永遠と一日

監督 テオ・アンゲロプロス 主演 ブルーノ・ガンツ、イザベル・ルノー、アキレアス・スケヴィス

takoyan(2000年8月2日)
たいした内容ではないのですが(笑)文字化けが嫌なのでこちらから送らせてもらいました。
永遠と一日のDVDを購入しました。
うーん、難しい、難しいぞ。皆さんの感想を読ませてもらって、ああ、そういうことなのかなあ、なんていろいろと考えさせてもらっています。
ラストの「明日の時の長さは?」「永遠と一日」という言葉。過去に詩人は「永遠」に出会うことが出来たかもしれないのに「一日」を選んでしまいま す。
詩人はこれまで19世紀の詩人を追ってきました。僕なりの解釈ですが、これは詩人が19世紀の詩人から言葉を買ってきた、ということではないで しょうか。
しかし、死を目前とした詩人に19世紀の詩人は何も答えてくれません。「明日の長さ」を選択するのは彼自身ではないといけないから・・・。内なる 妻も「永遠と一日」としか答えてくれません。彼は自分自身での決断を迫られます。これが「彼の言葉」だったんじゃないでしょうか。
パンちゃんさんがいうように、これは悲劇なのかもしれませんが、「言葉で妻を連れ戻す」というセリフには希望を感じました。
本当にうつくしいということばがぴったりの映画でした。
まだまだ理解できないところがたくさんあるので明日2度目に挑戦します。
satie(★★★★★)(1999年7月22日)
satie@xa2.so-net.ne.jp
暫く振りにテオ.アンゲロプロスの新作を観ることができた!『ユリシーズの瞳』以来四年振りの再会である。
“再会”などと書いたが、『旅芸人の記録』という僕のこれまでの生涯における最良の映画を与えてくれたTheoのその後の作品は、どれをみても先ず最初に懐かしさが込み上げてくるのだ。
人生は旅にして、行き交う人もまた旅人なり、というように詠んだ人が我が国にもいたが、アンゲロプロスも彼の作品の登場人物も皆旅する者だ、と思う。
その途上で出会い、おそらく再び出会うことのない風景や人々と偶然に再会できたような至福につつまれる!
『霧のなかの風景』でもあの無口な旅芸人一座や、未だにバーで働く恋人に捨てられた女性(蜂の旅人)に再会し、今回もあの黄色いレインコートの男達の三人が自転車で登場してくれた。そして何よりも懐かしいあのアコーディオンの響き!
孤独な彼らは常に過去、現在、幻想、現実に翻弄される。
そして複雑に交差する時間は覧る我々に緊張を強いるが、この作品は時代や歴史、国土を旅する時間ではなく、死期を目前にした一人の男の人生最後の旅の一日の心象風景として、時間は展開するのだ。
死の恐怖に苛まれる男と、未来を恐れる難民の少年。潰えた革命の夢の残骸のような旗(それはいつも血塗られたように赤い)を持った疲れたコミュニストの青年と、爽やかではあるがレクイエムのような音楽を奏でる楽士達。そして詩人ソロモスが、パンフにもあるように、まるで宮沢賢治の銀河鉄道の中でのように、深夜のバスで隣あわせるのだ。
そして彼等の前には決まって越えがたい国境線(それはいつもアウシュビッツのゲートのように残酷だ)が立ちはだかる。
最後の日を生きる主人公の問い続ける「明日の時間の長さ」とはいったいどのようなものなのか?
詩人の答えはない。
主人公の内にだけ存在する妻の言葉を、今度は我々が自問自答しなければならないのだ。
しかし、そんな孤独な彼等にそそがれるのは、アンゲロプロスの限りない慈愛のまなざしであることが痛いほどわかる作品であった。
彼の全ての作品がそうであるように、この作品も彼の大いなる生命と人間の賛歌に他ならないのだ!
ここ(1999年7月17日)
fwky0460@mb.infoweb.ne.jp
はじめまして。以前テオ監督の「霧の中の風景」を観たとき、なんて哀しい映画なんだろうと とてもショックでした。それなのに目がはなせなくて、引き込まれるかんじがいつまでも残る 体験でした。「永遠と一日」も、私にはまだわからないところがあるのですが、逆にいえば 私にもわかる部分が、あまりにも清冽に輝いているので(国境線の映像の凄さ、結婚式の 舞踊の感性には、ああっ・・・!とさせられました。言葉を買う詩人のくだりもあたたかかった。)
まだまだ私の知らない種類の美しさをはらんでいるに違いない、と感じゾクっとしました。
何年かしたらまた観よう。それにしても、感じたことを言葉にするってむずかしいですね。
それにこんなにいろんな事を感じ取れるみなさんの感受性がほんとうにうらやましいです。
HNは未定です(1999年7月12日)
ohh-t@lilac.plala.or.jp
この映画は二度見ました。
この上なく素晴らしい映像と音楽に酔いしれました。
現在、過去と思う侭にイメージが飛翔する。
最後まで名前を呼ばれることのない少年との一日限りの心のロードムービー。私の中では間違いなく今年のNO.1です。
主人公は、詩人ソロモスに「明日の時の長さは?」と尋ねるが、答えは返って来ない。明日をも知れない命。入院することは、彼にとっては思考の停止を伴う、実質的な「死」と変わりはない。
そして少年との旅の中で、彼は亡き妻との思い出に浸る。妻の想いを知る。
少年との別れの後、再び主人公は問う。「明日の時の長さは?」
彼の内なる存在の妻はこう言う。「永遠と一日と・・・」
つまり彼は、少年と過ごし、妻の愛を知った一日を最後の「一日」とすることを潔しとしなかったのではないだろうか。彼はラストシーンで「永遠」を選択し、妻の愛を取り戻すと同時に、散らかしたままの自分の言葉を取り戻したのでしょう。
全てが素晴らしい映画でした。この映画については私は黙っていられないので少しばかり発言させて頂きました。
みさきたまゑ(★★★★)(1999年7月4日)
misaki@ceres.dti.ne.jp
http://www.ceres.dti.ne.jp/~misaki
  
これに先だつこと1週間前『旅芸人の記録』を見に行って寝てしまったのです が、また、ここでも寝ちゃうのでした。すまんねえ、アンゲロプロス様。
それでも、時に、はっとして目をさまして画面に集中するわたし。いきなりうとうと して最初に起きたのは、隣りのアパートの、顔もしらない住人と同じ音楽を鳴らし あって、交感しあうところだ。こんなにも世の中にあふれるほどの音楽があって、そ の中でも同じ曲を愛しているというのなら、こんなことは偶然でなく、運命だ。
あまり人には知られていない、あたしの好きなある歌を好きだというだけで、その人 のことを好きになったことだってある。だって、運命的な出会いだと思ったから。そ ういうこともあるさ。
最後に近いバスのシーンは「ああ『銀河鉄道の夜』をやってるんだな」と思ってうっ とりと見ていたが、パンフレットを読んだら天沢退二郎の奥さんも彼にそういってた らしい。なんだ。みんなちゃんと気付いているんだ。
それから国境線のシーンで金網にへばりついていたのは「死体」とパンフに書いて あったように思うんだが、もぞもぞ動いているのもあった。あれは本当は何なんだろ う。暗喩かもしれないな。
でも、途方に暮れた表情の二人をとらえながらゆっくりとカメラが回転していって、 あの検問所と金網を見たわたしたち。長回しの緊張もここに極まれりというすばらし いシーンだった。「死体」役のエキストラはその間ずっと「死体」であることに疲れ たのか。
パンちゃん(★★★★★)(5月23日)
テオ・アンゲロプロスの映画は私はどれも好きである。色が美しい。とりわけ灰色と黄色が美しい。道端に消えずに残った雪、汚れた雪さえ美しい。これはもう何度も書いたことなので、ここではこれ以上書かない。
*
私はこの映画で久々に泣いてしまった。涙が止まらなかった。
最後に詩人が少年のことばを海に向かって叫ぶ。つぶやくというより、深い絶望とともに叫ぶ、その声の響きの切実さに涙が流れた。
詩人はアルバニア難民の少年と一日を過ごす。このとき詩人が思い出すのは、死んだ妻のことだ。過去の妻の姿だ。少年と一緒にいながら、心の大部分は少年と一緒にはいない。
そしてその過去は、今の詩人と少年の関係とそっくりである。詩人は妻と一緒にいながら妻の心を知らず、自分勝手な世界を生きている。
妻が死んでしまってから、詩人は妻がどんなに詩人を愛していたか、詩人とどんなに心を通い合わせようと願っていたかを知る。
同じように詩人は少年と別れてしまってから、もしかしたら少年は詩人と心を通い合わせたがっていたかもしれないと知る。
だが詩人にいったい何が思い出せるか。何ができるか。
少年の残したことば、意味のわからないことばを叫び、少年がそのことばを言ったということ以外に思い出す事はできないのだ。
思い返せば妻との関係もそうなのだ。詩人にできることは妻の残したことば(手紙のことば)を繰り返すことだけなのだ。ことばを繰り返し、妻が感じていたであろうことを思い返すことだけなのだ。
思い返すとき、そのことばとともに悲しみも喜びも苦悩もすべてが現在のなかによみがえる。現在は思い出すという行為によって過去とつながり、過去は現在によみがえることで「永遠」と同じものになる。「普遍」になる。
だが、なぜその「永遠」に過去に出会うことができなかったのか。心を開きさえすれば、妻との日々は「永遠」の輝きそのものを獲得していたのに、そのときはそれに気づかず、決して妻と一緒に時間を過ごすことができなくなった今、それに気づくのはなぜなのか……。
詩人と少年は、今、という一瞬において心を通わしあう瞬間があったはずだ。それと同じように妻との間でも心を通い合わせる時間があったはずだ。
詩人と妻とが心を通い合わせることができなかった時間があったのと同様、その日一日、詩人と少年が心を通い合わせることができなかった時間もあったのだ。同じ道を歩き、同じものを見ながら……。
少年の残した意味のわからないことば----それは、詩人と少年の心が正確に通い合わなかった瞬間の象徴である。「永遠」になりきれなかった「現在」そのものである。
その「現在」を「永遠」にかえるために「明日」という時間が必要だ。
「明日」というのは「今日」(現在)という時間に「永遠」に昇華できなかった「過去」を「永遠」に昇華するために必要な時間なのだ。
しかし詩人にはその「明日」はない。「永遠」に昇華できなかったものを残して、死んでゆくしかない。
思い返せば、妻は妻で「永遠」に昇華できなかったもの、詩人への愛をことばに残して死んでしまったのではないか。
そうなのだ。人間は、あらゆるものを「永遠」に昇華すると同時に、「永遠」に昇華できないものを残して死んで行くしかない。
この悲しみ、苦しみ、絶望……それが最後のシーンに集約されている。最後のシーンで、今見てきた映画全体が一瞬のうちに繰り返され、繰り返されることで「永遠」にもなる。
*
すっきりした骨太の悲劇の構造、叙事詩の構造が非常に明確な映画である。そして、その明確な構造のなかで情感が深くなる映画である。
現代のギリシャ悲劇を見た感じがした。
しーくん(5月17日)
kanpoh1@dus.sun-ip.or.jp
アンゲロプロス監督の映像には独特の表現方法があり、それに疑問を抱いてしまうと全然耐えられない作品であるのは事実です。2時間を超える長編であるのも影響があったと思いますが、上映中に退席された方も数名おられました。で、正直に言うと私も全然理解できないところがあり、後で調べた結果、あれはそういう意味だったのかと、やっと理解できたシーンもありました(この際白状します・・・最後のバスのシーンです)。私が一番印象に残っているのは、国境の検問所のシーンです。国境の金網にしがみついた人間、それは主人公アレクサンドリアの“幻覚”なのでしょうが、ひとりひとりの“無言の叫び”がこちらに伝わってきます。このシーンは私の勝手な判断なのですが、この作品の1つのキーポイントとなっていて、最後のアレクサンドリアの“決断”につながるものがあると思います。そう、この“無言の叫び”は“生きろ”という叫びです。アレクサンドリアの家政婦だった長男の結婚式のシーンも印象深いですね。新郎新婦の微笑ましい踊りで結婚式が進行する。しかし、アレクサンドリアが犬を預けに来たことにより一時中断してしまう。でもそれは一瞬のことで再び結婚式が進行する。動→静→動の展開が本当に見事。しかも監督独特の長廻し撮影と極端に少ないセリフの効果がここでは発揮されます。まあしかし“むずかしい”作品であることは否定しません。余談ですが、久しぶりにサンドイッチ(ホットドック)にかぶりつきたくなりました。何故かは映画をご覧になって下さい。
タカキ(★★★★★)(4月20日)
TakakiMu@ma2.justnet.ne.jp
冒頭、海辺の家に向かってカメラがゆっ・・・・くりとパンしていく。素晴らしすぎる。
それだけで、もう目が離せない。この映画では現在、過去、未来。想い出、現実、明日。悲しみ、喜び。すべてが並立している。対立する瞬間瞬間を、同時に生きる。そのようなことは、一見、あり得ないようだが、しかし、我々がしばしば体験していることである。正直なところ、上映中、その場面場面が現実なのか、過去なのか、はたまた夢なのか、私には判りかねた。しかし、そこで提示される喜びや悲しみの風景は、圧倒的な感動を呼び起こす。見上げれば霧のような曇天があり、祝福し合う人々がいて、男は声にならない声で少年に、船に、母親に、そして愛する妻に呼びかける。そして、薄気味悪い雪の国境。人身売買。黒ずくめの詩人は拾った言葉を落としながら、ただただ通りすぎてゆく。だけれども、彼が詠っているのははレクイエムではないのだ。別れまであと二時間。男と少年は、不思議なバスに乗る。銀河鉄道のような、不思議なバス。魂の駅で、まず、コミュニストの学生が乗り込んでくる。彼は終始、言葉を発さない。次に、二人の男女が入ってきて、言葉を投げかけ合う。それらの言葉は浮遊して、二人が去ったあとも、車内に残ったままだ。それを、新たに乗車してきた音大生たちが、言葉を使わず、音楽によって整えてゆく。最後に乗ってくるのは、詩人。彼は詠う、「人生は美しい」と。去ろうとする彼に対して、男は声を投げかける、「・・・・!!」。そして、また、その言葉は浮遊して、映画のなかを漂ってゆく・・・。素敵な素敵な最後の言葉が紡ぎ出されるまで・・・・。
素晴らしすぎる。もう一度、明日にでも観たい。


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