ハリケーン


監督 ノーマン・ジェイソン 出演 デンゼル・ワシントン

灘かもめ(2000年7月13日)
実話もの、冤罪ものってだけで重いだろうなぁと想像してましたが、意外に演出が淡々としていましたね。
今45歳のデンゼルが、20代のボクサー役をするということだけでもスゴイ!!役作りはハンパじゃなかったです。オスカー取ってもおかしくない。というか、取らせてあげたかった〜。(でもケビン・スペイシーが取っちゃったの^^;)
私は、こんなことが実際起こったのだ、ということだけでただただ唖然として映画を観てました。
一番心打たれたのが、レズラとハリケーンの文通です。文字を書けるようになってまだ一年そこそこの少年が、感動を伝えようと刑務所内のハリケーンに手紙を書く、ということがすごい。感動と行動が直結している。
私はとても筆不精で、年賀ハガキすら面倒くさがってしまいます。(ダメだなぁ^^;)。私の場合、「文字を(紙に)書く」って、ものすごいエネルギーが必要なんです。レズラ少年が、たどたどしい文字で何度も書き直しながら手紙を書く。もうそれだけでせつなくなる。
そして、ハリケーンも返事を書く。彼はタイプライターだけど。
行き来する手紙と、それを読む二人。心のキャッチボールなんだなぁ。二人が、お互いの手紙を呼んでる場面ですでに大泣きしてしまった。
そして、あの3人のカナダ人。彼らは存在自体が奇跡のようだ。人間ってすばらしい。彼らだけは、ハリケーンから去らなかったのだもの。
あの弁護士達の言葉は、現実の重みですね。
「有名人、歌手、女優、いろんな人たちが協力してくれた。しかし、続かない。誰もが必ず去っていく。」
レズラとあの3人は去らなかった。
「一緒に帰りましょう」
この言葉は、ハリケーンにとって唯一の光だったのじゃないかな。
劇中に当時のボブ・デイランの歌とか流れてましたね。私はこの話は映画を観て初めて知ったのですが、当時応援してて、途中で去った人たちは、ハリケーン釈放のニュースをどんな思いで聞いたのだろう?
有名人たちでは出来なかったことを、あの無名の4人は成し遂げたのだ。それを思う時、ディランの歌も、エンディングの歌の歌詞もみんな消し飛んでしまう。そらぞらしくさえ聴こえてしまう。
映画がすばらしいんじゃない。あの4人がすばらしい。そして、諦めなかったハリケーンがすばらしい。
私にとっては、この奇跡の人たちを教えてくれたというだけで、観てよかった映画なのです。
(2000年7月1日)
http://www.d1.dion.ne.jp/~goronyan
久しぶりにパンちゃんと意見があったので(笑)投稿します。
泣くパンちゃんで一致したのは「永遠と一日」以来??
★★★★
映画のつくりは決して うまいとは言えない。 特に最初の30分くらいは 過去と現在・ルービンとレズラを交錯させ いじりすぎていてわかりにくい。 全体的な映画のつくりとしては キメも荒いと思う。
けれど 泣けた。
映画のコピーは”真実は負けるはずがない”
確かに この映画をそういう観点からとらえることもできるだろう。
無実の投獄。 それと闘うドラマだと。
でも私は この映画を 単なる裁判もの・人種差別もの として認識したくない。
人はどこまで孤独に耐えられるのだろうか?
ルービンが独房で 「孤独」と闘っているシーンは圧巻である。
自分の中の「理不尽なことへの怒り」と「とりなし」 「あきらめ」 「希望」・・・・
自分自身の経験とも重なって 観ていてとても心が痛んだ。
・・・・もう誰も信じるもんか・・心を石にしてしまえば もう決して傷つかずにすむ・・・・期待するからいけないんだ。初めから望まなければ 裏切られることもない ・・・・
ルービンの 静かな叫びが 振幅する。
誰もが彼の心の叫びに 応えられなかった。 誰もがそうであるように 人はまず自分のことに一生懸命で他人にかまっている暇などない。
それが 普通なのだ。 だから仕方がないんだ。 自分が忘れ去られて行くのは 当たり前のことなんだ・・
どうせムダなんだ・・・・
「怒り」「あきらめ」を維持する事によって保たれている心の均衡が 「期待」して裏切られることによって壊れる。
だから書く。 「もう手紙はよこすな」と。
けれど・・耐えきれず出した 彼の哀しみ・・・・
彼ら4人は 崇高までなルービンの孤独に報おうとした。
ルービンとレズラ 運命的な出会いだと 映画の中で比喩しているが運命を 変えていこうとする 強い意思力・行動・熱意 そして「人を、正義を愛する心」それを持ち 持続させて行く「力」の偉大さ 素晴らしさに 思いきり泣けた。
これはBaced on true story の中で 裁判的には勝利した物語である。
けれど この一つの物語とは別に いったいいくつの 冤罪がほおむられているだろう・・? そして20年という歳月による 社会の変化が勝利をもたらしたともいえるのではないだろうか? こういう問題を考える時 いつもサン・テグジュペリの”本当に大切なことは 目に見えない”というフレーズが頭に浮かぶ。
パンちゃん(★★★★★)(2000年6月29日)
とても感動した。涙があふれるシーンがいくつもあった。
この映画の主人公は、デンゼル・ワシントンの演じるボクサーと少年のように見えるが、私は、カナダの3人だと思う。
彼らはボランティアである。能力があるのに学校に行けない少年をなんとか学校に行かせたいと思う。
そしてその少年が無実のボクサーが獄中にあって苦しんでいると知り、彼のために何かをしたいと思った時、その手助けをする。
何のために?
何のためでもない。ただ今自分が生きている世の中のために、その世の中がよくなるように何かをしたいと思うから。それだけである。
貧しい黒人の少年が大学に行けようが行けまいが自分にとっては関係ないといえば、そう主張することはできる。貧しい少年を助けてなかったとしても誰も3人を批判などしないだろう。
彼らはただそうしたいからそうするだけなのだ。何人もの少年を救うことはできない。けれど一人の少年なら救えるかもしれない。彼らはただそれだけを思って少年に救いの手を差し伸べる。
同じように、少年が無実のボクサーに出会って何かをしたいと思った時、そして少年がそれをすることが正しいことだと信じた時、その信念にそっと寄り添い、その信じたものが実現するように手助けする。
とても美しい。ほんとうに美しい。
何も期待していない。ただ少年が着実に成長することだけを願っている。見返りは何も求めない。
ボクサーが無実を証明され、自由になるだけを願っている。見返りは何も求めない。
世の中にはこういう人がいるのだ。何も求めない。ただ自分が今生きているのは社会があるおかげだと感謝し、その社会にこたえるために人の自由のためにそっとサポートする人がいるのだ。
これは涙と、苦い後悔なしには見ることのできない映画だ。
私は社会の役にたつようなことはなにもしていない。そのことを深く深く反省させられた。
あの3人は、建築家(?)としてある程度の収入を得ている。その収入によって自由を手にしている。その自由に深く感謝し、何かを社会に還元しようとしている。そしてその行為に、おおげさなところは何もない。淡々と、本当にそうすることが当たり前のことであるかのように行動している。
人間はこんなに立派になれるのか、人間はこんなに美しいものなのか。
ただただ感動する。
*
少年が一冊の本を通じてボクサーと知り合い、そこから自分を確立してゆく過程もとても美しい。
その過程に「ことば」が深くかかわっているのもとても感動的だ。
人間はことばによって考える、ということをあらためて思った。
こうした考えは映画的ではないかもしれない。
しかし、映画的であるかどうかではなく、それを通り越して、ただ涙が流れた。
*
映画自体について言えば、とてもストーリーがスムーズで、「正義」の押しつけがましさもなく、淡々としていて気持ちがいい。
論理の声高な主張もなく、本当に淡々としていて、それでなおかつ「真理」をくっきりと浮かび上がらせている。
28日の採点でダグラス・タガミさんが書いている疑問は、私は、どれ一つとして疑問に感じなかった。
(1)についていえば、あの3人はただそうしたかったからそうしただけなのだと思う。社会に恩返しをしたいと考え、自分達にできることは少年が大学へ行くことを援助できることだと判断したのだと思う。社会への貢献の仕方はいろいろあるが、彼らは才能がありながら大学に行けない少年をなんとか大学に行かせてやりたい思っただけなのだと思う。それ以上の理由はない、ということが、とても美しい。
(2)は、結局不問になったと思う。それが世の中だと思う。どこまでもどこまでも正義が貫かれるのなら、それは大変すばらしいことだろうが、現実はなかなかそんな具合には行かない。仕方がないといってはいけないことなのだろうけれど、それが現実なのだろう。そしてこうした現実があるからこそ、その現実にしっかりと抵抗し、一人の無実のボクサーを自由にした3人の(4人の)行為が美しいのだと思う。
(3)は、味方だったのだと思う。人はあることを信じていても、それを実行できないことがある。誰でも自分のできる範囲でしか行動できない。それは悲しいけれど、仕方がない。誰も、誰かに対して正義を行えとは言えない。わかっているけれど何もできない、というのが多くの人間のありようだと思う。そうした多くの人々のあり方を看守長は代弁していると思う。彼は彼なりに自分でぎてる範囲で、ボクサーを支えていたと思う。
ダグラス・タガミ(2000年6月28日)
泣きに行きました。しかし、 まったく、泣けませんでした。なぜでしょう??
あれほど、予告で胸が熱くなったのに。わからない。
デンゼルもあの黒人青年も良かったのだけど。
事実なので、もっと感動するかと思っいました。わからんです。
ただ、疑問は、
1)あの男女は、何者で、どうして黒人の彼を引き取ったのか?
2)最後に勝ったのはいいが、あの警官達の罪はどうなったのか?
3)あの看守長は、味方だったのか?
ですね。
誰か、泣けた人います?劇場を出ても誰一人泣いていませんでした。
★★★です。悪くないですけど。消化不良。くやしい。
しーくん(★★★☆)(2000年6月13日)
試写会に当選したのですが、行こうか行くまいか少し迷いました。理由は単純で上映時間が2時間30分弱もあるからです。アクションや冒険活劇等なら時間を忘れることが出来ますが、この作品は私の苦手とするジャンルです。で、どうだったのかと言うと、やっぱりちょっと長かった(笑)。特に前半は、事件の真相を描きすぎたりして私にとっては退屈な時間でした。面白くなったのは、少年がハリケーンに手紙を書いて、その返事が返ってくるあたりから。ここからラストまでは、時間がたつのを忘れました。私のお気に入りは、少年とハリケーンが初めて会うシーンです。少年がハリケーンを一目見て「もっと、大きい人かと思った」と言う。ハリケーンから思わず笑みがこぼれる・・・いくら文通をしていたとはいえ、直接会うと何を話していいかわからない。しかし、この一言で二人が一気に解けあったような気がする。少年の頃って、スポーツ選手を実際よりもかなり大きく想像してしまうのは当然で、幼い頃、G.馬場が目の前を通り過ぎたときは、想像以上に背が低いので縮んだのかと思った(笑)。別にこの作品の重要なシーンでは無いけれど、一番お気に入りがここです。ゼンデル・ワシントンはどうして男優賞を受賞しなかったの?(私は、ケビン・スペイシーが賞を取るほどすばらしい演技だったとは全然思えない)と言うくらい素晴らしく、同情票を1万票くらいあげたい心境ですが、演出力が弱いせいなのか、ハリケーンの苦悩、心境、希望等がもう一つ伝わってこなかった。ラストも最後の判決がくだされる前に、よけいなセリフが一ヵ所あり(これは、感動をより盛り上げるためのセリフなのか?)かえって逆効果になってしまったように思う。したがって星4つは付けたいところですが、3つ半になりました(今年は少しキビシイのです・・・)。この作品は、人種差別を批判するよりも、"希望"をテーマとしているように私は受け止めた。しかし、人種差別によって、無実の罪で処刑された人も少なくないのでは、と思うと胸が痛みます。梅雨のジメジメした季節になり、スカッとした作品(グラディエーター等)もいいかと思いますが、こういう実話のドラマ化を見て、いろいろと考えるのも良いかと思いますよ。追記:少年役も自然な演技でとても良かったと思います。