オール・アバウト・マイ・マザー(母のすべて)


監督ペドロ・アルモドバル 出演セシリア・ロス、マリサ・パレデス、ペネロペ・クルス

灘かもめ(2000年9月7日)
アルモドバル監督の作品は初めて観ました。
彼のことをもっとよく知っていれば、今までの作品を観ていれば、もっとこの作品を好きになれたかもしれない。
うーん、なんというか、「息子と母親」の映画だなぁと思いました。
息子の目で見た、息子の脳で、心で見た物語、とでもいうのか。
私自身が思う「母親」というものと、この作品の「母親」は、なんだかどこかが噛みあわない気がしました。
どこがどう、と指摘できないのはとてももどかしいのですが・・・。
母性賛美の視点が、実に「男性的」。
それが良い悪い、と言いたいのではないんです。
むしろ、世のすべての男性がこのように「母親」を愛しているのであれば、とてもうれしいと思う。
「息子」という子供は、きっと、母親を「軽蔑する」という感情とは無縁なんだろうなぁ、と思う。
「娘」という子供には、残念ながらそれがある。うーん、そう思ってるのは私だけかもしれないけれど・・・。
この作品には、本物もニセモノも「女」がたくさん登場するけれども、すべて「母親」という視点に縛られている気がする。
女だらけなのに女がいないような気がする。
シスター・ロサの母親の言葉「あの子は、生まれた時から他人のよう」というのが、何故か一番共感できるセリフ。
それが、ものすごく悲しい。
また観る機会があれば、もっともっと好きな場面が増えるかも。増えたらいいなぁ。
臓器移植については、これがテーマの一つであるという印象は、私は持ちませんでした。あくまで、スペインのごくありふれた(一般的な)臓器提供のプロセスを自然に語ってるだけだと思う。
「欲望という名の電車」だったかの劇中セリフに、母親が息子の血だまりに手を浸して味わう、というようなのがありましたが、その場面と対応してるんだろうなぁと思いました。「だって、私の血だもの」のセリフと。
劇中劇といえば、スペインの一般家庭のテレビに流れる「イヴの総て」スペイン語吹き替え版がなんだか、おかしかった。
「欲望〜」も、知っていればもっと楽しめたんだろうなぁ。
私にとっては、「サイダー・ハウス・ルール」よりも解りがたく近づきがたい作品かもしれません。
ふむふむ(2000年6月17日)
パンちゃんの口車と娘にそそのかされて、見に行ったら、また水曜日で(勤務上、しかたがない)見まわしたら、僕以外は全員女性だった。
これって、いいことなのかな。 
水曜日は性別問わず千円だったら、いいのに。
だって、大きなおっぱいとペニスを持った人はいくら払えばいいんだい。
本論。人が人をいとおしく思う気持ち、特に母の子を思う気持ちはひりひりと、わかるのだけど、父は、あまりに孤独だ。
死をもって、わが子の存在を知る父。
娘であることすら理解できない父。
父性とは、数分間の快楽の後は、頭でしか考えられないものか。(多分そうだろうけど)。
もうひとつ、
主人公が移植コーディネーターであることが、私をうろたえさせた。
「あなたの肝臓を全治させるには移植しかない」と、医者から断言されても、まだウジュ、ウジュ考えたりしている身としては。「まるで品の悪い冗談だぜ」としかいいようがないじゃないか。
「まるで品の悪い日記だぜ」といわれそう。
だけど、ビター味でくるんだ甘そうで下品なチョコレートだ。
パンちゃん(★★★★★+★★★★★+★★★★★+★★★★★+★★★★★)(2000年6月7日)
見ていて涙が出てくるシーンがいくつもあって、そのとき不思議なことに悲しいというよりはうれしい気持ちになる。悲しいということ、涙が出るということが、なぜかうれしい。感情が動くということが、涙を上回って(??)、うれしい。生きていることを実感して、うれしくなるのだ。
これはたぶん描かれている登場人物、その描き方と関係があるんだろうなあ。
人間は誰でも好き嫌いがありるし、愛することもあれば憎むこともある。そうした感情の絡み合いが人間を形作るのだろうけれど、この映画に登場する人物は、相手をどんなに憎んでいてもやはり愛している。
主役の母親がオカマになった父親に息子の死を知らせるシーンに、それが代表的にあらわれている。その男とは一緒に暮らしてはゆけない。愛してはいない。ある意味では憎んでいる。憎む要素はいろいろある。けれども、どんなに相手を嫌っていようと、あるいは憎んでいようと、彼を人間として尊重している。大切にしている。その人間性を温かく抱きしめている。
どんな人間にも「人間性」というものがある。命がある。どんな感情(憎しみにも、悲しみにも)にも感情の動きがあるように、それぞれにはそれぞれの命と欲望と、その欲望を形にしようとする熱い思いがある。
この熱いものに対する感覚がとてもいい。
アルモドバルはいろいろとキワモノめいた作品を作っているけれど、それはすべてキワモノとして一括りにされるものたちへの温かい愛情のあらわれでもあるのだと思う。どのような人間も人間として生きている。そのすべてを愛したいという気持ちがあるのだと思う。
これはもしかするとスペイン人に共通の思いかもしれない。
実際、スペイン人は温かい。人情に厚い。どんなに嫌いな人間でも、人間として抱きしめるだけの許容力をもっている。寛容さというより、心底人間を愛する力をもっている。
そうしたことを思った。
スペインへ行きたくなった。あの温かい人間の温もりに出会いたいと思った。映画の登場人物だけではなく、スペインにいる友達に会いたくなり、スペインにいる多くの人と友達になるためにスペインへ行きたくなる映画だ。
私の書いているのは映画の感想ではないかもしれない。映画の感想を超えてしまっているかもしれない。
私はこういう映画が本当に好き。
映像がいいとか、音がいいとか、ストーリーがいいとか、編集がいいとか、ユニークな視点があるとか、映画の評価の仕方はいろいろあるけれど、そうしたことはどうでもいい。
そこに出てくる人物の全員が好き、その人の幸せを祈りたい、喜びたい、という気持ちになれるのが一番いい。
登場人物が好きになり、会いたい、と思う時、他の映画の要素は、私にとってはどうでもいい。
たぶん、一つ一つの描写が的確ですぐれているからこそ、そうしたことが気にならず、ただひたすら登場人物を好きになることができるのだと思う。
私にとっては、これはエルマノ・オルミ監督の『木靴の樹』以来の感動作品。
(panchan猫嫌いなんですってね・・ゴメン)(2000年5月23日)
http://www.d1.dion.ne.jp/~goronyan
★★★☆
各賞絶賛の映画、予告でもかなりそそられた。初日に絶対観るぞ〜といきごんで観に行った。
自分で勝手に”泣ける映画”と決め込んでいたのがいけなかったかもしれない。 自分で想像していたよりもずっと、堅い・淡々とした映画だった。
この映画の基調は「赤」・・・そしてそれは多分 blood=”血”(血縁)を意味するのだろう・・・
「親」と「子」・「男」と「女」・・・切ないまでに映画は次々と問題定義してくる。
「脳死」の問題・・・息が止まってもいないのに・・移植を認められる??? 新しい「命」として生き長らえるのだと納得できる???
「子」にとっての「親」の存在は?・・育てていなくても・・そばにさえいなくても・・それでも「父」を欲するの???
ただ物質的な精子の提供(私にはそういうふうにしか思えなかった)だけであっても、遺伝子上の「親」だけであっても 「子供」を愛せるの???
哀しいよ。 noteにあった ”片方だけの僕の人生” 母もまた心の隅で彼の「父親」を求めていたのだろうか・・・??
「男」って何?「女」って何?? 本物の女になるため お金をかける・・・・それは形。 でも「形」に惑わされてしまうことが なんと多いことか・・・
  「娘」さえわからなくなった「父親」・・・彼の中の認証は「年」と「身長」・・・
わかりあえるはずなのに スレ違う「母」と「娘」・・「娘」を他人に委ねる「母」のつらさ・・
なるほど・・・これは確かに 全女性に捧げる映画 なのかもしれない。
それでも どうしても「男の視点」「男の都合」でかかれていると 反発したい。
ただ・・・生きて行くということは 淡々とした生活の繰り返し・・だと この映画は教えている。
KAZU(2000年5月18日)
http://www.chikuba.net/
★★★★★
以外と知られてないんですよね。
一応アカデミー外国語映画賞なんだけど。
女性がすごく等身大でいきいきしていて素敵でした。
皆いろんな境遇で消して文句なしの幸せではないけど、それでも、それなりに、一生懸命生きている。
なんか見終わった後すがすがしかったです。
とみい(2000年5月3日)
tominco@pop11.odn.ne.jp
平日の昼なのにすごく入ってました。
予告編に力があったからでしょうか。
アルモドバル作品を見るのは2本目なんですが、この人には、「アルモバドル節」とでもいうような、独特の味がありますねえ。
運命に翻弄される女性たちの、体温が感じられる。
でも、採点は★★★。
辛いかもしれないけど、実はすごく不満なことがあった。
何かというと、エンディング。
「人生賛歌」といえるその結論にいくまでには、あと二〇分、ワンエピソードの書きこみが必要なのではないか。
いやあ、惜しいっす。
kaeru(1999年6月3日)
kaeru-n@msn.com
Panちゃん、こんばんは。
私は「ばちあたり修道院・・」「アタメ」「ハイヒール」しか見ていないのですが、 アルモドバル監督の作風が好きです。見ている間は笑ったり泣いたりで忙しく、時に は唖然としつつ、しばらくあとから様々なシーンのアングルの奇抜さや色の美しさ、 人の情念の複雑さというものがじんわりときいてくる感じがします。
「ハイヒール」と共通のモチーフ(ただし、逆の立場から見た)がたくさん使われて いたので「外伝」とかきました。(ベネックスの「ベティ・ブルー」と「IP5」の 関係に似ています)
主演女優さんは熱演です。カンヌでは無冠だったけれど個人的に賞をあげたいくらい です。
「個人の死」は本人の物理的な死というだけではなく近親者の心まで死なせてしま う。そこからの「再生」の過程がよく描かれていたと思います。愛する人たちを様々 な形で失いながらも、また新たに愛する人を授かる(そして自分自身を取り戻す)と いうところが、私は気に入りました。(ここまで書くと☆半分追加しないとまずいか な)
kaeru(6月3日)
kaeru-n@msn.com
アルモドバル監督の新作をやっとみてきました。
盛り込まれているテーマは臓器移植、エイズ、売春などと暗いものばかりですが、根底にあるのは親子の愛情ですから後味はさわやかです。
あいかわらず出てくる男性は美形ぞろいですし、話の展開も予想がつきません。女優さんもいいし、笑いもあって、泣かせどころで落とさずクールに処理していくところも、この監督らしくて良かったです。
しかし☆3つ半です。点が辛いかな?「ハイヒール」外伝といった感じなので作品のもつ衝撃度は低くなっている気がします。