菊次郎の夏


監督 北野武 主演 北野武

みさきたまゑ(★★★)(1999年7月4日)
misaki@ceres.dti.ne.jp
http://www.ceres.dti.ne.jp/~misaki
  
はたしてこんなに狭い日本でロードムービーは成立するのか! って思っちゃっ たね。
シネコンで見たわけだが、マサオが母親の住所をメモする時、後ろのおばさんは「あ ら、豊橋……」と声に出していった。
そうだ、われわれにとっては豊橋はとっても近い地名だ。東京だってそんなに遠く感 じない。はたして東京から豊橋まで、どうやって映画にするのだ? わたしを含めて かなりの客は「おいおい、大丈夫か? たけし」って思ったんじゃないか。
岸本加代子(『HANA−BI』より、うんといい)から渡された旅費は5万円。新 幹線で2時間半で、もう豊橋なのに……。それにしても相当な回り道をしましたね、 わざと。
そういうところがたけしの確信犯的なところだから、まあ、いいのか。
なまじ風景を知っているので、地理的な矛盾がわかってしまってしょうがないのは、 つまらないことだな。
邦画のロードムービーで成功したのは『幸福の黄色いハンカチ』くらいじゃないか?  などとも、ふと思いました。
パンちゃん(★★)(1999年6月9日)
とても美しいシーンと、とんでもないシーンが混在している。
美しいのは道路の色、砂浜や海岸の空き地をを含めた大地の色。灰色(鼠色)にこんなに様々な灰色があり、それがこんなに美しく調和しているとは。
この灰色の様々な階調の対比は、たぶん人間と人間との心の道の色の違いなんでしょう。
こんなことを書くと「意味」で映画を統制するようで、堅苦しくなるのだけれど、実際のところ本当に美しかった。
で、一か所、その灰色の調和が破れる部分がありますね。菊次郎がホームへ母親を訪ねて行くシーン。ホームのなかの廊下の冷たい茶色。灰色よりも表情があるはずの茶色が、とても冷たく、一瞬ぎょっとしてしまう。
そしてその茶色の冷たさは、菊次郎と母親との心の道が通じていない証でもあるんですねえ。
少年と母親は実際に対面するわけではないのに、同じ灰色のアスファルトの上に立って、少なくとも少年から母への心の道がつながっているのに比べると、この茶色の廊下の断絶は、激しく心を揺さぶる。
とても鮮やかな色彩の対比、色彩の利用の仕方だと思った。
とんでもないシーンというのは、後半の様々な逆の連続。連続しすぎていて飛躍がない。
どこまでもどこまでもつながっている道(大地)の見せる様々な灰色には、つながっていながら断絶があり、その断絶が美しいメロディーとなりハーモニーとなっているのに対し、切れ目のないギャグはどんなメロディーもハーモニーも奏でない。
これではつまらない。
様々なギャグ、日常の遊びが、少年の心を癒すと同時に菊次郎の心をも癒す、少年を癒すつもりが逆に菊次郎(大人)が少年に癒される時がある、というとても重要な部分なのだが、それが効いていない。
たぶん北野武のシャイな部分がそうしたテーマをストレートに出すことを拒んでいるのだと思う。
もう十分に大人なのだから、北野武はもっと大胆にシャイな部分を出せばいいのだと思う。そうすれば美しい映画になったと思う。
タカキ(★★★★★?)(1999年6月7日)
TakakiMu@ma2.justnet.ne.jp
http://www2.justnet.ne.jp/~takakimu/WELCOME.htm
全然良くないんですよ、これが。ひどい。しかし、敢えて私は絶賛したい。
少年の母親さがしに付き添いつつ、「大人の夏休み」に興じる男の姿が、バカバカしいギャグで綴られる。「大人の夏休み」は、北野監督の最高傑作『ソナチネ』でも描かれていて、これは北野映画を読み解く上で一つのキーとなるテーマなのだが、この映画では『ソナチネ』の紙相撲や落とし穴のシーンで見られたギリギリのせつなさ、或いは天才的なシークエンスは、見る影もなく、ひたすらバカバカしいギャグに徹する。
『みんな〜やってるか!』にあったシニカルさも、ここにはない。なぜなら、私のような映画ファンがそういった『ソナチネ』的なせつなさやシニカルさを未だに期待していることを、北野武は重々承知しているからだ。期待があれば、裏切らなければなるまい。それはTVのタケシを見ても、よく分かることだ。
そんな中、突然、『2001年宇宙の旅』のパロディをやるタケシ。全く意味も無く、フレッド・アステアーやジーン・ケリーの名前を挙げるタケシ。そのあまりの直球ぶりに、今までそんな形で他の映画へのオマージュを語ったことのないタケシが・・・と、映画ファンはただただ口をアングリさせるのみだ。そして、ツービートが唐突に復活を見せる。なんじゃそりゃ。
母を追うテーマでありながら、しかし、そこでタケシが描いているのは父との想い出と、彼が幼い頃夢見た父との対話の姿である。菊次郎とは、タケシの実際の父親の名前なのだ。・・・かといってその描き方は、なんだか投げやりで、彼の「照れ」があからさまに見て取れる。もっとうまいやり方があるだろうに・・・。
彼はインタビューで次のように言っている。
「感じとしては、ボブ・ディランが初めてエレキギターに持ち替えたときのような」・・・全然違うじゃねぇか、バカヤロウッ!!(タケシ風に)
ソフトクリーム(★★★★)(1999年5月27日)
haircut100@anet.ne.jp
いつも眺めているだけでしたが、初カキコさせていただきます。はじめまして、ソフトクリームです。これからも参加させて頂こうと思っていますので、よろしくお願いします。
 恥ずかしながら、北野作品は初めてでした。内容は、ロードムービー+コメディーといったかんじ。お笑い芸人のたけしさんが脚本を書いているので、少しベタなかんじはしますが、笑えます。会場の反応は上々でした。肩の力を抜いて観てみて下さい。眉間にしわを寄せてみると、つまらないかもしれません。
 私はこの作品が気に入りました。全編に人のあたたかみと、日本情緒が流れていて、「ああ、日本人として生きるのって悪くないかもしれない」と思わせてくれたので。子役の子は決してうまくはないのだけれど、いい味だしてます。
 ただ一つひっかかるのはタイトルです。たけしさんもラジオで最後までタイトルが決まらなくて、仕方なくこれに決めたという趣旨の発言をしていましたが、「菊次郎の夏」というタイトルはどうもこの映画にピタっとこないような気がします。菊次郎と正男くんと、ふたりの関係が主に描かれているのに(見方は分かれると思うけど、)、菊次郎一人がヒューチャーされているかのようなこのタイトルはどうかと思います。ですが、まあ、些細なことですね、この様なことは。
 まだ観ていない方がほとんどだと思いますので、詳しいことは省かせてもらいますね。