桜桃の味


タカキ(★★★★)(3月13日)
TakakiMu@ma2.justnet.ne.jp
ビデオでようやく観ました。
「自殺」。キアロスタミはこの難しい問題を、またもや過剰な演出なしで描ききった。
画が文句なく美しい。彼の特徴とも言える淡々とした映像は、しかし、溢れんばかりの詩情で満ちているわけでも、何か特別なメタファーを捉えているわけでもない。(と、私には見える。)そのスクリーンに映っているのは、まぎれもなく「人生」そのものだ。
それは主人公の人生か?キアロスタミ自身の人生か?それとも、我々観客の人生だろうか・・・・・。一見、感情の描写を排したかのような画は、その実、見事なまでに精緻な感情のうごきを確実に捉えている。そして、それこそ人間の「生」そのものではないだろうか?なにしろ、最後に映し出されるのは撮影中のスタッフそのものなのだから・・・・。
ラストであえて「これは『自殺』の映画では、ない。」と示さねばならない。その現実は、我々にとって、異様にザラついて見えるのだ・・・・。
萩原健次郎(★★★★)(2月12日)
hag02041@mbox.kyoto-inet.or.jp
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hag02041/
この映画は、最後の「なんちゃって」がすべてでしょう。
なんちゃっての時に流れている音楽は、サッチモの、まだポピュラー化する前の哀切きわまる、ド演歌調の「聖ジェームス病院」です。
黒人奴隷を収容する末期患者のための死にゆくための医院を歌った古いブルースですが、監督は、完璧に構想したのでしょう。
砂、砂。瓦解、崩壊、どこかにある、桜桃、桑の実みのる、湿潤の大地。
ふんなもん、あるわけない。「よね。なんちゃって」とやけくそで、撮影風景と、エキストラの兵士とドのつくジャズ(アメリカ民謡みたいな)を流す。長い暗転に浮かんでくる、砂、砂、砂、あんたの「現実」に、桜桃成る大地などありますか?と問う。
この「現実」に相対するためにも「映画」という世界を映さないといけなかったのでしょう。勇気ある選択です。
最後のカットがなければ、この映画は映画にすら成らずしいていうなら、砂のドキュメンタリー「映像」になっていたでしょう。
こまかいこといえば、博物館の剥製つくりの人、アフガンから出稼ぎできている人なども映画をつくっている「こちらの現実」と等しくリアルに描いていたこともたいへん迫力ありました。
採石場から町に降りてくる光景も素晴らしかった。
では、谷内さん、よろしく。
思潮社の本、京都に売ってないよ。
パンちゃんから
小倉にも売っていません。
東京と大阪の人からは、書店で見たという連絡をもらいましたが……。
思潮社は詩の世界ではメジャーだけど、出版全体から見るとマイナーだし、私の本自体発行部数が少ない。
売り切れる前(10年かかる?)に、注文して買って下さい。
かげっち(★★★★)(10月12日)
makimaki@po.teleway.ne.jp
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kagemaru/
桜桃の味の書き込みをみつけたので、私もかきたくなって書き込みました。
私はキアロスタミ監督の映画がとても好きなのですが、この映画は今までみた彼の作品とちょっと違って、ラストがそれまでのストーリーと全く無関係に思えるシーンで終わってしまいました。
いきなりだったので、自分でこのラストはなんだったのだろう?と考えました。
もしかしたら、私の勝手な解釈なので違うかもしれないのですけど・・
ラストのシーンは、それまでのストーリーの中ででてきた風景には全くでてこなかったものが映っていました。
青々とした空、まぶしいほどの太陽の光、生い茂る草や花。そして、人々の顔は笑いにあふれていたような気がします。
この映画の主人公の男には、おそらくこういうものがずっとみえなかった。
彼は自分の人生をあきらめ、この世界を捨てようとしていたから。
彼が自殺の協力者を求めていったりきたりしたあの土と埃だらけの荒れ地は、彼の目にうつる「世界」でもあったのかもしれません。
だけど、みる目を変えれば、おそらくは世界は違ってみえるはずなのです。世界はほんとはうつくしく、生であふれている。
その世界を本当に捨てていいのか?
そういう世界をもう一度彼がみることができたなら、彼はもうこの世界を捨てようとはしないだろうと思います。
・・・・とちょっとまとまりのない文章なのですけども私なりには、こういう風にあのラストを解釈しました。
てつ(★★★★)(7月15日)
fwiw1027@mb.infoweb.ne.jp
退屈一歩手前、ギリギリの良い間です。
カットも顔のアップが多く、風景が映ってもセメント採石場の寂しいものばかり。
誰も感情を出さないしゃべり方・表情で、それでも、それだから?引き込まれるのは、さすがです。
自殺の後の自分を埋めてくれる人を探す、というただそれだけの筋なのに(まだの人すみません)
それが途中まで明かされないのも、退屈させない理由かも。
それにしても、テヘランって大都会だな、と美しい夜景を見て思いました。
最後に、ラストの物語とは無関係の撮影風景のシーンは絶対に不要だ。