オープン・ユア・アイズ


ケイ(2000年7月24日)
アメリカ映画じゃなかったってのが、一番の驚き。
大騒ぎするほどの才能??
イングマル(1999年8月8日)
furukawa@joy.ne.jp
http://www.joy.ne.jp/furukawa/
スペインから恐るべき才能の出現を予感させる映画が現れました。
監督のアレハンドロ・アメナーバルは25歳でこの作品を撮り上げたのですが、ストーリーテリングが実に巧い。観客の心理を巧みに撹乱する手腕は心憎いほどです。ブライアン・シンガーやデヴィッド・フィンチャーのように観客を欺くことに長けた監督はアメリカにもいるけど、彼らの作品と『オープン・ユア・アイズ』は根本的に違います。単純に騙されたという感覚ではなく、脳髄に突き刺さるような鋭い痛みを伴なう作品なのです。なぜ痛いのか、それは人間の孤独や不安、そして自らの存在の不確かさという普遍的な心の問題を扱った作品だからであり、自分自身にも通じる“心の闇”が鮮烈に描かれているからです。
ストーリーについて具体的には一切触れませんが、この作品を一言で言えば“喪失”の映画だと思います。作品を前半と後半に分ければ、大まかに言って前半で描かれるのは“アイデンティティの喪失”であり、後半は“リアリティの喪失”です。特に後半の意表を突く急転直下の展開は圧巻でした。現実という概念が根底から壊れていく過程が痛切に描かれています。
“リアリティの喪失”とは決して目新しいテーマではなく、例えば『惑星ソラリス』『ビデオドローム』『トータル・リコール』そして『トゥルーマン・ショー』でも、現実という概念を失った人間の姿が描かれていましたね。しかし『オープン・・・』ほど、人間の心の奥に焦点が当てられた作品は今までになかったと思います。冷酷な殺人鬼など登場しなくても、人間の心を真っ向から描けば最高のスリラーが撮れることを、若干20代の監督が見事なまでに証明してくれました。
圧迫感を煽るような画面の構図や、逆光を効果的に利用した絵作り、巧みなカメラワークなど、観客の意識を刺激するように計算された演出と大胆不敵なストーリーテリングは、とても“スペインの新鋭”という言葉だけでは形容できません。とにかくタダ者でないことだけは確かです。
ただ一つ難を言えば、特殊メイクを含めて主演のエドゥアルド・ノリエガの濃い〜顔に約2時間付き合うのはちょっとキツいかも・・・。まあ、スペイン人と日本人の美的感覚の違いでしょうか?