Oyayubi-Shift Keyboard

愛の親指シフトキーボード

Mar.1998(追記/Dec.1999/Mar.2001)

おぱく堂主人・白龍亭主


●親指シフトキーボードとは?

 とりありず「愛」を語る前に解説を入れておく。
 親指シフトについてはよく知ってるよ〜ん、という人は飛ばして読んでくれたまへ。


 パソコンキーボードの御先祖様たるタイプライターは、西欧人が「楽に速く」文章を書くためにつくったものだ。そのためには「手元を見ずに」打てなければならない。手元を見ないですむためには、指が今どこにあるのかを常に把握する必要がある。そのため、アルファベットは上中下の三段に配置されている。中段を基本として上か下かという指の動きだけですむので、手元を見ることなく指の位置が分かるわけだ。

 アルファベットは26文字しかないからそれが可能だったが、日本語は50音。上中下の三段には収まらず、無理やり最上段をも使って配置した。それが今の JIS配列のルーツである。

 指の位置が分からなくなる四段キーボード……。
 コンピュータの時代になって「ローマ字かな変換」という方法が編み出されて、三段のアルファベットキーを使って日本語が入力できるようになった。今、JISキーボード使用者の大半がこのローマ字入力を使っているという。一旦頭の中でローマ字に分解してから入力するんだから面倒なはずだが、それでも四段配置よりはるかに使いやすいのである。

打ちやすい位置にある親指

 四段かな入力にしろ、ローマ字入力にしろ、日本語のキーボード入力は決して快適なものではない。
 日本語を快適な三段に収めるためには、どうしても一つのキーに二つ以上の文字を配置する必要がある。これを切り換えるにはシフト操作が必要だが、英文タイプの「小指シフト」方式が不快で使いにくいのも事実。

 この問題を解決したのが「親指シフト」という発想。
 文字入力に使われないで遊んでいる親指を使ってシフトする。小指をうに〜っと横に伸ばすのと違って、指の動きが自然なのだ(上図参照)。しかもシフトしていることを意識しないですむ「同時打鍵」という方式(説明は長くなるので省略する)。これが最も快適な日本語入力キーボードである。


●親指シフトの不幸と幸福

 問題はこのキーボートを開発したのが一メーカーである富士通だということだ。
 富士通はこのキーボードの権利を放棄して他社でも自由に使えるようにしたのだが、それでも他社はほとんど採用しなかった。結局、このキーボードを使いたい人は富士通製品、具体的にいえばオアシスというワープロを選ぶしかなかったのだ。今でもワープロ専用機の世界ではそうである。

 かなり以前雑誌に載っていたのだが、東芝の担当者が「親指シフトがJIS規格になれば採用する」と言っていた。
 問題はここである。
 かなの四段配置が使いにくいということで新たな三段かなのJIS規格が作られた時、親指シフトはすでにこの世にあった。これを新しいJISにすれば何も問題がないのに、なぜか使いにくい「小指シフト」の三段かなキーボードが新JIS化された。ほとんど「親指シフト」つぶし、としか思えん話。

 かくして、親指シフトは普及せず、われら一般ユーザーは四段で打つかローマ字で打つかという不快な選択を迫られる旧JISキーボードを選ぶしかないのである。
 世の中がそんな状態にあるからか、富士通自身も親指シフトキーボートに対して情熱がない。デスクトップ型パソコンはキーボード別体だから問題はない。困るのはノート型だ。富士通製でも一部の機種にしかない。

 もっとも、世の中捨てたもんじゃない。
 既存のJISキーボードを親指入力に変えてしまうフリーソフトなどあるらしいし、ハード面でも Mac用の親指シフトキーボードを作っているメーカーもある。富士通がやらなくても誰かがやってくれる。


●日本人として……

 ……という現実を前にして、これからが「愛」の本文だ。
 圧倒的に普及している JISに対して、あえて親指シフトを使うには理由がある。

 キーボードの本来の魅力である「楽に速く」を享受するには、まず四段配列は失格。といってアルファベットを持ち出さないと快適な入力が出来ないなんて、日本人として腹立たしい上に悔しい話である。

 パソコンはもともと向こうの人間が開発したものだから、「Delete」キーを無理に「削除」キーとかに呼び代えることはないと思う。開発した国の言葉に敬意を表するのも大事だ。
 だが文字入力キーは別。
 日本語は日本語として快適に入力したい。そのための親指シフトキーボードを使うためには余計な出費がかさむし、JISキーボードという世の中の主流から外れるが、それでもなお日本語の快適な入力にこだわりたい。なぜか。

親指シフト配列(FMV-KB211)

 日本語……。
 自分にとって日本語とは何か。和歌や俳句をやるわけではないし、文学に親しんでいるわけではないし、敬語の使い方がうまいわけでもない。つまり日本語の使い手として特にコレということのない人生である。
 結局、日本語は水と空気のようなものだ。
 しかし、それだからこそ大切なのだ。自分の考えを伝えたり、感情を表現したりするのに、日本語なしには不可能だ。言葉では伝わらないことがあるとはいうが、それ以上に言葉でしか伝わらないことの方が多い。言葉をないがしろにした信頼関係というものもありえない。他人が自分とは別の人格である以上、言葉抜きでは致命的な誤解を招くことがある。
 そう、言葉を……正確にいえば「日本語を愛している」のである。金がかかっても親指シフトキーボードを使うのは、そんな愛ゆえである。なんつうか、くさいセリフなんだが…。

親指シフトキーボード支持

 ……とか偉そうにほざきつつ、実はローマ字入力もできたりする。
 JISキーボードでも打てるのだ(打ちたくないけど)。
 愛の貫徹と現実との狭間に生きるための二刀流、といえばかっこいいが、実は最初に覚えたのはローマ字入力。苦労したのが外来語。「レベル」と聞いて頭に浮かぶのは「level」だが、実際は「reberu」と打たなきゃならん。短い文ならこんなことで苦しまないが、めちゃくちゃ長い文章を書くと吐き気がしてくる。
 ストレスである。
 そう、日本語への愛とかいう以前に、健康のために親指シフトに転向したというのが本当のところ。いや、キーボードとストレスの関係を考えると笑い話じゃすまないかもしれない。親指シフトに転向してからキーを打っていて疲れたということがなくなったし、日本語を日本語として快適に入力する、ということは予想以上に重要なことかもしれない。


●しばしの別れ…?(Dec.1999 追記/Mar.2001 追記)

 1999年11月、親指シフトが使えない環境になってしまった。
 それまで使っていた Windowsマシンが壊れ、ちょっとした事情があって Macに転向。Mac用の親指シフトキーボードは古いMacにしかないADBポート接続。USB端子接続用の発売予定はなく、しかも ADB-USB変換器経由で使用した場合はサポート外だそうで…。状況が改善されるまで、西欧に屈して(?)ローマ字入力で過ごすのさ。くそっ。

 ……ということだったが、ADB-USB変換器経由で USB接続でも大丈夫だそうな。と喜んだのも束の間。Mac用親指シフトキーボードは 2001年3月をもって製造中止。しばしの別れのはずだったのに、自分にとっては永遠の別れになるわけか。
 日本人が日本語を快適に入力する、ということの重要性を富士通以外のメーカーが理解していればこんなことにはならなかっただろうに、一度掛け違えてしまったボタンは元には戻らないということだろう。不便なものが普及し良いものが淘汰される……なんともやりきれない話だ。
 この状況を変えるためには「キーボードを親指シフト配列にしてしまうウィルス」なんてものが蔓延しないとだめなんだろうな(笑)。


●親指シフト関連リンク(Mar.2001追記)‐別タブを開く

日本語入力コンソーシアム(NICOLA) - 親指シフトの総本家。親指シフト関連リンク も充実しているので、関連情報へはそこ経由で行くのが便利。