Picasso

危ないピカソ語り

Jun.2005(追記/Sep.2007)

おぱく堂主人・白龍亭主


●危険な言葉

 確か中学の頃だったが、とある大人に「ピカソは普通に絵を描いても上手なんだよ」という話を聞かされた。当時はピカソなんぞにまるっきり興味がなかったので真面目に聞こうとはせず「ふ〜ん」としか反応しなかったが、今にして思えば真面目に聞かなくてよかった。真面目に聞いていたら間違った先入観を持ってしまうところだった。


●ピカソの天才が理解できてしまった日

 絵画が嫌いな訳ではないが、長い間ピカソはどうでもよかった。
 画集を買ったことがあるのは、ビアズリやダリなどで、正直に言ってピカソの絵は「変なの」としか思っていなかった。世間がどんなに「ピカソは天才だ」と言っても自分には理解できなかった。自分が理解できていないのに「ピカソは天才なんだよ」などと語るのは嘘つきであり、正直な自分は「俺はピカソは変だと思う」と語りつづけていた。

 ピカソの作品を生で見たのは箱根彫刻の森美術館であった。
 社員旅行か何かで訪れたのであり、自ら進んで行ったわけではない。

 興味も何もなく見たのが良かったのかもしれない。
 ピカソの天才の何たるかが、見た瞬間に理解できてしまった。画集の写真では伝わらなかったが、そのあまりにも強烈な存在感に圧倒され、ピカソ以外の誰一人として作ることのできない、まさにオンリーワンの世界がそこにあった。今でもピカソの作品は変だと思うが、ただの変ではない。絶対的な変がそこにある。こんなものは天才にしか生み出すことは出来ない。


●見栄+硬直

 昔、聞いた「ピカソは普通に絵を描いても上手なんだよ」という話は何だったのか?
 それが分かったのは、それからかなりの時が流れてからだ。
 結論を先に言えば、こんなことを言う大人は、見栄っぱりだし、思考も硬直化しているのだ。

 普通の絵、つまり写実的な絵に関して、ピカソが上手かろうが、ド下手であろうが本当はどうでもいい話だ。たまたま上手であっただけで、仮にド下手だったとしても、ピカソの天才性にはまるっきり無関係である。ピカソはあの強烈に変な作品によって天才なのであって、他の何物でもない。

 写実的な絵が上手か否か、というのは絵に関して最も分かりやすい価値基準である。
 ピカソはこのような価値基準とは全く異なる視点において天才である。
 この両者を結び付けて語るのは何なのか。要するに、前者の価値基準しか本当は認めていない人々が、ピカソが天才であるという権威の評価を自ら受け入れるための、ひとつの言い訳のようなものだ。何でもかんでも単一の価値基準に押し込めてしまおうという大人は多いが、これは思考の硬直化以外の何物でもない。さらに、権威が何と言おうと天才性が理解できないのであれば「理解できない」と正直に言えばいいものを、さも自分も理解しているのだと言わんばかりのしたり顔で「ピカソは〜」と語るのは見栄でしかない。

 大人だけなら、硬直化していようが見栄を張ろうが知ったことではない。
 しかし「ピカソは普通に絵を描いても上手なんだよ」という言葉を聞いた子供は「天才を生む土台として写実的な絵の上手さは絶対条件である」と学習してしまい、自らの心の赴くままに描くという絵心よりも、描画技術にばかり目を向けかねない。こうやって、硬直化した価値観に縛り付け、子供をスポイルしている例は絵画ばかりではない。親や教師を含めて、大人は大いに心せねばなるまい。……ま、無理だろうけど(非観的)。


●教えることの弊害(Sep.2007 追記)

 今、子供の遊びは「買う」ものである。
 自分が子供の頃はまだ日本は貧乏だったので、買ってもらえる子は少数派。遊びは「創造する」しかなかった。
 たとえば「野球盤」も高価だったので小学校の同級でも持っていたのは 1〜2人いたかどうかである。結局、自分は厚紙で野球盤を作ったわけだが、完成度の低い子供の工作とはいえ、その遊びは大いに盛り上がった。問題があれば即、盤を改造、あるいは盤の状況に合わせてルール変更。既製品を与えられた場合、こういう自由はない。この自由な思考こそが創造力の母体となる。
* 大人の遊びでも創造する力があれば出費は減る。それはつまり、完成品の遊びを商売にしている人々にとっては客に創造力など持ってもらっては困る、という事でもある。逆に、創造力を刺激するような商品(組立キットなど)を作っている人々にとっては、創造力の喪失はダメージとなろう。

 井沢元彦氏の著書に「教育には創造力を奪うマイナス面もある」といった意味の記述があり、その理由も分析してあったが、この言葉を得て、自分の中でモヤモヤしていたものがスッキリした。
 教育とは「知識を与える」という事である。
 子供にとっては、遊びを与えられることで、遊びを創造するチャンスが失われるのと同様、知識を与えられることで、知的創造を鍛える機会も喪失するということだ。であるからして、特に創造力が問われる絵画のようなジャンルでは、絵に関する知識を教育して与えすぎてしまう事は致命的とすら言えよう。
* こんな事を書くと絵画教室を経営している方に怒られそうだが、子供を絵画教室に通わせる事自体が間違っている(大人になってから行くべき)と自分は思うのである。もっとも「中には毒物もある油絵の具を口に入れないように指導する」といったことは誰かがやらねばならないのではあるが…。
* たとえば、子供が空の絵を黄色く塗っている時に「○○ちゃん、お空は青ですよ〜」などと教える大人こそが、子供の創造力をつぶすのである。まっとうな絵画教室ならそこまではやらないだろうが、それでも子供自身による自得を最優先すべきであろう。