黒い家


監督 森田芳光 出演 大竹しのぶ、内野聖陽、西村雅彦、石橋蓮司、小林薫、友里千賀子

ケイ(2000年7月24日)
最後はB級ホラーでした。
評価は★★
かっくん(11月24日)
kao@bio.ne.jp
パンちゃん、私はぜんぜん恐くなく、前評判に「また」踊らされて映画館で高いお金はらって見た自分に腹が立ち、違った意味で笑えてきてしまいました。トホホ。
この監督の作品は、ぜ〜んぜんたいしたことないのに、どうしてこんなにも騒がれるのだろう?という気持ちを再確認したと言ってもいいほどつまらない映画でした。
この人の映画は、必ず途中であくびが出る・・。
「失楽園」も、そうだったっけ。。。どうして?なぜこんなに公開前に騒がれるの?なにかバックが働いてるの??
世間で騒がれている事件にまだ新鮮味があるうちにそのテーマをとりあげて映画を作ってるから??え?それだけ?
あまりに現実離れしすぎており、また、救いようのない下品な映画としか、印象がありません。
監督の「色」にこだわったというのも、なんだかどーでもいい感じ。
効果音とやらもどーでもいい感じ。
いつ恐くなるのか、恐い部分はまだなのか、それとも私は、恐怖を感じる感覚が鈍感になってしまったのか、世間並みではなくなったのか??それがわからなくなったのが一番恐いぞ??
星は、金返せの1個。
パンちゃん(★★★★★+★★)(1999年11月14日)
この映画は怖い。とても怖い。思わず身を乗り出し、笑わずにはいられないほど怖い。実際、私は夢中で身を乗り出し、笑いっぱなしだった。
身をのけぞらせたり、悲鳴をあげたりするくらいでは、とてもこの恐怖は解消できない。つまり、怖すぎて、見続けることができない。見続けるためには、身を乗り出し、笑うしか方法がないような映画だ。
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この映画は、変な言い方になるが、暗くない。明るい。大竹しのぶが着ている服(黄色が多い)が象徴するように明るい。そして明るいということが絶望的に「暗い」。矛盾の形でしか言いようのない何かが、ここに存在している。
そして、その矛盾した明るさは「論理的」な明るさだ。
人が死ぬ、あるいは障害を負えば保険金が入る、という明確な「論理」。それが明確であればあるほど、名づけようもない「暗さ」が浮かび上がって来る。
大竹しのぶは保険金の「論理」にしたがって行動する。息子を殺し、夫の両手を切断する。(以前にも子供を殺し、前の夫も殺している。)ここには「論理」の矛盾というものがない。つまり、「論理的」にとても「明るい」。その明るさが怖い。
普通は「論理」を「感情」が邪魔する。子供を自殺に見せかけて殺せば保険金は入るかもしれないが、わが子はかわいいという感情が邪魔して、そのような行動をとることは普通はできない。感情が論理を曇らせるのである。ところが、大竹しのぶは感情によって行動が曇らないのである。明るいままなのである。
その明るさが、説明のしようがないほどの「暗さ」を呼び寄せる。
その論理の明るさ中和させる何か暗いものが絶対に必要なのだが、それが何であるかを私たちは明確に表現できない。
「こころ」と簡単に言ってしまうことができない。「こころ」というもので伝えようとしても、大竹にはそれが伝わらない。
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私たちは、たぶん、明るいものの方が暗いものよりも優れている、というような思いで、暗いものを追放するようにして生きて来た。その結果何かが完全に狂ってしまったのかもしれない。
映画のタイトルは『黒い家』であるが、この映画を統一している色調は黒ではない。黄色である。明るい色である。
その明るい色こそが、暗いもの(黒い色)を育むことをないがしろにし、その結果、明るさを中和するという大切な行為が欠けてしまうということが起きているのかもしれない。
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この手の映画は「犯人」が誰であるかを言わない方が見ていて怖いという印象があるが、この映画に限って言えば逆だ。わかっていた方が怖い。大竹が犯人だとわかっていた方がすべてがより怖く見える。(だから、普通ならネタバレということで書かないことを、私はここで書いている。)
それにしても、こんな救いのない映画をよく作ったものだ。
どんな恐怖映画にも救いがあるものだ。『13日の金曜日』のような映画にさえ、犯人がつかまってよかった、という解放感がある。ところがこの映画には、そんなものはない。
ただ「暗さ」のないものは怖い、という印象だけを残す。
こんなものを映画にしようという精神に★一個プラス、大竹のあくまで明るい「暗さ」にさらに★一個プラス。