のど自慢


監督 井筒和幸 出演 室井滋、大友康平、尾藤イサオ、伊藤歩

みさきたまゑ(★★★★)(1999年7月4日)
misaki@ceres.dti.ne.jp
http://www.ceres.dti.ne.jp/~misaki
  
泣いちまいました。
阿久悠が歌謡曲の衰退と現代のこの閉塞というか、病理的な状況とを結び付けてんだ か、なんかTVでいってるのをみたけど……。
そりゃあ、確かにいまは歌は消耗品のように排出されては忘れられていく。カラオケ で歌いこなせば注目されるから、あんな難しいいいまわしや、予測のつかないメロ ディーや、わけわかんない早口や、それでも歌か? と旧世代がいいたいってのはわ かる。 たしかに歌詞をいちいちこころに刻みながら歌ってるやつなんか、いないかも。 だけど、若い衆の中にはちゃんと、あんな流行の歌の歌詞にだって感動して、人生支 えられたり、けっこうしてっぞ。
歌謡曲は昭和で絶滅して、今はJ−POPSと演歌しかないけど、出回ってる歌 があんまり多いんで、そのことで消耗品にはなってるけど、でもいい歌はちゃんとあ る。
歌うたいながら泣くときゃ泣く。イントロだけでうるうるくる。
阿久悠の仕事はたしかに激減したけどさ。それだけのことじゃん。作家やって よ。小説書いてよ。作詞家はもう廃業してさ。
だけどさ、あんたの書いた歌は昭和の財産じゃないか。なあにが不満なんだ。
そん(2月9日)
うーん、あんまりのれませんでしたねえ。登場人物それぞれに入り込めなかった。ウェットな話が苦手、というわけではないけどね。
ただ、歌謡曲がたくさん出てくるのは楽しかった!何曲かは一緒に歌ってしまった。「さよならをもう一度」とか。キーヨ好きなのよー。
どうせ自分以外には1人しか客もいなかったし(笑)。あと1人のお客さんには悪いことをしました。
余談ですが、ふむふむさん、私もレディースデイは変だと思います。女なので、ばりばり使ってはおりますが。これがメンズデイだったら大問題になりますよね。あるカテゴリーに特別サービスをするのは経営戦略なのでしょうけど、男女で分けるのは根拠に欠けるような気がします。
ふむふむ(1月28日)
huka1092@yominet.ne.jp
いいんだなあ、見てよかったなあ、おじさんはニッポン映画をあらためて見直したな。
自分の中の体質というか湿度にあってたな。
坂本冬美の土下座しちゃう前文部分は「こりゃ間違ったかな」って思ってたけど、終幕近くなると、その演歌的部分がうまく描き分けられていて、うんよかった。
それにしてもあれだけの出演者をこなす監督の力量はたいしたもんだよ。
★5個あげたいけど、坂本冬美と床屋の親父と客が、少し臭すぎたので、4個。ごめんね井筒さん。
ついでですが水曜の女性デーはえこひいきです。差別という言葉は嫌いですから使いませんが、一律水曜は1400円にするべきです。「のど自慢」だからいいようなもののもう館内はおばちゃんたちの食べてはしゃべるの繰り返し何だから。
考えてごらんよ、今ヒマと小ガネをもてあましているのは、あの階層がたいはんだよ。
石橋 尚平(★★★★☆)(1月23日)
shohei@m4.people.or.jp
http://www.people.or.jp/~gokko/index.htm
実は井筒さんの映画を観るのはこれが初めてなのですけれども、巧い人だなと思いました。この映画がいいのは、この映画自体、『のど自慢』的だということですね。『のど自慢』という番組自体、実際、収拾のつかない素人参加番組ですよね。『皆さん本当にお上手』というのでも、座を盛り上げるためのマナーでは収斂しきれないディティールに満ちているわけですね。
パンちゃんが言う、わき役が活きているというのはその通りだと思いますが、それ以上に、中心的な挿話が物語の主軸を形成し、その主軸を中心に単線的に物語が進んでいくのではなくて、多くの登場人物の姿が饒舌なディティールとともに枝葉となって広がりながら流れていくという映画なんですね。多くの登場人物が絡みながらも、最後には『のど自慢』という一つの舞台に一気に収斂していくから、感動させるんですね。力量がないと巧く運べないんですね。こういう話は。語りが巧くないと、『のど自慢』ではなくて、『カラオケ・パーティ』に終わってしまいかねないと思うんですね。
冒頭のTV画像の『のど自慢』のシーンで、大阪東部の農協の青年が、観客席の女性にプロポーズしますよね。司会の金子さんと坂本冬美が一緒になって頼んだりする。この映画の挿話は、基本的にこのパターンの繰り返しなんですね。『あずさ2号』で予選に臨む建設作業員の二人組は、男子トイレで練習中、同じ歌を練習する別の二人組を発見し、彼らに絡んでいると、大川栄作が用を足しにやってくる…。白いコートを着た室井滋がサングラスをしてこっそり予選にエントリーしようとしていると、白いダッフルコートを着た伊藤歩が彼女を発見して、歌う曲の交換を強要する…それはクライマックスのシーンで意味を持って来る。自分(たち)の物語の世界が第三者との遭遇やその掛け合いによって広がっていく。大友康平だって、自宅で娘の粘土細工で焼き鳥を焼く練習をしていると、牛乳を買いに行っていたお義母さんの胸にナンコツを飛び込ませてしまう。このお義母さんは視聴者として、最後の方のシーンで非常に効いてきますよね。このお義母さん、大友康平の歌に対する鐘が2つだと分かると、すぐにTVを消してしまう。
単純だけれども、これらの反復が非常に巧いし心地いいんですね。『マイ・フレンド・メモリー』同様、巧いし泣ける映画でした。
狗東西(★★★☆)(1月23日)
ri4s-armz@asahi-net.or.jp
http://www.asahi-net.or.jp/~ri4s-armz/
 歌を愛するすべての人のための映画、とエンディングのクレジットにはある。当然、私のための映画でもあった。
 何をやってもうまくいかないが、心温かい家族に囲まれ明るく前向きに生きている中年男性、売れない演歌歌手、姉が妻子ある男性の元へ走ってしまった歌手志望の女子高生、この3人の人生模様が、「のど自慢」の晴れの舞台へと結集していく。
 厳しい現実にくじけそうになっている演歌歌手は、これから厳しい世界に挑む、なかなか剛胆な女子高生の手荒い「激励」を受け、未来の希望を取り戻す。
 女子高生は、とても強い子だが、遠くに去った姉を思いつつステージで歌い終わった後、涙を見せ声を震わせる。
 中年男性は、くじけない。歌の途中のハプニングのため、メインキャラクターの中ではただ1人、合格せずに鐘2つで終わってしまったのも、「うまくいかない」彼の人生を象徴しているか(それでも、がっかりするそのがっかりし方が明るい)。
 この3人に加えてさらに、都会で不登校になった幼い孫を引き取っているおじいさん、歌が好き好きでたまらないタクシー運転手、ステージでは最もはじけていたお堅い銀行員など、何人かの人生模様が、丁寧に絡ませてあり、作品に彩りを添える。
 それぞれの人生を歩む人たちが歌う、それぞれの十八番。歌とは、やはり心で歌うものだ。
 上映終了後、根が素直でない私は、「上を向いて歩こう」ではなく、「Victory」(←6年前の歌だが、最近のお気に入り)を口ずさみつつ家路に就いた。
 まあ、舞台が雪をいただいた山間(群馬県桐生市)ではなく、太陽の降り注ぐ南国だったらもっとよかったのだが(南国生まれのひがみ)。
 エンディングのキャストを見て、端役に「売れない(売れなかった)悲哀」を味わっている感のある芸能人が使われていることを知った。これらの人にも、晴れ舞台が巡ってくることはあるのか。
立花(★★★)(1月22日)
mhiro@ask.or.jp
私はカラオケが結構好きでよく唄いに行きますが、そんな立場からこの映画を観るとかなり不満が残りますねぇ。
カラオケと違ってNHK「のど自慢」はエコーの助けがありません。私はひ とりで、練習のためカラオケボックスに行ったりしますが、その時はエコーを オフにしてMDでマイク録音します。そこで録音された自分の歌を聴くといつ も「なんじゃ、こりゃ!」と言いたくなるほどの到底「歌」とは呼べない代物 が・・・・・ (^^;)。こんな時、プロの歌手はやっぱりプロなんだなぁ(?) と思います。エコーなしで”歌になる歌”を唄うのはかなり至難の技なのです。
で、映画の「のど自慢」ですが、エコーかかってましたよね?・・・映画だ からしかたないと言えばそれまでですが・・・・・それに本物の「のど自慢」 の採点ですが、あんなに甘かったっけ?。一緒に観たおふくろは「あれだけ唄 えれば鐘は鳴ると思うよ」と言ってましたが・・・・。うーーん!私としては 納得出来ないというか、これは是非、みなさんだったら鐘をいくつ鳴らすか聞 いてみたいです。決して下手じゃないと思うし本物の役者(?)だけあってい い声をしてます。まぁ、みんなが合格、不合格、スレスレのレベルであるとこ ろがミソと言えばミソなんだろうけど・・・・・いっそのこと、映画の撮影現 場にNHK「のど自慢」の本物の採点者を呼んで合格するまで撮り直すとか (笑)キャッチ・コピーとして、「映画の中の採点の鐘はNHKの御墨付きで す!」なんてのはどう?
それと、この映画を観るにあたって私は、合格、不合格、を超えたところにこ の映画の醍醐味をみつけたかったのですが、あっさり合格したがために逆に ”感動しそこねた”場面がけっこうありました。クライマックスの本選シーン も妙にドラマチックすぎていまひとつ「のど自慢」特有の緊張感が伝わってき ません。全体的な印象としては、いいセンいってるんだけどいまひとつ、って 感じでしょうか。
以上、カラオケファンから見た、映画「のど自慢」に関する考察でした (^_^)
それから、しーくんも書いてたとおり大友康平の娘たちはホント可愛いいです。いちばん下の娘の小生意気な”うんちく”は笑えます。
パンちゃん(★★★★★+★)(1月21日)
最後の「上を向いて歩こう」の歌の時、歌ってくれた客席のおじさん、ありがとう。そして、一緒に歌わずにだまって聞いていてごめんなさい。私も歌いたかった。でも、観客が余りにも少なく(10人くらい)、恥ずかしくて歌えなかった。これが大きな劇場で、満員だったからつられて歌う人が出て来て、最後は大合唱になっただろうなあ。見ているみんなで「上を向いて歩こう」の大合唱をしたいなあ。--そんな気持ちになる映画でした。とても幸せです。幸せな気持ちにしてくれる映画は何が何でも★5個。プラス1個はもちろん、歌ってくれたおじさんへの感謝です。
*
「歌」にはいろんな要素がある。大きな要素にメッセージを伝える、みんなで楽しむ--というのがあると思う。この映画は「メッセージ」にかなり重きがあって、「楽しむ」の要素がいくらか少なく、そこが演歌っぽいのだけれど、それがまたいいところかもしれない。
伊藤歩が「トゥモロー」から「花」に曲を変更して歌うシーンなど、切々としていてとてもいい。「花」に込められたメッセージが、彼女自身の願いになって、遠くへ行ってしまった姉のいる場所へと切々と広がって行く。泣きたくなるくらいだ。このとき、彼女は自分自身をみつけだしている。「クール」と批判され、自分も「クール」と思い込んでいた少女が、ことばとメロディーに熱い思いを見つけ出し、その思いのなかへ突き進んで行く。
突然「トゥモロー」を歌うことになった室井滋も、その歌のことばとメロディーなかに自分自身の姿を見いだし、輝き始める。このとき、彼女は「歌手」という「職業」ではなく、歌そのものとなって生きている。
歌そのものとなって生きる--たぶん、これは、この映画に登場する人物全員にいえることなのだと思う。
だからこそ、最後に「上を向いて歩こう」を合唱したくなる。歌そのものになりたくなるのだと思う。次に見る機会があったら絶対「上を向いて歩こう」の合唱をしたい。「上を向いて歩こう」を合唱する会を作ってもう一度見に行きたい映画だ。
だれか一緒に行きませんか?
しーくん(★★★★)(1月18日)
kanpoh1@dus.sun-ip.or.jp
NHKの「のど自慢」が、ある町にやってくる!それに出場を目指す人のさまざまなエピソードをおもしろおかしく盛り込みながら最後にはジーンとさせてくれる作品です。「がんばっていきまっしょい!」のように見終わってからジワジワと感動のボルテージが上がる作品ではないものの”あー良かった!”とさわやかな気分で映画館を出ることが出来ました。カラオケ好きの人や、この番組を毎週楽しみにしている人にはたまらない作品でしょうね。工事現場で作業中の2人が、そこら辺に落ちている物をマイク代わりにして練習する場面なんかは、もうニヤニヤしてしまいました。売れない演歌歌手を演じる室井滋、失業ばかりを繰り返し焼鳥屋で人生を立て直したい父を演じる大友康平(ハウンドドッグ)、姉が猛反対する母を押し切って愛する人のもとへ行く妹の女子高生を演じる伊藤歩、何かと引っ込み思案の孫と一緒に暮らす祖父を演じる北村和夫のそれぞれの人生模様がこの作品の軸となります。そして、それぞれの”想い”が最後の「のど自慢」での歌となって表現されます。大友康平演じる家族の子供達がめちゃくちゃかわいいです。「また会う日まで」を唄うのですが、完全にハウンドドッグになっているのはご愛嬌!(笑)演歌歌手役の室井滋がどうして「TOMORROW」を唄うのかは映画を見てのお楽しみです!予選会の風景等のシーンもあり見ていて飽きがきません。伊藤歩の「花」、北村和夫の「上を向いて歩こう」は目頭が熱くなりました。室井滋が唄った後の台詞にもジーンとなりました。それとこの映画のお楽しみの1つにたくさんのゲスト出演があります。どれだけのゲスト出演があったかは最後のエンドタイトルで確かめて下さい。エンドタイトルでは出演者が代わる代わる「上を向いて歩こう」を唄いますし、この映画のヒットを予想したのか続編の予告編も流れますので最後まで席を立ってはいけませんよ。
PANCHAN world