マトリックス

監督 ウォシャウスキー兄弟 出演 キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン

TAKO’S(★★★★)(10月27日)
tako-s@ba2.so-net.ne.jp
冒頭のシーンから電話で転送。おおっこりゃ漫画「ジオブリーダーズ」かいなぁ...
ありゃ、細かい設定に気をとられるより瞬間のアクションを楽しめばOKだよなぁ!
と思った瞬間に気が楽に。
あとはもう「おおっ、竹中直人がカンフーやっとる」とか「チーン!調理終了ぉ〜」ともう笑いまくり。なによりエージェントの方が直情的なのが爆笑「そこまで行くとあんたもガン化してるんじゃないの?」とか。
仮想世界で死ぬと現実でも死ぬあたりは永井豪の「あばしり一家」あたりからのお約束だし、マトリックスの存在は「創造主へのせめてものサービス」とでも思っておけばよいのかなぁ。
続編、マトリックス内だと勝負にならないから、現実側がメインになっちゃうかな?
マトリックス内だと武空術覚えたあとのドラゴンボールになっちゃうし。最近のジオブリーダーズのように携帯で転送出来るプログラムは開発されるのかなぁ?アナログ回線のみってのは絵的、音的には素敵だったので残して欲しいけど。マトリックス内で急速に交換機のデジタル化工事が進んだりしちゃうと...困るか。
個人的に気になったのは主人公達にマトリックスに捕らわれている人たち助ける意欲ってのが希薄に見えた点。何人殺したのかなぁと。次作でスーパーマン同士の空中戦をやったり、マトリックス止めると大虐殺になっちゃうかも。「救世主」は選ばれた人の為だけの存在かなぁ...やっぱり。
最後は純粋な人と作られた人との醜い争いになったりして...
よし(1999年10月25日)
yosi@pop21.ne.jp
ストーリー設定の辻褄をあわせることに頭を使いすぎて映像を満喫できなかった。
映像はかっこいいけど、何かもの足りずジャッキー・チェンの映画を見たくなったのはわたしだけではないはず。
サイファーはエージェントといつ接触できたのか?
この点だけ納得いかない。
「プラグを抜いてもらって6年間・・・」とかn言ってたような気がするが、それも???
最後にネオが「真実を皆に見せよう」などと言っていたけども、そんなことしたらショックでどうかなってしまうんだったのでは。
なんか多くのカットされてる部分の存在を感じてしまいました。
映像はカッコイイのに消化不良が多すぎて残念でした。
エイジ(★★)(1999年10月23日)
すばらしい映像がどうしようもないストーリーでだいなしだよ。
ほんと、もったいない。
あれじゃあ、2時間もたないよ。
でも映像だけは、おもしろい。
甲殻機動隊と北斗の拳とループとブレードランナーとアキラと、・・・・・
しかし、キスで、生き返るなよ。
キアヌのアクションは、笑えるよ。
ほんと、もったいない。
d.nomura(1999年10月17日)
daikin@ainet.or.jp
Ro- ma ji de sumimasen
Honyaku no Mondai tte Donataka Shiteki Shite Kurenai de shouka?
"Kyu-Seisyu"="the one" "Yogensya"="oracle"
Moshimo Kono Eiga ga Animayion no "Akira" no seikaikann ni ookina Eikyo- wo uketeiru tosuruto Kono Honnyaku ha Mazuinodeha naideshouka?
"Naze Kasou gennnjitsu de shinuto Genjitsu no jibunn mo shinunoka ?" toiu hanashi ...
jibunn ha amari kini naranakatta desu.
マーヴェリック(1999年10月12日)
adhoc@anet.ne.jp
 遅ればせながらやっと「マトリックス」見ました。世界観はターミネーターと鈴木光司の「ループ」(これも現実とのメディアはなぜか電話だった)を足したような感じでした。人間をカプセル培養というのも「V」シリーズであったなぁ・・・と、設定に目新しさは感じず細かい部分に粗も目立ちますが、それを大胆な映像とスピード感で十分に補ってます。
 ところでキアヌが生き返る場面、皆さんどう考えていますか?SFなんだから何でもありという考え方もできますが、一応ストーリーの一番の盛り上がりなので・・・
 マトリックスでの死はあくまで「心の死」であるが、それは現実の肉体にも反映される(司さんの推理に賛成!)。これを逆に考えれば、マトリックスでの死を「死」と思わなければ現実の肉体に何の影響も及ぼさないのではないか・・・というのが私の解釈です。
 そう考えると、キアヌが「自分は死んでない」と思えば生き返ることも可能なんだろう。重力も息切れも銃弾の速度も単なる思いこみであり、「心を解き放て」ば完全に無視できるんだから、生死だって無視できるはず。死んでいった人たちは、結局マトリックスの既成概念から逃れ切れなかったということ。
 よって「救世主」とは、「マトリックスなんてただの仮想現実、プログラムじゃん」と割り切る能力の高い人間、ということになるんでしょうか。生き返った後に妙にパワーアップしたのも十分納得できるというものです。(なんだか陳腐になっちゃった…)
 パワーアップした場面の映像はとてもカッコよかった。キアヌの視点からの情景が緑色のプログラム言語で構成されているように見える場面は秀逸!
 映像とアクションだけで星4つ、「コンピュータに支配された人間性の回復」というモチーフが消化不良だけど、粗探しの楽しさで脚本はプラマイゼロというところでしょうか。
colles(1999年10月1日)
colles@sam.hi-ho.ne.jp
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/colles/
☆☆☆
退屈しないで見ることができた。
どうやって、電話をかけて転送できるのか。
携帯じゃだめなの?
まあ、細かい転送の仕組みを説明されたところで、それが嬉しいというわけでもないから、どうでもいいか。
他にもいろいろあったけど、それは枝葉末節といったところだよね。
私は、私たちのいるこの世界や自分自身がバーチャルなんじゃないかって、時々思ってしまうすことがあるよ。
逆に、この世界は、感じる自分があるが故に存在している、自分がいなくなった瞬間に、この世界も消滅するという考え方もある。
そういった不思議な感じというものは、どのようにこの社会の中で消化されているのかしらね。
恋愛感情とか、にっくき敵をやっつける思いに、まぎらわせてしまうのかな。
ダグラス・タガミ(1999年9月27日)
マトリックス見ました。まず、アニメ的な発想を本気で実写化しようとした 監督兄弟に拍手。面白かったです、絵的に。
VFXが気に入りました。でも、ダイヤル電話とカプラー使っての通信は、 安っぽいレトロフューチャーで漫画丸出しって感じでしたね。
近未来系の仕組みとしては、BLには、まだ、とどいていませんね。
ディスプレイの縦落ちは、面白かった。横書き文化しか持たない人に すると、縦書きは、確かに暗号っぽいでしょうが。
戦闘シーンですが、キアヌの拳法はヘナチョコだったなぁ。
見ていて、おっかしくて、ずっと笑っていました。
キアヌよ、もう少し腰を入れる練習をしないと、2、3もヘナチョコで 終わるぞ。東洋人は、君のヘナチョコを見抜いてしまった。
こうやって見ると、やっぱり香港のカンフーアクションは、基礎があって はじめてワイヤーでのデフォルメが生きてくるのがわかるなぁ。
やっぱり、ジャッキーやジェット・リーは、偉大です。
でも、キアヌはかっこよかったですよ。
★4つ。私は、映画的にはバウンドの方が好きですけど。
それと、パンフレットでかすぎ。考えて作ってくれー。
司(★★★★)(1999年9月23日)
rie3721@air.linkclub.ne.jp
 面白かった…。オープニングタイトルからして好きになってしまった。プログラム言語のようなモノが上から流れてくる所!! ああ、まるで映画『甲殻機動隊』縦版っ。(パンフに、“日本のコンピュータープログラムは、縦に流れると信じていた”スタッフが縦でつくったらしいと知ってさらに感激。と、いうことは確信犯ですね。
 どんな映像でもつくれちゃう今現在、もう『絵を見て感激する』ことなんか無いと思っていただけにうれしかった。たしかに、全部どっかにあるものを持ってきただけといえばそれまでだけど、なんだか力づくで感動されられたかんじ。どんな物事にも限界って無いんですね。
 あと、もうひとつ大きなお世話かもしれませんが『バーチャルの自分が死ぬとなぜ、現実の自分まで、死んでしまうのか?』という疑問をお持ちの方が大変多かったので勝手な推理をひとつ。たしか、自立神経ってその人間の感情とかと深い関わりがありましたよね。だから、もしかしたら「多量に出血している!!」と脳が判断したら、血圧が極限まで変化する、とか…。痛みにも反応するはずだし…。(ショック死?)とか…。「足を根元から切断した人が、何十年も足の指先の痛みに悩まされる」という話もあります。あまりにも強烈な痛みなどは脳に深く刻み込まれるらしいのです。もし、人工知能さんが、人間の死ぬ瞬間のありとあらゆる電気的記録を人間に注入すれば簡単に死ぬと思う。まあ、撃たれた男の子が口から血を流して死んでみたりしてたので、やっぱこのことに関しては監督はどうでもよかったんでしょうね。(そういえば、キアヌなんか一度死んでよみがえってたもんなぁ…)
 それよりも何よりも、おおきな疑問という事で言わせてもらえば、人間を熱源としてエネルギーを得るのが目的なら『マトリックスは要らない』んじゃないでしょうか?だって動物が生きていれば熱を発しつづけるわけで、何も人間のこころを満足させる必要はまったくない。それで寿命は短くなるかもしれないが、栽培速度を増やせばいいことだと思う。
 ついつい映画の感想とかけはなれたことを書いてしまいました。みんなの意見がいろいろ交錯しているのが面白かったもので…。どうもすいませんでした。
パンちゃん(司さんの文章を読んで……)
熱源に人間を使うのは……。
人間がコンピューターの支配から逃れようとして反乱(?)を起こしたからでは?
コンピューターにとっては、そうした悪い人間をカプセルに閉じ込めエネルギーとして利用することは、一種の必然だった。
人間を自由に生かしておけば、また人間が反乱を起こし、コンピューターの支配を破壊しようとするのだから。
でも、おかしいのは、ではなぜそうした人間をわざわざバーチャル空間に登場させ、人間は生きていると思わせる必要があるか、ということだろう。
人間は単にカプセルの中だけで何もせずに生きているということはできない、ということかなあ。
体はかぷせるのなかにとじこめられているけれど、バーチャル空間を生きている夢を見ながら成長して行く。その成長の過程でエネルギーを放出し、それをコンピューターが吸い取っているということかなあ。
まあ、何でもいいんでしょうねえ。
何でもいいから映像にしちゃえ、というエネルギーがこの映画の魅力だと思う。
ドット(1999年9月23日)
n-tomoo@mtj.biglobe.ne.jp
星4つ
なかなか、よくできてました。
キアヌリーブスの立ち回りが少し迫力なかったけれど、子供がエイヤーって、立間割りしているみたいで。
この映画で光ったのは、どっちかというとエージェント役の冷たいオッサンじゃないかな。それと隊長役の黒人俳優。ちょっと負けてたよ。キアヌが。
女優さんつよくて、しっかりしてそうでよかった。
アメリカの映画人っていうのはただの娯楽にみせかけて、啓示的な要素を取り入れてくるのには常々感心していた。
聞くところによれば「バウンド」を作った兄弟らしいではないか。
B級であれだけできたのだから大したものだ。AIが完成したというのも、またそれが「意識」を持つようになったというのも、いまのコンピューター路線の未来をしっかりみている。ただ者ではないですね。
仮想世界の死がどうして現実世界の死に結びつくのかもう少し説明が必要ですね。「心と体は一緒」なんて、乱暴なセリフで終わらないで、せっかくよくできているのだから。
「仮想世界での死が、肉体の自律神経の、どうのこうの」とか、、。
パート2を作るのか?だとしたら、よほど脚本に気をつけないと、ターミネーター2みたいにただのドンパチになってしまうぞ。つまりコンピューター対人間という対立構造がはっきりしたわけだから、ハリウッド路線からいくと派手なドンパチしか今のところ思い浮かばないではないか。
今日はそれより、「映画館は絶対携帯電話禁止」キャンペーンを行いたい。鳴らしたヤツは、係りの人がチェックして次回から入場禁止にしてもらいたい。それに子供が大騒ぎ、赤ん坊は泣くわで、そっちの方が気になって、おれは娯楽にきてんだあ。金払ってるんだぞ。
携帯が鳴っただけでも腹立つのに、なんとその「女性」切るどころか、受けて、「あ、もしもし、あ、そうそう、」などと「会話」してるのだ。どーにかしてくれーぇ。
昔、寝たきりの病気の子供が呼吸を維持する機械をつけて、なにバッコンバッコンしてんだ?と思ったが、それは社会の道徳の範囲でさほど気にならなかったが。
携帯は許せねぇ。パンチャン日記で取り上げて、美しい文章でこいつらを撃退してくれー。
jean(1999年9月22日)
jean@pop21.odn.ne.jp
きのう見たわりには、早くも印象が薄れていきそうなので忘れないうちに書いておこう・・・
いくら時が経っても感動が薄れないどころか、増していく映画もあるんだけど。
でもまあ、それは置いといて。
この映画は、すごくお話がオーソドックスですね。人工知能が人類を脅かすようになるっていうのは、「ターミネーター」にもあったなー。前評判がすごかったこともあるし、かなり複雑でユニークな世界が展開されるにちがいない、とちょっと身構えて見に行ったのだけど、そんな必要なかった。なんか妙だなと思い始めたのは、クルーの1人(ジョー・パントリアーノだ!と、かなり終わりの方で気付いた)が敵のエ−ジェントと接触する場面でした。こんなベタな展開でいいのか?と思いつつ、もう一つ疑問に思ったことの答えを一生懸命考えているうちに、映画は終わってしまいました。その疑問はすごく単純で、なんでマトリックスの中で死ぬと、現実の肉体も死んでしまうのか?ということ。何か納得の行く理屈はないかと、いろいろ考えてみたけどやっぱりだめ。
なんかもう、どうでもいいや・・・それに疑問自体、そんなに魅力あるものじゃないし。というわけで、今も答えは分からずじまいです。
ただ一つ残念なのは、このどうでもいい疑問につい真剣に向き合ってしまったために、映像そのものの持つ力を見過ごしてしまったこと。一応はちゃんと目を開いて見たつもりだけど、どうもインパクトが脳まで伝わらなかったみたい。銃撃シーンや肉体のアクションは、確かにユニ−クだった気がする。でも、はっきりとは思い出せない。これはちょっともったいないことをしてしまった。予告編も何も見ないで、何の先入観もなく見ていたら、たぶんもっと楽しめたかなあ。でももう、取り返しがつかないなあ、、、。星二つです。
しーくん(★★★★☆)(1999年9月21日)
kanpoh1@dus.sun-ip.or.jp
特撮で鳥肌が立ったのは『ジュラシック・パーク』以来です。特撮を見るだけでも2度、3度と劇場に足を運んでしまいそうです。ストーリーがちょっとややこしくて、よそ見をしたらついて行けなくなってしまいそうな展開もGOODです(笑)もう目をカッと見開いて見てました。ただ私が見た劇場は音響が悪く(設備は整っていたのだが・・)、音のほうは少し迫力不足だったので(ハハハッ・・ミナミで見てしまいました^_^;)是非音響の良い映画館で見直したいと思います。ただ、感想を文章で書くとなると非常に困ってしまいます(実際に見たのが封切り2日目だったのですがどのようにコメントしていいのか迷っていましたので)。会社の同僚から「どうだった?」と聞かれますが、「凄かったから是非・・・」程度の事しか言えません。実際に自分自身で体験しないと、言葉だけではこの作品の凄さ、魅力は伝わらないでしょうから・・・。不満が全然なかったわけではありません。3人の主人公が充分魅力があったのに対して、敵のエージェントがいま一歩。無敵に近いはずなのに、私にはそう言う風には見えませんでした。あとネオが復活して“救世主”になるところは???でした(なんで復活するだけで“救世主”になれるのか)。友人が言うには「見逃している」らしいのでもう一度見て確かめてくるつもりです。いずれにせよ、各雑誌が特集を組むほど魅力的な作品であるのは間違いありません。
川島(1999年9月21日)
clara@muj.biglobe.ne.jp
ひとことで言うと「おたくの夢総体集&ナーズの復讐」。
わたしには「ついてけない」とこが多すぎた。まあこれは好みの問題だけども。カンフーんとことか、銃がガーって出てくるとことか、イカとか……笑ってしまったよー。
だって「イカ」ですよ、イカ。でも真剣に観て「かっこえぇー」と思っている人もたくさんいるんだろうな。うむ。
しかしこの辻褄のあわなさ!心理描写の欠如!ハチャメチャなストーリー!見事としか言いようがない。
兄弟よ、それでもやりたくて作りたくてしょうがなかったんだね。こういう映像を。ある意味すごいと思うけど。どーもなぁ。
「バウンド」はすっごくスリルがあってぐいぐい引っ張られたんで期待したんだけどなぁ。肩すかし。
金さえあれば何でも出来ちゃうんだ、やっぱ。
いや、いいんですけどね。技術の向上はいいことだ。
でもどうも私は…手ぇ叩いて喜べんなぁ。
アニメ、ゲーム、コンピューター、漫画、確かにおもしろい。
でもどっぷりそれにはまるのは不気味だしちと怖い、よ。
パンちゃん(★★★★)(1999年9月12日)
この映画はキアヌ・リーブスの顔なくしてはあり得なかった。
平面的で無表情で同時に美形。
役者としてはとてもつまらない顔だが、この映画のように非現実的な世界を舞台にしたときは別だ。
非現実的な世界では感情はいらない。感情がともなわないからこそ非現実的というのだから。
*
繰り広げられる世界は、非現実的を通り越して、場当たり的。何やらチップを埋め込まれた未来のキアヌが現実で、1999年の電子信号を注入されたキアヌがバーチャルという設定のようだが……。
現実の人間につながっている回線を抜いたらバーチャルの人間が死ぬというのはいいとして、なぜ同時に現実の人間も死んでしまうのか?
またバーチャルの人間が死ぬとなぜ現実の人間も死ぬのか。あるいはバーチャルの人間の肉体的苦痛がなぜ現実の人間の肉体に作用するのか。
あるいはバーチャルの存在にすぎない敵(なんという名前だっけ)を殺すことで、なぜ現実の人間が救われるのか。バーチャルの敵の本当の肉体、あるいは思考はどこに存在するのか。
などということは、書いてみればきりがないし、どうでもいいこと。
非現実的な美形が無感情に動き回るそのスピード感、肉体の躍動感、それを包むファッションのかっこよさ、激しい銃撃戦の美しさ、落下する薬莢の美しさ、破壊されるコンクリートの断片の美しさ、それが目玉なのだから。
しかし、まあ、考えてみれば不思議なものだ。
バーチャルといいながら、観客が楽しむのはバーチャル空間における肉体・肉体的物理であるというのは。
肉体そのものを武器にした柔術(なんだ、このことばは)のリズム、銃という未来では原始的なものに属すであろう武器、簡単にいえば物と物とがぶつかって破壊するという単純な物理現象。
なぜ、そんなところにしか美は存在しないのか。
たとえば数字の強靱さ、数学の公式の美しさではないのか。(『コンタクト』は、その美しさにほんの少し触れていましたが……。)
うーむ、私たちの美意識は、結局のところ、とてもデジタル的とはいえないということだろうか。デジタルの段階にまで到達していないということだろうか。
*
いやあ、考えなくてもいいことまで考えてしまった。私の思考はあくまでデジタルに、理路整然と展開するのだろうか。(笑い)