奇跡の輝き


タコやん(2000年4月1日)
takoyan@mua.biglobe.ne.jp

なんやねん、これ。
どこに感動すればいいのでしょうか。
ジャンルはなんなんでしょうか。
「タイタニック」はすごくいいぐあいにいろんなジャンルが混じっていたけど、これはすべてが中途半端になってしまっている。
それに、おもしろくない要素がてんこもり。
まず、天国が悪趣味。飛んでる天女なんかはっきりいってマヌケである。
また、奥さんがいい人にみえなかった。生前の奥さんの印象が最悪。
それに天国と地獄が近すぎ。あれじゃあ、がんばって奥さんを取り戻したという感動がない。
おもわずロビンを応援したくなるような場面がない。
というか、このロビンがタコやんは嫌いだ。
本当に子供を彼は愛していたのか。あれじゃー分からんぞ。
はっきりいって★なしでもいいぐらいです。
ではなぜついているのか。
ラストがよかったから。見終わった後の気持ちってやっぱりラストの印象でしょう。
タコやんはこのラストが好き。
しかし、いくらよいラストでもこのくだらない内容をカヴァーすることはできませんでした。
パンちゃんへ  おまけ
余談ですがタコやんは14歳ですよ。こういう記録(?)にはこだわりますよ(笑)。なんてったって子供ですから(笑)。
しろた(2000年1月22日)
tamagotake@exite.co.jp
私にとっては最高の感動作でした。確かに「大霊界」を繊細に、最高に美しくリメイクしたような話だけど、その伝えんとするところに私は泣いてしまいました。私は天国は「自分の思った通りになる世界」というより、自分の意識が形になる世界ととりました。最初に案内人になる「ドク」は彼の息子であったわけだけど、息子は父に会うとき、父にとって「信頼すべき先輩」である「ドク」として現れますよね。それは現世において、自分は父の自慢息子ではになかったという自覚があったからだと思うのです。かりそめの姿で父を安心させようといろいろ手を尽くしますが、父には息子の姿が見えていません。そして地獄で、父が心の底から息子のことを思い出し、その本当の姿を理解したときに、初めて、ドクは息子の姿に変わるのです。これは現世で起こる愛情と理解の瞬間の本質であり、現世のドラマで数限りなく表現されてきたことだとは思うのですが、それを「意識が具体化する」霊界に持ってきたことにより、より劇的に、印象的に表現することができたのではないかと思うのですよ。つまり父に息子が「見えるようになる」ことにより、彼の心の扉が開かれ、現世でも霊界でも変わらずにあったはずの「息子からの愛情」に真に気づくことを視覚的に表現していると感じられるのです。
うーん。うまく言葉にあらわすことができない。とにかく、愛をさまたげるものは外からの妨害ではなく、それを受け入れようとしない自分の心であるということを、とても静かに、かつ力強く教えてくれた映画でした。ソウルメイトという単語はニューエイジブーム以来良く耳にしますが、ともすればそうした特別なパートナーこそ究極の愛の姿であるかのように表現されます。でもこの映画はそれだけを伝えようとしているのではないと感じました。もーほんとに、感動したディテールについてこまごまと書きたいことがいろいろあるけど、紙面が足らないのでこのへんで。
司(1999年7月18日)
rie3721@air.linkclub.or.jp
 ★ショック、つまらなかった。
 私も、観ました。奇跡の輝き。一番気になったのは、都合の良い天国と地獄の世界です。天国でロビンウイリアムズは、この世界は『我思うゆえに我ありだよ』と教えられます。コップの中の絵の具が、コーヒーに変わる瞬間ですね。その考え方自体には、ずるいと思いませんでした。
 その後、彼は先に死んでいた娘と再会します。そのときの娘は違う姿をしていましたね。そこで私は、「ああ、この世界は思いだけの世界だからなんだ」と解釈していたんです。つまり、ロビンウイリアムズは、スチュワーデスの父であり、ロビンウイリアムズでもあるという具合に。反対にロビンから見ると、彼女はスチュワーデスであり娘であるわけです。思う気持ちが固まって一つの形をとっているんだと思っていたのです(分かりにくいですか?どうも、説明がうまくできなくてすみません。)彼の場合、アニーを思う気持ちが強かったのでバラバラにならずにいたのだと思っていました。でも、他の人の思いも彼にはすでに混じっていて(この場合、娘を思う父の気持ち)こんな場面になったんだと…。
 そのまま観続け、彼がアニーと再会する場面になり、私の思い違いが発覚します。そこではなんとアニーは姿形をなしてるではありませんか!? 私のなかでは『狂気に陥り自分を見失った』アニーに、形がとれることはありえません。な〜んだ…。「君が思う世界が現実なんだよ」って言葉、ほんとはあまり意味はなかったんだ。相乗効果で、死んだ直後アニーにまとわり付き、彼女を苦しめた男が〈ソウルメイト〉と名乗ることもうさん臭い。
 昔あった「ゴースト」という映画でも、納得いかない場面がたくさんありました。これは「西」と「東」の、死生観の違いなんでしょうか?一度、アメリカ人にでも聞いてみたいもんです。
 さんざん、けなしけなしまくりましたが、でも、絵はきれいだった。死後の世界のCGも、アニーの描いた絵も…。『タイタニック』では、ディカプリオくんが描いた絵が「なんか、タッチが違う。まるで3人くらいの描き手がいるみたい」と感じ『なんとかの諍い女』では「なに!大先生も、やっぱり失敗とおもいますか?その作品、新しい絵の下地にぬりこめるのはオレも賛成っすよ!!」と思った私なので、それには拍手を送ります、ぱちぱち。〈天才〉画家などと、銘打たなかったのが成功のおおもとかしら?画家が描いた絵といわれれば、納得できるし、反感も起きませんでした。
キリヤマ(6月29日)
半分ぐらい眠ったりぼんやりしたりしていたので細かいことはよく覚えていません。 原題(覚えてない)には「奇跡」に相当する言葉はなかったんだけど、一体何が「 奇跡」だったんだろう。
天国と地獄とがつながっていて、結構簡単に行けるってことかな。
妻を地獄から天国に連れてこられたってことかな。
(でも唐突に天国に現れたから、どうやって連れてきたのかわからなかったぞ。) 子供たちがそのままの姿で現れなかったことは、一体何の意味があったんでしょう。 あれじゃ、一度乗った飛行機で見ただけのスチュワーデスのほうが実の娘より印象 に残っているってことにならないの?
一緒にいた男の正体を見極める(?)前の一連の場面も、いかにも説明っぽかった です。
天国/地獄での場面と、死ぬ前の家族の思い出とが変わるがわるに現れますが、そ れは主人公が天国で見たり経験したりすることを裏付けたり説明したりつじつまを 合わせたりするためなんですね。面白くありません。しかもこれが何度も繰り返さ れるので飽きました。
天国/地獄では、目に見えるものは自分の思い描くとおりになる、ということでい ろんなことが片づけられるのもずいぶん安易に思えました。この設定に頼れば何で もOKですね。
見終わった後、夫が「死ぬ前の犬の模様と死んだ後の犬の模様が違っていた」と言 っていましたが、「この次はこういう模様にしたいと思っていたから変えたんだは ずよ」ということで納得しました。
星は☆か★です。
子供が登場している時間が短かったせいもあるだろうけど、アニーに母親のイメー ジが希薄なのも気になります。
最初のほうに「ゴースト」をほうふつとさせる場面もありましたが、はじめの印象 からすると、妻を地獄から連れ出すのにあんなに必死になる理由ももう一つわかり ませんでした。