白龍亭・八犬伝世界の鬼門

目次 >> 考察 >> 八犬伝の謎/八犬伝世界の鬼門(1998年 10月〜/2012年 3月 微修正)

[ 八犬伝の謎 - 08 ]

 八犬伝世界はきわめて呪術的である。
 いや、正確に言えば、現実においても古来日本は呪術的である。実は現在の日本もその影響から逃れていない。それは、井沢元彦氏の「逆説の日本史」などの著書を読むとよく分かる。日本人はその事実を自覚していないことによって数々の不幸を招いている、という事実も井沢氏の本できわめて論理的に分析されている。一読あれ。
 それはともかく、古来日本人は鬼門の方角(東北)を忌む。
 当然、八犬伝世界でも鬼門は忌むべき方角のはずである。鬼門という言葉は八犬伝中には出て来ない(と記憶しているが…)のですっかり忘れていたが、あらためて鬼門という視点で八犬伝世界を見てみた。


● 鬼門の魔王・蟇田素藤
 里見家の領地・安房国の鬼門の方角に何があるか。
 安房の東北は上総国夷隅郡である。ここに何があるかといえば、上総館山城。八犬伝後半において里見家を散々に苦しめる蟇田素藤の城だ。蟇田素藤の出自は、近江国胆吹山(伊吹山)の山賊頭領の息子。地図をよく見てみると、この山も京都から見て鬼門の方角にある。父たる頭領・但鳥跖六が京都で捕らえられてから金を持って逃亡。上総国まで流れてきて、館山城主に成り上がる。
 この上総館山城は不思議である。
 西に正八幡神社、東に宇佐八幡神社、南に諏訪神社と、神社に囲まれている。まるで結界である。この城は昔、上総介平広常の城だったとある。平広常は源頼朝の功臣ながら無実の罪で滅ぼされた。こういう人物は古来怨霊になる。となると、この神社は怨霊鎮魂のための配置か。東西の八幡神が源氏の氏神であることからして、その可能性はある。
 そんな上総館山城を根城にしていながら、蟇田素藤は源氏の里見氏に敢然と叛旗を翻す。しかも伏姫神女の加護の下にある里見家ですらなかなか勝てない。三神社の結界も効果なし。まさに素藤は魔王である。

 
正八幡神社
館山城
−−−−


諏訪神社
 
宇佐八幡神社

 結局、この魔王素藤を倒すのは、仁の玉を持つ別格の犬士・犬江親兵衛である。
 親兵衛だけが、この鬼門の魔王を倒し得るのだ。それにもかかわらず、素藤は再起する。二度目も結局は親兵衛に倒されてしまうのだが、しかし無敵の犬士を相手に再起するなど、並の悪じゃない。鬼門おそるべし、である。

 余談。
 最終的に夷隅郡の鬼門封じとなったのは、物語の終盤にこの地に落下した「狐龍の化石」ではないかと思う。素藤の参謀・妙椿狸を封じるには狐が適任のはず。

● 義実も鬼門の魔王か!?
 そんな蟇田素藤が「里見家だって神余・安西を滅ぼして安房国主に成り上がったじゃないか」と言う場面がある。
 義実が安房に来た時、神余はすでに滅びていたし、安西は自業自得で滅びるはめになった。里見家に非はないが、神余や安西の残党からすれば里見家に安房を奪われたという事は言える。実際、残党どもは義実を襲う。
 その義実はどこから来たか。
 上陸したのは安房の南端白浜である。しかし最初に攻略したのは東条城。安房国内の東北、鬼門に位置する城だ。安房のもともとの支配者からすれば、義実は鬼門からやってきた魔王ともいえるのだ。その意味でも素藤の言う「里見家だって同じ」というのは正しいことになる。馬琴はなぜ、史実を曲げてまで義実の最初の攻略地を東条城にしたのか。しかも後に滝田城主になった義実が、この鬼門の位置にある東条城を特別なものとして金碗家のものとしようとしたことに意味はないのか。何か隠されているような気がする。

上総館山城
東条城
滝田城
稲村城
安房館山城

 八犬伝後半の主人公ともいうべき犬江親兵衛は上総館山城主(後に安房館山城主)となり、前半の主人公ともいうべき犬塚信乃は東条城主となる。重要な犬士がともに東北に位置する城と関係するのは偶然ではあるまい。

● 対牛楼も鬼門?
 鬼門の方角を艮(うしとら)と言う。
 この文字は八卦(乾・兌・離・震・巽・坎・・坤)のひとつであり、自然現象(天・沢・火・雷・風・水・・地)に置き換えると「山」だ。上総館城というのも意図的な設定かもしれない。

 八犬伝の主要な読者は江戸の人々である。
 そんな江戸から見て、犬坂毛野の仇討ちの舞台となる石浜対牛楼は艮の方角にあたる。石浜城はその辺にあったのは事実なのだが場所は正確に特定できない。とある本に「対牛楼は待乳山聖天あたりを想定しているのではないか」と書いてあるが、艮がであるとすると、待乳を意識して書かれたという説もそれなりに説得力はある。
 ただし、対牛楼に関しては、第五十三回の最後に「石濱の城戸を出るとき總泉寺の鐘鎬々と夜ははや二更になりにけり」とあり、待乳山より妙亀山総泉寺(現在は移転し寺内にあった平賀源内の墓が残るのみ)の方が近いと思われる。狭い範囲の話とはいえ、両者は電車一駅分ぐらいは離れているので、亭主は「待乳山=対牛楼」とは思わないが。

 ……鬼門を含めた方位には他にも呪術的意味がある。
 亭主は風水や陰陽道に詳しくないので、これ以上のことは分からないが、風水や陰陽道というものが今よりはるかに身近であった江戸時代の作品であるからには、まだ他に何かが隠されているに違いない。


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