アメリカン・ビューティー


監督 サム・メンデス 出演 ケヴィン・スペイシー、アネット・ベニング、ソーラ・パーチ、アリソン・ジャーニー、クリス・クーパー

mark(2001年2月14日)
 映画を観終って、すぐに気づいたのですが、いくつかの過去の作品からの引用があるのじゃないかと思えました。Dream Works というのはスピルバーグの作った比較的新しいプロダクションでしょうが、こうした引用の巧さ、過去からの下手な真似ではなくて新鮮な感覚を盛り込むようにも思えます。
 冒頭の空撮のシーンは、すでにこの世はいない(ケヴィン・スペイシー演じるところの)主人公の視点でしょう。その視点と、われわれ(観客)とが一緒になって、すなわちここではわれわれは死んだ人の眼から劇を観ることになります。劇中の世代は現代のアメリカですね。主人公が横恋慕してしまう娘の同級生の女の子が、決して美化されているわけでもなく、あくまで彼の妄想の裡だけで跳梁するところに空漠感がひろがり、特に隣に住んでいるヴィデオ・キャメラ好きな男の子が語る感覚の世界は、これを作った人やその世代に多少なりとも共通する部分ではないのでしょうか?
 男の子はドラッグの助けも借りて、この現実の向こう側にある「美」のことを語ります。そのことと、上述した破格な設定、いまはもうこの世にはいない主人公の視点が採用されていることとが共鳴しているように思われます。このキャラクターはどことなくオタクっぽい脇役の出てくる過去作品からの引用でしょうし、そういえば冒頭の鳥瞰図のあたりはフェリーニ風でもあります。彼の語る感覚の世界は、そのままヴィデオ世代でもあるスピルバーグ等の共通して持っている体験なのかもしれません。
 それにしても、大時代なアカデミー賞作品にこれがなってしまうのは、そろそろ世代交代の時期になっている証左ですね。・・・採点としては、あまりにも劇作を意識して人物が戯画的すぎるので『★★★』ということにさせてください。特異な視点を採用している点は評価しますが、童話じみた作風は私の好むものではありません。
しーくん(★★)(2000年5月31日)
ほとんどの方が高い評価ですが、私はダメでした。作品賞を受賞したからといっても、全く観る気は無かったのですが、招待券をもらったのと、スピルバーグが"近年稀な傑作"と評しているので、仕方なしに日本一腐った劇場(千日前国際劇場)に足を運びました。ここのモギリ嬢は「いらっしゃいませ」の一言も言えないみたいです。私も、あきれはてて半券を受け取りませんでしたが・・。モギリ嬢だけでなく、スクリーンは暗くて汚いし、シートも硬いし、音響もそれほど良いとは思えないし・・・違う劇場で見ていたらもうちょっと評価が違ったかもしれませんが・・・・とりあえず、覚えている(良かった)シーンは、サイコ青年が撮った"風に舞い踊るビニール袋"を二人で見ているシーンくらいで、あとはあくびの連発!まあ、こんなによくあくびが出るなあと、感心するくらいでほっぺたが涙でベトベトになった・・・・。とにかく、上映中1回たりとも、笑えない、感動しない、共感できない、驚かない作品が私は一番苦手です。今年はそういう作品を観る事が多く、この前の『ダブル・ジョパディ』なんかも、メチャクチャつまらなかった。とにかく、娘の友人に惚れてしまうシーンにしろ、その友人の一言で体を鍛える予想通りの展開にしろ、もうちょっと演出を工夫してほしいですね。私は演技力というのは、あまりわからないほうですが、母親役の方は、演技をしすぎって感じで(なんか舞台の演技を見ているみたい)ちょっとイライラしました。この感想を読んでお怒りの方もいらっしゃると思いますが、個人的には今年観た中ではワーストの方ですし、「何でこの程度で作品賞をもらえるの?」て感じです。ちなみに、いっしょに観た友人も「なんじゃこりゃぁあああ!」と怒ってました。まあ、ごく少数の意見ということで・・・^^;  それにしても本当に"近年稀に見る傑作”なの?
toto(2000年5月29日)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/2808/
予告編を見る限りでは、この映画自体にそれ程魅力を感じなかったのですが本編を見ると中々味わいのある映画でした。
現代のアメリカを鋭く描いた作品ということで、本国ではアカデミー賞を受賞していますが内容的には比較的シンプルで、それ程珍しくもない登場人物、そして個々が抱える問題が自然にそして丁寧に描かれており、この内容で2時間をあっという間に見せる力量は並の監督では出来ないと思いました。
ケビン・スペイシーは、これまで見てきたどの映画の役よりも大人しく控えめなところがとても良かった。個人的にはロバート・デ・ニーロのようにケビン・スペイシーという役者が出ているからこそ、その映画を見ようという気にさせる数少ない俳優だと思います。そういった意味でこの監督の次回作も勿論楽しみなのですが、ケビン・スペイシーの次回作も非常に楽しみです。
Sue(★★★★)(2000年5月8日)
パンちゃんこんにちは。先日はグリーンマイル載せていただいてありがとうございました。
パンちゃんがいう不完全って、なんだろうと思いながら見てみました。
私もとみいさんの言うように、ケビン・スペイシーが死んだから、誰もが深く考える作品になるのだと思います。
描かれた不完全さによって、描かれなかった完全を個々がそれぞれに思い描く・・・。
そういう意味でグリーンマイルはスクリーンの中で完結されてしまっていましたね。
彼の死で、娘と妻がそれぞれにぎりぎりまで殺意を抱いていたこと、最終的に殺したのが誰かと言うこと、が生きてくる。
そしてそれに絡めた人々のストーリー。象徴的な小道具使い。
その全てに役割があり、無駄がなかった。
話の運びもイライラさせず、ダラダラさせず、まさに丁度良いテンポ。見終わって、夜の12時過ぎに帰って思ったことは、こんな好き勝手にさせてもらってるのに、いつも不満ばっかりの娘でごめんなさい、でした。
みんなそれぞれ不満を持ってることは分かってる。それを自分で昇華しなくちゃね。
そして、不満を言ってもしょうがないだろう、と思われるくらいの努力をしなければ。
川島(2000年5月8日)
★★★★星は4つ。私は結構この映画が好き。
何かを掴まえようとして手を伸ばすんだけどその対象物がすっと逃げていってしまって「?」という感じで一体どうしたらいいの、とびっくりしたりうろたえたりする登場人物の描写の連続。これがおかしくて悲しい。解り合うことの難しさを知りながらもそれを求めてしまう人間の不思議さ。みんな「何か」が欲しくてその「何か」を知りたくて右往左往している。
うん、やっぱりケビン・スペイシーがいいんだと思う。あと個人的には嫌いな女優だけどアネット・ベニングもいい。彼女はヤな女の役をやると本当に生き生きするなぁ。映画の中に笑える(というか苦笑いと言った方がいいか)シーンが多々あるところ+ひねくれさ加減と真剣さ加減の絶妙な按配もいいなぁ。
音楽も良かった。サントラを早速購入。素晴らしい。エリオット・スミスの「Because」のカバーが秀逸。「グッド・ウィル・ハンティング」のときもそうだったけど彼の切ない染み込んでくる歌声がこの映画にホッとする瞬間を与えてくれていると思う。
「へっ?」というようなあのあっけないラストシーンも私のお気に入りだ。こんな事を言うと非常に不謹慎かもしれないけれどケビン・スペイシーは一番幸せな状態で死んだ訳でこれはこれで私は羨ましいと思ってしまった。と、同時に「やっと何かを掴まえたのに!なんてこったい!」という(大袈裟だけど)運命の不条理さに涙も出た。そのケビンを横から覗き込んでフッと微笑んだ隣に住む男の子リッキーに救われた気がした私は少しおかしいのかな。
とみい(2000年5月5日)
tominco@pop11.odn.ne.jp
私の師匠(舞踏家)が、「マグノリア」について、アメリカの家族はここまで壊れているのか、と衝撃を受けたと語っておりましたが、こちらのほうが壊れてる、と評判の映画。
この映画にでてくる人たちって、みんな他者に受け入れられたいんだけれども、その感情がすれちがっていって、残念ながら悲劇に至る。
ケビンスペイシーはいい父親、理想の家族という仮面を脱ぎ捨てることによって、精神的にも解放されていくのに、最終的には救われない。
その流れに、リズムが保たれているところが秀逸。
マグノリアが12人を3時間で描いていたのに対して、こちらは6人(異論があるかもしれませんが)を2時間という枠でやったことが的を射ていたように思えます。
パンちゃんの評に、「ひとりひとりの苦悩に、オリジナリティーがない」とあったけれど、それゆえにそれぞれが身近な存在として、多くの人に衝撃を与えたのでは。
ふと、友達夫婦のことが頭をよぎった。
ここまで深刻にはなってないけど、同じような苦悩を抱えてるから。
家族とは本当に必要なのか、アメリカンビューティーというタイトルが示すものとは……。
見終わってからも、何度もこの映画について反芻してしまっている自分に気づいてます。
ケビンスペイシーが生き残るべきだったかどうかについては、生き残ってれば、もっと好きな作品になったかもしれませんが、その結末ではそんな「考えさせる力」は、この映画はもてなかったと思います。
★★★★★あげていい。
パンちゃん(2000年5月4日追加)
この映画が不全感が残るのは、ケビン・スペイシーが最後に死んでしまうからだと思う。
死んでしまって、ひとつの「物語」が完結するのではなく、やはり生き続けて、ああでもない、こうでもないというどたばた、それを乗り越える人間の力というか、幅を描かないととても後味が悪い。
ウディ・アレンと比較していいのかどうかわからないけれど、ウディ・アレンなら、この映画をケビン・スペイシーの死ではなく、生き残ったままの姿で描いただろうと思う。
生き残っていたのなら、この映画は大変おもしろく、味わいの深いものになったという気がする。
人間の実体というのは、やはりおかしく、かなしく、いろいろあるけれど、やはり許しあって、笑いあって生き続けるというものであってほしい。
パンちゃん(★★★)(2000年5月3日)
デジタルビデオのシーンが最初に登場する。それがこの映画を象徴しているように思う。
人間は肉眼を持っている。目で何かを見る。ところが、この映画の少年はすべてを(美しいと思ったすべてを)ビデオにとって見つめる。
ビデオ撮影して見ることは、見られる側からみればカメラという間接的な機材をとおして見られるということであり、そこには間接的な冷たさが存在する。また、それが記録として残るということは、撮られ側にしてみれば何か自分が(自分の一部が)かすめとられたような気持ちにもなる。つまり、自分が今ここに生きている具体的な人間として直接的にとらえられていないという違和感が残る。
この違和感----それが、この映画全体をつらぬいている。登場人物のひとりひとりが、直接的に相手と向き合っていない。自分のなかにある相手のイメージと自分が抱く感情とのずれのようなものに苦しんでいる。自分が正当に評価されていない、正当に愛されていない、という「すきま」のようなものに苦しんでいる。そして、そのずれとすきまが少しずつずれて、拡大して行く。ひとりひとりの「美意識」がそのずれ、すきまをさらに拡大する。それがおかしくてかなしい。
ただし、このひとりひとりの苦悩というのが、あまりオリジナリティーがない。どれもこれも、どこかでみたことがある、という感じだ。
それを救っているのは出演者の演技力だ。ケビン・スペーシーもアネット・ベニングも、日常的なずれ、すきまを非常にくっきりと描いている。たの登場人物もとても丁寧に人物を描写している。映像的な新鮮さ、おもしろさというものには欠けるが、演技によって造形される人間の姿がとてもおもしろい。
しかし、まあ、映画的というよりは芝居のような作品だった。
JO(★★★★☆)(2000年2月12日)
今年のオスカー最有力候補。
カッコーの巣の上でやレイジングブルの様に、余りにも感情を揺さぶる映画なので上 映時間が長いわけでもないのに疲れる。キャラクターと役者の素晴らしさは近年に珍 しいくらい。脇は無名で固められているのに彼等の存在感はすごい。特に新人ウエズ ・ベントリーの目。
そして脇役全てにドラマがあるのは秀逸。二回目に見た時は‘隣のお父さん’(クリ ス・クーパー)に視点をおいて見たらかなり面白かった。前から好きだったアネット ・ベニングの迫真の演技は突き刺さってくるし。
しかしながらケビン・スペイシーが期待以上の素晴らしさのせい(?)で、彼がスク リーンに映っていない場面で少しテンションが下がる。しかしそんな贅沢な見かたを してしまうくらい出来が好いとも言える。
ジャンルとして見られない映画だが、実は脚本の時点ではかなり犯罪ミステリーの要 素が強かったらしい。結果的にはアイス・ストームの設定にとカラー・オブ・ハート のテーマを混ぜた感じか。つまり抜群の出来。
映画監督は始めてのサム・マンデスがオスカーを取るのは見たくはないが、彼の才能 がここで爆発しているのは否定できない。
この映画のシンボルは赤。眩しいくらいの赤に注目して見て欲しい。