愛を乞うひと

監督:平山秀幸、出演:原田美枝子様(二役)、野波麻帆、中井貴一

立花(10月31日)
mhiro@ask.or.jp
東京での公開が最終日の今日やっと観てきました。
面白い、面白くない。という観点から見ればとても面白い映画だと思う。
面白い。といってしまうのがはばかれるような重いテーマを孕んでいてもです。
人が人を好きになったり憎しみを感じたりすることは理屈で説明がつくことではないんですよね。その不可思議なところがとてもリアルに描かれていると思いました。照恵のラストの独白はミステリーで言えば”どんでん返し”を見せられたような面白さがあります。
そうなんですね、この映画はリアルに見えながらリアルではないんですよね。
それは例えば平山監督自身が 「統計学的に言うと、折檻を受けた子供は自分が親になったときに、百パーセント必ず次の世代に同じ事を繰り返すらしいですよ。」と言ってるし、さらに「僕としては、現代社会の親子関係とかに興味があってこの映画を作ったわけではなくて、あくまで娯楽映画を作ったつもりなんです。」と言っていることからも明らかです。
そしてこの映画を娯楽映画に仕立てるために登場人物のキャラクターを設定し展開が窮屈にならないように脚本が練りこまれているのだと思います。
この映画を深刻に受け止めた人にとってはがっかりするようなコメントですが。
逆に言えば映画という物の本質に気づかされた思いがしました。
観終わった時は、とても感動して涙した映画だけど今はちょっと複雑な気持ちです。
それでもやはり星は ★★★★
パンちゃんが言ったとおりラストのサトウキビ畑のシーンは泣けて泣けてしかたありませんでした。
石橋尚平(10月6日)
shohei@m4.people.or.jp
『愛を乞うひと』をもう一度観てきました(笑)。
しかし、二度目もやはり泣いてしまいますね。誰か友達誘ってとにかく見せたかった のですけれども、やはり泣く映画は一人に限ります・・・。
金券ショップで、チケットが900円で手に入ったことから、まあ二度観て一度の料 金だってこともありますけど、やはり、この映画もう一度観なければなりません。
というのは、この映画、映画の出来、原田美枝子さんの素晴らしさもさることなが ら、台湾が出てくるということもあります。一度目で本当に注意してじっくり観たの で、特に新しい発見はなかったのですけれども、照恵と深草の台湾での探索が、私が 旅行で行ったところと非常に近いところで撮られていることを再確認して感激しまし た。
台湾で叔父の息子にいろいろ振り回されるあの階段の多い街は、侯孝賢監督の『非情 城市』でもおなじみの九分という街(かつての炭鉱街)です。私も同じようなところ を歩き回った(くたくたになった)のですけれども、二人と全く同じ所は特定できま せんでした。
それから、王夫婦に再会するために二人が乗った青いローカル線がありますね。トロ ピカルな風景をバックにして走る・・・。あれは台湾中部の集集線(チイチイシェ ン)というローカル線で、休日は観光客が乗りに来る、けっこう有名なローカル線で す。かつてはバナナやパイナップル等を運んでいたらしくて、この映画で豊子が唄う 『バナナ・ボート』にも対応するんですね。深草が豊子の居所を調べたことを照恵に 伝えるのはこの車中ですけれども、ここもつながりがありますね。私は二人が降りる 終点駅まで行かなかったのですけれども、日曜日だったので鮨詰の車内(冷房ないか ら、ドアは開けっ放し)でした。おそらく車両は貸し切りを使っているのでしょう。 アッパー(お父さん)の生まれ故郷『ソアラ(沙鹿)』という地名がでてきますよ ね。でも、この地名は肩すかしで全く意味がなかったんですね。まあ、最後のサトウ キビ畑はソアラなんでしょうけど。でも、エンド・クレジットの協力先によれば、あ のサトウキビ畑は遥か離れた台湾南部のはずなんですけどね・・・。サトウキビ畑 は、台糖という会社の畑みたいです。これは南部の屏東(台湾第二の年高雄の少し 南)の方にあるんです。ここに私は行きたかった(あるいはできるだけ早く行きた い)のですよ。『クーリンチェ少年殺人事件』という映画で、ロケに使われているの が、この会社の工場内の施設だからなんですね。この施設も近々 取り壊されるらしいんで・・・。サトウキビ畑と一緒に観に行きたいですね・・・。 すみません、台湾の話で長々と・・・。でも、一度台湾訪れてみるといいですよ。あ まり、いいイメージを抱かれるような描き方がされていませんが・・・。しかし、 おっしゃる通り、サトウキビ畑のロケの日に青々とした空が広がっていなかったのは 本当に残念です。黒澤だったら何日も晴天を待ち続けるんでしょうね・・・。そうそ う、黒澤と言えば、亡くなる前に予定していた次回作が原田美枝子さん主演の作品た たそうですね。『海は見ていた』とか言う。遊女たちの話らしいですけど。
次にこの映画、オープン・セットも素晴らしいんですよね。東京の下町をセットで再 現しているんですけど、これが素晴らしい。勿論、私はあの時代の建物や、地理的に も東京東部の下町をそれほどよく知っているわけでもないんですけれども・・・。で もこの映画的な空間は何かゾクゾクとくるものがあります。話に聞くお化け煙突や隅 田川花火も映っていたりします。都電が走る三ノ輪橋(荒川区)の辺りなんですけれ ども、当時の都電車両は現在函館市で使われているそうで、だから一部は函館ロケだ そうです(照恵が豊子から逃げるところとか)。あの和知のお父さん(『女の子だか ら顔はやめて下さいよ・・・』)と住む狭い長屋に初めて、照恵が入ってくるとき、 近所の人たちの動きがいいんですね・・・。ソーメンを茹でてて、ボーッとしている 自分の娘を繰り返し呼んだ後、照恵と武則にイモをあげるとことか・・・、家族が卓 袱台でご飯を食べている時に、子供がTVが欲しいと言うと、『うちわね、○○ちゃ んところとは違うんだよ』と答えるところとか・・・。
周知のとおり、この作品はモントリオール国際映画祭で批評家連盟賞を獲ったのです けれども、その前年に同映画祭でグランプリを獲った『東京夜曲』も東京の下町の オープンセットなんですね。しかも東京の架空の街なんですよ。あの世界もなかなか ゾクゾクとくるものがありました。市川準は『東京兄弟』とか『トキワ荘の青春』と かはあまり好きではないんですけれども、『東京夜曲』はすごく好きです。桃井かお りが素晴らしいですね・・・。
さて、私は『愛を乞うひと』の高低の感覚が気に入っています。豊子が文雄と愛し合 うのは雑貨屋の二階だし、照恵が折檻を最も多く受ける和知家も二階なんですね。こ の二階っていうのがなかなか意味があると思います。豊子が文雄に熱い愛情を叫ぶの も、折檻をするのも、豊子の熱情なり狂気なりが迸るのは二階なんですね(勿論一階 でも暴力をふるいますけど・・・)。面白いのは、何度目かの折檻の時、二階の階段 のところから、豊子が照恵に『飛んでみな』というところですね。嫌がる照恵ととも に二人は大きな音をたてて転落する。ここで玄関に二人はうずくまります。また豊子 は怒るのですけれども、眠りを妨げられた近所の人たちが見物して文句言う中、和知 のお父さんは、豊子の酷い言葉に怒って、豊子の頬を叩きます。そう、怒る父親が顔 を出すのは、豊子が地面(階下)にうずくまる時なんですね。冒頭そして後半にもう 一度繰り返される、文雄と照恵が土砂降りの中荒れ狂う豊子を捨てて台湾に向かう シーンでも、豊子は泥濘にうずくまります。後、豊子が妊娠を知って呆然としている 時も土砂降りの中で、雨の中にうずくまりますよね。いずれもこの映画には不在の 『父親』なり『男』なりが現出するのは(女を捨てる、妊娠させる・・・)、豊子が うずくまっているような、低い姿勢にある時なんですね。二階にいる時は手がつけら れないのに・・・(笑)。
そう、この映画には『父親』が不在です。出てくる男はみんな柔らかい男なんです ね。中井貴一が演じる陳文雄も弱々しくて人がいいだけだし(人種のコンプレックス も感じられる)、友達の王さんも強い父じゃないですよね(飄々としたいい味をだし ているけれども)。後、台湾の感じの悪い台湾のアッペー(叔父さん)も、強い家長 のイメージではない。武則は成人して中年になっても父親にはなれず、警察にご厄介 になります。
それから、照恵が豊子から逃げ出すシーンがありますよね。都電が走っている函館で 撮られたシーンです。武則が豊子を抑えて、逃げ出すあのシーンも坂道を下って駆け ていくんですね。アッバース・キアロスタミの映画のジグザグ道を登っていくのでは なくて・・・。函館だから当然坂道が多いんでしょうけれども、これが下り坂なの は、素晴らしいと思います。賭けてもいいですけれども、監督が下手な人だと下り坂 にはしないと思います。この下り坂 はすごく意味がある・・・。そう、これも『二階』からの脱出の象徴なんですね。だ から下に降りて行く・・・。そして、ここで武則も男になるんですよ。豊子は武則に 腰を掴まれて、中腰のまま暴れる・・・非常に象徴的です。さらに、照恵と深草の台 湾での探索シーンも階段の町(九分)を下って行くシーンが多いことも付け加えてお きましょう。
こういう演出って、もう生理的な感覚だと思うんですね。監督が意味を込めて、すば らしい演出を計算したというわけではなくて、素晴らしい映画に表れる『映画』その ものの凄さだと思うんですよ。どうしてもそうなってしまう。そしてそれだからこ そ、見ている我々はゾクゾクっというものを感じるんではないでしょうか。この映画 のパンフレットで、平山監督は、『映画が手を離れて一人歩きした』と仰っているん ですね。そうでしょうね。これは映画が一人歩きしている映画なんですよ。
実を言うと、私は『プライベート・ライアン』にもこういう『映画』的な高低の感覚 を感じたんですね。あのフランス人の女の子が出てくるシーン(半壊した家の『二 階』と、戦場そのものの階下、そしてうずくまる二等兵)と、最後の戦闘のシーンで す。この高低の感覚は本当に素晴らしいなと思いました。これって言葉で説明できな い素晴らしさだと思います。
考えてみれば、あのフランス人の女の子と照恵とでは、親ならびに『二階』との関係 が対照的なんですね。前者は『二階』に二等兵に引きずり下ろされ(父に降ろさ れ)、後者は『二階』から逃げる(母に一緒に突き落とされる・・・)。
それから、この映画の素晴らしいのは音響効果です。これも二度目の鑑賞ではじっく り聴きました。特にビューティ・サロン・トヨコでの照恵との再会のシーンですね。 この映画は土砂降りの雨の音で始まるんですけれども、その音がここでも繰り返され るわけですね。煙草を買って来た豊子が姿を表し、アップのスローモーションになる と、雨の音は止みます。それから照恵と深草が店の中に入っても、雨の音は続きま す。豊子が土砂降りを嘆き、照恵の毛先をつまんで、額の傷に気づくと、再び雨の音 は止みます。ここからが素晴らしい。沈黙と鋏の音なんですね。この鋏の音が本当に 素晴らしいです。私、たまたまこの映画監督(平山さん)の前作『学校の怪談』での 音響効果をレポートした番組をTVで観たことがあって、その時は音響効果も大事な 仕事なんだな・・・と思ったんですけれども、その技術がここでも使われているわけ ですね。折檻されて幼い照恵が嘔吐する時の音、柱に激突するときの音・・・。そし て、この場面での二人の沈黙と鋏の音・・・この凶器にもなる鋏の音が本当に素晴ら しい・・・。下手な監督なら、ここで湿っぽい音楽をかぶせるんでしょうね。そ りゃ、まずいでしょ。
それから、髪を切る(梳く)という母娘の位置関係がかつてと逆になっているわけで すけれども、これは昔観た『海燕ジョーの奇跡』でも同じことやっていましたね。お そらく、他の外国映画にもあるんでしょうね。こういう映画的な設定は。あちら (『海燕・・・』)は息子だと気づかないフィリピンの父親が無造作に時任三郎の髪 を切るだけで、特に感動もないんですけれど・・・。
原作の『愛を乞うひと』では、母と再会しようと娘が決断するところで終わるらしい んですね。そう、これは映画を作るに当たって、どうしても母娘の再会シーンの緊迫 を描きたいという映画が一人歩きしたシーンなんですね。映画だからこそ、映画的な 空間と感覚を駆使してこの原作にないシーンを作っている。髪を切る行為とその音で すべてが説明される。沈黙と鋏の音・・・。高まる緊迫。本当に素晴らしいシーンで すね。
さて、髪をわずかに切って、豊子が二千円を要求して照恵が呆然としていると、突然 扉が開いて、豊子の現在の夫と覚しき男性が入ってきます。ここで、カモメの鳴き声 と雨の音が入ってきます。この夫の言葉もいいですね。自然で。『ずぶ濡れになっ ちゃったよ・・・』という。そして照恵に『いらっしゃい』と声をかける。この人も 柔らかくて父親の感じがしませんよね。
私、豊子が照恵の前髪をわずかに切る行為と、最後の広大なサトウキビ畑のほんの一 部を刈り込む行為はつながっていると思うんですね。ここでも母娘が同じ行為を繰り 返しているから、我々は感動するわけです。照恵の前髪の下には傷跡があり、サトウ キビ畑を刈った跡にはお父さんの墓が作られる(お骨が埋められる)・・・。非常に 象徴的ですね。
私、パンちゃんに感謝したいのは、あのサトウキビ畑を指摘していただいた点です。 そうなんですよね。あのラストの照恵の笑顔が本当に素晴らしいんですよね。少女の ような輝きで。いいですね。晴れていたらもっと良かった・・・。そう、この映画は 一面のサトウキビ畑の俯瞰で終わるわけですけれども、これも照恵が大地に足をつけ ている、もう『二階』ではないことの象徴であることは言うまでもありません。
最後に採点でも書いたバスの後部座席のシーンに触れないわけにはいきません。あの シーンは本当に奇跡的だと思うんですね。夕日が差し込むタイミングが本当に絶妙で すから。勿論、リハーサルで夕日を計算して撮っているんでしょうけれども、それで もあんなに見事には撮れないでしょう、普通は。照恵が『私の母さんは十七の時に死 んだんだよ』という言葉を吐いた瞬間、原田美枝子さんに後光がさすかのように、後 部の窓から夕日が差し込むんですね。それまで車窓の風景に隠れていた夕日が・・ ・。本当に絶妙のタイミングです。それから、深草が『可愛いよ、お母さん』と言っ て、照恵が『泣いてもいいかな・・・』という時にも、弱い夕日が周りからさしてく るんですね。これはもう奇跡としか言いようがない。素晴らしいですね。本当に泣く しかないです・・・。映画の神様に愛されているんでしょうね。
本当に長くなってしまいましたけれども(まだまだ語り尽くせないんですけど、実は ・・・)、『映画』との遭遇って本当に素晴らしいなと思います。このメールで、 『素晴らしい』を何度繰り返していることでしょう。ただ、もうそれ以上の表現がで きないんですね。
パンちゃんもいい映画に出会いますように・・・。
P.S.
照恵が父のお骨を探し出してもらう区役所は、私が住んでいる区(杉並区)の区役所 なんですね(またも感激)。女性職員を演じた酒井さんはやっぱり役者なのかな?
  今度見てきたりして・・・。
のっぽさん(★★★★)(10月4日)
fwke1166@mb.infoweb.ne.jp
最近、この映画ををはじめ、「虐待」や「被虐待AC(Adult Children)」を題材とした映画(映画に限らないが)が多くなってきている。
昔からこの手の話題はアメリカでは多かったが、日本で取り上げられるようになったのは、ここ数年の話ではないだろうか。それだけ広く一般にも浸透しつつあるこのテーマーは、これからの家族のあり方や親子関係、果ては人格形成を考える上で重要になってくるような気がしてならない。
さて、この「愛を乞うひと」であるが、正直いって感動した。泣けた。
感動したシーンや、泣けたシーンの素晴らしさ、そしてこの映画のタイトルの意味については他の方々の採点簿に記載されていたので、ここでは敢えてその他で私が感じたことを記載する。
主人公が父の遺骨を探し台湾に出向き、そこで再開した熊谷真美扮する老婆が「私が思うに、昔なにかあったんじゃないのかねえ」と語るシーンがあったが、願わくばその母親がどのような家庭環境で育ち、そしてどのような心の傷を負って成長したのかを盛り込んで(そのあたりは映画を観た人間それぞれで感じて欲しいという作者の意向かもしれないが)欲しかった。概して虐待をする親自身も苦しんでいるものである。もう少しそのあたりの苦悩も表現できていればなお良かった。主人公だけでなく、母親にもなにか救いの手立てを描写して欲しかった。
それと、「虐待」についての話。ともすれば肉体的暴力を行使する母親だけが「虐待」していたと思われがちだが、そうではない。子供時代、折檻されお岩さんのように腫れあがった子供時代の主人公の顔を見て、「これは使えますねえ」と、一緒に物乞いをしていた義父。母親に折檻されているにも関わらず、「顔はやめてくださいよ、女の子なんだから」といって見て見ないフリをしていた義父。彼も母親と同じく「手を下さない虐待」をしていたのである。彼はそうする母親を支持する共犯者であり、彼も母親と同じく心が病んでいる。この映画では、典型的な「虐待」する夫婦の関係もリアルに描かれていたところに感心した。
それから、主人公が母親になり、娘に「こそこそしないでよ、うそつき!」と非難されるシーン。主人公は母親のように、肉体的暴力を行使する「虐待」こそしなかったが、結局母親とそっくりで心を閉ざした人間になってしまったのではないか。このあたりの描写も実に巧みであると感心した。
まあ色々ラフなところもあったが、総合的にはかなり素晴らしい作品であったと思う。「臭いものには蓋」的な考え方がまかり通っていた日本で、このような「家族の闇」を取り挙げたこの映画は評価できるのではないか。
最後に、映画とは関係ないが、映画館での出来事。私の隣にいた女性(おばさん)が、先に述べた主人公が義父と一緒に物乞いしていたシーンをみて、くすくす笑っていた。このような人間としての大切な感情がどこか欠落している人間がいる現状に、憤りを感じずにはいられなかった。そんな人間のためにも、このような映画はどんどん作られるべきであろう。
私の採点は、星4つである。
パンちゃん(★★★★★)(10月3日)
泣きました。泣いて泣いて泣きじゃくるくらいでした。で、最後は、台詞を聞き漏らしてしまいましたねえ。
私が泣いたのは、最後のサトウキビ畑のシーン。空が青くなかったのが残念ですが、いやあ、こんなシーンが最後にあるなんて……。
原田美枝子が「かあさん、泣いてもいい」というところまでは、原田美枝子の演技に感心して、泣く余裕はなかったし、そこで終わったとばかり思っていましたが、そのあとにサトウキビ畑。原田美枝子の宝石のような笑顔。娘のはればれとした表情。広い広いサトウキビ畑の広がり。
「愛を乞うひと」というタイトルがしめすように、原田美枝子の演じるニ役の女性は、どちらも愛されることを必死で追い求めていたんですねえ。
裏切られても裏切られても、それでももしかしたら母は私を愛しているかもしれない----そう思いつづけて、母を探し出す。で、再会して、やっと母は自分を愛していないのだと気づく。自分が求めているようには愛していないのだと気づく。
その絶望の縁から、ふわっと一つの命が輝き始める。愛を乞うのではなく、愛してしまう。娘を愛することができない母のどうしようもなさを愛してしまう。あきらめることが愛だと知る。見送る母は母で、突き放されることで自分が愛されていたんだとわかる。そこがよかった。
そして最後のサトウキビ畑。
原田美枝子は、母の愛を求めるばかりで、自分を愛している人がいたことを半分忘れていた。愛している人間がいることに気づかないくらい、彼女は母の愛を求めていたのだ。でも、母から愛されることを求めなくなったとき、彼女を真剣に愛してくれた人がいたことに気づく。父だ。その父の風景を自分の存在のよりどころとして、しっかり感じる。自分という存在が、そのとき確立される。
鏡をつかって天井に光を反射させ、「あれが台湾。広い海の中にぽっかり浮かんだ故郷」と聞かされているときは、その天井のひかりそのまま、単なる譬喩だったものが、最後の最後で本物の存在になる。彼女を愛してくれた父の見た風景、かいだ風の匂い、サトウキビの色--それがみんな原田美枝子のものになる。
いいなあ、あの笑顔。愛を乞うひとから愛するひとにかわって、ゆったりと生きている。
すこしぎこちなかった中学生の娘との関係も、なんのわだかまりもなく、晴々していて、サトウキビを刈る二人が本当に楽しそう。
思いがけなかったシーンだったので、本当に、わーっと涙があふれてきました。
(最後のサトウキビ畑以外のシーンの素晴らしさは、9月26日に石橋さんとダグラス・タガミさんが書いているので、省略しました。)
石橋尚平(★★★★★)(9月26日)
shohei@m4.people.or.jp
台湾が出てくるだけでも思わず映画館に足を運びたくなるのに、この映画、原田美枝子、もとい原田美枝子さんが熱演なさっていらっしゃるではないですか! 原田美枝子さんは映画の予告編からして何かただならぬオーラを発していらっしゃいましたが、本編でも予想に違わぬどころか、それ以上の素晴らしい存在感をフィルムに残していらっしゃっていました。私、今度、貴女(原田美枝子さん)をTV番組等でおめかけしたら、あの涼しげな表情を浮かべた理知的なお顔だちを前に思わず合掌してしまうでしょう。それくらい素晴らしい。思えば私は中学時代くらいから仄かな憧憬を年上の貴女に抱いていたわけですね(理知的な女性に弱いといまだによく言われますけど)。特にスクリーンや雑誌での接点を持たず、TVドラマでたまに拝見するだけで、少しの露出に多大な神々しさを貴女に感じていたものです。それがこの年になって、素晴らしい貴女の姿を拝見できるなんて、本当にこの映画のストーリーをなぞるような感動です。この映画を観て泣かずにはいられません。この映画、貴女がおっしゃるように、脚本が素晴らしい(さすがご自分で小説をお書きになる才媛でいらっしゃいますね)。普通、つまらない日本映画は感動させようという邪心でディティールや映像を圧殺してしまいがちなんですけど、この映画はすでに脚本が立っていて、繰り返されるディティールが涙を誘います。また、貴女のオーラに触発されたかのように、他の役者も素晴らしい。國村準が素晴らしいのは当然だとしても、うじきつよしも小日向文世も熊谷真美も、娘役の野波麻帆ちゃんも、そして折檻に耐える子役も型にはまらず、皆素晴らしい。中井貴一以外はみんないい。これも貴女の強い影響力のような気さえします。最後の10分は余分かなと思ったのですけど、しかし、バスの後部座席のシーンで、貴女の素晴らしい台詞が途切れる瞬間に、それを見越したかのように、絶妙のタイミングで夕日が車窓から貴女のお顔に差し込むではありませんか。それを私は貴女様の後光のように有り難く拝見して、思わず手を合わせてしまいました。目に涙を浮かべて。ヤクザ演れば日本一の素晴らしい俳優であられる御主人の石橋凌さんはおそらく本名だと存じますので、戸籍上おそらく貴女と今同姓であることは本当に光栄です。来年2月には今まで馬鹿にしていた日本アカデミー賞授賞式も是非拝見します。貴女の笑顔をとにかく拝見したいですから。
ダグラス・タガミ(9月26日)
douglas@msc.biglobe.ne.jp
プライベートライアン後ちょっと休憩してから観ました。
同じく初日。しかし、客席は、3割いくかどうか。そのほとんどがおばさん。
結論は、2回泣きました。(ライアンでは、泣くひまはなかったのですが)
原田美枝子、きれいですね。あのいじめるお母さん役、綺麗だったな。
本当に。それだけに、余計こわかった。
母親に本気でいじめられる経験は、私にはないです。あそこまでされても、親を好きでいられるものでしょうか。わからない。
親だからこそ、私だったら許せないですけどね。
親と子ってわからんです。まだ親になってないし。
それにしても、あの折檻の場面は壮絶でした。本当に殴っているようにしかみえないですからね。凄かったです。
つまらない事なんですけど、娘時代の義父役のモロ師岡。「キッズリターン」といい、良い脇役になりましたねー。
(オールナイトフジの頃は、面白くなかったけど。)
親と子って何なんでしょう。これはわからなかったです。最後まで。
まだ、義父が良い人なので救われました。どう良い人かは、見てみてください。
ライアンはなかったですがこの映画は、公的教育機関の推薦がめちゃ多いです。
何故、北海道内関係で10団体くらいがあるのか不思議でした。ロケのタイアップもなさそうでしたから。不思議です。
星は4つ。秀作です。
減点は、私としては、最後の会う場面はいりませんでした。会いに行くところで終わって良かったと思います。一人二役だったので。感情移入が切れてしまった。
どっちつかずになってしまった。
しかし、すべてカラーで撮りきっているのが良かった。白黒やセピアで逃げないでも、時代感は出ていたので。
親子で見たほうが良いかもしれませんね。この映画は。