メッセージ・イン・ア・ボトル


みさきたまゑ(★)(1999年7月4日)
misaki@ceres.dti.ne.jp
http://www.ceres.dti.ne.jp/~misaki
  
『City of angels』の時は二人が恋に落ちてもなんの違和感も抱 かなかったのに今回はだめだ。
単にニコちゃんは好きだが、ケヴィンはさほど……という次元だろうか。
『シカゴトリビューン』ほどの新聞に勤める女性社員があんなに職場をあけてノース キャロライナにばかり飛んでていいものだろうか? とかそういう細かいことばかり 気になってしまう。
ニコちゃんは天使だからとんでもない展開があってもゆるしてしまうのになあ。
柳美里の裁判ではないが、自分をネタに使った新聞社への憎悪はどこへいってしまっ たのか? オレをさらしものにした女など断じて許さないという頑固さが見たかった な。そうして凍りついた彼のココロをとかしてなんぼ! というのが恋でしょう。
奥さんの実家の人々も絵を返したくらいで急に丸くなっちゃって……。 
それともこの話は、妻が死んで2年、押さえていてもやりたい気持ちとがたまりにた まっていたすけべなおじさんが新種のナンパをしたっていうんでしょうか? まさか !
なんだか素直にうっとりできませんね。泣いてる人もいましたが……。
『シカゴトリビューン』の1面トップ記事がTVのワイドショーのねたになり、ノー スキャロライナの住民の知るところとなって……という世俗的な展開を一切排除して いるのも釈然としない。愛のファンタジーとして描いたつもりなのでしょうか?
アレックスのパパ(1999年6月14日)
dimsum@eclipse.net
パンちゃん。字幕版はやっぱり駄目でしたか。
そうですね。最初の手紙の朗読、その一字一句のちから、例えば"forgive me"という字句の持つ「自身の非を無条件に認めて相手の許しを請う」というニュアンス、それがロビン・ライト・ペンの淡々とした、しかし確かな力の篭った声で流れ始める時、あの瞬間に全てがかかっていたのですが。残念です。
手紙は複数ですが、最初の手紙が圧倒的なので、後はその手紙の純度に拮抗できる「第二の愛」を作れるかが勝負なのです。女は負けそうになりながら努力し、男も大きく揺れながらも、それを目指す。それがストーリーの軸です。ということですから、普通の人間ドラマにあるような「人物の変容や深化」というのはもとから期待されていないのです。
ですから、最初の手紙でその世界に引き込まれてゆかないのであれば、この映画の価値はありません。完全な非英語圏の中では、恐らくは最も洗練された翻訳者と観衆がいるであろう日本で、それが伝わらないのならば、この映画を字幕付きで紹介する価値はないでしょう。他の「字幕市場」である中国語圏、スペイン語圏でも同じ事でしょう。
あの手紙のちからが消えてしまえば、確かに、映像も演技も、そしてガブリエル・ヤードの甘ったるい音楽も、全くの砂糖菓子でしょう。
ポルノグラフィーですか。そんな印象にもなるのでしょうか。痛切ですね。あの手紙を前提にすると、あそこまで亡妻への純愛に縛られた男と、その手紙に魅せられた女の間で、セクシャルなものを含む人間臭い触れ合いが描かれていることが、却って救いに思われたのですが。
ことばが重要な要素である作品を、字数の限られた字幕でごまかして他言語の市場に売り込み、馬鹿げた宣伝費をつぎ込む一方で、信じられないような高額の料金を取る。これは非英語圏に対する人種差別であり、立派な犯罪です。
コスナー氏は、『ポストマン』の失敗を埋めるだけの良い役を演じたというのが本作のこちらでの評価ですし、小生もその点は認めます。けれども、日本ではポルノ呼ばわりされても仕方がないのでしょう。言語や文化の相違を甘く考えた結果、欠陥作品に摺り変わったとも知らずに輸出しているのですから。
パンちゃん(★)(1999年6月13日)
一通の手紙に人が心を動かされる--ということは、あると思う。しかし、その動きを映像として表現しないことには映画にはならない。その基本的なことが、この映画ではできていない。
男と女が会ってセックスをする。あるいは幾つかの行き違いで別れ、またよりが戻る--というようなことは、省略してしまってもいいのだ。互いの目を見つめるところで映像が終わっても観客は、二人がセックスをしたと想像する。そんなものをわざわざ見たくはない。ポルノ映画なのではないのだから。どんなふうにしてみたって、セックスの形などありきたりなものだ。この映画のテーマはセックスではないだろうに……。
この映画は、だれでもが想像できる部分だけを延々と映像化し、肝心の部分を映像化していない。小説を映画かした意味がどこにも存在しない。
あることばが、女の心をどのように動かし、感動させたのか、一通の手紙がニ通になり三通になるにしたがって、女の表情がどんなふうに変化して行ったかという部分を描いていないから、まったくの絵空事になってしまう。三通の手紙を読むことによって起きる女の変化を克明に描いたら、それはすばらしいファンタジーになり、感動的な人間描写になるのに……。(たぶん小説では、そうした部分がきちんと描かれていると思う。)
これでは手紙をだしにして男と女がセックスする部分だけを描いた、ケビン・コスナーの欲求発散映画としかいえない。ケビン・コスナーはセックスシーンが取りたい(女優と肌を合わせたい)という欲望だけのために映画に出てるんだろうなあ、と思ってしまう。
こんな駄作ポルノを、最後にまた手紙(ことば)でごまかして純愛風にしたてているところが、とても許せない。
アレックスのパパ(★★★半)(1999年6月6日)
dimsum@eclipse.net
典型的なメロドラマなのですが、大成功です。不思議なほどに。 魔術の全ては「手紙」です。要所要所に出てくる手紙、これが見事なのですね。 そして主役二人の朗読も綺麗です。 後で原作を参照してみて驚いたのですが、ストーリーとキャラクターは原作を十分に生かしているのに、肝心の「手紙」はほとんど書き換えられているし、結末では手紙の使い方の設定すら改変されているのです。けれども、原作のスピリットはちゃんと生きているのですから、実に不思議です。原作、脚本、演出、演技のチーム全員が、朗読に相応しい手紙の言葉のセンスを共有している希有なケースでしょう。そして、ある意味では「手紙」が主役のこの作品を成功に導いているのです。 さて、日本ではどのような字幕が付くのでしょう。瓶に入った、最初の手紙で観る人のこころをグッとつかむ、これが出来ないと最後まで全く駄目になってしまいます。小生は字幕を考えるのは大変なお仕事と同情する者ですが、この作品に限っては、とにかく詩神に魅入られた魔術の如き翻訳を期待せざるを得ません。
ひさこ(5月24日)
h_ichiyama@level5.co.jp
ずっと、ご無沙汰しておりました。やっと映画を見る元気になったので、またお邪魔させてもらいます。宜しくお願いします。
試写会だったので、圧倒的女性が多かったです。「一途な愛……」ってパンフに書いてあったので、ゆっくりとした流れだと思ってたんです。でも、全然違った。早い。あっという間に恋愛に発展。
拍子抜けしました。定番のお涙も、私は「ふ〜ん。」って感じでした。しかし、会場からはすすり泣きが聞こえる。
隣の女性をみたら、ボロボロ泣いている……
人肌恋しい人がみたら、「素敵な恋愛〜。」と思えるかもしれない。
星は2つ。