CURE


SURES 滝本 勝吾(★★★★★★★★★★★★)(6月23日)
takimoto@tic.tpk.toppan.co.jp
注:ネタばらしまくりんこ、してます。
待望の「CURE」のLDを手に入れた。
劇場で2回続けて観たのだが、沢山の謎が解明されないまま映像は終わった、ように見えた。
「あの地」の建物の窓ガラスに映っていた人物は実在か?あるいは亡霊か?
高部の妻を殺害したのは誰か?あるいは自殺か?
佐久間は自殺したのか?ならば何故自殺したのか?
高部は「伝道師」になってしまったのか?
ラストシーンのウエイトレスの行動は「伝道師」高部が誘導したのか?
…謎が解き明かされないままエンディングを迎える手法は、最近よくある。
そんな中でも「CURE」は特に、謎の未解決部分をもってして観客に「その謎の意味は何なのか?」を真剣に考えさせる吸引力を秘めている。
(その吸引力のせいで、LDを購入させるという症状がさっそく僕にも出たわけだ…ってか)
それはさておき、LDを繰り返し観れば観るほど、「謎」に対して自分なりの解釈が浮かんでくる。
そしてその解釈の先には、身も凍るような思いに戸惑う自分がいた……
その解釈を一言で言うと、「伝道師」を高部が継承した…のでは決してない、という解釈なのだ。
高部の妻を殺害したのは、確かに高部だろう。しかし、それは間宮の配管を打撃する音による暗示の影響では決してない。
高部自身の妻への殺意がそうさせた…僕はそう解釈するに至ったのだ。間宮が幽閉されていた、その廊下で死んでいた若い刑事も高部自身の殺意によるものだ。
まず、「あの地」で佐久間が目撃した窓ガラスの人物。あれは紛れもなくメスメリアンの亡霊(=伝道師)だ。それに触れた佐久間はしかし伝道師になることを受け入れることができずに自殺へと追い込まれた。
だが、高部が見たものは「単なる写真」だったではないか。このシーンの解釈は、つまり高部にとっては「伝道師」の力を借りてでしか人を殺害できないような“弱い人間”ではないということなのだ。高部には「伝道師」のパワーを借りることは必要ない、ということを表しているシーンなのだ。
その後、高部は間宮を射殺する。それも拳銃の弾丸を全て至近距離から撃ち込むという徹底したやり方で。これも「伝道師=間宮」に対する高部自身の憎悪と怒りからなる行動に他ならない。勿論その憎悪とは、それまで高部自身が気づいていなかった自分自身の中にある凶暴性を、間宮が覚醒させてしまったことへの憎悪だ。もはやこの凶暴性は高部自身でも止めることができなくなってしまった…そんなモンスターをこの世に生まれさせた間宮に対する怒りなのだ。
間宮が絶命した瞬間「伝道師」も絶命した。蓄音機から聞こえる「伝道師」の声も、モンスター・高部には全く意味不明名モノにしか聞こえないことも、この解釈に合致する。
自分の中から沸き上がるこの凶暴性が、せめて「伝道師=間宮」のせいであってくれ!その方が高部にとっては気が楽だ。それを確かめるために間宮を逃亡させた高部。しかしその行動は「あの地」で自らの凶暴性であることを認識する結果でしかなかったわけだ…。
自分では制御できない凶暴性の存在。これほど、怖くて哀しい状況を、僕は見たことがなかった。
さらに、ほんの1秒というにしてはあまりに重すぎるラストシーン。
あの時、ウエイトレスは「自らの意志」で包丁を握り、誰かを殺害に走った。あれは絶対に「自分の意志」で、だ。
これが意味することは何か?
モンスター・高部のような、もはや自分で自分の凶暴性を押さえることができない人種が、僕たちの身の回りに沢山存在する世の中になってしまったのだよ、という監督のメッセージなのだ。
制御できない凶暴性…一体、僕たちはこんな世の中でいかにして生きていけばよいのか?
こんな事を真剣に考えさせてくれる作品だった。
120点!!