新世紀エヴァンゲリオン劇場版シト新生


監督(誰か忘れた) 主演 古臭い漢字、アニメの少女1、アニメの少女2、アニメの少年3、その他のアニメ


日柳 賢
9722095e@ipc.kobe-u.ac.jp
私はパンちゃんさんのエヴァンゲリオン批評に大きなショックを受けた人間の一人です。
パンちゃんさんの批評は、ブームに乗じて中身の無い自慰的な文を書く人間が多く見受けられる本作品の批評の中ではかなり特殊なものだといえます。
だからこの映画が細部にこだわり全体を見ていない監督による自慰的作品という非常に辛辣な考えは非常に新鮮に思えました。
しかしこの考えはあなた自信の批評の首を絞めるものにもなり得ると思います。
仮にこの映画は映画としては低いレベルのものと判断されるとしても、それは本作品の根本をあらわすものではありません。
第一エヴァンゲリオンは映画単体で完結しうるものではないのです。テレビシリーズの総集編として、また続編として作られたものがこの劇場版なのです。
だからこの劇場版(前半)は、テレビシリーズで語られ尽くした細部から少し距離を置いて、切り口をかえて作られたもののように思えます。映画のみがこの作品を語っているわけではないのです。
よってこの劇場版のみを以って本作品を愚作とみなすのは早計といわねばなりません。
それこそが細部にこだわり全体を見ないという愚行ではないでしょうか。
どうかエヴァンゲリオンを批評するのであればテレビシリーズを見てから判断を下してください。そうすればこの劇場版もまた違った見え方がすると思います。
(そりゃまあこの映画だけ見れば、何じゃコリャと思うに決まってますよってば。当のヲレも少々感じたくらいですから。)

パンちゃん(★)
古臭い。ぎょっとするくらい古臭い。なぜ、こんな古臭いアニメが若者に人気なのか、さっぱりわからなかった。(本当に人気なんですか?)
何か古臭いかといって、まず、
「漢字」が古臭い。
映像を押し退けるようにしてあらわれる「殲滅」だの「寄生」だの「流血」だの「撃破」だの(よくは覚えていない)「漢字」が古臭い。まるで70年代の「現代詩」から引っ張り出してきたような文字ばっかり。抒情たっぷりの色、風景のカットの仕方----それも70年代の「現代詩」の世界だ。
「シンクロ」という概念も古臭い。こころの傷、というのも古臭い。こころに傷を負った少女、少年が機械(ロボット?)と「シンクロ」する、というのも、甘ったるい抒情だ。
監督(クレジットを見たが、忘れてしまった)や原作者については何も知らないが、45-50歳くらいの人間だろう。70年代の「現代詩」を読んだ世代だろう。70年代を知らない世代には、いくらか新しく見える「概念」かもしれないが、その時代を生きてきた人間には、なぜ、いま再び、そんな「概念」に染まるのか、その点が理解できない。古臭い、としか言いようがない。
だいたい
「映像」で表現すべきところを「漢字」のアップで表現するとは何事だ。
実写(あ、これも古い概念だ)で表現できない部分を表現できるのがアニメの利点なのに、その肝心な部分を「漢字」で表現するのは、アニメそのものを否定することではないか。私はアニメは好きではないが、これは、あまりにひどいアニメの否定だと思う。(こう思うことの方が「古臭い」のかな。)
抒情あふれる、といえば聞こえはいいが、抒情にすがった甘ったるい映像(風景や表情のアップの仕方)にもうんざりしてしまった。
こんなところで抒情をやるな。人類が滅ぶかどうかというときに抒情なんかするな。
人間の精神の美しさ、純粋さは、抒情だけでとらえられるものではない。ときには抒情を否定するところでも輝くものなのだ。
この映画に出てくる抒情は本当に気色が悪い。
それは短調の軍歌の響きに似ている。
それは自己陶酔の世界だ。それも自立することができない人間が、自立できないのは社会が悪いからだ、と考えた上での自己陶酔だ。これも本当に古臭いタイプの自己陶酔だ。



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