ボーイズ・ドント・クライ


監督 キンバリー・ピアース 出演 ヒラリー・スワンク、クロエ・セヴィニー、ピーター・サースガード

さと(2001年8月22日)
自分も性同一性障害なので見てて腹が立った。何も悪いことしていないのに偏見とか差別で殺されてしまう人たちがいると思うと悲しい。
★★★★★
なち(2001年6月16日)
★★★★
見終わって心が痛かった。身体が男じゃないだけで、悲惨なことになってしまって。幸せに2人で暮らして欲しかった。あたしも女の子を好きになってしまうので,気持ちがわかった。性同一障害についてしらべて、私も男として生きていけるのか考えようと思った。
えむ(★★★★★)(2001年2月12日)
私はヒラリースワンクの演技はオスカーに値するものだと思う。
ラナを初めて見たときの瞳はあきらかに男性が女性を見る瞳であったしブランドンは最初外見だけの男らしさを気にしていたが、厳しい試練にあう後半になるにつれて真の男らしさである心の強さをも持ち合わすようになっていくのが手にとるように分かった。
  確かにこの映画はレイプ、殺人、ヘイトクライムと救いようがない物語だがラナが性を超越してまでもブランドンを愛したことがなによりも幸せなことじゃないだろうか。ブランドンが亡くなった今でも彼女が彼を愛したという歴史は変わらないのだから。
それと猫さんに言いたいのだけど、男として生きようという決心だけど性同一障害の女性から男性の場合は物心ついた時から自分は間違った肉体に閉じ込められてると分かるものなんです。思春期になるにつれ自分の体がだんだん女らしく、もしくは男らしくなっていくのが苦痛でたまらないんです。決心なんかする必要ありません。なぜならブランドンは見た目はどうであれ、彼の人生自体が男として生きることだったのです。
とみい(2000年11月20日)
★☆。
正直、つまらなかった。
衝撃的な映画、とも思わなかった(事件そのものが衝撃的でないというわけでは ないけれど)。
プロデューサーや監督がどういう人なのかしらないが、 いわゆる男らしい男か、女らしい女が 素材を消化できないまま、つくったような印象を受けた。
「男であること」というのと、「女とやりたがること」というのは同一ではないは ず。
それなのに、ヒラリー・スワンクは、女とやりたがる存在、にしか見えなかった。
性同一障害の心の葛藤なんか、表面はなぞってるにしても、いっこも描けてない (男のスタイルに憧れた女でしかない)。
キレる男の側の心理だってステレオタイプにしか受け取れないし、 それで連帯する女連中というのもうそくさい。
こういうのをアカデミー賞ものの演技というのは、根本的に間違ってる。
(2000年9月28日)
http://www.d1.dion.ne.jp/~goronyan
衝撃的な映画だった。 映画を観終わって 誰とも口を聞かず 試写会場を立ち去りたかった・・・・・
主演のヒラリー・スワンクの演技に対して あまりにも前評判がよすぎて少しうざっている。 ・・・・ なぜって・・? 私はヒラリー・スワンクという女優を観たのはこの映画が初めてで、 彼女が主役 ブランドンを演じるのにどれくらい「演技」をしたのか あまりわからなかったから。
試写会で 映画が始まる前 司会者が、 スワンクがどのようにして役作りをしたか・・という事を具体例をだして説明してくれたけれど、そういう努力(私にしてみれば役者が 役作りをするのは当たり前)自体が 賞として評価される・・?ということが不思議だった。
確かに彼女は ほとんどみごとに男に見えたけれど、そのことばかりが話題になりすぎていると思う。
ネタばれです。
この映画、男の人が観るのと 女の人が観るのと 「感じるもの」が全く違うんだろうな・・と帰りの地下鉄の中でぼんやり考えた。
私にとって あのレイプシーンは鳥肌がたつほど不快で 吐きたくなった・・
もう これは15R指定にすべき・いやブランドンの気持ちを考えると 精神的にもかなりつらく 15Rでも足らないくらい・・・(いちおうPG12)
観ていて本当につらかった。
試写会の帰り道 友人男性に「観ていて 吐きそうになった・・」といったところ「しょうがないよ。 病気なんだから・・」という返事が返ってきて????と思った。
「え? 同一障害のことじゃないよ。 レイプシーンだよ・・ それに 病気だなんて・・・違う。 神様が間違えただけだよ・・」
そうか 男の人には あのレイプシーンは わからないんだ。 そうだよね・・ 女じゃないんだもん・・
いや もっと悲劇的なのは 「男」として生きているブランドンを ただ生物学的に「女」であるという理由で 犯せる・・という恐ろしさ・不快さ・・
彼は(あ つい彼女は・・と書きそうになった・・)その体験を どう自分の中で 消化して行くというのだろう・・?
普通のレイプももちろん不快だけれど、こういうのは 幼児レイプにどこか似ていて本当に本当に不快だった。
映画については 残念ながらブランドンが描き切れていない。
彼が「男」として生きようと決心するまでの葛藤がなにもない。 映画が始まった瞬間から「男」として生きているから・・
チラシのコピーに書かれている”自分がそうあるべき人生・そうなりたいと思った人生を生きた勇気の物語”とは 私には感じられなかった。
あの地域で「男」として生きていたことは 勇気有る生き方だったかもしれないが・・もしかしたら私は 性同一障害を認識できていないのかもしれない・・
映画はただ 女優ヒラリー・スワンクがいかに 男を演じたか 男として生きぬいたかで終ったように感じた。
レイプの後の彼の葛藤は・・?・・?????
ラストはそうなるしかなかったんだろう・・とも思うけれど、クレイジーな奴等を どうして誰も止めれなかったのだろう?・・
★★★
パンちゃん(追加)(2000年9月13日)
きのう、この映画は「救い」がない、と書いたが、よくよく考えてみたら、とても大きな救いがあった。
*
とても美しいシーンがある。
性同一障害の主人公の女性が、男2人からレイプされる。そのあと、それまで彼女を差別し、蔑視していた女性たちが、主人公の側にすっと身を寄せる。
差別する側から、性の暴力を振るった男を批判する立場に身を置き換える。
レイプという事件を通して、主人公のまわりの女性たちが、自分たちは女性というだけで蔑視されている、男がかってに女を犯してもいいと思っている、女性の人格を尊重していないということを知り、その差別へ抵抗する部分だ。
差別への抵抗という行為を通して、性同一障害の女性と、彼女のまわりの女性が連帯する。
この美しい瞬間を多くの人にみてもらいたいと私は思っている。
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差別というものは、あることばを区切りに二分割される体制のことではない。
さまざまなヒエラルキー(階級)をつくりあげ、人間の可能性を否定する仕組みのことだ。
『ボーイズ・ドント・クライ』の女性たちは、この見えにくいヒエラルキーを明るみにだし、そこで連帯している。
不幸なのに、あるいは「救い」がないのに明るい気持ちになれるのは、そうした鋭い社会認識がこの映画を作っているからだろう。
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うーん、なんだか、きのうの感想とうまくかみ合わない。
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ある掲示板での「差別語」をめぐる発言について考えているうちに、ふいに、この映画の一番いい部分に出会えた。
どんな対話にしろ、対話というのは人間の感覚を鍛えてくれるものだと思った。
パンちゃん(★★★★★)(2000年9月12日)
この映画は大変暗い。救いがない。そして、救いがない、というのが、この映画の「救い」だ。救いのなさによって、現代の問題点がくっきり浮かび上がるからだ。
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自分自身であろうとする人間。それを否定しようとする人間。
性同一障害の女性の悲しみと苦悩と勇気。そして、それを差別によって否定しよう、抹殺しようとする男。
性同一障害の女性が女性に好意を寄せるのは、ご普通のことだろう。その普通のことを、主人公は、ためらい、嘘もまじえながら、実行する。ためらいと、嘘は、そうした行為が、多くの人によって受け入れられていない行為だと知っているからだ。そこに彼女の悲しみと、苦悩がある。なぜ、自分は自分であってはいけないのか。
この行為を目にして(知って)、主人公が好意をよせる女性を、「奪われた」と感じる男が、そのことによって自分の「男性性」をも否定されたように感じる。
だから、自分の「男性性」を誇示する、取り戻すために、性同一障害の女性をレイプするという暴力を振るう。
この男にとっては、女性を性的に犯すことが男性であることの唯一の「アイデンティティー」なのだ。
男が女と交わることが唯一の「男性のアイデンティティー」でないと気づけば、この映画の不幸は生まれない。
この男が、自分の可能性を、女性と交わることを通してしか、「男であることを証明できない」というふうに限定しなければ、この不幸は生まれない。
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この問題を、映画は、とても淡々と描く。
何かしらの感動を与えようという作為はまったくない。
これは感動がない、という意味ではない。主人公に好意を寄せられた女性がしだいに主人公を理解し、愛するようになっていくのは感動的だし、主人公を蔑視していた女性の母親や友人たちが、主人公がレイプされたと知って、彼女に寄り添うようになるところなどは、実に美しい。差別が消える一瞬が美しい。
しかし、その一種の和解が、レイプされる、という女性の被害、弱者の視点ではじめて成立する点が悲しい。
差別が悪であるということは、弱者しかわからない、という現実をみせられたようで胸が痛む。
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こうした問題提起の仕方、こうした映画を作るということに、私は非常に感動してしまった。
アメリカ映画は単に娯楽映画だけを作っているのではない。人間の問題をきちんと描いている。
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何だか、映画そのものの魅力というより、映画のテーマについて書き込みすぎたかもしれない。
主演のヒラリー・スワングに申し訳ない。
彼女の演技は、この性同一障害の女性が、生きて、苦悩し、悲しみ、また愛の喜びにふるえる瞬間瞬間を、とても清潔に演じている。いとおしく演じている。