エリザベス


監督 シェカール・カプール 出演 ケイト・ブランシェット、ジェフリー・ラッシュ

ドット(1999年9月23日)
n-tomoo@mtj.biglobe.ne.jp
★★★くらいかな。ビールをがんがん飲んで眠かったせいでもあるが。主演女優が好きになれない。もっと毒々しくてよかったのではないか。中途半端な美形なのだ。細いので迫力がない。(胸もない)側近のレミゼラブルのおじさんは確かに存在感があったが、この人ももっと毒々しいセリフを吐いてよかったのではないかと思う。時代背景や姻戚関係がわからないと理解できないことも多いな。受験勉強で世界史やってたから、どーにかなんとなく、わかったけど、やっぱり家に帰って世界史の本を開いてしまった。
衣装はすごかった。作りもセットも。だがそれに見合う迫力が主演の女優にない。「キャリー」にでてたシシースペイシクみたいな顔で、どっちかというとその手の映画に向いている。
それとロバート公ですか、ちょっとホモ、、みたいな「元プリンス」みたいな顔で、なんというか、それとスコットランドの暗殺されるおばさんですか、「野蛮な民族」だったのか、はすっぱすぎるというか、残りの俳優陣ははまってたと思う。
恋愛を描きすぎてるね。一大叙情詩、、、でもないし。歴史大作、、、でもない。客観的史実でもない。
この映画をみて俺的には以下の二つのポイントがある。
・キリスト教の暗部
・いわゆる映画賞は鑑賞する基準とあまり関係がない
当たり前といえばあたりまえであるが、例えば昨今のカルト宗教論争にも何か一脈通じるところがある。宗教に関する普遍性や特殊性というのは、人間が自由に操れるものだということ。あれだけ冷や飯食わされているオウム信者の信念って何だろうとふと疑問に思う。
この映画もいわゆる「アカデミー賞最有力候補」的映画だったわけですね。それにつられて見たわけではないが。アカデミー賞そのものにそろそろ問題提起がなされるときがきてるね。(もうきてる?)
灘かもめ(★★★★)(1999年9月16日)
seagull@d1.dion.ne.jp
ケイト・ブランシェットの笑い声がとても好き!
彼女ってちょっと年齢不詳なかんじですよね。若いのか老けてるのかちょっとわからない。(たぶん、老けメイク似合う!)
笑い声も、若い女の子のきゃぴきゃぴ(死語)って感じじゃなく、喉の奥から笑ってる感じ。それがなんとも後の「エリザベスI世」を彷彿とさせて、ついにんまりしてしまった。
歴史物の重苦しさをあまり感じなかったのは、カットの切り替わりが結構早かったからかな。なんだか、めまい起こしそうなくらい、同じシーンなのにカットがころころ変わる。
エリザベスが議会での言葉を練習してるところとか(こういうの、ラブ・コメではよくありますよね)、ダンスのシーン、戴冠式だってころころ画面が変わってった。
でも、決して軽いわけでは無い。
俯瞰の映像が、まるで、上からのぞき観るようなスリリングさもかもし出してたと思う。物語に寄り添っているようでいて、そのくせおそろしく客観的なような・・・。
監督さんはインド出身だそうですね。
インドと英国といえば、並大抵でない愛憎・因縁(愛はないか^^;)が絡み合った、一言で説明できない関係。。。。それなのに、お互いの国のイメージを決定付ける歴史上の人物を主人公にした映画を、違う国の監督で作るなんて!!!
しかも「ガンジー」を撮ったアッテンボローが「エリザベス」で主要な役についてるというのが、なんとも。。。。。
(すごいというか、お見事というか)
衣装やセットもとてもすばらしい!その見事な衣装・セットの良さを最大限に引き出していた照明も見事!
映画の始まりのあたり、エリザベスの寝室を訪れるロバート卿。迎える若い侍女たち。ロバートとエリザベスの様子を窓から覗き見る侍女たち。彼女たちの顔に映る光と影。情事をそのまま映さなくても、充分エロティックで、とてもお気に入りのシーンです。
暗いまなざしのジェフリー・ラッシュ、船越英二演じる爺のようなリチャード・アッテンボローはまさにハマリ役!ちょっとヒネた感じのメアリー女王(病死する人)のフンっていう口癖(?)もいい。スコットランド女王のファニー・アルダンもかっこいい!!そして、これだけは言わせて!!アンジュー公を演じたヴァンサン・カッセル、アンタよくやった\(^o^)/!!好きだよーー!
・・・思えば、2時間ちょいの間、私も「英国の歴史」をちょっとだけ覗き見ている侍女の気分だったのかもしれません。
jean(1999年9月13日)
jean@pop21.odn.ne.jp
星4つ(★★★★)。見ている間は、まったく退屈しませんでした。
ただ、もうちょっと手ごわい感じを期待してたのだけど、意外と正攻法でした、スト−リ−的には。
意表をつく展開とかもなかったし。でもその分、映像的には凝りまくっていて、ほんと見ていて飽きなかった。
天井から見下ろすようなカメラワークも面白かったし、シーンごとの見事なセットや小道具も印象的。戴冠式、川遊びの場面なんかもう、ため息がでるほど。寝室のカーテンの揺れ具合にまで気配りが行き届いている感じでした。キャストも文句なし。ケイト・ブランシェットはまだ名前が売れてないのと、あまり肉感的じゃないのがかえってよかった。そしてジェフリー・ラッシュ!
ハマってたなあ。やっぱりあの目がいい。よく見ると目尻が下がり気味なんですね。
こういう目の人って眠たそうな第一印象があるんだけど、ちょっとした加減ですごく凄みの効いた顔にも見える。
基本的に善人顔のはずなんだけど、ものすごい邪悪な奴でも説得力があるというか。
そんな落差が魅力です。ピーター・セラーズなんかまさにそう。
あとは、出番は少なかったけどファニー・アルダンもよかった。
戦場で鎧を引っかけるように着ているのが、カッコよかった。
ジョセフ・ファインズはああいう役でも似合っちゃうのがスゴイ。
ただ、涙は余計だったな。最後の女王との語らいで、涙よりも表情の微妙さで勝負してほしかった。
以上、とにかくやっと見られてよかったです。私の町でも、おばちゃん軍団は歴史ロマン好きだったようです。
川島(1999年9月5日)
clara@muj.biglobe.ne.jp
うむ。★★★かな。
基本的にコスチューム好きなので満足。
衣装、ヘアースタイル、アクセサリー、そんなとこばっかり観てました。
お話の方は??予習していかなければつらいものがあるなぁ。
この壮大なお話を2時間ちょっとにしてしまうのはかなり無理があるのかも。詰め込み方式ではしょりすぎの為かあまり人物に深く感情移入できないような感じがしました。
わざとその辺あっさり作ったのかもしれないが。
客席は老若男女入り乱れていましたがなんとなくおばちゃん指数が高いような気もした。(私を含め)
話し的に「豪華絢爛な昼メロ」という感じがおばちゃん心をくすぐるのかも。ロイヤル、ということばにも弱いしなぁ。
土曜日に見に行ったからかもしれないけど1時間前に行ってあんなに並んだのは久しぶり。ちょっと疲れた。
パンちゃん(★★★★★)(1999年8月29日)
俯瞰の映像がおもしろかった。最初の、火刑のシーンなどは俯瞰にすることで人間の表情に感情移入が遠ざけられ、史実のひとつとして客観的に見ることができた。
また俯瞰によって、歴史的な建築物が今まで見たことのない視覚で登場するので、建物に感情移入が起きない。あ、あれはあそこだ、というような思いが起きない。映っている建物が本物かどうか知らないが、感情が建物とかってに調和するということがない。
たぶん、監督は、観客の感情がかってに建物や人物と結びついてしまうことを極力避けたかったのだろうと思う。
俯瞰の瞬間、視点が一瞬、人物から離れるのだが、その距離感がかえってドラマに客観的な印象を生む。
ある特定の人物(俳優)の魅力に引きずられて映画が進むのではなく、あくまで「役(登場人物)」というか、史実というか、そこで起きている「事件」に視点が移って行く。史実そのものがリアリティーのあるものとして動き始める。
こうした「事実」のリアリティー、客観的なリアリティーを引き出すために、監督は「俯瞰」という構造を取り入れたのだと思う。
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適切な比較ではないかもしれないが、たとえばスピルバーグの『アミスタッド』などを見ると、こういう客観的な印象は生まれない。「歴史」というより「ドラマ」という印象しかない。
奴隷として虐げられていた人間が叫ぶとき、あるいはアンソニー・ホプキンスが「歴史というストーリー」を巧みに語るとき、感情的に興奮させられ、虚構のストーリーを見せられた、と感じてしまう。
この映画では、そういうことが起きない。
感情的に興奮させられた、感激でそこで起きていることが見えなくなった、というような印象は起きない。
「歴史」を俯瞰している感じがして来るのだ。様々な「俯瞰」の映像が、観客の視線を自然に「俯瞰」の位置へと導くのだ。感情の興奮を遠ざけ、感情の同調を遠ざけるのだ。これは「歴史」劇にとってはとても重要な要素かも知れない。
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俯瞰の構造、俯瞰の視点が知らず知らずに意識の内部に出来上がっているので、ケイト・ブランシェットの演じるエリザベスの感情の動き、精神の変化が個人の人間的な成長という枠を超えて「歴史」にかわっていくのを見ている感じがするのだと思う。エリザベスの感情と精神の動きを「俯瞰」して見ているような感じになり、その動き、変化も客観的に見えて来るのだと思う。そして、その客観性が、エリザベスという人間をより素晴らしい人間にかえる。今見たものは感情の錯覚ではなく、客観的な事実なのだという印象がしてくる。
とは言いながら、同時に「歴史」なのに、あるいは「俯瞰」なのに、そこに人間の血の熱さも伝わって来る。とてもバランスがいいのだ。「歴史」とその「歴史」を生きた人間の描写のバランスが。
たぶん、役者の力も非常に優れているのだと思う。ケイト・ブランシェットという役者は初めて見たけれど、線の弱さと、弱いけれど打たれて強くなって行く感じがとてもいきいきしている。視線の力がとてもいい。きっぱりしていて、清潔で、悲しみを深くたたえることもできる。ほれぼれする。
ジェフリー・ラッシュの人物も不思議な魅力に満ちていた。『シャイン』のときはそれほど感じなかったのだけれど、『レ・ミゼラブル』や今度の映画を見ると、奥の深い役者だなあと思う。
オーストラリアというのは不思議な役者を生む国だ。
こういう役者、立っているだけで存在感のある役者がいると、映画の「歴史」が、今起きている「事実」にも見えて来るから不思議だ。
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私は矛盾したことを書いているかもしれない。
俯瞰による客観性について書き、一方で、役者が引き起こす存在感について書いている。
それは同時に書くべきことではないかもしれない。同時に書けば、矛盾してしまう事柄だと思う。「存在感」などというものは、感覚にすぎないのだから。
しかし、この映画はその矛盾してしまうものを、とても調和させている。
「歴史」を客観的に伝えながら、なおかつそこに人間的な魅力を浮き彫りにし、人間の生きている「事実」という力で現在に結びつく……。
矛盾の形でしか書くことの出来ない魅力がこの映画にある。しかもとても調和がいい。
私のことばでは「矛盾」でしか表現できないが、この映画には実際は矛盾はない。とても緊密で、とても美しい。