ホーホケキョとなりの山田くん


監督 高畑勲

kaeru(2000年1月31日)
kaeru-n@attglobal.net
「アイズ・ワイド・シャット」の直後に見に行きました。ほのぼのして、仕事に疲れた私の心にはぴったり…。とはいえ、なぜ映画なのかしら。家でこたつにはいってみかん食べながら見たかったのでした。声優さんはなかなか豪華で、山田君のおかあさんの声はラストの「ケ・セラ・セラ」まで、誰がやっているか気が付きませんでした。これも☆☆☆☆です。
はあどぼいるど(1999年8月11日)
caq51370@pop17.odn.ne.jp
はじめましてー。はあどぼいるど と申します。
さて、となりの山田くんの感想ですが・・・。
なんか、久しぶりに映画館で大笑いしたっていう感じ。
「ラジオの時間」以来でした。
水彩画風で、画面の隅から隅まで絵が描いていないところが、楽ーに見れてよかったと思います。
なんか、見終わって感動して泣いた方がいたみたいだけど、わたしは、この映画で感動、とかそういうものは全く感じませんでした。
見終わってすぐの感想は「あー、笑ったー。あーゆー家族もいーかもなー。」という感じで。
あと、俳句を使うっていうのが、すごくよく合っていて、なんで、状況も時代も違うのに、こんなに日本に合うんだろー、と、俳句に興味を持つようになりました。
ちょっと古典にも興味わいてきたぞぉ。
とにかく、たのしく見れた作品です。
しかし、受験生が見る作品ではありません。
「あー、適当でもいいかも。♪ケーセラーセラー♪」なんて、思ってしまいました。
こんなにリラックスして見れた映画は始めてです。
★★★★★
jean(1999年7月28日)
jean@pop21.odn.ne.jp
2回目の感想は、送ろうかどうしようか迷ったのですが、送ってよかった。
私の意見も、パンちゃんの見方にケチをつけているわけでは決してなく、ただ自分と違う意見にも耳を傾けることで、今まで気付かなかったことが見えてきたり、さらに理解が深まったりすることを期待してのことです。
(とはいえ、人の意見に異論を唱えるのはけっこう勇気がいりました。だからパンちゃんがメールで私の意見が参考になった、と言ってくれたことはとても心強かったです)
この「山田君」が感動を売りにしているのかいないのか、ということはさておき、ともかくこの作品が「タイタニック」や「もののけ姫」とは違う趣向であることは私にもわかります。
いや、わかっているつもりだけど、本当は分かってないのかも。
映画を見る時は、何かの感動を与えてくれることをいつも期待して、それを当然のように思っているので、この「山田君」のような作品を見ると、何かはぐらかされたような気持ちになってつい、あら探しを始めてしまうのかも。
自分のちょっとしたへそ曲がりのせいで、この「山田君」(にしろ他の作品にしろ)が本来持っているはずの面白さに気付かないのだとしたら、すごくもったいないですね。
だからといって、すぐに自分の見方や感じ方を変えてしまうのではないけど。
でも、この「山田君」をちゃんと支持している人がいて、その根拠も明らかにしてくれたことで、私のへそ曲がりもちょっと直りました。
やっぱりここに投稿してよかったです。
パンちゃん(1999年7月27日)(このすぐ下のjeanさんの書き込みについての感想です。先にjeanさんの文章を読んで下さい。)
家族の絆を取り戻そう、という意図は確かにあるかもしれませんね。
ただ、その家族というものの姿が今までの姿から比べるとずいぶん異質だと思う。
雨傘のシーンも、昔の家族の絆だったら、父親が電話をしたら誰かがすぐにむかえに行く、あるいは私がむかえに行くと幼い子供がけんかする……というようなものだったと思う。
しかし、この山田家は、雨の中をむかえに行くのなんか面倒でいやだよ、といったん主張する。わがままを言ってみる。
いつでも家族の絆を一番大事にするのではなく、みんなわがままだけれど、なんとか一緒にやっている、という感じのところがいいなあ、と思う。
この家族には、常に他人がいる。親子の血で結ばれた愛というより、まず他人として家族が向き合う。好き勝手に行動する。そして、その好き勝手を許す度合いが大きくなったものが家族なのだ、という主張が、あるとすればあるのだと思う。
もっと押し進めていえば、他人のわがままをもっと受け入れ、同時に自分のわがままもどんどん押し通そう。そして、けんかしながら、あるいはあきれかえりながら生きて行ければいい、というのがこの映画の主張だと思う。
私が「感動を拒否している」と書いたのは、たとえば『タイタニック』のような感動のこと。みんなの感情を一点に集中させるような感情の動きのこと。
この映画の目指しているのは、そうした集中ではなく、むしろ集中を拡散することだと思う。
一人一人がもっとわがままに、自分中心的に生きるということが、結局他人を許す力を生み、その他人を許す力が、「感動」の暴走を防ぐ、危険な精神の暴走を防ぐことにもなる、とこの映画は言いたいのだと思う。
話は唐突だけれど、天皇陛下のために、と国民の精神が集中してしまって一人一人のわがままがだんだん小さくなる社会というのはいやでしょ?
『もののけ姫』のなかの一つのメッセージ、たとえば自然を大切に、環境を大切にというような主張は正しいけれどみんながみんなそれに一致してしまってそれ以外が許されないというような雰囲気って、いやでしょ?
この映画は、たぶん『もののけ姫』のような映画のもっている「感動」の危険性をも、どこかで指摘しているのだと思う。
『もののけ姫』に感動するのはいいけどさあ、みんなが一斉に感動するというのは不気味なことだよ、もっと一人一人が違うことに感動し、それがごちゃごちゃになっている世界、ごちゃごちゃのまま成り立っている世界の方が自然だよ、とこの映画は言いたいのかもしれない。
『もののけ姫』の感動を、そうやって相対化してしまうジブリという製作集団はすごいものだなあ、と私は思う。
jeanさんの意見に続けて書き込むには、あまり的確な内容ではなかったかもしれないが、jeanさんの文を読みながら、そんなふうに考えた。
jean(1999年7月27日)
jean@pop21.odn.ne.jp
パンちゃんの批評を読んで、さらにもう1回この「山田君」について色々考えてみました。
一つ、予告編を見た時からどうも引っかかっていたことがあるのだけど、それは「家族」のイメージを押し付けられているような気がすること。パンちゃんは「感動させないようにつくってあるのがいい」とおっしゃいますが、私はというと、作り手の「感動させよう」という魂胆みたいなものを感じてしまいました。
どんな感動かと言うと、例えば予告編にもあったように、お父さんが雨の中、バラ肉を買って家路につくと、向こうから母子3人が迎えに来て、さあ、どうだ!っていう。
これは予告編で何回も繰り返し見たせいもあるかもしれないけど、どうもこのほのぼのエピソードに素直に共感できませんでした。
家族関係のドライな現代にこそ、こういう温かい家族のきずなを取り戻そう。取り戻すのだ!というような作り手の意図は分かるんだけど、それがちょっと押し付けがましい。と、私には感じられました。そのせいで、山田家の人々にもそれほど共感できず・・・
お父さんが一家のあるじとしての責任を思う、月光仮面のエピソードなんかはよかったのだけど。
こういうの(作り手のアピールにへそを曲げること)はやっぱり偏見かなあ・・・
パンちゃん(★★★★★)(1999年7月24日)
絵にとても感心してしまった。ちっとも疲れないのだ。
アニメの絵は隙間がなくて何だか見ていて疲れるものだ。『ムーラン』の雪原の戦闘シーンなど見た瞬間にあっと息を飲むがなぜか疲れる。これはCGを使ったあらゆる映画に共通する。濃密で正確な描写に驚かされるが、なぜか疲れる。脳の奥まで正確な色と形で埋めつくされて息が出来ない感じがするからだと思う。
この『となりの山田くん』はそうした濃密さ、正確さとは逆のアニメだ。余白だらけだ。しかし、その余白がとても感じがいい。大事な物はきちんと描かれ、省略していい物はすっきり省略されている。そのバランスがいいのだと思う。現実の世界には余白はないけれど、私たちはたぶん頭のなかで勝手に余白を作っている。必要なものだけを見ている。そうした生理とうまくあっているのだと思う。
ストーリー的にも大変大胆で、あっと驚かされた。
この映画には、いわゆる起承転結はない。カタルシスというものがない。ここで描かれているのは、いわゆるストーリーではなく、人物そのものなのだ。
たとえばウディ・アレンの映画。『世界中がアイ・ラブ・ユー』にしろ『地球は女で回っている』にしろ、そこにはストーリーはあってないようなものだ。そこでは俳優の生の肉体と感性があふれている。俳優のぶつかりあいによって、俳優の人間性そのものが浮き彫りにされる。そうした映画を見ているような気分になるのだ。
たかし、まつ子、のぼる、ののこ、おばあちゃん……それらの人格(性格)が、何かの拍子にふわっ、ふわっと浮いて来る。
その性格は別にとりたてて高尚なわけではない。どうでもいいようなものだ。でも、そのどうでもいいようなものが、ふわっ、ふわっと浮いて来ると、何だかその人物がかわいくなるのだ。抱きしめたくなるのだ。会いに行きたくなるのだ。
この感じは、『もののけ姫』の登場人物に会いたいという気持ちとはずいぶん違う。
会って「感動」したいのではなく、ただ会って話をし、笑ったり怒ったりしたいだけなのだ。
こんなふわっとした感じをアニメで体験するとは思いもしなかった。
(『さざえさん』では、人物の性格というものを、それほど感じることはできない。この点が普通の家庭アニメと『山田君』の大きな違いだと思う。) *
絵についてはまだまだいいたいこともあるけれど、jeanさん(この下に書き込みあり)が書いているので省略します。
車のライトのシーンなど、jeanさんが書いているようにほんとうに素晴らしい。とても斬新で刺激的だ。
見終わると水彩画を描いてみたいという気持ちにさせられるくらい、絵ごころを刺戟させられる映画だ。
*
矢野顕子の音楽と歌もとても気持ちがいい。
「いじわるしてごめんね、あやまれてくてごめんね」なんて、とても素敵だ。
jean(1999年7月24日)
jean@pop21.odn.ne.jp
題材からして、べつに映画館でみるほどじゃないかな?と思ってたのですが、結局見に行きました。
あの画面の印象は、何ていったらいいか・・・けっこう面白かったです。ああいう水彩画タッチの絵って、珍しいし。線がいつもゆらゆら動いていて、そのゆらゆら感が心地よかった。色の塗り方も手抜きっぽい?とはいえ、全体のバランスがとれていたし、車のヘッドライトがパッとともるところなんか良く描けてました。
それでストーリーはというと、うーん・・・監督は、「頑張り過ぎないこと」「適当」の大切さを訴えたかったといいますが、ああそう言われてみればそうかな、とは思うけど、見ている間はそんなメッセージは思い浮かばなかった。
それより、一番面白かったのは、中盤過ぎに暴走族との絡みが出てくるところ。
ここだけ少し劇画タッチに変わるんだけど、その変わり方が、絵的にもセリフ的にもなかなか巧みで「オオッ」と思いました。
この場面で、お父さん(たかし)への共感が一気にUP。
でもそのほかの場面は、それほど印象に残らず・・・それがちょっと残念でした。
ほかの人たちの意見をぜひ聞いてみたいです。
評価は、ゆらゆらタッチとお父さんの哀愁に星★一つずつ。
それと、パンちゃんが前に書いてた通り、ジブリが「もののけ姫」のあとにこんな肩の力の抜けた「山田君」をもってきたことはすごいと思います。
その度胸にも星★をあげたい。というわけで、計3つ。(★★★)