白龍亭・八犬伝と水滸伝

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 南総里見八犬伝が全体の構成を水滸伝に倣っているのはよく知られたことである。
 だが構成以外にも、水滸伝を典拠とする場面が数多くあると言う。というわけで、水滸伝を読んでそれらを調べることにした。

 水滸伝には色々と種類があるが、江戸時代の人々が読んだのは主として「百二十回本」だという。馬琴も水滸伝に触れている部分ではっきりと百二十回云々と書いている。これは講談社文庫から完訳版(全八冊/駒田信二訳)が発売されている。このページの企画を思いついた当初はこの本を読むつもりだった。しかし時期をおいて三回ほど注文したが、いずれも版元品切。
 計画が頓挫しかかったところで、1998-1999にかけて岩波文庫「完訳・水滸伝」が改訳新版(全十冊/吉川幸次郎・清水茂訳)として刊行。予定を変更してこちらを読むことにした。ちなみに岩波文庫版は「百回本」である。


 最も原点に近いのが「百回本」であり、後半の梁山泊軍の活躍場面に加筆したものが「百二十回本」らしい。後に金聖嘆という人が、梁山泊が軍として活躍する後半部分や挿入詩をバッサリと削ったのが「七十回本」。大陸ではこれが最もポピュラーなのだそうだ。
 ……というわけで馬琴が読んだものより二十回分少ないものをベースとした資料になってしまっている。足りない二十回分にある「田虎・王慶」関係については、いずれ駒田訳を読んだ時に調べて追加するつもり。

 なお、水滸伝と八犬伝の共通場面は、水滸伝が典拠である場合と、両作品が他典拠から同じネタを使った場合とが考えられる。ただし大陸史に詳しくない亭主には前者と後者の区別はつかない。よって以下は両者混在の可能性がある。


・SPECIAL THANKS・
* 水滸伝サイト「酔虎塞」主宰の酔蝗様から、1999年8月に水滸伝と八犬伝に関する資料を頂いた。それからこのページが完成するまでに一年近くもかかってしまった。なお、酔虎寨にも「孫二娘之酒肆」の項目下に、八犬伝と水滸伝を読み比べた記事がある。水滸伝派から見た八犬伝と、八犬伝派から見た水滸伝。このページとの視点の違いを楽しみつつ是非読まれたし。

・SPOILER・
* 八犬伝を知る人が水滸伝を読んでいて、あるいは水滸伝を知る人が八犬伝を読んでいて、その共通点を発見するのは楽しみである。以下の内容は、その発見の楽しみを妨げる。


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[ 忠義水滸傳 ]


 これだけ類似場面があっても水滸伝世界と八犬伝世界はかなり違う。
 その違いを代表するのが黒旋風李逵。危険なまでにピュアなこの男は八犬伝世界では生きられない。現実世界では友達になりたくはないが、水滸伝世界では愛すべき奴。それだけに李逵の死に方がどうにも後味が悪く、読後は多少暗い気持ちになってしまった。宋江最低。
 ……などと書くと宋江ファン(いるのか?)に怒られそう。
 あるいは宋江をわざとあんな人間に設定にした深い隱微があるのかもしれない。そういった文学研究レベルの話は自分にゃわからんので、これ以上はつっこまないでおく。


□ 関連 → 八犬伝と三国演義
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