キャラクター 孤独な人の肖像

監督 マイケ・ファン・ディム 出演 ヤン・デクレール,フェジャ・ファン・フェット
パンちゃん(★★★★★)(3月21日)
黒--と言っても色々な黒がある。登場人物が着ている服の黒を見ただけでもずいぶん差がある。アメリカの黒は乾いている。イギリスの黒はみずみずしい。そして、オランダの黒は濁っている。消えて行く光を吸い込んで息を吐いているような感じの濁りがある。黒なのに、たそがれの光を呼吸している感じ、生々しい息、臭い口臭がにおってきそうな感じだ。
アメリカの黒の魅力を語ることはできる。イギリスの黒の美しさを語ることはできる。しかし、オランダの黒の深さを語るのはなかなか困難だ。濁りが強烈な口臭となって接近を拒む。濁っているために何だか近づきたくない。近づきたくはないのだが、その存在感が忘れられない。濁りのなかに緊張感があるからだ。息遣いがある。うごめきがある。
その濁りは、たぶん感情を解放できないことからきている。自分のなかにある感情、愛と憎しみ、それを開けっ広げにできない。感情がかかえこむエネルギーを恐れているかのようだ。たぶん恐れている。感情が自分を破壊してしまうことを知っている。相手を破壊してしまうことを知っている。(主人公のヤコブが表現する暴力を見よ。)だから、それを全面的には明らかにしない。屈折し、その屈折が濁りを生む。(全部解放してしまえばアメリカの乾いた黒になる。)
自分自身のなかにある濁りを見つめながら、自分を確立するために苦悩する。苦悩のなかで、人格ができあがってゆく。濁った人格が……。
しかし、たぶん人格というのは本来濁ったものなのだろう。すっきりと割り切れるものではないだろう。そういうことを、ずしりと感じさせてくれる映画である。ヨーロッパの底力という感じだ。
「キャラクター」といった抽象的なものだけではなく、肉体もアメリカとヨーロッパは違う、ということも感じた。
ヤコブを陰になり日向になり助けてくれる弁護士の顔を見よ。受け口の変な発音。その歪んだ顔。濁った顔。それをさらして生きるのがヨーロッパの力だ。
あるいは父親の醜い裸。醜いけれど大地をしっかりと足の指でつかんで離さないような下半身の迫力。矛盾した心を支えることのできる力。これもヨーロッパだ。
こんな生々しいヨーロッパ、洗練を拒み内に深い矛盾を抱え、それを抑える力で内側から輝くヨーロッパというのは本当に久しぶりだ。
石橋 尚平(★★)(9月20日)
shohei@m4.people.or.jp
こういう映画が一番苦手。よくできてはいるけど、何か徹底性を欠いている映画が。父と子の確執なんて問題をなんで今更語らないといけないの? 主役の男の顔がいかにも二流っぽいのもやだな。もちろん主題には合っているんだろうけど…。でも、それは演出の消極性による結果だと思うのね。この映画、演出はそれなりに的確であっても、結局語りに芸がないから、そう思わせちゃうんでしょう。こういう人ははやくハリウッドに渡って、パラマウントあたりで社会派作品とってりゃよろしい。向こうは不徹底さを真面目さと勘違いしてくれるでしょう。私、ラース・ファン・トリアーも苦手なんだけど、彼は辛うじて語り方に図々しさがあるでしょ。キネ旬ベストテンに入る程度の、それなりの(ラストで奇跡起こそうがなんだろうが…)。オランダ映画って、どうも俗っぽい安さが共通しているみたいですね。偏見だけど…。