ガタカ


監督 ? 主演 イーサン・ホーク、ユマ・サーマン

ななんぼ(5月19日)
nananbo@din.or.jp
http://www.din.or.jp/~nananbo/
本当は星3つ★★★だけど、ジュード・ロウがいたからぷらず半分。
普通の愛の結晶で生まれた子供は不適正な人間として扱われ、遺伝子操作されて生まれた人間は適正の人間として扱われる近未来社会・・・。実際に起こったら大変な問題になるけれど、その中で「優秀な遺伝子を持った人間だけが必ずしも夢を現実できるわけではなく、未来の可能性は対等なのだ」と伝えようとしているのだろう。
ストーリー的には面白いのだけど、主役のイーサン・ホークの存在感がイマイチ薄いというか、なんというか・・・。イーサンに自分の身分を提供したジュード・ロウの方が圧倒的に存在感があり、彼を中心に作品を観ていたという感じです。イーサンに夢を託し、そして彼の夢の現実へ一緒に協力し合い、そしてその任務を終えると同時に自分の人生をも終えるという生き方は彼の信念を貫き通していて、実にカッコ良かった。特に、警察の追求をかわすべく、本当の自分の姿に戻らなくてはならず、動かない下半身をひきずってなんとか2階へ上がり、イーサンから「2階までよく登って来られたな」という感心の言葉に「実は歩けるんだ。言っていなかったけど」という誇らしげな言葉が印象的で、この夢に人生を懸けているいるかが伝わってきた。もう、ジュード・ロウが出ていなかったら観なかったであろうと断言しても良いくらい、彼が良かった!
あと、エンド・クレジットで「GATTACA」のタイトル文字G、A、T、Cの文字だけ色が変わっているのがオシャレだと思いました。
パンちゃん(★)
遺伝子操作によって優秀な人間が製造される時代、一人の男が生まれる。遺伝子操作によらず、自然な行為で。その男は、いわば肉体的に欠陥だらけの男なのだが、一つの夢を持っている。宇宙へ行くことだ。
そのために、遺伝子的に(つまり肉体的に)優秀な男になりかわる……。
見物は、他人になりかわってからの男の努力。彼の勤めている宇宙飛行士の会社は、すべて遺伝子チェックで本人を識別しているので、髪の毛一本、皮膚の破片一つ落ちないように毎朝真剣にグルーミング(??)して行く。血液検査にそなえて他人の血を持ち、他人の尿を持ち、他人の心電図の記録を持ち……。
しかし、これは、P・K・ディックの小説みたいなものだ。アイディアはおもしろいが、人間性が欠ける。見ていて、全然おもしろくない。理性は刺戟されるが、肉体が刺戟されない。
情熱までもが「理性的」にとりあつかわれる。これではSF映画として失格。逆に理性さえも情熱的にあつかわれ、表現されてこそSFなのだ。
たとえば『2001年宇宙の旅』の「ハル」と飛行士の戦い。コンピューターのデータを(今でいえばファイルか)を一つ一つ外して行く。「ハル」の機能が落ち、最初に覚えた「デイジー」の花の歌を、必死に再生する。そのときコンピューターが、まるで人間のように情熱を生きる存在として浮かび上がってくる。とても感動的だ。
そうしたシーンが、この映画には欠けている。
その欠如の結果、何が残るか。不適格な人間が適格を装い、夢を実現する、というのはどういうことか。
結局「適格」でなければ人間ではない、という、彼が挑んだはずの「未来の基準」は無傷のまま残る。それでいいのかな。彼は「未来の差別主義」と戦って夢を実現したわけではなく、「未来の差別主義」を利用して夢を実現しただけだ。
「新しい差別主義」がアメリカでは台頭しているのだろうか。たとえば、エリートは健康管理ができなければだめだから肥満はエリートとして「不適格」であるとか、喫煙は自己の健康ばかりか他人の健康にも害を及ぼすのだから、その習慣をやめられない人間は人間として「失格」であるとか……。
まあ、アメリカで「エリート」として生きている人間、ある基準をクリアーできない人間を「失格者」とみなすとき、新しい差別主義がはじまっている、ということに無自覚な人間には受ける映画だとは思うけど……。(そうした無自覚な「新差別主義者」がつくりあげた映画だ。)
アイディアは合格点だが、思想的には「ガタガタ」という映画です。


PANCHAN world