イン・ディス・ワールド



はせ(★★★★)(2004年1月8日)

 パキスタン北部に位置する難民部落の青年二人が、ロンドンへの密入国のため陸路をはるばる旅す る。「息子にはいい人生をおくらせてやりたい。」と言って父親が大金を出す。ブローカーが代金とひき換えに身分証をくれ、乗り物の手配をしてくれる。アフ ガニスタン、イラン、トルコと何処まで行っても、砂漠の黄土色がえんえんとつづく。トラックの荷台では砂塵にまみれ、ときには満載の貨物に押しひしがれ、 エンジンとタイヤの音響と振動がつきまとう。これが何ヶ月もつづくのだから、見るだけでも疲労感が伝わってくる。各国の拠点にはブローカー仲間のネット ワークがあって、二人を手助けしてくれる。だが同時に、密入国者に眼をひからせる警察の取り締まりもきびしい。圧巻は別の場所からきた密入国者といっしょ にコンテナに投げ込まれるところだろうか。二日もたたないうちに酸欠状態になる。真っ暗ななかで赤ん坊が泣きじゃくり、大人が「誰か、出してくれ。」と鉄 の壁をドンドン叩く。しかし応答はない……。
 たしかに大変な旅であるが、それは砂と貧困にまみれた難民の人生そのものの凝縮された姿と理解するから、私たちはより大変さを受けとるのだろう。国境の 高い壁に護られての平和と豊かさからは、映像を見せられたくらいでは、私たちに安易な想像をゆるさない世界のようにも思える。同情したくもなる。だが、そ ういう落差に着目して私たちは人道主義的志向を触発されるのだろうか。それとも逆に国境の壁を低くすることにためらいを覚えて、眼をそむけるのだろうか。 前者ならこの映画は一資料としての価値はもつだろうが、それ以上ではない。また後者なら映画は忘れ去られるだろう。私も正直言って、見終わった後この両者 の立場を揺れ動いた。だがいずれの見方も浅薄で、それは映画そのものの出来映えとは無関係なことだと思い及んだ。ニュース映像や新聞記事の断片を繋ぎ合わ せただけではないのだ。
 私が一番身近に感じたのは、十六歳のジャワールがテヘランで、残り少ない所持金をはたいてアイスクリームを食べる場面だった。旅をともにする年上のエナ ヤットにたしなめられるのだが、御馳走に衝動をおさえられない点では、私たちの青少年時代とまったく同じであることに何故かほっとした。そういう青年の普 通さを、また健全さをマイケル・ウィンターボトム監督は、重要事として、旅の苛酷さとともに描くことを忘れなかった。地元でも旅先で知り合った青年達とも サッカーをして遊ぶのも然り。二人の青年は彼等といち早く仲良しになり、屈託のない笑いを放つ。すでに記した、密入国志望者の赤ん坊を連れた夫妻はじめ、 同じ目的を共有したり、自分たちに共感してくれる人達とは、特に厚い交情がたちまちできあがってしまう。嬉しさがひとりでにこみあげてくる様子だ。二人が ときたま交わす機知に富んだジョークも、鬱屈しがちな気分を自分たちで盛り上げるすべを、年少ながら身につけている表れとして、大変好もしく映った。
 二人の青年は、それぞれに異なる最悪の結果に逢着する。とくに十六歳のジャワール少年の受けた打撃が如何ばかりかと心配になるが、ウィンターボトム監督 はドキュメンタリー的手法を固守して、少年の内面をことさら映像化しようとはしない。その後の事実経過を示すわずかなナレーションをつけくわえるのみだ。 観客の想像力に丸投げするようにも思える。そして私たちは、青年の背負ってしまった運命、その暗い穴を凝視させられる。私たちの政治的立場がどうあろうと も。
 最後に一言。パキスタンの都市の猥雑でゴミゴミした雰囲気が、よく捉えられていて好ましい。これに比べれば、イランのテヘランは小ぎれいな先進都市であ る。