鳩の翼

監督 イアン・ソフトリー 主演 ヘレナ・ボトム・カーター、ライナス・ローチ、アリソン・エリオット

灘かもめ(1999年8月30日)
seagull@d1.dion.ne.jp
お久しぶりの投稿です。(投稿フォームを使うのも久しぶり〜)
もうずいぶん前に観たので記憶もおぼろげですが・・。
私は最初から最後までヘレナ・ボナム・カーターに釘付けでした。なんというか、吸い込まれてしまうのです。自然に。
ミリー(アリソン・エリオット)が自然にケイト(H・B・カーター)に惹かれて友人になったように・・。
ケイトは人の心を操り、人を自分の思い通りに支配しようとするけれども、本当は、彼女が一番不自由で不幸な女なのではないか。
自分の今の境遇から抜け出したいと思ってるのに(そうしようと思えばできるのに)そうしない。ミリーを利用してるくせに、ミリーに憧れている。マートンを愛しているくせに軽蔑もしている。
自分自身を支配できないでいる自分のことを一番よくわかってもいる。
だからこそ、人の運命を操ることで「自分は自由なのだ」と錯覚したいのだ。そんな心の中の「否定・肯定」がヘレナの演技からにじみ出ていた。ベニスで抱き合う二人に、そんなヘレナのすごみを感じてしまった。
パンちゃんが「ミリーの面影を愛していないか」と問うシーンを言われてましたが、私はその直前のケイトの言葉「わたしでいいの?」の方がぐわ〜〜んと来てしまった。
こんなセリフは卑怯だ。女ならではのずるさだ。マートンが肯定しても否定しても、彼と彼女の「罪」を決定付ける言葉だ。マートンは肯定せざるを得ない。肯定させることでケイトはマートンを共犯者にしてしまうのだ。こわすぎる・・・・。
複雑な、こんなに揺れ動く、それでも不思議な引力を放つヘレナに★4つです。
あと、劇中に出てきたクリムトの展示会がめちゃめちゃうれしかったのでプラス☆半分!
(この時ばかりは字幕も読まずにひたすら絵を見てました〜^o^)
ひろみーぬ(4月10日)
sasukesuzuki@ma2.justnet.ne.jp
かなり心にインパクトを与えられているのに、心にモヤモヤを残す映画ってある。
ここで、パンチャンたちの評を読めて良かったです。
モヤモヤが晴れつつあります。
モヤモヤを楽しむのも映画の面白味だけど、見終わって余韻さえモヤモヤだった私は救われました。
そのモヤモヤこそがテーマなんだってことに気付きました。
人間とはモヤモヤしてるものなんだ。
奇麗で鮮明な映像だけに、複雑な心情が映えていました。
語彙少なくモヤモヤ尽くしですが、確かに佳作でした。
アレックスのパパ(★★★★)(3月5日)
dimsum@eclipse.net
パンちゃん、日本でどの位の拡大公開がされるか心配していたんですが、観て下さって良かった。
美しく結晶した水晶のような佳品ですね。
原作の時代設定を約十年位後にして、1900年丁度のロンドンとベニスにしたのが成功しています。ロンドンの地下鉄や、ベニスの夜景のシーンなどが、本当に綺麗に撮れてました。
音楽も趣味が良く、衣装や装置などの見所も一杯です。
とにかく、ヘンリー・ジェームスならではの人物造形、そしてその人物が深化というか変容してゆく難しいストーリーを良く映画にしたと思います。
お話のテーマは一言で言うと、「人間とは不可解なものだ。生と死、愛と憎しみの間で引き裂かれてゆく自分の心は、自分の意志ではどうにもならない。でも、その不可解さの故に、その不可解さがどんなに苦いものであっても、人間とは素晴らしいものだ。」
そんなところでしょうか。
その、人間の不可解さ、素晴らしさの表現は、確かにヘレナの一直線な演技から来ています。台詞の歯切れなどには、まだ努力で才能をカバーしているところが見えますが、表情や全身を使った動作などには、大変な情熱が感じられ、オスカーの主演女優賞候補になったのも納得です。同棲中と噂されるケネス・プラナーの影響で、これまでとは違った勉強をしているのでしょう。
但し、この作品の成功の鍵はアリソン・エリオットでしょう。あの自然体の演技は、もう役柄と役者の業の間に境目を感じさせないものでした。この作品は彼女なくして考えられないとすら言えます。正にキャスティングの妙。プロデューサーの手腕が光ります。
しかし、やっぱり原作です。大したものです。こんな小説(しかも延々と作者の口上が最初についてる)が書ける才能というのは、何というか狂気にも似たものを感じますね。三角関係のラブ・ロマンスという材料だけで、人間性の奥に潜む深遠な闇を抉りだしているのですから。
パンちゃん(★★★★)(2月24日)
ヘレナ・ボナム・カーターという女優は、強い光をあて、顔を平板にするとジュリエット・ビノシュに似ている。(出演者の名前を確認するためにチラシを見てそう思った。) 眼の感じ、暗く、情念に満ちているところが、そう思わせるのだと思う。(ジュリエット・ビノシュの眼も、濡れて悲しく暗い。) この映画は、そのヘレナ・ボナム・カーターの眼の力を最大限に引き出している。彼女の眼の演技が全体をささえている。眼は肉体であると同時に、精神のありようをくっきりと浮かび上がらせるものだ。 彼女の情念に満ちた眼は、相手の表情の変化だけを読み取るのではなく、相手の精神の動きさえも見抜いてしまう。 ラスト近く、ヘレナ・ボナム・カーターがライナス・ローチにアリソン・エリオットの面影を愛していないか、と問うシーンは、とても怖い。 彼女は知っているのだ。生きているアリソン・エリオットはヘレナ・ボナム・カーターにとって恋敵ではない。アリソンが生きている限り、男を引きつけるのはヘレナの方である。 ところがアリソンが死んでしまっては状況が違って来る。ヘレナはアリソンの「面影」を相手にしなくてはならない。 「面影」は肉体で愛するのではない、精神で愛する----その精神の愛において、ヘレナはライナス・ローチをつなぎとめることはできない。 一瞬の問いによって、そうしたことを見抜く眼は本当に怖い。 男は男で、嘘をついてもヘレナ・ボトム・カーターの暗い炎が燃える眼に見破られることを知っているので、彼女の方を見ない。彼女と眼をあわせない。この、今ここに存在する女を見ないで、「面影を愛していないか」と問われることで、「面影」をくっきりと見てしまう悲しい眼もすごいが、これはヘレナ・ボナム・カーターの暗い眼があってこそのものだと思う。



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