Spoiled Children

真犯人は「ゆとり」ではない

Mar.2014

おぱく堂主人・白龍亭主


●ゆとり世代の特徴?

 2014年 2月放送の「ホンマでっか!?TV」は、ゆとり世代特集だった。
 その番組の中で、ゆとり世代によくある事例として、以下のようなことが報告された。

・会社の飲み会に行かない。
・言われたことしかやらない。
・会社で上司に叱られると泣いて帰り、そのまま辞表提出。
・残業でデートに遅刻してフラれ、上司に新しい彼女を探せとクレーム。
・残業すると母親が会社に乗り込んできてクレーム。

 などなど。
 飲み会に関しては、自分も若い頃に嫌々行ってウンザリだったから、行かずにすむ時代が来たのはめでたいことである。
 が、それ以外に関しては、厄介な事例であるとは思う。

 しかし、気になったのはそのことではない。
 前述の番組以外でも、こういう事例を「ゆとり世代」と括って語られることが多いが、それは問題である。
 この世代において上記のような困った事例が増えているのは事実だとしても、それを「ゆとり」という言葉で括ると、あたかも原因が「ゆとり教育」にあるかのように聞こえてしまう。その結果「ゆとり教育をやめれば、問題は解決する」という誤解を一般に与える。
 論理的に考えれば、これは間違いだとわかる。
 そもそも「ゆとり教育」とは学校教育の問題であって、学業成績が低下したか否かの議論に限られるはずだ。
 つまり、上記の困った事例の原因は別のところにあるのであって、それを追究することなく「ゆとり」のせいにしては危険なのだ。
 たとえば、鉄道の脱線事故で考えてみよう。本当の原因は線路の不具合なのに、車両側に原因があるという間違った結論を出してしまったらどうなるか。本当は問題のない車両を改善しようと無駄な努力を重ねるばかりで、事故の危険性はまったく減らないのだ。
* だから、原因追究を妨害した JR北海道の線路データ改竄は極めて悪質なのである。
 本当の原因を考えずに、安易に「ゆとり」のせいにする怖さはそれと同じ。


●真犯人は野放し

 上記の事例の本当の原因は明白だ。
 つまり「干渉しすぎる親」のせいだ。決して「ゆとり教育」のせいではない。

 親は、子供が社会規範を逸脱しないように育てる責任がある。
 だからといって、子供の主体性を認めないで、なんでも親の思い通りにさせようとするのは行き過ぎであり、それを過干渉という。要するに親のエゴだ。しかも、始末の悪いことに、そういう親たちは「愛情だ」という正統性を主張して、それが行き過ぎであるという指摘に耳を貸さない。
* ちなみに、過干渉は精神的な虐待の範疇に入る。
* 厳しい支配的な親だけではなく、一見、甘やかして何でも子供に買い与えているような親でも子供の自我を押しつぶしている場合があるから難しい。

 その結果、どうなるか?
 刺激的な言葉を使えば「親のロボット」になってしまうのだ。
 親の考えに従うしかない人生の結果、自分で考えて自分で結論を出すことができなくなる。番組で紹介されていた問題行動の大半がその結果生じていることだ。

 自分で考えられないロボットなのだから「言われたことしかやらない」のは当然だ。
 自我を抑圧否定されて育ったせいで自尊感情が身についてないから、軽く叱られただけでも心が折れるのだ。
 親が敷いたレール上の走らされてきたせいで、自分でレールが敷けず、レールから外れるはめになった時に他人にクレームを入れるのだ。
 過干渉な親だから、親が会社にも干渉してくるのだ。

 全部、原因は親である。

 たまたま「ゆとり教育」の世代と、こういう親が増えた時代が重なっただけだ。
 そういう問題家庭に育たなかった人々まで「ゆとり世代」として一緒にされたら、たまったものではないだろう。
 それに原因は親にあるのだから、そういう親に媚びて、親のエゴを助長させてはいけない。問題を更に深刻化させるだけだ。にもかかわらず、会社側の対応として「昼食の献立を母親に送信する」なんて話が番組に紹介されていた。目先の対策としては効果はあるかもしれないけど、長い目で見たら大変なことになりそうだ。
* 会社も学校も、理不尽な親たちに甘すぎる。日本人は何でも事を丸く収めたがり、変に相手に譲歩した結果、相手をつけあがらせる結果になることが多い。竹島に軍事侵攻をされても反撃しなかったり、尖閣諸島に基地を置かないでおいたり、事を荒立てないように「配慮」した結果、かえって悪い方向に進んでしまった。モンスターペアレンツが跳梁跋扈してしまったのも、竹島尖閣と同じ構図で、教師などの大人たちが毅然と対峙しなかった結果だ。

 ついでに言うと、同月の別のニュースも気になった。
 東北大学の受験で、用意した送迎バスに一部の受験生が乗れずに、試験開始時刻を遅らせるはめになったという件だ。原因は受験生に同行する保護者がバスに乗ってしまったせいで、バスの輸送量の限界を越えてしまったことにあった。
 阿呆か!
 送迎バスは受験生優先だろ。保護者はタクシーで行け。
 いや、大学は保護者同伴の受験を禁止しろ。そんなもん受験生ひとりで行かせろ。
* 言うまでもないが、介助者を必要とする障碍のある受験生は別だ。こんな当然すぎることでも書いておかないと、クレームを入れてくる人もいるかもしれないからね。
* そういう保護者同伴を学生側が「嫌だ」とか「恥ずかしい」と感じているなら健全ではあるが、それでも「付いてくるな」と言えないのだとしたら問題はあるだろう。

 なんでも「ゆとり」のせいにして目を逸らされている間に、本当にヤバイ親たちが野放しになっている。
 日本の未来が暗い。
* 過干渉親の犠牲になった子供は、ロボットのような行動様式を求められて育ったとはいえ、人間である。抑圧された自我がある。解放されることなく抑圧されつづけると、いつか爆発する。最悪の場合は、無差別殺人事件になる。犯人はたいてい「いい子」であり、ほとんどすべて「殺すのは誰でも良かった」と言い、周囲の人の証言はだいたい「親は厳しかった」である。親の支配が厳しすぎるから反発できずに従順に生きてきたのであり、本当の敵である親を殺せない(本当の敵が親だという自覚すらない)から身代わりを殺すのであり、身代わりだからこそ誰でもいいのだ。もはや定番のパターンである。
* 以前、週刊文春に連続強姦魔の父親の手記が載っていた。そこに「あんなに厳しく育てたのに…」という記述があったが、やっぱりと思った。はっきり言うが、そんなに厳しく育てて追い詰めたから子供は犯罪者になったのだ。強姦とは、強い性欲だけではなく、強い支配欲から来る犯罪だ。性欲だけなら風俗店に行けばいい。そうしないのは支配欲のせいだ。それほどの支配欲求は、親に支配された子供に特徴的な感情であって、有名な事例で言えば、ドイツの独裁者ヒトラーもそれである。厳しすぎる家庭に育った彼は、性欲ではなく政治的な支配によって自分の欲望(=本質は復讐)を遂げたわけだが、根底にあるのは同じものだ。
* いじめっ子の親もだいたい過干渉(あるいは真逆のネグレクトも? どっちにしても、愛着障害という意味では同じ)の傾向はある。抑圧された感情の爆発を、本当の敵である親にぶつけられない分、弱い者に向けているのだ。そうやって小出しに解放している分だけ無差別殺人にまで至ることはないが、抑圧がひどければ弱い者を殺すところまで行く危険性はある。
* 子供にとって家庭は人生最初の「社会」である。そこで過干渉やネグレクトといったつまづきがあると社会への敵意が生まれる。その後、家庭の外の社会でも冷たくされると、社会への復讐に走る者もでてくるのだ。基盤となる家庭が安心できる場所であれば、外の社会が少しぐらい冷たくても耐えられるが、そうでなければ絶望しかない。
* 自尊感情=自己肯定感が少ないと、ちょっとした否定が、全人格否定と同じぐらいの強烈なショックになる。別れた元恋人を殺してしまう事件なんかも、強すぎる殺意の背景にはこれがある。
* これらの犯罪は最近増えただけで、昔からあった。つまり、昔から過干渉な親は存在したのであり「ゆとり教育」のせいではないのだ。