白龍亭・亭主と八犬伝

目次 >> 亭主と八犬伝(1996年 6月〜/2013年 4〜5月 再構成+追記)


* この頁は、サイト縮小化以前の「亭主之事」「八犬伝人生」「白龍亭事始」などの自己紹介ネタを整理して、再構築したもの。とはいえ、時が流れてしまったので、自分を語る言葉がサイト開亭当初と同じにはできなくなっている。ゆえに書き直した個所も多い。

●出会いは NHK「新八犬伝」

 最初に「八犬伝」というものを知ったのは、昭和48年(1973)にNHKで放映された人形劇「新八犬伝」だった。
 当時中学生だったがクラス中が見ていて、女子生徒も「角太郎がかっこいい」「いや、信乃の方が…」てな話題で盛り上がっていた。じゃあ男子生徒はどうだったか? ……まるっきり覚えていない。
* 小学校は五回転校した。それも東京都心から農村まで変化ありすぎ。その間に家庭崩壊。そんなこんなで濃密な友人関係などできるはずもなく、転校生に優しいのはたいてい女子だったから、自分の心は同性に対しては閉じて、異性には開いていった。中学時代もその流れで、同性への関心は低く、女子との会話は楽しかった。男子のことを記憶していない背景には、そんな事情もある。
* 後年知ったのだが、男性社会の基本はホモソーシャルだから、自分のような「ホモ性が極めて稀薄な男」は孤立せざるをえないようだ。……そんな自分が、ホモソーシャルな八犬士の物語になぜハマったのか、謎ではある。

 さて、その「新八犬伝」だが……今は亡き、坂本 九 氏のナレーションは歯切れが良かったが、ストーリーが遅々として進まない。いや実際そうだったかどうかは分からないが、当時の自分は「早く先が知りたい!」と苛立ったわけだ。
* 余談だが、このパターンは多い。NHK 大河ドラマ「国盗り物語」も話の先が早く知りたくて放映当時原作を読んだし、「銀河英雄伝説」もビデオの先が知りたくて原作を読んだ。短気である。

 ……というわけで、書店に行き八犬伝の本を探したのである。話の先を知るために。
 最初に買ったのは、小学生向けの児童書。ポプラ社の「古典文学全集23・里見八犬伝」である。第一刷は 1966年で、この年が 1973年。そして今も発売されている、ものすごいロングセラーだ。
 しかし、読んでみて「え?」と思った。テレビの新八犬伝と話が違うのだ。浜路も網乾左母二郎も死んでしまう。テレビでは生きているのに。
 おかしい!
 そう思った自分は、八犬伝と名のつくものをいくつか読んだ。といっても買った記憶があるのは、春陽堂の山手樹一郎作「新編八犬伝」だけで、他は図書館で読んだ。他が何であったのかは残念ながら記憶にない。……結局、読んだ本すべて(…と記憶しているが、全てではなく大半だったかも。遠い過去で記憶の正確さには自信はない)で、浜路が信乃の旅立ちの後に死ぬ。テレビとは違ったのだ。
 そんなはずがない!
 物語の先を知りたかっただけなのに、得られたのは混乱だけだった。

 事ここに至って「もはや原作を見るしかない」という結論に達した。なんといっても原作である。これ以上確かなものはない。

●奪われた「南総里見八犬伝」

 早速、書店に岩波文庫版を注文。
 しかし、入荷した時には、全十巻のうち第九巻が品切れで九冊しかなかった。
* 第九巻なんぞ終わりの方であり当面関係ないのだが、欠けていると落ち着かないものであり、気分はよくなかった。
* 岩波文庫といっても、今のとは異なる旧漢字旧かなの旧版である。
* すでに家庭崩壊して、貧乏母子家庭状態。当然、小遣いは少なかったが、文庫本ぐらいしか買うものがなかったから、問題はあまりなかった。1970年代の小さな地方都市である。まだ喫茶店の類もなかったから飲食代は不要。わが家にはレコードプレーヤーもなかったから音楽に使う金も不要。私服を買う金もなかったが、この時点ではファッションに無関心だったので、これまた問題はなかった。

 それはともかく「ついに読める!」という至福の時。
 だが、それは一瞬で終わった。
「高校受験を前にして、そんなもんを読んでいる場合じゃないでしょ!」という母親の一言。奪われてしまった岩波文庫。嗚呼。

 しかし品切れだった第九巻がしばらくして入荷。これは親に内緒にした。
 岩波文庫第九巻は、犬村大角が易占い師・赤岩百中として敵将扇谷定正を騙すところから始まる。ここまで先に進むと、当初の目的である「新八犬伝」の先を知るどころではない。

 ところで、問題の高校受験。
 運のいいことに自分の住んでいた県の当時の方針は、内申書重視ではなく入学試験重視だったので、普段成績が悪い自分でも一発逆転のチャンスがあり、合格。
* 日頃学業成績が優秀な者にとっては内申書重視はありがたいだろうが、逆転のチャンスのないシステムは、一度外れたら絶望しかないし、外れないように日々緊張を強いられるのはかなりのストレスだ。一切の逆転を許さないシステムの某県は、かつて他県よりも暴走族の荒れ方が激しかった。絶望を生む仕組みは人間を追い詰めるが、教育関係者は成績優秀者だったのだろうから、そんなことに思いが至らないのだろう。優しさが足りないよ。

 合格と同時に、奪われた岩波文庫が戻って来た。
 いよいよ、南総里見八犬伝である!

逆回転 拡大 縮小 拡縮停止 横長 縦長 リセット 回転停止

●系図を作る決意と挫折

 岩波文庫、第一巻から読書スタート。
 といっても、先に手に入れていた第九巻で文体に慣れていたためか、割とすんなりと入っていけた。
* 要するに、受験勉強のかたわら、第九巻を読んでいたのだ。高校受験に自信満々で余裕? そんなことはない。先生から「普段の成績からだと志望校のランクを落とすべきだが、おまえは、ここぞというテストだけは強いからなぁ。もしかしたら、ランクを落とさなくても合格できるかもね」みたいなことを言われて、ランクを落とさなかったので、受験はギャンブルだったのだ。滑り止めもなく一発勝負だったが、それでも八犬伝の誘惑には勝てなかったわけである。──厳密に言えば、テストに強かったわけではないと思う。小学生の頃から崩壊家庭+αのややこしい人生だったせいで、中学に至って「今さらジタバタしても、どうせ、なるようにしかならん」という諦観に達し、試験でも焦らず、普段どおりにできただけ。ここぞというテストでは、緊張から自滅する生徒が多かったせいで、相対的に自分が浮上しただけなのだ。……余談ついでにもうひとつ。高校入学後、最初の中間テストも、試験時の態度があまりにも平常どおりだったせいで、余裕ある成績優秀者と誤解され、隣の席の奴から激しい敵意を向けられて閉口した。幸い、全員のテスト結果を廊下に貼り出す学校だったから、すぐに誤解が解けて助かった。そいつは「ちっ、トップクラスの奴かと思ったら違うんじゃねぇかよ」などと吐き捨てて、以後かかわってこなかった。

 読み出したら止まらない。どんどん読み進んだ。
 結果、テレビの「新八犬伝」の方が原作に忠実でないのだと分かってきた。こうなると、もうNHKの「新八犬伝」はどうでもよくなり、全然見なくなってしまったのであった。
* 遅々として話が進まない、というのも見なくなった理由のひとつだ。原作は長いけど、次々と話が進んで飽きないのだ。

 この頃、自分自身の系図を入手して、系図というものに興味を持った。
 自分の系図以外にも、テレビで見た「トロイのヘレン」という映画をきっかけに、アポロドーロスのギリシア神話から抜き出して「トロイア王家の系図」なんかも作ってみた。
 となれば、当然、南総里見八犬伝も!
 早速、読みながら人物名をチラシの裏に書き出す作業を始めた。
 え? 勉強はいつやってるのか? ……ははは。
* 勉強を全然やらなかった結果はすぐに出て、高校一年の二学期になって成績が極端に落ちた。あまりにも落差が激しかったので、担任が緊急の家庭訪問にやってきたほどだ。とはいえ、わが家は「卒業さえできれば成績なんか何でもいい」という方針だったから、担任も空振り。以後、何があっても何も心配してくれなくなった。そりゃそうだわな。……でも、その「卒業さえできれば」が以後の自分にとっては心配の種でありつづけたわけだが。

 それはともかく──。
 南総里見八犬伝は、岩波文庫で第五巻あたりから、つまり第九輯に入るぐらいから読むのが辛くなってくる。仁の玉を持つ第一の犬士・犬江親兵衛の上総館山城での活躍、八犬士の集合、親兵衛の京都行き……とここら辺まではなんとか。しかし、関東管領との戦いに入るあたりで挫折。ちょうど岩波文庫の第九巻の冒頭。赤岩百中が易占をする所。一番最初に読んだあたりである。
* ちなみに高校時代は「易学研究同好会」に所属。といっても、きっかけは赤岩百中ではない。NHK大河ドラマ「国盗り物語」に出てきた易占シーン。NHKばっかり? ……当時、民放が1局しかなくてね。田舎さ…。
 第九巻は中学時代にパラパラと読んだはずである。
 なのに、なぜ高校生になってからは挫折したのか?
 それは系図作りのせいだ。第九巻の登場人物数は非常に多い。ただ読むだけなら問題ではないが、それをいちいち抜き出してメモしながら読むのは、自分には辛すぎたのだ。

 ……とはいえ、第九巻まで来ているのに、止めるわけにはいかない。
 一度は読むのもやめてしまったが、高校卒業を経て、大学卒業までには、だらだらとしつつも何とか読み終えた。人物の抜き出しも終えた。だが、それを整理して系図にする作業をする気力はもはやなかった。
* ちなみに大学受験会場では、意図的に余裕をかます態度を見せつけてみた。周囲にプレッシャーを与え、自滅させてやろうという悪い作戦だ。当然、態度のでかさとは裏腹に、受かる自信はゼロ。まぁ、自信がないからこそ、こんな姑息な方法を試したとも言える。ふん、どうせ器の小さい人間さ。でも、意外に有効だったのかも。近くの席にたまたま同じ高校のやつ(但しお互いによくは知らない関係)がいたが、彼によれば、すごいプレッシャーになったらしい。結果、自分は合格して、彼は落ちたし…。

●時を超えて…

 1970年代後半に挫折し、1980年代は八犬伝とは無縁に通過。
 そして、1990年。岩波文庫「南総里見八犬伝」の新版が発売された。
 旧版も大切に保存していたが、新版も買ってしまい、再び一から読みはじめた。旧漢字の八犬伝に慣れていたので、新字になってしまった新版には違和感を覚えたが、同時に、かつての思いが甦った。

「あの時に決意した系図を今度こそ作らなければ一生作れないかもしれん」

 かつて抜き出したメモは乱雑なままだが保存してある。
 しかも、昔にはなかったワープロというツールがあり、系図の清書は手書きにする必要はない。
* 今はなきワープロ専用機だ。パソコンは MS-DOSの時代で、インターネットは史上初のブラウザ Mosaicすら登場していない頃の話。
 今度こそ作るしかない!
 そう決意し、それから、毎日少しずつ進めていって、「全登場人物系図」と、そこから抜き出して五十音順に整理した「全登場人物名リスト」が完成したのが 34歳。系図作りを決意した16歳から18年が経過していた。
* 途中 10年以上の空白があるから「苦節 18年」という感じではない。
* 馬琴の八犬伝執筆28年にはまだ10年及ばない。28年は長い。途中で死んじまった愛読者もいるんだろうな。その無念を考えると…。

 完成と同時に感じたのは、安堵であり、歓喜ではなかった。
 もっとも普段からテンションは低いし、激情の類とも無縁だから、歓喜だったとしても大騒ぎしたりはしなかっただろう。とにかく「もう作業しなくてもいいんだ」というホッとした気持ちが圧倒的であったのである。

 しかし、完成はさせたものの、物足りない。
 自分のために作った資料とはいえ、自分一人のものとしていては虚しい。
 同好の士と分かち合いたい。と同時に苦労して作ったこの資料の著作権のようなものを確立しておきたい。となると公開するしかない。つまり、メディアに載せるということだ。だが、こんなものは商売にはならないから商業出版は無理。といって自費出版しても意味がない。同好の士は日本全国に散らばっているのだ。そういった人々に知ってもらうための広告費や流通経費を考えたら馬鹿馬鹿しい事この上ない。
 結局 1994年の正月に「全登場人物名リスト」を、当時は存在したパソコン通信システム NIFTY-Serveの文学フォーラムのデータライブラリに登録した。
* 系図は、資料は作成に使用したワープロ専用機 Oasys専用の特殊文字が含まれていたため、パソコン通信のデータにはできなかった。全登場人物名リストは、JIS定義文字だけで成り立っていたからデータ登録できたのだ。
 ただし八犬伝ファンというのは文学というジャンルを超えて存在する。データの置き場所として他に適した所があったわけではないものの、満たされないものがあった。
 結局、文学フォーラムの資料を見てメールを送ってきた方はたった一人。寒い話である。パソコン通信というもの自体が、決してメジャーなものではなかったのだろうが、それでも、江戸時代のベストセラーだった八犬伝が、もはやこんなにマイナーな存在でしかないのか。がっかりすると共に、気が抜けてしまった。

●八犬伝観の変化

 NIFTY-Serveに人物リストを登録した頃。
 神田神保町の本屋の手の届かない高さの書棚に、なにげなく見つけた福武書店(現ベネッセ)の小谷野敦著「八犬伝綺想」という本。
 大衆向けの「勧善懲悪」という顔の裏に潜んでいる、馬琴というモラリストの悪意。それを原作の文章を詳細にかつ非常に科学的な理詰めの姿勢で、分析して明らかにしてゆく。
 八犬伝の、血沸き肉踊る前半と退屈と言われる後半第九輯を分けているものは何か。そして真の主人公は…。

 自然科学の持つ論理性。
 文学にもそういう論理性があるのは、この本で初めて知った。

 はるか昔、自分は国語の授業が大嫌いであった。テストに必ずある「作者の意図は何か?」という問題。正解を見ても「なぜそうなんだ?」というのが分からない。学である以上「なぜそうなんだ」という論理的根拠(仮説)を語る必要がある。それが明確じゃないものを「覚えろ」と押しつけてくる授業に納得がいくわけがなかった。
 それ以来、文学を誤解していた。

 この本は、原作を読んでいないと分かりづらい面はある。前提となる知識が必要だからだ。しかしそれさえ頭にあれば、論理の大筋はきわめて明確に分かる。
* 細かい部分は亭主程度の知識では分からん。著者は亭主と同年代らしい。同じ八犬伝読みでも研究者と酔狂者の違いの大きさよ。少し悔しい。
 これが文学の力なのか!
 たった一冊がこれほどの感動を呼ぶ。めったにあることではない。

 ──ただ、その感動を語り合える相手が、どこにもいない。
 いや、積極的に探せば、そういう場もあったのかもしれない。だが、同好の士の集いであっても、なんらかの集団に参加するのは、昔から抵抗がある。完全に平等対等な関係性ならいいが、たいてい仕切りたがりの御仁がいて、不自由不快な思いをするはめになる。そういうのは、まっぴら御免なのだ。
 仮に自分が八犬士のひとりだとして、誰かが「里見家のために命をかけようぜ」みたいな掛け声を発したりしたら「けっ」とか思ってしまう。そういう性分なのだから、語り合う相手を求める方がそもそも間違いなのだ。
* 仕切りたがるような人間に限って、綺麗事の正論で押し通そうとする。それが耐え難い。いや、正直に告白すれば、中学時代の自分にはそういう要素が多分にあった。中学三年の時の自分は、規律委員で応援団長。いかにも正論を振りかざす嫌な奴らしい役職だ。だが、そんな姿を見た母親に「そういう正論は残酷だ」と諭されたのだ。その時はその意味が分からなかったが、後に深く理解できた。理解した時には母はこの世にいなかったが。──自らの残酷さを疑いもしない。あるいは「命がけ」なんていう綺麗な言葉を軽々しく使う。そういう無神経さに対して、強い嫌悪感を覚えるのである。……本当は、中学の頃の自分を棚に上げて言えることじゃないんだけどさ。
* 正論ばかり語る八犬士はいいのか? ははは、彼らも実際、かなり無神経だよねぇ。まぁ「八犬伝綺想」を読んで馬琴の毒を知ってしまった今となっては、その意味もよく理解できるようになったわけだから、それはそれでいいのだ。

 それはともかくだ。
 南総里見八犬伝というものに対する見方が、この本で一変した。
 脳天気ではいられなくなった、という感じか。だが、それは決して不幸ではない。大学で哲学を専攻した自分である。真実がどんなものであったとしても、真実が知りたいのだ。八犬伝の真実がどれほど闇を秘めているとしても、それを知りたい。知ることの方が幸せなのだ。
* 絶世の美男美女でも屁はこくし糞は垂れる。それが真実だが、理屈ではわかっていても感覚として受け入れられない人間は多いだろう。だが、哲人である自分は、美女がうんこたれでも幻滅したりはしない。……などと語ると、なぜかスカトロ趣味と誤解されたりして心外だ。うんこ好きなのではなく、うんこくさい下痢女子だからといって嫌いになったりはしないという話である。
* 真実を知ることは、時に絶望がセットで付いてくる。この本の場合は絶望ではなかったが、心理的衝撃はあった。

 八犬伝を深いところまで読み解けなかった自分。
 この本は、それも教えてくれた。自分自身に幻滅といったところだが、こういうことがないと夜郎自大になりかねないから、良いことである。それに、八犬伝というものは、もっともっと深く考えることのできる素材であることを知り、自分の世界が開けたのだ。

●白龍亭事始+事終

 1995年、Windows95 発売。
 パソコンというものが限られた人々のものではなくなった年であり、インターネット大衆化の元年でもある。
 が、自分はそれほど興味は抱いていなかった。はっきり言えば、時代に鈍感だったわけね。
 ……いや、パソコン通信というものに幻滅していたから、その延長上のような気がして期待していなかったのが本当のところかも。単に無知だっただけだが。

 そんな遠くに感じていたインターネットを、一気に身近に感じるようになったのは、頑な手書き主義者(当時)の仕事仲間がホームページについて考えていたからである。パソコンやらワープロやらを拒否していた人間ですら興味を持つのか! それは驚きであった。と同時に、それ以前にもその人に教えられることは多々あったので、これは重要かもしれないと考えを改めた。
 すぐに書店のインターネット関連書コーナーへ。
 そして知った。八犬伝の資料を公開するのに最適なメディアだと。
 ホームページを作る! まだホームページというものを見たこともないまま、こう決意した。そして、パソコンを購入し、プロバイダと契約し、HTMLを学び、サイトの構成なども考えた。

 ── 1996年 6月 4日、白龍亭を開いた。
 本当はもう少し前に公開したかったのだが、最初に契約したプロバイダの料金が高すぎて乗り換えたり、FTPによるアップロードの仕方がわからず試行錯誤したりしていて、この日付けになったのだ。

(中略)

 その後、2002年 正月まで、一気に駆け、力尽きた…。
* 以後のことは、ここを読んでいる人なら知ってのとおり。細々とリンク切れのチェックなどしつつも、放置状態が継続中。2012年に至り、やむをえない事情で縮小化工事に突入したが、これも工事完了しないまま。



* かつて「Netscape にあらざれば、ブラウザにあらず」と言われた時代もあったのに、Netscape というブラウザそのものが、もはや存在しない。1990年代というものが、今や遠い昔だ。

●亭主と八犬伝エトセトラ

 ▼何回「南総里見八犬伝」を読んだのか?
 結局は、通しで四回は読んでいる。
* 勿論、ここでいう「読む」は、一般読者レベルの話。研究者レベルの精読とは異なる。そもそも、自分には精読なんて無理。
 最初の二回は、系図作りメモをとりながら読んだので大変だったが、後にメモ抜きで読んだ時は「楽だ〜」と感じた。
 でも、これは、完全な失敗だ。
 何でもそうだが「最初の体験」に難しい方法を持ってきてはいけないのだ。ヴァイキングの法則だな。──つまり、北欧のヴァイキングは、静かなフィヨルドで海を初体験する。海を恐れることなく海に慣れることができる。だからこそ、後に荒れた外洋に乗り出していけるのだ。最初から荒れた海を前にした民族は、海への恐怖が勝って、遠くまでの航海にチャレンジしたりしない。
 だから、最初は系図作り抜きに読破すべきだったのだ。そうすれば、系図作りの作業はもっとスムーズに進んだはずであり、18年などという歳月はかからなかっただろう。
* 獅子は子供を千尋の谷に突き落とす、みたいな厳しい教育が賞讃されたりするが、現実には逆効果。谷底を怖がるようになるだけ。早い段階から激しい競争にさらすと、かえって競争に打たれ弱い(=勝っているうちはいいが、一度でも負けると立ち上がれない/負けを認められない)人間に育つだけだ。八犬伝でいえば、敗残の中を生き抜いて孤高の境地に達した丶大法師のような、真に強靱な精神は育たないということである。

 話を戻す。
 部分に限定すれば、もっと多くの回数、読んだ個所もある。
 最多は、岩波文庫第九巻。そうなってしまったのは、関東大戦の「戦場地図(サイト縮小工事で公開を中止)」を作るために、戦のシーンを何度も読み返した結果。
 しかも、三ケ所の戦場(行徳口、国府台、洲崎沖)のうち、一番ややこしくて、一番読み込んだ国府台の地図だけが未完。そのままサイト更新に挫折してしまったので、何度も読んだ努力は実を結んでいない。

 ▼好きな犬士は?
 絶対的に犬阪毛野だ。
 といっても、美しいからではない。いくら女装が似合うといっても同性だ。そういう目では見られない。俺は小文吾とは違うのだよ。
 それよりも、毛野がリアリストであることが決め手だ。洲崎沖の水戦での敵軍殲滅は、里見家の仁慈には完全に反しているけれども、里見家の安泰を考えたら必須。毛野以外の犬士には、そういうリアリズムに根ざした行動は無理だろう。そこが魅力なのだ。
 といっても、高校の頃は、犬川荘介派だったりもした。崩壊家庭育ちの自分は、苦労人の荘介に何か重なるものを見ていたわけだ。冷静に見れば、何も重ならないんだけどさ。
 あと、犬村大角も、スパイ赤嵒百中の姿がかっこいい(?)から気に入ってはいる。
 女性キャラで好きなのは……意外と難しい。みんな、すぐに死んでしまうし。烈女も毒婦もつらいが、存在感のない記号的キャラもつまらない。などと言っていると誰も選べなくなる。あえて言うなら、玉梓か。ただの美女好きだろ? ふん、どうせ俺は色香に惑わされそうになる里見義実と同類さ。
 自分が八犬伝世界の中で女子として生まれるなら? う〜ん、音音かな。
* 自分がパワレスであることの反動か、パワフルな野獣系女子(?)には魅かれる。北欧神話をベースとした映画「ニーベルングの指環」で、ブリュンヒルデ役をやった Kristana Loken なんかも「かっこいいなぁ」と思う。
 じゃあ男子なら? 役行者……は人物ではないか。天機に触れる立場になってみたい。
* 自分の場合は、亀仙人的エロじじいにしかならないだろうけど…。

 ▼原作以外の八犬伝は?
 よく知らない、というのが本当のところ。八犬伝と名のつくものは色々ありすぎて、網羅するのも至難。原作系しか知らない狭い八犬伝ファンで終わるのだろうが、手広くやれるような性格ではないので仕方ない。
 とはいえ、多少は「八犬伝と名のつく異物」に触れはしている。そういうジャンルを否定はしないけど、個々の作品でいえば、受け入れられるものと、拒絶してしまうものがある。
* 八犬伝系に限った話ではないが、「論理的整合性」に欠けた小説とかは途中で投げ出してしまう。あと、登場人物のテンションが高すぎると、耐えられなくなる。なんせ自分は、低テンションな人間でござんすからね。
* 実は亭主も「八犬伝と名のつく異物」を書いたことがある。公開はしないけどね、ふふふ。

●其他、亭主之事等

「おぱく堂」という名は、馬琴の別名「著作堂」のもじり。
 1980年代に流行った「クリップ・パクちゃん(下の写真)」に似ているところからの命名。なお、ドラクエの「腐った死体」に似た後姿、とも言われた。

「宗庵」は号。
 といっても、俳句や短歌をやるわけでもなく、日本画を描くわけでもない。
 要するに本名が嫌いだから、別名を名乗りたいだけ。小学校時代は、当時としてはキラキラネームっぽい本名が原因でからかわれたこともあり、うんざり。さらに、親から本名の命名由来を聞いた時、あまりにも安直で浅い理由に、がっかり。
* 公的書類では本名を使わざるをえないが、今もって嫌な気分になる。本名で呼ぶ奴は敵と認定。妻も自分を号で呼ぶ。
* 今は「宗庵」だが、はるか遠い昔の大学時代は「莊庵」だった。犬川莊助ではなく、老子莊子から。八犬伝の仁義礼智忠信孝悌の儒教とは敵だけど、老荘の「無為」というものに、若い頃は心魅かれたわけだ。

「白龍亭」の名は、言うまでもなく八犬伝冒頭に登場する、里見義実を安房に導いた白龍から。
 じゃあ何で白龍かといえば、サイトを作った当時「なんか、かっこいいかも」とか思ったのだ。今にして思えば「玉梓亭」とか「舩虫屋敷」とか、なんかダークサイドな名前の方が面白かったかもしれん、と少々後悔あり。
* 後悔といえば……テレビによく登場する片付け評論家が「三年使わないものは、一生使わないから、捨てても後悔しない」と言っているが、大方はそうだとしても、すべてがそうだと断定するのは間違いである。自分の場合、捨てた二十年後に「あれ、捨てなきゃよかった」と激しく後悔したものがある。捨てるという行為は、言うほど単純な問題ではないのだ。……なぜ、二十年も経て後悔したのか? それは、理屈だけで考えれば不要品であった。だが、本当は思い入れがあったのだ。にもかかわらず「物を減らすべし」という観念にとらわれて、感情にフタをして合理性を優先してしまった。感情にフタをするという行為は、実は心の中に不発弾を抱えることである。爆発しないで終われればいいが、たいていは長い時を経て、突然爆発するのだ。……そんなこんなで思うことは、人間の感情を無視した合理性などというものは、兵站を無視した軍事作戦のようなもので、実のところ、全然合理的ではないってことだ。人間の感情をしっかりと考慮してこそ、真の合理性が生まれる。とはいえ、自分自身の本当の感情というものは、意外とわからない。本当の感情に気づいた時には手遅れだったりする。だから、簡単にはいかないのだ。
* 感情の話ついでだが……たとえば、ものすごく悲しいことがあった時、その感情にフタをして「大丈夫だから。絶対に乗り越えるから」などと頑張る前向きすぎる姿勢は危険である。専門的にはこういうのを「躁的防衛」と言うらしいが、これも不発弾を抱えるのだ。前向きになれない時に無理して前を向くと、後年、爆発する。前向きに逃げて、悲しみとちゃんと向き合わなかったツケが回ってくるのだ。……もっとも、当事者以外から「前向きに生きろ」という無言のプレッシャーがかかるから、当事者がきちんと悲しみと向き合いにくい、という残酷な現実もある。ほとんどの人が、これを「励まし」だと信じていて、相手かまわずに言葉を発するが、これが本当に励ましになるのは、悲しみときちんと向き合って悲しみに一定のケリを付けた相手(=本当に前向きになれる状態になった相手)に限られるのだ。一方で当事者も「励まされた」と感じてしまい、悲しみとの対峙を避け、実は不発弾を抱えたという自覚がないまま、どんどん前を向いていってしまったりする。悪循環だが、当事者が気づかない限り、不発弾が爆発するまで何もできない。……人間の精神構造は、まるで人間が幸せになりにくいように設計されているかのようだ。設計者(神?)に、その真意を問うてみたいよ。
──などと偉そうに語ってみたが、自分自身が過去の悲しみを正しく処理できていなかったりする。八歳の頃、親に「遊びに行く」と騙されて、親元から 200kmも離れた農家の親戚に連れていかれ、そこに預けられた。自分的には「捨てられた」という感覚であり、一年半泣き暮らし、遂に親戚が音を上げて親元に返されたのだ。八犬伝の浜路と似た境遇だったが、浜路には帰るべき実家がなかったのだから、それと比べれば戻れただけ幸せだな。で、感情にフタをせず泣きまくったのは正解だったが、それでもなおトラウマとして残り、五十歳を過ぎた今でも、うなされる。もし、あの時、自分の感情に嘘をつき「前向き」になっていたら、今頃は、完全に精神崩壊していただろう。
* う〜ん、本文より余談の方が文章量が多いな…。

八犬伝ファンではあるが、リアルでは猫派。
 家庭崩壊以前の幼少期に、わが家は犬を飼っていたから、元々は犬好きであった。
 だが、今は犬は苦手。きっかけは、二十代の頃に住んでいた町。そこには深夜に犬を放し飼いにする家が複数あった。残業で最終電車で帰宅したりすると、その犬に追いかけられ何度も危険な目にあった。しかし、周囲は犬を飼っている家だらけで特定できず、保健所に電話しても証拠がなければ対処できないと言われ、ついに木刀で応戦するに至ったが、今度は犬が逃げてしまい、これまた特定できず。
 さらに昼間も、自分が住んでいたアパートの階段に飼い犬をつなぐ家があった。階段を上下するたびに吠えられるのだ。これは特定できたので苦情を入れたが「階段のところしか陽が当たらないから、そこにつなぐしかない」と開き直られた。結局、まことに不本意ながら、その犬に恐怖を感じさせて、自分に対して怯えて避けるように仕向けるしかなかった。
* 今にして思えば、そんな酷い方法ではなく、親近感を与えて危険の芽を摘む方法をとるべきだったろう。だが、そこに住んでいた頃は、深夜の件や飼い主の態度もあって、犬に対する怒りが頂点に達していたので、そんな優しい気持ちにはなれなかった。
 そんなわけで、犬はこりごりである。
* 他の町ではそんな怖い思いをしたことがない。だから、その町が特別に悪い飼い主の巣窟だったのだろう。それでも、犬を飼う家の多い町には、二度と住みたくないと思うのである。完全にトラウマになっている。
以前は猫写真サイトも作ってた(契約していた無料サーバーのサービス停止で閉鎖)
 で、猫だ。
 今の人間社会は「役に立たないやつは生きる資格なし」みたいな冷酷さに満ちあふれているが、猫の「役に立たないけど、どっこい生きている」感じが、いいね!
 猫と親しくするようになってから、猫パンチを食らったり、ゲロを吐かれたり、色々と迷惑を被っているけれど、なんか許せてしまう。里見義実も、猫を飼っていたら、玉梓が許せたのかもしれない。
* 猫との間には理解しあえない虚しさもある。しかし、突き詰めて言えば、人間の男女関係だって(言語が通じるから理解しあえると錯覚してしまいがちだが)本質的には理解しあえないのだ。それでもなお、できるかぎり理解しあえるよう努め、お互いの幸せを求める上で、猫から学ぶことは多い。猫と親しくしなかったら、自分の人生観が閉塞的なまま終わってしまっただろうと思う。
ボバブ in 2008

八犬伝以外の馬琴作品は?
 読んだのは「椿説弓張月」だけ。
 南総里見八犬伝に次ぐ馬琴の代表作だから読まないわけにはいくまいと思っていたところに、2001年春の岩波文庫のリクエスト復刊で刊行されたので購入した。とはいえ、主人公の源爲朝という人物に思い入れがないせいか、正直、期待はしていなかった。
 しかし、八犬伝同様テンポ良く話が進むせいか、予想したほどの違和感はなく挫折せずに読み終えた。面白くない作品を我慢して読み通せるほど気が長くないので、最後まで読めたのは、それなりに面白かったということだ。
* 実は「椿説弓張月」地図にも挑戦した。伊豆諸島の地図は描いたが、瀬戸内海や琉球の地図を作るところで挫折。島が多すぎると、よほどの気合がないと描けないよ。
* 余談だが(またか)、地図が読めなくてもカーナビの音声ガイドで目的地に到着できる、なんていう時代が嫌だ。地図が読めない人間は迷子になるべし。地図派の自分は、そう呪っている。




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