白龍亭・現八の正体

目次 >> 考察 >> 八犬伝の謎/現八の正体(2012年 2月〜)

[ 八犬伝の謎 - 13 ]

 白龍亭は 2002年 1月の地図大更新を最後に 10年間、ほぼ放置状態だった。
 2012年に至ってサイト縮小化工事を始め、コンテンツを減少させることにした。だが、その流れに逆らい、新たに文章を書いてしまった。つまり、縮小化後、初の新規ページとなる。

● きっかけは「犬飼」
 八犬士の苗字は、基本的に「犬地理用語」である。
 江・川・村・坂・山・塚・田。……自然地形もあれば、人間が関与しないと存在しないものもある。厳密に言えば「村」は、場所を表す用語であると同時に、集団の単位でもあり、地理用語を越えてしまってはいるが。
 唯一の例外が現八で「犬飼」なわけだが、以前から何かひっかかるものがあった。
 なにせ「猟犬を飼育する人」である。他犬士が犬だとすれば、現八が他犬士を飼育することになってしまう。変だな〜と思いつつ、それ以上は考えず、時が流れた──。

 現八が他の犬士とは異なることが、他にもあるのではないか?
 そんなことが頭をよぎったのは、2012年になってからである。亭主は NHK「新八犬伝」から八犬伝に入ったためか「現八=かっこよくない」というイメージを捨てきれず、現八について考えることはあまりなかったのだ。だが NHK 人形劇の呪縛もすでに解けた。
 現八だけ、ということを考えると、答は複数ある。

1‐唯一、武士の血が一滴も流れていない。
2‐唯一、服で隠せない場所(=顔面)に「牡丹の痣」がある。
3‐唯一、安房で生まれた。

 ん? 安房生まれ?
 ここで「闇の犬士・毛野」での考察を思い出す。
 安房=天上界であり、七犬士が関東を流浪している間、親兵衛だけが天上界で育つ特別な犬士である、と。
 この論理でいくと、現八は「天上界に生まれて下界に落とされた」ということになる。つまり、唯一の天上人だ。これは大変である。

● 現八は特別な犬士?
 現八=天上人、という前提に立つと、違うことも見えてきた。

 まずは「城」だ。
 現八がもらったのは「神余城」である。
 以前は実在の城という程度の認識に止まっていたが、改めて考えると、ここの城主という意味は特別かもしれない。八犬士は、全員「金碗」氏をもらうが、元はといえば「金碗」は「神余」の分家の苗字だった。となると「神余」の城主たる現八は、八犬士の本家となってしまう。

 もうひとつは「官名」である。
 八犬士は全員「從六位下」の官位をもらうから平等のような気がしてしまう。だが「官名」をベースに考えると平等ではない。犬江親兵衛が「兵衞尉」なのに対して、現八は「兵衞權佐」である。No.1=かみ、No.2=すけ、No.3=じょう。つまり「すけ」(正確に言えば「ごんのすけ」だから、No.2補といった所だが)の現八は、明らかに「じょう」の親兵衛より上位。親兵衛は八犬伝の首ともいえる特別な存在なのに、それより上位である意味とは?
 もしかして、最年長か……と思ったが、二番目だった。年長は道節。つまり年齢の問題ではない。

 だが、現八って、そんなに凄い存在だっけ?
 活躍を振り返ってみても、芳流閣、庚申山、長阪橋ぐらいしか目立つものはない。芳流閣は基本信乃の物語だし、庚申山も大角登場がメイン。対関東管領戦・国府台の戦いにおける長阪橋シーンは確かに現八が主役。だが、後で信乃に「橋を落としたのは失敗」と指摘されてしまう始末。スペシャルな犬士という感じがしない。

 じゃあ、なぜ天上界たる安房で生まれたのか?

● 役行者と現八
 現八が生まれた場所──安房、洲崎。
 洲崎といえば、洲崎明神別当・養老寺にある役行者の岩窟。伏姫が参詣し、帰路、役行者の示顕というべき老人に仁義八行の靈玉をもらっている。しかも沖合いの海は殺生禁断の聖地だ。役行者の聖地に生まれたのなら、役行者が関係している。八犬伝世界のルールからすれば、そう考えるのが自然だろう。
 高田衛著「八犬伝の世界」では、役行者は江戸版「機械仕掛けの神」と分析されている。八犬伝における「運命司祭神的神格」が与えられた存在ということだ。

「役の行者が山岳修験の開祖とされているように、山間僻地に追放されたるものの守護者であり、また辺境の鬼神の使役者であり、また天と地とを結ぶ神仙であることである。これは後の富山の洞の伏姫・八房の守護神的役割に生かされる」(高田衛著「完本・八犬伝の世界」より)
 上の引用を読んで、八犬伝世界へと視線を戻してみると、不思議なことに気付く。
 富山は別として、役行者に最もふさわしい場所に、役行者が登場しないことだ。つまり、庚申山だ。現実にも修験の山であるらしいが、八犬伝においては更に色濃くその要素がある。まさに「辺境の鬼神」だらけの場所だ。
 八犬伝の運命司祭神・役行者は、なぜ、この山にいないのか?

 いるべき存在がいないのは、おかしい。
 筋を通せば、いるべきものはいる。ならば、庚申山にも役行者はいる。とすれば、答はひとつ。現八こそが、役行者の代理人(あるいは本人の化顕?)として存在することになる。

 極論すれば「現八=役行者」であり、控えめでも「現八≒役行者」ぐらいは言えるのではないか。
 そう言える理由はもうひとつあって、山岳修験の本山ともいうべき大和国・葛城山と大峰山(八犬伝では大峯)に、登場人物中、唯一登っているのが現八なのだ。葛城山と大峰山といえば、役行者が石橋を架けたという伝説の地。庚申山で、現八が二つの石橋を渡るのも、当然これと関係あるはず。(「八犬士放浪図」参照)

● 運命司祭か?
 役行者が八犬伝の運命司祭神だとすれば、現八もまた運命を司祭する者となるはずだ。
 そういう視点で見直すとどうなるか。

 芳流閣──信乃を突き落とし古那屋に導く役割。
 庚申山──山間僻地に飛んだ「礼」の玉を再び世に出すための役割。
 長阪橋──敵を押し止めるためではなく、本当は敵を里見方の本陣に導くための役割。

 こんな感じか。
 そういえば、もうひとつ。八犬士を穂北に導くきっかけを作ったのも、現八・大角コンビである。この二人、庚申山以降、仲良く行動を共にしているが、現八=役行者だとすると、役行者の本名・小角=現八となり「小角・大角」の凹凸コンビということにもなるのだ。

 更に、現八に役行者が取り憑いているならば、伏姫神女の入り込む余地はないはず。
 考えてみれば、伏姫神女の加護らしきものは、現八にはない。その辺は、毛野にもないし、道節にもなさそうでもあり、現八だけというわけではないのだが。

 八犬伝で修験者といえば、道節が扮した「寂莫道人肩柳」が知られている。
 しかし、これは偽者であって、真の姿でいえば、現八こそが修験者なのだ。偽者ばかり目立って、本物が目立たない。今でも時に見られることではあるが、騙されてはいけないのだ。


 ──で、結論は?  またまた中途半端だが、明確な答に至ったわけではない。曖昧模糊としたまま、このページは終わるのである。


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