ザ・ビーチ


監督 ダニー・ボイル 出演 レオナルド・ディカプリオ

パンちゃん(★★★★★)(2000年5月4日)
ゲーム感覚にどっぷりつかった青年がゲーム感覚のまま「楽園」を求めてさまよう。
そのなかでゲームではすまされないものにぶつかる。リセットできない。やりなおしがきかない。人間は肉体的に生きており、死ぬということがあるからだ。
その事実にぶつかるまでがなかなかおもしろい。
今私たちが向き合っている世界の問題のすべてが、未熟なまま、未熟な青年の心理のまま、具体的に描かれている。
未熟な視点から世界がどんなふうに見えるか、それが映像としてきちんと処理されているのは『トレイン・スポッティング』と同じである。
「楽園」からいったん現実の都会へ帰った瞬間の街の映像など、生々しいノイズに満ちあふれていて、息をのんでしまう。
レオナルド・ディカプリオは、何をやっても透明感のある役者だが、その透明感が実にいい。彼の透明感が、すべての現実の問題、バーチャルと現実の接点の問題を鮮やかにすくい取る。
レオナルド・ディカプリオは単に役者として天才だけなのではなく、頭がとてもいいのかもしれない。脚本を読む力が非常にすぐれていて、今までに演じていない役を理解し、その役に挑戦するという試みができる。
もともと私はディカプリオの演技が好きだが、この映画でもっと好きになった。
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2月24日に書かれたJOさんの感想の中に『蠅の王』との比較が出てくる。
『蠅の王』の狂い方は、とても人間的だ。テレビゲーム、パソコンのなかった時代の、生の人間の狂い方だと思う。そういう意味では、『ビーチ』よりも深く人間性をえぐり、文学的だと思う。
ただ今の時代は『蠅の王』の時代とは違う。
バーチャルという新しい視点に私たちは染まっている。その染まっているバーチャルの感覚をどうやって把握するか、ということが問題だけれど、この映画はそれをきちんと映像にしていると思う。
『トレイン・スポッティング』で、世界一汚いトイレの、トイレの中へドラッグを拾いにもぐり込むシーンの美しさに私はどぎもを抜かれたが、この映画では買い物に都会へ帰って来た時の街のシーンに私はやはりびっくりしてしまった。
この時、本当にディカプリオたちが見ている世界が見えたと思った。
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ダニー・ボイルは『トレイン・スポッティング』にも『普通じゃない』にも言えることだが、見える世界は人間一人一人によって違うということを映像できちんと表現できる監督なのだと思う。
人間がとても好きな監督なのだと思う。
ダニー・ボイルも好きになってしまった。
JO(★☆)(2000年2月24日)
前評判からして、ひどい出来か驚くほど良いかのどちらかと予想して見に行った。
なんて中途半端な仕上がりなのだろう。 
映画は日記の様にに語られ、ストーリーが進むと言うよりばっさりと切断された複数 のイベントの集まりと言った感じだ。
タイタニック以前の調子で、‘揺れている役’のディカプリオはなかなか上手いが、 説得力が無い。 ぼくは冒険がしたいです、偶然に地図をもらいました、隣に泊まっ ているカップルを誘ったらついて来ました…。 主人公も脇役も行動に脈絡が無けれ ば、魅力も無い。 ‘ビーチ’は当然美しいんだが、彼らが見せたかったのはそれだ けか。
もっと‘蝿の王’の様に狂って欲しいのに(?)、今ひとつ煮え切らない映画になっ てしまった。 ・煮え切らない・なんて表現を、あのトレインスポッティング・チー ムに対して使うとは思わなかった。残念。