マイルーム




みどりん(★★★★)
moto@osk.setsw.co.jp
わたしは、この映画のダイアン・キートンの、「人を精一杯愛して、愛にあふれた人生だった。」というセリフで、いつも人からの愛情を求めている自分にドキッとした。「もっと、大切な人に愛情をそそぎたい」と、単純に感動してしまった。 このセリフがこの映画の主旨ではないかもしれないが、私にとって大切なことを気づかせてくれた映画だった。
パンちゃん(★★★)
メリル・ストリープはダイアン・キートンの演技合戦である。
メリル・ストリープが顔で演技するのに対し、ダイアン・キートンは体で演技するといった印象がある。
ダイアン・キートンのブスさ加減は、以前に比べ数段進んだ。化粧もせず老人二人の面倒をみているやくだからなのかもしれないが、ちょっとすごい。体形も、じつにおばんっぽい。これもメークの一種だろうか。しかし、演技はやっぱりすごい。ブスなのにしらずにひきこまれていってしまう。みとれてしまう。
メリル・ストリープも美人ではないが、相手がブスだけに、ずいぶん損をしている。役としても、観客のこころをひきつける役ではない。憎まれ役である。どうしたって観客はダイアン・キートンの味方(?)をしたくなるからねえ。それでもずいぶんひきこまれる。うまいんですねえ。レオナルド・ディカプリオに苛立つシーンなんか、苛立ちが手に取るようにわかる。伝わってくる。
レオナルド・ディカプリオも不安定な精神を透明感のある表現で伝えていた。
わからないのがロバート・デニーロ。なぜこの映画に出たのだろう。なぜ彼を使ったのだろう。デニーロが出ていなければ★が四つになったかもしれない。デニーロの出てくるシーンだけ、映画から浮いて感じた。
演技とは別に印象に残ったシーンがある。鏡を使って部屋の中に光を乱反射させるシーン。とても美しい。暗い部分が明るく輝くということ、暗く見える部分にも光が当たれば明るく輝くということ----それは、ダイアン・キートンが演じた役の生き方そのものの象徴かもしれない。
ダイアン・キートン自身は「太陽」ではない。直接光を発しない。しかし、どこかに存在する光を受け止め、どこかへ投げ返す。そのとき、ダイアン・キートンの投げ返した光が、暗い部分を明るく輝かせる。その瞬間が、非常に美しい。
ダイアン・キートン自身が直接輝くわけではなく、相手の輝きによって、それを引きだしたダイアン・キートンが、輝きとともに思い出されてくる。
これはこの映画だけに限らず、ダイアン・キートンの出る映画ではいつも感じることだ。「引き」の演技というか、他人を輝かせることが非常にうまい役者だとあらためて思った。また好きになってしまった。
GEN(★★)
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病と肉親というものがこの映画の主たるテーマだったと思うが、結局何が言いたいのか最後まで不明であった。 何も映画全てにメッセージ性がなければならないとは毛頭思わないが、それすらも感じることができなかった。 恐らく、非日常的な出来事(白血病、勘当された姉妹の久々の再会、殻を閉じてしまった息子)を、淡々とした日常的な視点で描きたかったのだろうが、それが返って、中身の薄い退屈な映画にしてしまってるような気がする。テーマと映画的な手法が空回りしてしまった典型的な映画じゃないかと思いました。


PANCHAN world