見に鞍替えした、と考えるのが自然だろう。が、自胤にしてみれば「奪われた」ということになる。
 行徳口の戦いでの扇谷方の一方の将はこの千葉自胤である。柵のあるあたりが里見領などとは決して認めることはできないだろう。それだけに余計に里見家の嘘つきというイメージは強いものとなるだろう。防禦使などという役職を考えたのは里見義成か。いずれにせよ里見家のこの策は行徳口では裏目に出ている。

● 領土問題と隠された失策
 自領に作られた敵の陣地を攻撃する。これは犬川・犬田両犬士としては当然の行動だろう。
 だが、そもそも何故、自領に敵の陣地があるのだ? 敵が陣地を作りはじめたら、これを妨害するのが筋である。秀吉の墨俣一夜城のような作られ方をしたなら防ぎようがないかもしれないが、今井河原柵と妙見島柵はけっこう丁寧に作られている。川の中に舟を防ぐ鎖まで張っているのだ。
 自領とはいえ、新参の地でもあり領地境でもある。当然、里見家はここに何らかの軍勢を置いておくべきである。この地域の平和は里見家の軍事的プレゼンスなしには実現しないのだ。にもかかわらず、敵の陣地構築を許しているというのはおかしい。里見家は軍勢を置いていなかった、ということになる。あるいは軍勢はあるのに見逃したか。
 いずれにせよ。これは重大な失策である。
 犬川・犬田両犬士がここを攻略して取り戻したからいいものの、そうでなかったら里見家の信用失墜である。領地を守らぬ主君は主君ではない。高天神城に軍勢を出さなかった武田勝頼が一気に信用を失い家臣に裏切られた例を見ても明らかだ。
* これと同パターンなのが竹島。日韓両国が領土として主張しているが、現実には韓国軍基地がある。無人島のままだったら平和的解決も可能だっただろうが、こうなってしまっては戦争以外の方法で取り戻す事はできない。なぜ日本は韓国軍の上陸を阻止しなかったのか。領土放棄と同じではないか。不可解である。……以下、2012年追記。その後、気づいたのだが、韓国が軍事行動を起こすのに米軍を無視しては不可能なはずである。米国は黙認したのではないか。更に言えば、上陸阻止の軍事行動を日本にやらせなかったのではないか。北朝鮮との拉致問題解決を裏で阻んでいるのは米国だという記事も読んだことがあるし、日露の北方領土問題解決を邪魔しているふしもある。米国は自国の利益のためなら原爆すら落とす非情の国である。日本が周辺国とギクシャクして米国以外は信用できない、という状況こそ米国の利益。同盟国だからといって安心はできない曲者かもしれん。……親日国ですらかくのごとし、況んや反日国をや。要するに国同士の関係なんて、口では友好云々などと綺麗事を言っていても、つまるところ、やくざの縄張り争いと同じ。領土であれこれ言い掛かりをつけてくる隣国のやり方は、まさにそれだ。結局「やったら、やりかえすぞ」という力と気迫を見せつけて相手に手を出させない、という方法でしか縄張り=領土を守ることなどできやしない。力の拮抗が崩れたところに抗争はある。引いてはいけないところで引くと、かえって戦争になりかねない。おとなしくしていれば平和は保たれる、という幻想はむしろ危険だ。いじめ問題だって「やったら、やりかえすぞ」という気迫のあるやつは、ターゲットにはならない。相手の暴力をエスカレートさせて犠牲になるのは、言い掛かりに引いてしまう人間の方である。

● 愚将千葉自胤
 行徳口の戦いのキーパーソンは敵将の一人、千葉自胤だろう。
 家臣の相馬将常は逐電、猿島将衡と比田村禽は里見方に寝返り、最後には陪臣の渋谷足脱に裏切られて里見家に捕らえられた。裏切り者続出である。
 なぜか。
 ちょっとした失敗も許さず死罪にしてしまうからだ。
 厳しい法度は、うまくいけば強靱な組織力を発揮する。幕末京都の新選組がいい例だ。しかしそううまくばかりはいかないのが常。どうせ死罪になるなら叛乱してしまえ、となる。始皇帝の秦は厳しい法度ゆえに強大な統一国家を築き、厳しい法度ゆえにアッというまに滅んだ。千葉自胤の場合もこれだ。主要な家臣に裏切られては戦いようがないではないか。

 千葉自胤がもうひとつ愚かなのは、里見家本隊との戦いを前に、自分の石浜城を里見方の別動隊から守ろうとして扇谷方の軍勢を二つに割ってしまったことだ。
 石浜城は一応城である。数少ない里見軍の別動隊がおいそれと落とせるわけがない。しかし、そんなことに思考は及ばず、石浜城が攻められると知った途端にうろたえて本隊と離れて別行動に走ってしまった。戦力ダウンの本隊が里見方の犬川軍に破れるのは当然の結果だ。


[ 国府台の陸戦 ](「国府台の陸戦図」参照)
 里見方。総大将・里見義通。防禦正使・犬塚信乃、防禦副使・犬飼現八。京都帰りの犬江親兵衛、突然参戦の政木大全。
 敵将。山内顕定、足利成氏。長尾景春。

● ちぐはぐな戦場
 双方、陸上の主戦力同士が激突する主戦場である。
 しかしながら「なんじゃそりゃ?」と思うような出来事の連続する、ちぐはぐな戦場でもあるのだ。

 まず敵将の組合せが問題だらけ。
 足利成氏と山内顕定。鎌倉にいた足利成氏を滸我に追放したのが山内上杉氏。顕定はその現当主である。成氏は「昔のように上杉氏が足利氏を主君と仰ぐのではないか」と期待して参戦するが、上杉氏にそんな気はない。さらに長尾景春。上杉氏の内管領だったのが自立。上杉側から見れば裏切り者である。
 つまり、この戦場に於ける三人の将は不倶戴天の仲というわけだ。これで統一行動がとれるわけもなく、やる気のあるのは山内上杉氏のみ。足利成氏は山内氏に先を越されてたまるかということで頭がいっぱいだし、長尾氏はそもそも別行動をとっていてどこにいるのか分からない。

 敵も敵なら、味方も味方。
 里見氏もおかしい。犬塚・犬飼両犬士は、最初平地に陣を張り、やばいと見るやあわてて陣を「文明の岡」に移した。この平地も岡も、場所は里見義通が守る国府台城の川を挟んだ向かい側。ということは隣り合っているわけだ。陣を張るのに最適な岡を真横に見て、最初になぜ平野に陣を張ったのか。ものすごい謎である。しかも、陣を移す際に、敵の攪乱部隊に兵糧の一部を盗まれるという大失態。
 盗まれるといえば、信乃が自分で乗るつもりで連れてきた親兵衛の馬・青海波。これも盗まれている。もっとも盗まれたおかげで青海波は親兵衛の元にたどりつけるのだが……。しかし、重要な軍事物資が次々と盗まれる里見軍の警備態勢はどうなってるんだ?

 問題はまだある。
 犬塚・犬飼両犬士は何も考えてないのだ。敵の新兵器・駢馬三連車という鉄砲隊馬車に対して少人数なのに平地で戦いをいどんで「こりゃだめだ」と逃げ帰った。少人数なんだからもっと工夫しろよ、と言いたくなる。
 ここで「あの戦車に勝つには火牛しかない」という話になり、あわてて牛を探すが見つからずに猪で代用。結局、火猪の計は図に当たり、駢馬三連車は全焼。結果オーライだが、場当たり的な戦い方であるのは否めない。(「珍兵器・駢馬三連車」参照)

 さらに問題のある里見家。
 国府台城を守る里見義通。そのまま城にこもっていてくれればいいものの、総大将が前線に出なくてどうする、というような気概を持って城を出る。はっきり言ってよくいる「迷惑なガキ」である。信乃を支援するために城を出るのだが、肝心要の信乃との間に打ち合わせがない。行き当たりばったりである。その結果、敵別動隊の長尾軍と遭遇して危機に陥る。
 結局は、政木大全や京都帰りの犬江親兵衛らの力により義通は救われるが、同じ戦場にいながら全く連携がとれていない。これで戦争に勝てるのだから、里見家は神がかっている。特にこの国府台の戦いは神がかり度が激しい。

● 軍師の不在
 犬阪毛野は里見全軍の軍師である。
 しかし、毛野の行った手配りの大半は毛野自身が指揮する洲崎沖水戦がらみであり、あとは行徳口の陸戦に多少ちょっかいを出すのみ。国府台には毛野はまるっきり手を着けていない。

 問題は信乃にあると思う。
 信乃は最古参の犬士、新参者の毛野とはまるで逆の存在。しかも自信家である。
 道節の行動をいちいち批判するのは信乃だし、毛野が最後の仇・籠山縁連を討った日に信乃は扇谷定正の五十子城を一人で落としている。智の玉を持つ毛野ごときには知恵でも負けないぞ、というオーラが強烈に出ている。軍師毛野が色々命令を出しても、信乃が自己流を貫くであろうことは想像に難くない。
 君子危うきに近寄らず。
 だから毛野はこの国府台の戦場を信乃に任せっきりにしてしまうのだ。
 だから、ちぐはぐな戦場になる。毛野には目的合理性とリーダーシップがあるが、信乃にはない。場当たり的な戦いからは目的合理性の欠如を感じるし、里見義通がノコノコと国府台城を出て来ないように「若君は守城ひとすじにされたし」と言い切る勇気もない。若君義通の意志に反してでも押し通すのがリーダーシップというものだ。若君の気持ちも察して……などといい顔をしようとしているようではダメである。

 毛野が不在な理由はもうひとつあると思う。
 国府台の戦いが重要であるならば、信乃がなんと言おうが主張を通す毛野のはず。そうしないというのはこの戦場で仮に敗北しても問題なし、と毛野は見ているのだと思う。敗北したとしても敵が足利成氏と山内顕定なら、占領地をめぐって必ず争いが起きる。しかも江戸湾の制海権を里見家が握っていれば、敵の後ろに突然兵をぶつけることも可能。敵は房総半島を安房まで下って来られないで自滅する。
 要するに毛野は信乃たちを見捨てている。だが捨てる神あれば拾う神あり。伏姫神女の加護が激しい奇跡の戦場となったのも、毛野が見捨てたからだとも言える。
 ……単に「毛野は信乃を信用している」という理由も論理の上では考えられないわけではない。しかし、どうも毛野と信乃の間に流れる空気からして違うような気がするのだな。


[ 洲崎沖の水戦 ](「洲崎沖の水戦図」参照)
 里見方。総大将・里見義成。軍師・犬阪毛野、防禦使・犬山道節。敵方潜入工作員(一応防禦使)・犬村大角。
 敵将。扇谷定正、上杉朝寧。

● 義成の正しい決断
 軍師毛野が指揮し、敵の主将・扇谷定正と対峙する関八州大戦の主戦場である。
 決戦は毛野の計画どおりに進んであっけなく終わるが、事前の手配りが凄い。犬江屋を使って舟を買い上げてしまう、犬村大角を送り込んで敵将を騙す、丶大法師に甕襲の玉を使わせて風をコントロールする、音音らの女性を間諜として敵に送り込んでしまう、等。手口はけっこう悪どい。(「闇の犬士・毛野」参照)
 戦争は武士がやる……。
 この常識を毛野は超えている。目的のためなら、殺生戒を持つ僧侶も使う、女性も使う。
 里見家に仕える以前から、毛野は目的合理性を持っている。復讐のためなら、女装もしたし、乞食にもなった。タイプとしては織田信長に近いだろう。異端児である。日本人はこういう人間を理想としつつも実際にいると拒否してしまう。里見家にだって毛野に対して拒否感を持つ者はいるだろう。

 このような異端児が力を発揮できる場に立つためには、信長のように最初から上に生まれるか、上の人間に引き立てられるか。どちらかしかないだろう。その意味で、毛野を軍師に据えて軍事のすべてを任せてしまった里見義成は見事なリーダーシップを発揮した。里見軍の勝利は義成のこの決断にこそある。
* これは日露戦争の時に古株の将軍たちを一切退けて東郷平八郎を連合艦隊司令長官に据えた山本権兵衛や、「銀河英雄伝説」で若いラインハルトを帝国元帥にしてしまった銀河帝国皇帝の決断と同類のものだろう。

● 赤壁と洲崎沖の条件の違い
 洲崎沖水戦は、三国志の赤壁の戦いのパロディである。
 三国志には正史と演義があるが、風をコントロールする話があるところからして、これは演義の方のパロディであろう。行徳口の戦いで犬川荘助が正史の方の三国志に言及する場面があるので、馬琴は正史も演義も読んでいたことになる。(「八犬伝と三国演義」参照)

 赤壁は、4〜500mほどの幅のある川であり、敵舟は横に広がっている。
 それに対して洲崎沖は海。敵の舟も縦深陣に並んでいる。はっきり言って赤壁のように簡単に燃やせるとは思えない並びである。それを一気に燃やしてしまうのだから、よほど燃焼力の強い火薬を使っているのか。まぁ多少不自然な感じがしないでもない。

 毛野もそれは多少意識したのだろう。
 この作戦、本来なら敵後方から犬村大角が盗んできた三浦水軍が襲うはずだった。いくら敵が縦深陣でも前後に挟まれれば簡単に燃えるだろう。しかし大角の三浦水軍は予定戦場には来ず、敵舟も予想以上によく燃え尽きてしまった。大角は引き返して三浦半島を制圧。予定外だが結果オーライである。


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