グレン.グールド/27歳の記憶


satie(1999年12月1日)
satie@xa2.so-net.ne.jp
http://www04.u-page.so-net.ne.jp/xa2/satie/
採点簿への投稿なのですが映画としての採点がちょっとできません。
『グレン.グールド/27歳の記憶』を銀座テアトル西友のレイト.ショウで観ました。
今世紀の最も個性的なピアニストといわれている、グレン.グールドが27歳を迎える1959年初夏のドキュメンタリー映画です。一時間足らずの映画は前半と後半に分かれ、それぞれOff the RecordとOn the Record、つまり彼が別荘でプライヴェートな時を過ごす「Off」と、スタジオでレコードを制作する「On」の活動の記録から成っています。
若き日のグールドの音楽観やその後の演奏形態の秘密がこの二つのシーンを通して次第に解き明かされ、音楽家グールドの全貌も明らかになってくるといった、彼のファンだけでなく全ての音楽ファンにとっては興味の尽きない映画であった、と思います。
普通、作曲家と聴衆を繋ぐ音楽行為者としての伝統的な立場にたつ演奏家にとっては考えられないことでありますが、彼が演奏会活動を中止(否定)しその活動の全てをレコーディングに向けたことはあまりにも有名です。その理由として彼はこの映画のなかで演奏会には(Take2)が無いことを主張しています。つまりその場で進行する一発勝負でなく、数回のTakeをとったうえで選択し編集したりする可能性をのないことを彼は嫌ったようです。このような彼の姿勢は従来の演奏家よりも作曲家の行為に近い(事実彼は演奏会を中止した後は作曲活動に専念することを考えていたそうである)と思います。
実は言えば、私は音楽学生だった頃初めてグールドの弾くモーツアルトのA majorのソナタ(K333)を耳にした時に、そのテーマのあまりにも遅いテンポの設定と奇妙なフレージングに拒否反応を起こした一人だったのですが、何か無視したり素通りさせない引力のようなものに引き付けられてしまったのです。全体を聴き通した時に、それまで私の想像だにし得なかった、全く知らなかったモーツアルトが具体的な実像となって浮かび上がって来るようでした。それはその後聴いたバッハも同じようなことを感じました!
しかし、何よりも興味をひかれ、疑問に思ったことは、このような演奏が可能になるために彼はどのようにして作曲家のスコアを読みとるのか?ということでありました。そしてこの映画はそんな疑問にも答えてくれるものであったように思えました。
まず彼の演奏は先に述べた従来の演奏家としての視点からでなく、むしろ批評家の精神から作曲家に一撃を加え、さらに精神科医のような分析を行ってゆく。そのようにしてスコアに隠された秘密の一つ一つを解読してゆくのです!
偏に彼の演奏は批評精神に他ならなかったのだ、という漠然と感じていたことを改めて確認することができました。
蛇足ですが、彼のピアノ奏法の特徴はあの極端に低い椅子と組んだ足にもあるようです。つまりペダルの使用がほとんど不能であることと、レガート(なめらかに、音と音が切れずにつなげる)奏法もほとんど不可能である、ということです。よく彼のバッハを聴いた友人からジャズのようだと言うのを聞きますが、彼の演奏はジャズなどの即興性のあるものとは全く異なる立場にあるものと思います。しかし、あのノン.レガートのフレーズやペダルを使用しないドライな音色、それにイン.テンポで押し通すリズム設定などがそのような感じを持たせるのかも知れません。
PANCHANのおっしゃていた硬質、という感想もそのへんに原因があるのかも知れませんね。