ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ


監督 アナンド・カッター 出演 エミリー・ワトソン、レイチェル・グリフィス

とみい(2000年6月26日)
あんまり邦題、好きじゃないです。この映画は姉妹”二人“を描いたものだから。
神に選ばれし妹と、選ばれなかった姉。
その「神に選ばれた才能をもったこと」が、本当に彼女にとって幸せだったのか。
ジャッキーは異国で洗濯ができず、小包にして家に送る。
家族は顔をしかめたが、それが洗われて戻ってきたときに、「家の匂いだ」といって はしゃぐ。そうした「心のずれ」の積み重ねは見事。
姉に感情移入しつつ、妹はわがままというより「かわいく」思える。どちらも美人に は 見えなかったが、不思議な魅力をもってますね。
ヒラリーの場合、ジャッキーの場合の視点を分けたのはうまかったが、それでちょっ と 長くなったきらいもあった。もう15分くらい短ければ、たぶん激賞しただろう。 「きょうだい」を描いた実話として、これとストレイト・ストーリーが観られたこと は、 けっこう大きな、ことしの収穫ではなかったろうか。 ★★★★。
しん(2000年3月19日)
shi_t@d6.dion.ne.jp
http://www.d4.dion.ne.jp/~stoda/
実在のチェロ奏者の話だそうです。
はっきり言って,自分はクラシック音楽の素養もないし,演奏シーンで感動も(あまり)しませんでした。(ジャクリーヌが夫(ピアノ奏者)と一緒に演奏するシーンは,ちょっと感動しました。)
自分は,姉妹の人生観を通した映画として見ました。
2回の人生の分岐点がありました。
1つは二人の立場が逆転する演奏コンクールです。
そのあとで,とまどい芸術の道をあきらめ,結婚に幸せを見つける姉ヒラリー(レイチェル・グリフィス)のおさえた演技が秀逸です。
そして突然姉よりも才能があることに気づかされて,とまどい,芸術家(チェロ奏者)として奔放な人生を送る妹ジャクリーヌ(エミリーワトソン)の演技のすごさはびっくりです。
この人の目は本当にいろいろな感情を体現しますね。
無邪気さ,女性らしさ,芸術家としてのすごさ,人間としてのもろさ。
「奇跡の海」「ボクサー」などで見たとき以上にすごい女優さんだという印象を受けました。
もう一つの分岐点は,姉が妹に,プロポーズされたことをうち明けるシーンです。「君は特別だと言われたの」という姉に「あなたなんか特別じゃないわ」と妹は言い返し,さらに「あなたにチェロ以外に何があるの」と言い返す姉は,もう妹とは違う価値観を持ったのですね。
そんな違う世界で生きていても,最後にジャクリーヌに会いに来て,介護するシーンは感動的でした。
パンちゃん(CDを聞いて追加)(2000年3月19日)
私は音楽のことがわからず、ジャクリーヌ・デュ・プレも聞いたことがなかった。
映画の中ではエルガーの「チェロ協奏曲ロ短調」だけ、本物のデュ・プレの演奏が使われているという。
映画の短い演奏では、どこがどんなにすごいのか、わからなかったが……。
CDを買って、聞いて見ると、映画の印象がずいぶんかわってきた。
映画だけを見た時は、才能にあふれているけれど、才能ゆえにわがまま、奔放に生きているという印象だった。その才能が、彼女自身だけではなく、家族をも犠牲にしてしまう芸術家の「悲劇」のようなものを強く感じた。その悲劇を、それでもしっかりと愛情でつつみこんでいる姉の人間性の深さを感じた。
CDを聞いて感じたのは、才能ゆえの孤独というものだ。
第1楽章の悲しい響き(ここは映画に使われていたと思う)、悲しみのもっている荘厳さというものも凄いが、第2楽章が、胸にとても痛く響く。
孤独が裸のまま震えているのを、直に見るような感じがする。
デュ・プレのわがまま、奔放さは、孤独が原因だったのだという感じがする。
映画の中にも、誰かに愛していてもらわないと不安になる、というようなせりふがあったように思うが、その切なさが、剥き出しの形で伝わって来る。
天才というのは、私たちの知ることのできない何かを直接的に知っている人間なのだろう。それは私たちから見れば「幸運」を生きている人間に見えるだろう。しかし、誰も見ていないものを見ている、それに魅せられている、というのは別の意味で言えば、その特別のものとの関係があるために、普通の人々との関係をうまく築くことができない、ということにもなるだろう。
そうした天才ゆえの孤独、絶対的な孤独の悲しさを、生身の人間が生きるということは、本当に苦しいことだと思う。不安なことだと思う。
その不安を、エミリー・ワトソンは本当に切実に演じていたと思う。
CDを聞いたあとでは、★5個をつけたい気持ちにかわった。
*
私が聞いたCDはソニー盤でバレンボイム指揮、フィラデルフィア管弦楽団共演のもの。1970年の演奏。
satie(2000年3月16日)
satie@xa2.so-net.ne.jp
 採点★★★★+★
 +星印一つは、本当のジャクリーヌ.デュ.プレに捧げます。
 本当のジャクリーヌ.デュ.プレが登場したかのような錯覚に陥り、一瞬鳥肌立ってしまうような場面に出逢いました。
 それは映画後半でのエルガーのコンチェルト(E minor)の演奏シーンです。この演奏だけが敢えてパンフレットで確認する迄もなく、まさしくジャクリーヌと夫君バレンボイムの演奏であることが分かりました。
 勿論、彼女の演奏はCDでしか聴いたことがありませんが、その感情の起伏の激しい演奏の特徴をエミリー.ワットソンという女優は見事に体現していたと思うし、その演技によって私にもそのような錯覚を起こさせたのだと思いました。
 1973年に羽田空港まで到着しながらも、筋肉硬化症という難病の悪化で私達はついに彼女の演奏を聴くことができなかったうえに、その後の彼女の演奏家生命は28歳という若さで永遠に断ち切られてしまうのです。
 スイスでカザルスに師事し、モスクワでもロストロポーヴィッチに学んだ彼女は今世紀最大、おそらく女流チェリストとしては彼女の右に並ぶものは皆無だとも言われています。演奏家としての完成と円熟を目前にした彼女の無念さを思うと演奏という行為の厳しさが改めて胸に迫ってくるようです。
 この映画は原題(Hilary and Jackie)からも解るように、ジャクリーヌの伝記映画ではなく、姉と妹の、同じ音楽を目指したもの同士の凄まじいライバル意識による愛憎と、それに伴う孤独との葛藤を描いたものだと思います。
 姉(ヒラリー)と弟の書いた手記『風のジャクリーヌ』による映画化だそうであり、(この著を読んでいないので詳しいことは解らないが)ジャクリーヌへの興味本位のスキャンダラスな内容に終始するものでなければ好いが、と一抹の懸念もありましたが、音楽を捨て平凡な家庭生活の幸せを選択した姉からみた、演奏家“妹”に対する尊敬の念と、限りない慈愛であったことに改めて胸をうたれ、レイチェル.グリフィスの素晴らしい眼差しでそのことが充分に理解できる映画でした。
 私などは個性的な演奏や、並はずれた音楽性やテクニックを持つ演奏家に遭遇すると、彼等の日常や私生活に至るまで興味を持ち、覗き見したくなる俗物なのですが、演奏家はやはりその演奏が全てではないでしょうか?
 したがって『ほんとうのジャクリーヌ.デュ.プレ』とは彼女の演奏に他ならないのではないか? そんなことを考えさせられた映画でした。
 なお映画の最初と最後の海辺のシーンが感動的でした!私も死ぬときに少年時代の自分に逢うことができるのでしょうか?
パンちゃん(★★★)(2000年3月13日)
エミリー・ワトソンという女優は不思議な人ですねえ。
美人というのではないけれど、無垢な感じがとても魅力だ。無垢の輝きが現実を突き破って行く。そこからドラマが始まる……。
『奇跡の海』も同じような感じだった。
目の感じが、とても生き生きしているのだと思う。
レイチェル・グリフィスはエミリー・ワトソンとは対照的な、控え目な目の色が「普通の」人間の幅の広さを体現していて、こちらもとても感じがよかった。
二人の対照的な感じが、そのまま「芸術」の不思議な危険性を浮かび上がらせていて、おもしろかった。