陰謀のセオリー

監督 リチャード・ドナー 主演 メル・ギブソン、ジュリア・ロバーツ
パンちゃん(★)(11月9日)
なんともふくらみのない映画だった。
ややこしそうでいて単純なストーリー。そのうえ登場人物の人間造形が紋切り型。FBIだかCIAだか知らないけれど、「陰謀」自体も、紋切り型で何一つ驚くようなことがない。
それにも増して私が気に入らないのは被虐シーンだ。自白剤(?)を注射され、メル・ギブソンが拷問に合うシーンだ。
メル・ギブソンは『ブレイブ・ハート』以来、何だか被虐的なシーンが多い。メル・ギブソンは確かに美男子で、血が非常によく似合う。血によって男前に磨きがかかるタイプの俳優だ。しかし、それは修羅場で仕方なく負傷した場合の血のことだ。被虐的なシーンは、どうも不快な印象が残る。
被虐的なシーンというか、「洗脳」のシーンで、もっとも怖かったのはスタンリー・クーブリックの『時計仕掛けオレンジ』。この映画と同じように、目を閉じることを禁じられ、暴力シーンを見せられ、ベートーベンを聞かされるのだが、音楽の深い官能性がシンクロし、圧倒された。残酷なシーンなのに美しく、その美しいということが何ともいえず、恐ろしかった。『陰謀のセオリー』には、その美しさがなかった。
薬物漬けになる映画には『フレンチ・コネクション2』があるが、『フレンチ』も必然性が感じられるが、『陰謀』には、それもない。ただ単に苦しむメル・ギブソンの姿があるだけだ。
こういう映画はぞっとする。この手のシーンこそR指定にすべきなのだ。性器が映っているとか陰毛が映っているからR指定などというばかげた基準はやめるべきだ。映倫よ、しっかりしなさい。
この映画で唯一おかしかったのは、メル・ギブソンが街をうろうろするシーン。背が小さく、かなり太ったせいだろうか、手足の動かし方がダスティン・ホフマンそっくりだった。かつての色男も、旬の男ジョージ・クルーニーに大きく水をあけられた感じだ。
ジュリア・ロバーツも、活き活きした目の演技が、今回はなかった。この大柄な女優の魅力は、目の演技だけ。男の鼻より長い鼻、男の口より大きい口。やせた顔から、造作の全部がはみだしそうなバランスの悪さ。それを救っていたのが目の演技、眼差しの演技なのに、それがないのではまったく魅力がない。


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