[ 開発室・見本切替番外・鉄道歴史教室 ]


●過去・現在・未来

* 印付は、WindowsIE6以前のブラウザでは表示不可。

歴史 走行車輌 解説
▼鉄道の発明
ON 鉄道の始まり ロケット号等
鉄道の歴史を開いた Trevithick の機関車 Penydarren号と、鉄道の実用化における重要な存在である Stephenson の Rocket号。
▼近代日本の黎明期
ON 初の蒸機模型 佐賀藩 蒸気車雛形
[ TB規格/10倍TK ]

幕末、長崎に来たロシア艦内で蒸機模型を見た佐賀藩鍋島家の精錬方が、安政二年(1855)に完成させた蒸機模型。日本の鉄道史はここから始まった、とも言える。
* 32px高のTB規格でありながら、1px=1cm縮尺=10倍TKでもある。
ON 一號機關車 一号機関車
1872年の「新橋‐横浜」開通にそなえて、英国から輸入された第一号の機関車。
ON 北海道の開拓 弁慶号等
北海道の鉄道は、本州と異なり米国式で始まった。
ON 輸入電気機関車 ED10等 日本の鉄道、初期の電化を支えた鐵道省の輸入電気機関車たち。
▼日本の挑戦
ON 特急「あじあ」 滿鐵 Pacina 日本の鉄道技術史を語る上で避けて通れない存在。
ON 流線形の時代 C53-43等 上記 Pacina も含めて、1930年代の流線形ブームにおける、日本製の機関車。なお、このシーンには「半流」は含まれない。
ON 試作ディーゼル機関車 DD40等 まだ「標準」が確立する前の黎明期、各車輌メーカーが競って試作したディーゼル機関車群。
ON 145km/h 小田急 3000形等 1957年 9月 27日、SE車が東海道本線上にて当時狭軌最速 145km/hを達成。日本の電車史のエポック。
ON 初の高速鉄道(試作) 1000形 1962年、世界初の高速電車の試作車輌誕生。
ON 初の高速鉄道(営業) 0系 1964年、世界初の高速電車開業。
ON 581km/h MLX01 JR-Maglev が達成した、鉄道史上最速の記録。
2003年 12月 2日、MLX-01 が 581km/hで走行。この記録は、2015年 4月 16日、L0系による 590km/h に塗り替えられ、さらに同月 21日、603km/h に更新された。
防音壁に隠れて、走行車輌がほとんど見えないシーン。
* 車輌以外は同じシーン(小形山橋梁)だが、肝心の車輌もよく見えないため、違いがほとんど分からなくなっている。
ON 603km/h L0系

ON ハイブリッド -1 キハ E200 ディーゼル・ハイブリッド、世界初の営業車 キハE200 の走行システム。
ON ハイブリッド -2 キハ 160-ITT もうひとつのディーゼル・ハイブリッド、モータアシスト式。
気動車は機械式変速機から液体式変速機へと進化してきたが、電気モータ動力をつなぐハイブリッド変速機はなんと機械式構造。電子制御技術の発達により、かつて機械式の問題とされたものが全てクリアされてしまったという事なのか。
ON 燃料電池 クヤR261等 燃料電池による本格的な鉄道車輌が初めて登場した 2006年は、未来の鉄道史において重要な年として記憶されるに違いない。ただ、残念なことに「世界初の燃料電池鉄道車輌」の座はカナダ製の鉱山用機関車に奪われている。
* JR東日本の ne@train は、燃料電池化改造直後の白帯。青帯になったのは翌 2007年である。
* ne@train は、2009年に早くも蓄電池と架線のハイブリッド「スマート電池くん」に改造されてしまった。燃料電池の実用化は予想以上に遠いのかもしれない、と感じた。
ON 軌間可変電車 GCT01等 異なるゲージの路線を通しで運転するための電車。軌間可変そのものはスペインの実例はあるが、日本の場合は新幹線電車の在来線直通が目的なので、構造が複雑で重い電動可変台車と、高速走行の両立という難しい課題をクリアしなければならない。試験車は、1次車が 1998年、2次車が 2007年に登場して四国で試験をしてきたが、2014年の 3次車は交流専用として試験の場を九州に移した。
* 270km/h 走行が可能なところまで達したのは凄いことだが、東海道・山陽、及び東北新幹線では速度不足。3次車が交流専用となったのは、山陽新幹線から直流電化の四国への直通を実質諦めたということか? となると、実現可能なのは九州か北陸か。未来がいささか不透明ではある。
▼デザインのエポック
ON 青大将 EF58等 1956年11月〜1960年5月、東海道本線の特別急行に塗られた淡緑色。
ON 走る芸術 103系 3550番代 加古川線の電車。特筆すべきは、横尾忠則氏デザインになった4つの編成だ。
ラッピング車は、広告だったり、沿線のイメージアップのためだったり、直接間接を問わず、何らかの見返りを期待されるものである。具体的な広告ではなくても、本質は広告的。ゆえに、見る人にプラスの感情を起こさせるようなデザインにするのが通例だ。しかし、芸術という視点から見れば、そんな常識やルールにとらわれる必要性も理由もない。おそらく「沿線出身の世界的画家」ということで深く考えずに採用したのだろうが、相手は芸術家である。完成した作品が、常人の理解を超える代物になったのも当然だ。その結果「芸術作品が電車として走ってしまう」という快挙が実現してしまったのである。大阪万博における岡本太郎の起用と同じぐらい画期的な出来事といえよう。ただ、こちらは、その本当の価値が理解されないまま黒歴史扱いとなりそうな気がする。このような飛び抜けた出来事は、日本の鉄道では二度とないかもしれない。加古川線は、希有な歴史を刻んだのである。
* ……と書いたが、後に JR四国が「アラーキー列車」なる芸術列車を登場させた。二度目があるとは予想外。
* 4編成のデザインの他に「ターザン」と「文豪」をテーマにした2つの絵があったが、ボツになったという。ターザンが叫ぶ姿が列車事故の悲鳴を想起させる、という理由らしい。だが「文豪」もついでにボツにしたところをみると、本音では「もういらない」ということだったのではないか。横尾忠則に依頼するということは、ピカソに依頼するのと同じ覚悟が必要なはずだが、それがなかったわけだ。よく「天才は故郷では理解されない」というが、その言葉どおりの結果になった。とことんやれば「太陽の塔」のように後世に価値を残した可能性があるが、中途半端に終わったのでは、ただ消え去るのみ。見方によっては、もったいないとも言える。
▼歴代(通常鉄道)
ON 特急「つばめ」史 C51等 蒸機時代の特急「つばめ」の歴史。
ON 昼行客車特急史 EF53等 電化区間における昼行客車特急の歴史。
ON 急行「ニセコ」史 C62等 函館本線・急行「ニセコ」の歴史。
ON 急行「アルプス」史 165系等 中央東線の準急→急行「アルプス」の歴史。
* 165系の時代が圧倒的に長かったわけだが、それ以前の気動車時代にも乗ったことがある。松本までの電化が完成する直前に、新宿‐岡谷間の「たてしな」として 165系が登場したが、これに初めて乗った時、子供心に新車の素晴らしさを感じた記憶がある。そんな 165系も遠く去ってしまい、時代の流れを重く感じてしまうのである。
ON コンテナ特急史 EH10等 「たから」から「スーパーレールカーゴ」まで。
ON 横軽電機史 ED42等 信越本線・横川‐軽井沢間、補機の歴史。
* 電化以後のみ。蒸機時代なし。
(変更/リアル勾配+縦拡張
* 66.7‰に傾斜させた勾配表現。ただし CSS3 対応ブラウザのみ。
ON 瀬野八補機史 EF59等 山陽本線・瀬野‐八本松間の補機連結貨物列車の歴史。
* CSS3 対応ブラウザでは、22.6‰に傾斜させた勾配表現となる。
(変更/フレーム拡張+横拡張
* 勾配がよく分かるように、シーンを横拡張させたバージョンだが、CSS3 対応ブラウザのみ。
ON 歴代ラッセル車 DD15等 除雪の歴史。
ON 歴代ロータリー車 DD14等
ON 国鉄 vs 東武 157系等 [ Kids ] 日光・鬼怒川への優等列車対決史。
* 風景は「華厳の滝」と、明治36年に華厳の滝で自殺した藤村操の遺書「巌頭之感」本文。一高生の自殺という事もあり遺書が名調子だったこともあり、当時かなりの話題となり、刺激を受けて自殺した人も多数いたらしい。遺書のパロディが出版物に載ったという、現代なら自主規制してしまいそうな話もあった。おぱく堂がこれを初めて知ったのは、中学時代の校長の講議(月に一回あった)。哲学的な講議内容ではあったが、自分的には非常に面白く聞いた記憶がある。
……てなこともあり、自分にとって「日光」といえば、この「巌頭之感」と「明智光秀天海説」の地なのである。鉄道の歴史と関係ないけど。
(変更/フレーム拡張+横拡張
* 通常のフレーム幅では「巌頭之感」本文をスクロールさせざるをえず、見づらかったので、全文一括表示が可能な幅まで拡張。
ON 東武日光特急史 1720系等 [ Kids ] 日光・鬼怒川への東武の優等列車史。及び、後に東武に乗り入れた JR特急。
* 風景は「東照宮・陽明門」。鉄道からは絶対に見えない風景だが、おもちゃ風 Kids車輌なので「何でもあり」だ。
ON 五能線リゾート列車史 DE10等 [ Kids ] ノスタルジック・ビュー・トレインから、リゾートしらかみ3編成化を経て、青池編成ハイブリッド化まで。
ON 飯田線・歴代形式 119系等 旧国から 119系、さらに313系や 213系 5000番代まで、飯田線歴代の代表的車輌たち。
ON 「トロッコファミリー」史 オハフ17等 1987年から 2006年まで、飯田線(主として飯田以南)を走った「トロッコファミリー」号の歴代車輌。時々走った飯田以北走行時編成もあり。
ON 東海道線2階建グリーン歴代 113系等 JR東日本の東海道線、113系からE233系までの2階建グリーン組込の長編成通勤電車の歴代。
ON 「SLやまぐち」史 C57+12系 1979年から運行を始めた復活蒸機列車「SLやまぐち号」の客車変遷。
ON 「パレオエクスプレス」史 C58+12系等 1988年から秩父鉄道を走る復活蒸機列車「パレオエクスプレス」の変遷。2000年以降は12系客車。牽引機 C58 363は、デフのバリエーション等で色々な姿に変わる。
ON 中央線快速・歴代形式 101系等 東京の通勤電車史。
* ラインカラーを考えると常磐線も必要だろうが、形式が多すぎて、画像を揃えるための描画の手間が膨大で難儀なため省いた。京王以外の大手私鉄がないのも、資料集めから描画までの手間が膨大すぎて不可能なため。
ON 山手線・歴代形式 101系等
ON 中央総武緩行線・歴代形式 101系等
ON 京浜東北線・歴代形式 103系等
ON 京葉線・歴代形式 103系等
ON 京王線・歴代形式 京王 5000系等
ON 三陸鉄道史 36形 車輌歴代。正面画付。
* 但し、2014年まで。2015年以降のラッピング車は未描画。
ON 北越急行史 HK100形等 車輌史の年表。
ON 樽見鉄道史 ハイモ180形等 貨物輸送があった頃も含めた、気動車、客車列車、貨物列車の歴代。
ON 北条鉄道史 フラワ1985形等 車輌歴代……といっても、6輛だけ。なお、フラワ2000-1は、営業列車としては初の 100%バイオ・ディーゼル車となった。
ON 平成筑豊鉄道史 100型 〜 500型 車輌歴代。正面画付。
ON 松浦鉄道史 MR-100 〜 MR-600 車輌歴代。
▼変遷(特定形式/特定機)
ON 木曾 No.9の生涯 木曾森林 No.9 [ 倍TK ] 木曾森林ボールドウィン No.9の生涯。
* これは「鉄道ファン」誌 2006年 6月号の記事をベースにしたシーン。ちょうど同じ頃、WindowsIEが 24bit-PNGに対応するという話を知り 24bitで描いた。24bit-PNG対応の IE7 日本語正式版の登場を待ったため、このシーンの追加は半年以上後となった。
* 実車が非常に小さいこともあり、1px=5cm縮尺の倍TKで描いてある。
ON EF55の生涯 EF55 世界的な流線形ブームの時代に誕生した、流線形電機の数奇な生涯。
ON EF10の変遷 EF10 1次形から 7次形までの変遷。
ON C57の変遷 C57 1次形から 4次形までの変遷。
ON 185系・各色 185系 [ Kids ] 関東の特急形電車、色のバリエーション。正面画付。
ON 781系の塗色変遷 781系 北海道の特急形電車、外観の変遷。
ON キハ183系・各種 キハ183系 北海道の特急形気動車、外観塗色のバリエーション。
国鉄特急色、新特急色、とかち・オホーツク色、HET色、お座敷色、旭山動物園号。
* 0番代、500番代(N183)、550番代(NN183)のみ。形状が異なるイベント専用の 5000番代「ニセコエクスプレス」、5100番代「クリスタルエクスプレス」、5200番代「ノースレインボーエクスプレス」はなし。九州用 1000番代もなし。
ON 681/683系・各種 681/683系 JR西日本(+北越急行)の特急形電車のバリエーション。
但し、1000番代試作編成は、登場時と第一次量産化改造後はなし。第二次改造( 6+3 分割化改造)後のみ。
* 北陸新幹線 金沢延伸直後のサンダーバード編成の方向転換と、リニューアル編成第一弾(683系 4000番代)まで。
直流化 289系も、おまけで追加。
▼運行経路+牽引機(特定列車)
ON 「あさかぜ」(1958) 20系+牽引機 九州と東京をつないだ元祖ブルートレイン、各々の区間での牽引機関車。
ON 「はやぶさ」(1960)
ON 「みずほ」(1963)
ON 「富士」(1965)
ON 「富士・はやぶさ」(2009) 14系+牽引機 最後の九州ブルトレ。
ON 「出雲」(1972) 20系+牽引機 山陰を目指したブルトレ。
ON 「はつかり」(1958) 44系+牽引機 東北と東京をつないだ客車特急、各々の区間での牽引機関車。
ON 「はくつる」(1964) 20系+牽引機
ON 「ゆうづる」(1965)
ON 「あけぼの」(1973)
ON 「SLギャラクシー」(2014) キハ141系700番代+牽引機 復活 C57-239 牽引「SL銀河」用の動力付客車(気動車)の東京へのお披露目イベント列車。
ON 甲種輸送・789系(2002) 各々の車輌+牽引機 新車の甲種輸送の経路と牽引機関車。
ON 甲種輸送・HD300(2010)
ON 甲種輸送・EF510-301(2021)
▼特殊鉄道のエポック
ON モノレールの始まり Schwebebahn Wuppertal にある世界初(1901)の旅客営業モノレール。ランゲン式。
走行車輌は現代のものと、歴史的保存車。実車の大半は広告車だが、シーン中で走行しているのは標準色のみ。
* 開発者の Carl Eugen Langen は、ガソリンエンジンの開発でも重要な役割を果たした。凄い技術者だ。
* 1957年に上野動物園線が開業するまで、世界唯一のモノレール営業路線だった。モノレール史における 56年の空白は何故?
(変更/フレーム拡張+縦拡張
* 路線の大半が川の上にある路線なので、縦に拡張して川まで表現してみた。
ON 日本初のモノレール 空飛ぶ電車 豊島園に誕生した日本初(1951)の常設モノレール。但し、正規の鉄道ではなく、遊具。
* 正規の営業路線としての日本初モノレールは、上野動物園。
ON Maglev 初路線 上海 Transrapid Maglevの開発先進国は日本とドイツだが、世界初の営業路線は結局、中国。世界初の座を奪われたことは、日本人としていささか悔しい。
▼歴代(特殊鉄道)
ON 上野式・歴代形式 H形等 上野式、あるいは改良ランゲン式。日本初の鉄道営業路線としてのモノレール。
* 世界で2番目に開業したモノレール営業路線でもある。
ON アルウェーグ式初期史 試作車等 試作車から、フラット床面化した大阪万博モノレールまで。
ON ロッキード式史 小田急 500形等 歴史といっても、ロッキード式路線は世界で日本のみ。
ON サフェージュ式史 試作車等 試作車から千葉都市モノレールまで。フランスで開発されたが、実用路線は結局、日本のみ。戦後復興への熱い思いとモノレールの発達が重なったことで日本は世界一のモノレール大国となった。
ON 犬山モノレール史 MRM100+200 歴史といっても形式はひとつ。歴代の全塗色と、廃止となった後の保存車輌。
ON 湘南モノレール史
拡張
300形〜5000系 サフェージュ式の老舗の歴代形式。
ON ディズニー・歴代形式 Mk-I 等 カリフォルニアとフロリダの、Mk-I から Mk-VIIまで。
構造的には、すべて初期のアルウェーグ式のまま。それゆえに全高が低く抑えられるため、外見的にはスマートに見える。
ON JR-Maglev 史 MLX01等 超電導磁気浮上鉄道の歴史。
ML100は、鉄道技術研究所(→ 鉄道総研)の実験線。ML-500と ML-500Rは、宮崎実験線・逆T型ガイドウェイ。MLU001〜MLU002Nは、宮崎実験線・U型ガイドウェイ。MLX01と L0系は、山梨実験線。
* 非公開の実験車輌 LSM200(1972)と ML100A(1974)は描いていない。また、模型しか作られなかった MLU003と MLU00X1も省略。
ON HSST 史 HSST-01等 日本のもうひとつの磁気浮上鉄道史。
国鉄の超電導開発とは別に、日本航空が成田空港高速アクセスのために開発に着手したもの。成田アクセスはその後、新幹線 → 在来線 という経緯をたどり、HSSTは宙に浮いた。結局、日本航空が手を引いた後、一種の新交通システム的な位置に落ち着いたようだ。
ON Transrapid 史 TR08等 [ TB規格 ] ドイツの磁気浮上鉄道の歴史。
但し、エムスランド実験線上を走った車輌(1983‐2011)のみ。それ以前、あるいは Transrapid以外のドイツリニア、または上海リニアなどは除外。
* TK規格車輌を一切使わず、他規格(TB)だけで作った走行シーン。当初は TK規格で描くつもりだったが、TR07以前の資料が十分じゃなくて、小さい画像でしか描けなかった……というのが真相。
▼世界一
ON 最大蒸機 BigBoy ビッグボーイのような「ヤケクソ」的な存在(=「そこまでやるのか!」と言いたくなる存在)が好きである。
西海岸と東海岸をつなぐ貨物輸送に関して、海上ではパナマ運河を通らねばならない制約のあるアメリカでは、鉄道こそが貨物の主役。そんな国だからこそ、これほどの機関車を必要としたのだろう。そのことは理解できるが、それにしても……である。しかも「重連」の写真もネット上で見て驚き倍増。
* アメリカのエロ・サイトには男性器を大きくする等の広告がよくあるが(何でそんなことを知っているのか? さぁ、何でかねぇ)、アメリカ人には「大きさへの信仰」のようなものがあるのだろうか。あるいは、文学的テーマとしての「ファロス」と重ねて考えることも出来るのかもしれない。
ON 480‰ PB ラック式(ロッハー式)最急勾配。Pilatus 鉄道。
ON 52° ケーブルカー 世界最急勾配鉄道。Katoomba Scenic Railway。
ギネス記録ではあるが「これは鉄道ではなく斜行エレベータだ」と主張する人もいるらしい。だが、傾斜面と床面が平行である以上、やはりこれは鉄道と言うしかあるまい。
ON 574.8km/h TGV-V150 2007年 4月 3日、鉄レール上では驚異の速度を達成。
日本と比較して非常に有利な条件が揃っているとはいえ、凄い記録である。それ以上に、記録達成に向けての意志の強烈さに圧倒される。フランスという老獪な国が、営業運転に直結しない非現実的と思える記録にここまでこだわるのは何なのか。技術力をアピールしてフランス製車輌の売り込みに有利な材料を提供するイメージ戦略は確かだが、それだけが目的でないような気もする。
* V150は目標速度 150m/s(540km/h)からの命名と言うが、結果はかなり目標を超えている。540km/hを想定した設計でこんな記録が出るとは思えない。隠された本当の目的は日本の MLX01の当時の世界記録 581km/hを超える事だったのではなかろうか。そういう想定の設計だからこそ、こんな記録が出せたのではないのか。V150という名前に騙されてはいけない。
▼少数派のメカニズム
ON プロペラ推進 Shienenzeppelin ドイツの高速鉄道実験。1931年に 230km/hを記録。実用にはならなかったが、鉄道の高速化の可能性を示した功績は大。
* 色々な技術を試み、使えないものが淘汰された末に、今がある。今となっては「使えない」と分かってしまったものを、あれこれ試行錯誤していた時代の方が、ある意味、楽しそうに見える。
ON シェイ式蒸機 阿里山森林鐵路 急曲線の多い森林鉄道などに適したギアードロコの一種。特殊用途ゆえの少数派。
ON 蒸気タービン DRG T18-1001 原子力発電も蒸機タービンであり、一般的には少数派のメカではないが、鉄道においては少数派。
ON ガスタービン キハ07-901等 海外では営業用にも登場したが、それでも燃費と騒音がネックで鉄道では少数派。
ON 空気浮上 I-80等 フランスの空気浮上鉄道、Aerotrainの歴代車輌。
日本やドイツの磁気浮上に対してフランスは空気浮上の道を選んだが、開発責任者の死と TGVの開発成功により撤退。
ON ハイパーループ Hyperloop One XP-1 昔、夢見た未来(参照:真空チューブ列車)を具現化しようとする試み。減圧したチューブの中を、1200km/h超で走らせようとする計画の Phase 2 試験。
* 空気浮上で計画されたが、磁気浮上に変更。その結果、敷設コストの上昇や、チューブ内温度の上昇など諸々の問題が発生した。XP-1 は 310km/h だが、1200km/hはまだ遠い。
(変更/フレーム拡張+縦横拡張
ON 路面+ケーブル San Francisco
Cable Car
San Francisco Municipal Railway (Muni) が運営する世界最古(1897〜)のケーブルカー。
一見すると路面電車だし、交通機関としての機能も路面電車だが、レール間の溝を走るケーブルを掴んだり離したりすることで、走行したり停止したりするシステム。日本で一般的に「ケーブルカー」と呼ばれるものとは異なる。ケーブルを掴むレバーと、路面ブレーキのレバーと、車輪ブレーキのペダルの3つで操作する。運転手(gripman)の力技と技量にすべて(安全性も)がかかっている、という古典的な手法が現存。両側面にある棒につかまる「ぶらさがり乗車(Hang On)」が認められているのも特徴。
ON ロープ+レール スカイレール ローレル賞を受賞した、ロープ駆動式懸垂型交通システム(rope driven suspended transportation system)。
見た目はロープウェイで、実際ロープ駆動でもあるのだが、車輌重量を支えているのはレール。ゆえに分類としてはモノレールとなる。ロープ駆動なのに駅停車が可能なのは、駅停車前後の加減速時にロープから解放されてリニア駆動となるため。一見不可思議ながら合理的な乗り物
ON ケーブル+懸垂搬器 もーりすカー 札幌・藻岩山のケーブルカー。路面傾斜の変化があっても客室床面を水平に保つため、ロープウェイ的な懸垂式の搬器にしてある。この構造はここが世界初とか。
ON 磁石ベルト式 BTM ロープ等に頼らない自立形の車輌としては世界最急勾配(34°)だった、磁石ベルト式輸送システム(Belt type Transit system by Magnet)のシャトル桂台。どういうトラブルがあったのかは知らないが、復旧しないまま廃止となったのは残念である。
ON 逆T字モノレール 月尾銀河レール 逆T字(Invert-T)方式のモノレールはいくつか提案されているが、最初に実現したのが韓国・仁川広域市の月尾島観光用にに作られた Urbanaut System。
……しかし、世界初の逆T字モノレール路線にはならなかった。2009年 7月開通予定だったが、設計図を無視した軌道工事が発覚して、やり直し工事で延期。2010年 4月、運行システム異常で試運転中に追突事故。同年 8月、空車であるにもかかわらず案内輪がつぶれてしまう事故により車輌の致命的欠陥が判明し、開業無期延期。2011年 1月、ついに一度も営業することなく業務放棄に決定した。
* メカニズム的には面白そうな方式だっただけに残念な話だ。
* 実はこのシーンは、開業と同時に公開するつもりで用意していた。だが、営業せずに撤去という結果になってしまったので「試運転時のシーン」という扱いに変更した。
ON 地表集電 Bordeaux トラム 景観妨害をなくすための挑戦。APS(Alimentation par de Sol = 路面給電)による、架線のない路面電車。
ON ソーラー電車 Byron Bay Railroad 2017年12月開業の、世界初のソーラー電車。
古典的気動車を改造した、ソーラー充電による蓄電池電車。
* 世界初のソーラー鉄道といえばインドだが、これは照明や扇風機等のみ。駆動用に使ったのは、Byron Bay が世界初。
* 車両の屋根上に計 6.5kWのソーラーパネルを敷き詰めているが、それだけでは不足するので駅併設の車庫の屋根上に 30kWのパネルを設置し、そこからも充電。さらに、緊急用の予備として、改造元の気動車のエンジンを一基残してある。
* 最高時速 25km/hなので、交通機関としては実用的ではない。「世界初のソーラー」で集客するリゾート地の観光路線だから、超低速でも成立する。
(変更/940px幅に拡張+横拡張
* 車庫を併設した駅の全体像は、フレーム拡張しないと分かりにくい。
▼計画から開業まで
ON Sentosa Express 2007年 1月 15日、シンガポールの観光島 Sentosa に開業した日立式小型タイプモノレールの初路線。企画段階でのイメージ → 完成予想図 → 実車、の変遷をイントロで表現。
* イントロなので本来は一度しか表現されないところだが、走行画面上マウスダウンで、イントロを再現するようにしてある。
ON The Palm Jumeirah Monorail 2009年 4月 30日、アラブ首長国連邦ドバイの人工島 The Palm Jumeirah に開業した中東初のモノレール路線。車輌は日立製。地図 → 周辺風景 → 企画段階でのイメージ → 実車完成セレモニー → 実車走行、を繰り返し表現。
* 鉄道事業者は、人工島を開発している政府系デベロッパーの Nakheel 社。
* この手のシーンを作るためには、路線開業前から目を付けておいて資料集めをしなければならない(開業してしまうと、開業前のあれやこれやがネット上から失せてしまう)ので、数は限られる。
* 公式には 4月末開業になっているが、当時のニュースでは予定が遅れて 5月 5日に延期とあった。4月中ということにしなければいけなかった理由があるのか、ニュースが間違っていたのか。
(参照/ドバイ4鉄道の比較縦横拡張 右枠使用
* Palm Monorail の他、以下の Dubai Metro、Dubai Tram、Dubai Trolley の4つの鉄道系交通機関の同時走行。
* フレーム高がそれなりにあるため、右上フレーム、タイトル文字「Opaku」周辺クリックで、一時的にフレーム高を 80px に戻す機能あり。
ON Dubai Metro 2009年 9月 9日 午後9時開業(但し VIPのみ。一般客は 10日 午前6時から)の、アラブ首長国連邦ドバイの地下鉄(郊外区間は高架)red line。車輌は近畿車輌製。地図 → 企画段階でのイメージ → 完成予想図(走行) → 実車完成セレモニー → 実車走行、を繰り返し表現。
* 鉄道事業者は、RTA(ドバイ政府・道路交通局)。
* 日本の企業グループが受注し、日本製のシステムで日本製の車輌が走る路線というのは、海外であっても気になる存在である。
* はじめ「なんでまた、午後9時なんかに開業式典をやるんだろう」と思ったが、イスラム暦の断食月と重なっていた。昼間は、何もやりたくない時期だから、仕方ない。
ON Dubai Tram 2014年 11月 11日に、約11km(10.6km)11駅を 11編成で開業(例によって、一般客は翌 12日 午前6時半から)した Al Sufouh Road から Dubai Marina をつなぐ路面電車。最終的には 14.6km、17駅を 25編成で運行する予定。モノレールやメトロが日本製だったの対して、トラムはフランス製の地表集電。
* 鉄道事業者は、RTA。
* 開業前の試験走行中10月 2日に、早くも自動車との接触事故発生。踏切すらなかった国で、いきなり路面上で鉄道と自動車が共存する難しさがある。
ON Dubai Trolley 2015年 4月に Downtown Dubai に開業した、水素燃料による燃料電池で動く、屋根なし2階建トラム。米国 TIG/m社製。
* 鉄道事業者は、世界一高いビル Burj Khalifa を建てた政府系デベロッパーの Emaar 社。
* 気温 50°C にもなるドバイで、オープンエアの路面電車が登場するとは…。
* 2015年の段階では Phase1 という短い開業区間の往復運転だが、Phase 2 が完成すれば、Burj Khalifa や Dubai Mall を時計回りに一周する路線となるようだ。
▼過ぎ去りしもの
ON 国鉄蒸機の終焉 9600形等 1975年 12月 14日、C57-135牽引‐225レ=蒸機牽引最後の旅客列車。
1975年 12月 24日、D51-241牽引‐6788レ=蒸機牽引最後の貨物列車。
1976年 3月 2日、79602=蒸機最後の入換。
……そして、国鉄線上から現役蒸機は去った。
* 国鉄以外も含めた本当の日本最後の現役蒸機は、鉄原コークスの S-304と S-205。
ON 現役蒸機の終焉 S-205、S-304 株式会社 鐵原(鉄原)、室蘭コークス工場の蒸気機関車。国鉄蒸機全廃後も働きつづけ、1982年に予備車化、1986年に廃車となった、日本最後の現役蒸機。
* S-205 は、株式会社 テツゲン 室蘭支店、ガス・エネルギー工場内(=現役時代に活躍した場所)に静態保存。
* S-304 は、三笠鉄道村で動態保存。日本で唯一、蒸機の体験運転ができる。
ON 青函航走 青函連絡船 かつて、北海道連絡の最重要ルートだった連絡船。その鉄道車輌の積み込み積み降ろしシーン。
出し入れ三本ずつとしているが、本当は四本。桟橋側三線、船内で分岐して四線格納なので、長いの三本+短いの一本のはずだが、面倒なので短い編成を省略している。
なお、連絡船は、一番有名な津軽丸型(津軽丸/八甲田丸/松前丸/大雪丸/摩周丸/羊蹄丸/十和田丸)のみ。他はなし。どの船が最初に登場するかはランダム。
* シーンはカスタム関数によるが、本当は、汎用性のある航走専用プログラムを作りたいところではある。しかし、どういう仕様の画像を使って、どういう形で設定するものにすべきか、まったくイメージできない。汎用とは難しいものである。
▼その他
ON 青函連絡の今昔 青函連絡船 [ 1/5 TK ]
JR北海道 789系等 [ TK ]
北海道‐本州連絡の歴史。青函トンネル以前と以後。
ON 本四連絡の今昔 宇高連絡船 [ 1/5 TK ]
JR四国 8000系等 [ 半TK ]
本州‐四国連絡の歴史。瀬戸大橋以前と以後。
ON 復旧の時系列
縦横拡張
三陸鉄道 2011年 3月の震災から 2014年夏の島越駅舎の再建までの復旧史。
ON Golden Spike CP 60、UP 119 日本で「新橋‐横浜」が開通する 3年前、アメリカでは Central Pacific と Union Pacific の線路が Utah 州でつながり、大陸横断鉄道の東西がつながった。最後のレールを枕木にとめるために、黄金の犬釘が打ち込まれる、という式典が行われた。その場所は現在、国立史跡に指定され、当時、式典に立ち会った CP 60号機「Jupiter」と UP 119号機のレプリカが動態でイベントを行っている。
* 日本人には馴染みのないアメリカの鉄道史がらみ。西部開拓の機関車が、北海道開拓の「義経」「弁慶」とよく似ているものだ、としみじみ思った。アメリカから輸入したんだから当然ではあるのだが…。
* 日本でも、新路線の線路敷設が完成する時に、最後に金色のボルトを締結する儀式があるとか。そのルーツである。
ON 香港路面電車歴代 香港電車 二階建路面電車、戦後型(1949年〜)〜翻新型(1986〜/現行主流)〜ミレニアム型(2000/168號〜170號)〜近代化改修(2011〜)の歴史と、貸切専用車(28號と128號)、冷房試作車(171號)、VVVF先行車(172號)、VVVF新車(新171號、173號〜)を年代順に走行させた。
* 戦後型以降のみ。1904年からの初期車輌はなし。
* 2000年に登場したミレニアム型(千禧電車)は前面大型一枚窓のモダンな姿だったが、風通しの悪さが不評で、2011年からの改修車と新車は、ドア以外はほぼ昔の姿に戻っている。
ON 曳船機関車歴代 パナマ運河 [ 上面 ]

↑三代目側面は凸型
パナマ運河の閘門を通過する船舶は、電気機関車に曳かれる。その機関車の歴代。上面画。
初代(1914〜)は、アメリカ General Electric 製だが、1960年代からは日本製。二代目は、新三菱重工+汽車+東洋電機。1999年からの三代目は、三菱重工+川崎重工+東洋電機。
* 1524 mm(5ft)というロシアンゲージ+中央のラックレール、及びケーブルが船と繋がっている、という特徴を表現したくて上面画にしたが、機関車そのものは上面より側面の方が形状的には面白い。側面から見れば、GE社製の初代は凹形、日本製は凸形である。
* ちなみに、初代と二代目は、米国領パナマ運河地帯だった頃で、機関車の納入先は米国 Panama Canal Commision(パナマ運河委員会)だったが、三代目は運河がパナマ共和国に返還された後のため Autoridad del Canal de Panama(パナマ運河庁)所属機となる。

* どの車輌にも何らかの歴史的意味はあるが、それを言い出すと全てのシーンが歴史ツアーに含まれてしまう。何をもって鉄道の歴史に関係するシーンか、という厳密な定義がないため、含めるか否か微妙で迷ったものも多々あり、現在はリストアップされていないシーンでも気が変わって含める可能性もある。
* 2012年 12月に、項目分類を変えてみた。


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