Life is Beautiful(1)

監督 ロベルト・ベニーニ 主演 ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、ジョルジオ・カンタリーニ

川島(1999年6月28日)
こんにちは。先日「ライフイズ…」の感想を書かせて 頂いた川島と申します。その節は早速メールを頂いて 感激しました。ありがとうございます。
ところで今日ホームページのほうを覗きましたら 「ライフイズ…」にまた新しい採点があったので読みました。
私はこの映画に関しては「素晴らしい映画」「良い映画」と 手放しで賞賛するのは未だに納得できないというか、 気持ちの中に消化不良感があり拭い切れない状態です。
先日、「粉雪まみれインタビュー集 デコボコ映画館  ハンディキャップ映画について語ろう」という本を読みました。
(何らかの形で障害者と関わりのある映画を題材に 粉雪まみれさんが色んな人にインタビューをするという内容)
この中の米本昌平さん(科学史家)との対談の項 「シンドラーのリスト」でまた自分なりに色々と考えました。
対談の中で「なぜ王様は裸だ」と言えなかったのか?という表現 が出てくるのですがそれこそが私のこの映画に対する大きな 疑問点、納得いかない点と重なるのです。
映画の中で本屋の壁ににユダヤ人である故に落書き をされる場面がありました。その時ジョズエがどうして こんな事をされるのか?と聞くとグイドは「ユダヤ人が嫌い だから云々…」と確か説明をしていたように思います。
この場面で私は「寝た子を起こすな、だなぁ。いくら小さな子 でもちゃんと説明しなくちゃ駄目なんじゃないか?」と思ったのです。
ちいさな事ですが。
なぜ「王様は裸だ」と言えない状況になってしまったのか?
その答えは出ないにしてもその状況に陥ってしまう人間という 生き物の怖さ、そういったものをこの映画は(この場面が象徴的 だと思うのですが)まったくすっ飛ばして無視してしまって作られて いますよね。この部分を飛ばして「人生は美しい」と幾ら言って みたところで私にとっては全く説得力がないとしか言いようが ありません。
この映画で「感動した!」というのはもちろんかまわないと 思います。事実感動できるように作ってあるから。
でも「感動した!良かった!」だけで済んでしまうこと、その 一瞬で終わってしまうことが少し怖いなぁ、と思うのです。
映画を見た後そこから一歩踏み込んで考える、という後を 引くという力がこの映画には欠けていると思うのですが。
あぁ、興奮して書いて自分でも訳がわからなくなってしまいました。
でもこれだけ私が後から後から考えてしまう、ということは どうなんだろう?うむ。いい映画(!?)なんだろうか…。
混乱しています。
ぱんちゃんはどう思われますか?
colles(☆☆)(1999年6月27日)
colles@sam.hi-ho.ne.jp
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/colles/
何も調べずに映画館にでかけていった。 スターウォーズは混んでたので、life is beautifulにした。 けしてそれほど魅力を感じる題名ではなかった。 「人生は美しい」なんて、映画の題材としては使いふるされたものではないだろうか。 映画がはじまってからしばらくの、ドタバタさわぎは、古い映画の作りものっぽさを、ねらってつくっている。ネタ自体をひっぱってきているようでもある。舞台がイタリアで、イタリアの人達のようすを、私は知らなかったから、いろいろと楽しい気分になったり、驚いたりした。二人が出会い結ばれて・・・・。ところが、この映画はそこで終わらなかった。後半部分は、ユダヤ人収容所でのお話になる。前半と後半の間のミスマッチは、多少なりとも違和感を感じさせる。しかし、こうした安っぽさも、演出のうちか。 このまとまりのないストーリに、統一感をあたえているのは、主人公らしきユダヤ系イタリア人の饒舌だった。それだけで、なりたっちゃうのだからものすごいパワーで感心してしまう。が、はちゃめちゃな三流っぽいこの映画は、少年のモノローグで閉じられる。つまりは、全体が、成人した彼の思いで話か?。物語りの終点で、実は主人公があるとすれば、それはユダヤ系イタリア人の息子であることを初めて知らされる。 肩透かしの連続は、観客の目を一定のテーマに固定することを拒否しているようである。「life is beautiful」という題目は、けして映画の内容をあらわしていない。少なくとも観客の目にそううつることを意図しているのではない。少年とその父親がそう言っているにすぎない。この最大のミスマッチによってなにが表現されるているのか? 微妙な不協和音を不快感なく鳴らしているのだとしたら、それは監督のさえであり、この映画の非凡さはそこにある。
かわしま(私にとっては★マイナス5個!)(1999年6月11日)
clara@muj.biglobe.ne.jp
このページに感想を書くのは初めてです。かわしまともうします。
私はこの映画全く駄目でした。映画館で感動と涙のさざ波がさわさわと広がっていく中、あんなに孤独を感じたことはかって無かったような気がします。
よく出来た映画だとは思うのですが引っかかるところがありすぎて。まず一つはぱんちゃんも書かれていたように子供が素直すぎたこと。いくら子供でも嘘なのは解るだろう!子供を馬鹿にしているとしか思えません。
子供はもっと生意気で意地悪でわがままだよ。
二つめにグイドの「自分の妻と子供さえ助かればいい」という態度。(少なくとも私にはそう見えました)
かれの行為こそ、他者を排斥する行為に他ならない、と思うのですが。これは非常に危険な態度だと思う。
だいたい彼の行為ははた迷惑きわまりないぞ。まわりの人達がどうして怒らないのかも謎です。
映画はコメディの体裁をとっていますが私にとってのコメディとはあんなものではないのです。
もっと批判精神に溢れ毒を含んだものでなければ…。
(前半の一部分、毒を感じたところも少しありましたが)
最後に戦車に乗せられて嬉々として喜ぶジョズエには寒気すら感じてしまいました。非常に不愉快かつ消化不良の映画でした。
そん(1999年5月24日)
sonda@excite.co.jp
ロベルト・ベニーニの独壇場、という感じでした。
前半の奥さんをモノにするまでの一連のエピソードは笑わされっぱなし。“マリア様へのお願い”なんて、ねえ。会うたびに「ボンジョルノ!お姫様!」攻撃をされたら、女性としては絶対に悪い気はしませんよね。イタリア男は素敵だわー。
後半もグイドの知恵と勇気が存分に発揮されていたと思います。
ホロコーストの描き方、という点では、私はこういうのも有りだと思います。確かに実際はこんなもんじゃなかったでしょうけど。
私の好きな作家の松浦理英子さんが、10年以上前にある雑誌で「普通は女性にとってレイプとは恐怖なのかもしれないけど、私は敢えて“レイプ?だから何だって言うのよ。私はそんなことされてもちっとも恐くない。”と言いたい。」という趣旨の発言をしていました。中学生だった私は深く感銘を受けた記憶があります。
勿論ホロコーストとレイプを一緒くたにして良いわけではありませんが、私が「ライフ・イズ・ビューティフル」のグイドに彼女の発言をダブらせたのは、人生においてどうしようもないひどい目にあったときに“だから何だってのよ!”という気概をもっている人は、私にとってとても美しく見える、という理由からです。自分自身が弱い人間だからでしょう。
ロベルト・ベニーニは、そういう気概の裏にある悲しみや恐怖を極力押さえて演じていました。(ちょっと押さえすぎたせいで、グイドが必要以上に軽く感じられたのも事実・・・)
kaeru(1999年5月21日)
ぱんちゃん、こんばんは。
夜になってから日記を拝見しましたので、いまさらながら、あの「ライフ・イズ・ビューティフル」に補足いた します。
前にも書きましたが、あの作品だけは前評判が絶賛と酷評にわかれていたため、見るのを躊躇していま した。ある日ラジオを聞いていると、「この映画をみた小学生にインタビューしました」というニュースが流 れました。みな言葉少なでしたが、なにか感じるものがあるようでした。というわけで見に行くことにした のです。
ロベルト・ベニーニはあの作品でいいたいこと、やりたいことが山のようにあったと思います。ただ一番強 く感じたのは、子供を含めた全ての世代に見てほしかったのではないかということです。
最初の投稿でかいたように、私にとって一番ひっかかったのは「子供が父親の嘘を信じるだろうか」とい う点でした。恐らくジョズエは最後の戦車が現れる瞬間まで半信半疑だったのでしょう。そこで「本当だっ たんだ」という言葉が出てきたのだと思います。収容所内の噂話は耳にしていますし、他の子供が全て どこかに消えて、遊んでいる子供たちは外国人だということから、自分の置かれている状況はうすうす分 かっていたことでしょう。しかし同時に、父親のついている嘘が命をかけたものだということもわかってい たと思います。
私自身はグイドの世代に近いのでそちらに感情移入して見ましたが、小学生たちにも「命をかけた嘘」と いうのは伝わっていたと思います。 
また、この映画には、英雄的な行いをする人も、狂ったように残虐な振る舞いをする人も出てきません。 「戦争は狂気だ」ということはよくいわれることですが、戦争に携わっているのは命令に忠実なごく普通 の人々だということを感じました。
しかし何よりも私にとっては「自分にとって一番大切なものは何か。それが脅かされたときにどうしたらよ いか。」ということを考えさせられた映画です。
現時点では、カンヌやアカデミーをはじめ各国の賞を総なめにしているラッキーな映画と捉えられると思 いますが、製作時は相当な困難があったと思います。近年までフランスやイタリアでは、第二次大戦中 にユダヤ人移送に協力したことを公には認めていませんでした。フランスは連合国軍やレジスタンスの 働きでナチスを国から追い出し、イタリアはイタリア人自らの手でファシストを倒したので、その点につい ては口をぬぐうようなところがあったのです。また、ホロコーストを題材にしたコメディということで拒否反 応も予想されたでしょう。低予算で、かつ監督としての経験も少ないため、映画としてのきめ細かさにか けるところもありますが、その分脚本や演技で持てる力を存分に出したと思います。
アカデミー授賞式の映像や「泣ける映画」としての評判が先走ってしまったために、少し損をしているよう な気がしました。
(私は戦争と子供をネタにした映画は嫌いではありません。よく見ますし、点が甘いようなきもします。な にせ「二十四の瞳」が好きなくらいですから)
これはついでですが、「ポンヌフの恋人」について。
私の周囲にはこの映画のファンが多くて、カフェの店先に火吹き芸人がやってきたり、花火の打ち上げ があったりすると「ポンヌフの恋人みたいだねえ」と感動しています。たしかにあのシーンは目にやきつい ています。
が、しかし、「ホームレスの若者たちの純粋な愛」というよりは、「殺人犯とクスリがやめられない放火魔 の腐れ縁」(口が悪いですねえ)という印象で、最後のシーンでは「そのままセーヌ川の底に沈んでしま え」とまで思ってしまいました。映画の中のポンヌフがセットだというせいもあるのでしょうが、あまりに他 者と隔絶した状況で、幼児的な行動を繰り返す主人公たちに感情移入できなかったのです。
ただ、カラックスの8年間の空白の成果がどのようなものかについては、大変興味があります。今回もカ ルト・ムービーだという噂はありますが。一方、アルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」はなか なか評判がよいようです。
しーくん(★★★★☆)(1999年4月30日)
kanpoh1@dus.sun-ip.or.jp
すばらしい作品でした。立ち見客まで出た満員の劇場は、映画が終わり場内が明るくなるまで、誰ひとり席を立つ人はいませんでした。『恋に落ちた・・』をまだ見ていないので何とも言えませんが、個人的には去年各映画賞を総ナメにした作品よりも良かったです(抗議のメールが来そう・・・笑)。主人公グイドが隠れ場所から父を見つめる息子ジョズエに“最後の演技”をした場面では、コミカルな動きにもかかわらず、ドッと涙があふれてきました。はっきりいって私はロベルト・ベニーニの顔は苦手です。従って最後まで見れるかどうか不安でしたが、予想を上回る作品の出来にそんなことはすっかり忘れてしまいました。男優賞受賞のベニーニの演技は当然ですが、それよりもジョズエを演じた子供の表情の豊かなこと・・・特に最後の“1等賞の景品”が出てきたときの顔はとても演技では出来ないですよ。そう、彼は本当にゲームをしていたんです・・・・。
パンちゃん(★)(1999年4月28日)
この映画は「寓話」か。確かに寓話かもしれない。撮影も「セット」を強調するような浅い奥行きで「寓話」らしさを浮き彫りにしている。
で、「寓話」であることを前提にして批判するのだが、私はこの映画が嫌いだ。
まず子供の描き方が気に食わない。主人公の息子の子供は大変聡明な子供である。そして素直な子供である。その素直な子供の部分に私はひっかかりを感じる。
子供というのはもっと勘が鋭く、真実を見破り、その力によって大人を困らせもすれば、困らせることによって大人に何事かを教える不思議な生き物ではないだろうか。
そういう視点を欠いているために、何か基本的なリアリティー(童話などが持っている不思議なリアリティー)がない。残酷な真実というものがない。
次に、私にはこの映画が「戦争」(あるいはホロコースト)を題材に選んでいる理由がまったくわからない。
この映画はユダヤ人大虐殺という状況のなかで息子の命を守り通した父の姿を描いているが、その状況に対する批判が欠けている。ホロコーストは「悪」であるということを、最初から前提としている。もちろんホロコーストは絶対的な悪だけれど、それについての考えをこの映画はあまりにも省略しすぎている。観客のなかにある「ホロコーストは悪である」という意識に頼りすぎている。
これは、私には理解できない態度だ。(したがって、ホロコーストを題材に選んだ理由がわからない、としか言いようがない。)たとえ他人と(観客と)同じ意見であろうとも、その一番大切な部分は観客にまかせるのではなく、映画自身できちんと語らなければならない。「ホロコーストは悪である」ということを、明確に語らなくてはならない。虐殺される絶望や苦悩を明確に描かなくてはならない。それがどれほど多く語られたものであるにしても、もう一度語られなければならない。
ホロコーストに対する批判が不明確なために、私にはまるで「ホロコースト」と「子供」をだしにして、「感動」を演出している映画としか感じられなかった。私は「戦争」や「子供」をだしにして、「感動」をでっちあげる作品が、とても嫌いなのである。
ただ、この映画は前半は面白い。「ライフ・イズ・ビューティフル--人生は美しい」というのにぴったりの映画である。
愛する人のために方便の限りを尽くす男、その瞬間に輝く命の美しさに見入られる女というのは、確かに人生の美しさを存分に語っている。もうそれで十分である。それをわざわざ「戦争」(ホロコースト)が壊してしまった。美しい人生を壊そうとするものと戦い、愛する女と子供を守り通した男がいた、とまで付け加える必要はない。
前半だけで十分な美しさと人生の喜びを語っているのに、それに悲しみを付け加えることで「感動」を作り上げようとしたところに、この映画の問題点が凝縮しているように思う。
人生の輝き、笑い、愛の美しさの隠し味としての悲しみは別に戦争である必要はない。ホロコーストである必要はない。守り通すべきものは子供の命だけとは限らない。
もし本当に子供を描きたいのなら、ホロコーストの真実を知り、真実と向き合いながら知恵を絞って生き抜く子供を描くべきだろう。そうした子供を描くことができてこそ、「人生は美しい」と言えるのではないのか。
このままでは、愛する女と子供の命を守り通した男の人生と、男によって守られた女と子供の人生は美しいと言えても、同じ収容所にいて、女も子供も救えなかった多くの男たちの人生があまりに悲惨ではないか。必死に生き延びた他の人々の人生が「美しくなかった」とでも言われたような気持ちになってしまうではないか。
いくら「寓話」にしろ、こうした描き方は私には納得がいかない。私が作った作品ではないのだが、何だか同じ収容所にいて男と子供を守った他の男たちに申し訳ないような気持ちになってしまう。
タカキ(★★★★☆)(1999年4月23日)
TakakiMu@ma2.justnet.ne.jp
冒頭にナレーションがある。「これは、寓話のようなものだ」と。そう、これはおとぎ話。
あの戦争を振り返るとき、我々にできることとは?ロベルト・ベニーニは、喜劇俳優としてできる、最大限のことをやってのけた。この映画を観ておもいっきり笑おう、そして、最後にちょっぴり泣ければいい。そうすれば、彼のメッセージはしっかり伝わっているはずだ。「人生は美しい」。
素敵な絵本の表紙を閉じて、我々は日常に戻る。私の日常=人生はつまらないものだろうか?それとも美しい?それでも、美しい?ちょっと、スキップでもしてみようか・・・!
haruhiko(1999年4月10日)
ishii@binah.cc.brandeis.edu
僕はLife is Beautifulにはかなり批判的な感想を持ってるけれど、Life is Beautifulに感動するのが間違いだとは思っていない。映画の感想なんて一人一人違って当り前だし、正解なんてない。映画を見て感動できれば幸せなことだし、そういう自分自身の感想というのは大切な物だと思う。
他の人達が感動したとしても、僕にとっては、Life is Beautifulに感動できる映画ではなかった。その理由がどこら辺にあるかをもう少し考えて見た。ドキュメンタリー映画であるThe Last Daysを見て感じたこともある。
麗奈さんの、「私はこの映画の方が死体の山を見せたりするドキュメンタリーよりも衝撃的だと思いました。それは殺されていくユダヤ人を私達と同じ生活をしている人間だということ がメインに押し出されているからだと思います。」という意見には、なるほどと思った。そういう見方もあるのか。
ただ、僕自身はむしろ逆の感想を持った。僕にはグイドは現実離れしたヒーローに感じられた。そして、ホロコーストの犠牲者をそういう特別な人間として描くことに違和感を感じた。社会的弱者をまるで聖なる者のように表現することはよくあるけど、そこには何かごまかしがあるような気がする。現実に彼のような方法でホロコーストに対抗した人間は一人もいなかっただろうと思う。でも実在したユダヤ人達の体験の意義はそんなことに左右はされないし、彼らにグイドのような愛情や勇気がなかったわけではない。
それに、例え息子を恐がらせない為とは言え、グイドはあまりにも恐怖とか、悲しみとか、絶望といった感情とは無縁の人間に思えた。だから、彼は全てを軽々と、苦労なしに行動しているように見えた。
Life is Beautiful とは対照的に、僕が The Last Days に感動した理由の一つは、彼らがまさに普通の人間だったからだ。普通の人間だから恐怖も絶望もする。それでも彼らは非人間的な環境を、人間性を失わずに生き延びた。彼らの語るエピソードは Life is Beautiful のようなヒロイックな物語ではないけど、だからこそ遥かに胸を打った。
それから、The Last Days を見てよくわかったのは、きつい言い方になるけど、Life is Beautiful に少しでもリアリティを持ち込んでいたら、あの物語は成立しなかったことだ。主人公がどんなに機転を利かしても、あれがゲームであると息子に信じ込ませることは不可能だから。地獄は、列車に乗せられた瞬間に始まったのだし、露骨なやり方で見せつけられたのだから。
もちろん、それをフィクションと割り切って受け止められる人もいると思う。ほとんどの映画はフィクションだし、それでも人は感動する。全然現実離れしたファンタジーにだって感情を移入することができる。でも、少なくとも僕の場合、そういう感動が起きるのは、その映画の世界に入りきって、その世界をリアルに感じられる時だ。Life is Beautifulの場合、ベニーニがいるのは強制収容所ではなく安全な映画のセットの中なのだということを常に感じていた。僕の想像力が足りないのかもしれないけど。
実の所、Life is Beautifulはホロコーストについての映画と言うよりも、ロベルト・ベニーニが彼にとっての理想のヒーロー像を表現した映画なのではないかと思う。僕はコメディアンとしてのロベルト・ベニーニが好きだし、彼が笑いをとても大切な物と考えているのには好感を持つ。それでも、Life is Beautifulという映画にはすごい無理があるという思いが僕にはする。
麗奈(1999年4月1日)
reina@osula.com
今さらとも思いますが、今日初めて自分の投稿を読み直して見て、変なところがあったので訂正します。「アウシュビッツに行ってた」友達というのは遊びに行ったわけではなく、収容されていた人です。彼女は当時5歳くらいだったそうですが、父親が在仏メキシコ大使だったそうです。当然家族全員メキシコ人なのですが、大使官邸にユダヤ人を匿っていたのが密告でばれ、ナチスのSSに連れて行かれてしまいました。彼女の両親と兄は彼女の目の前で火あぶりに。彼女はなぜか助かりましたがずっと収容所に入れられてました。でもすごく明るいんですよ。ドイツ人を恨んでもいないし、収容所の話だって「私ってタイプするのが遅いのよね〜子供の頃の栄養が悪かったからか指がよく動かなくって」というので、「戦争中だったからかな?」と思ったら「アウシュビッツに行ってたから」って言うんですよ。あっけらかんと。彼女はいま60歳くらいですが、独身で仕事をしてます。休みを取ってはラスベガスへ行って遊んでるようです。彼女も「ライフイズビューティフル」と言って生きている人だと思います。
猫(1999年3月31日)
goronyan@d1.dion.ne.jp
皆さんの 感想を読ませてもらってからなので、今更 自分の感想を書くのが少し気恥ずかしいんですが。
★★★★★・・・今年の中で 今のところベスト1(現在35本中)です。
この映画は確かに 二部に分かれている構成なんですが、私はどちらが重点なんだ。というより、全編をとおして、人の生きかたが 見事に表されていると思いました。
よく「人生における幸せ」について、道端にころがっている石の中に「宝石」=「幸せ」があるんだよ。っていうようなことが、いわれますよね?
私はこの映画を観て、人生における幸せというのは、その石ころに似せた宝石をみつけることではなくて、道端に落ちている、石のカケラも、雑草も、砂粒も・・・みんな 人生の幸せなんだよ。って そんな思いを感じ、そして そう思える生き方ができることが、「幸せ」なんだと思いました。
ベニーニのあふれんほどの愛情に 胸が詰まりました。
うちに帰ってきて、もう1度声をあげて泣きたくなりました。
耳にあの音楽が ずっと残ってました。
自分にとって マイベストであれば、他の方の批判も関係ないです。
おんなじように、感じる人が1人でもいれば、幸いです。
アレックスのパパ(1999年3月17日)
dimsum@eclipse.net
うーん。麗奈さんはディベートが上手いですね。
でも、今日の時点でオスカーを諦めるのは、ちょっと早いです。希望を持って21日まで待ちましょうよ。
ホロコーストの悲惨さについて言えば、主人公が眠った子供を背負いながら見てしまう恐ろしい光景や、奥さんがガス室の犠牲者の遺品を整理しているシーンなどで、もう十分だと思います。抑えた演出が却って胸に刺さるような効果を出していると思います。
子供に事実を伏せることの是非についていえば、小生はこんな風に考えます。
将来、子供があらゆる事実に対決して、その中から真実を見抜くことが出来るように育てるには、ある時点までは必要以上の恐怖感や、度を越えた邪悪なことは遠ざけるのが大人の責任のように思うのです。
何故なら、そうしないと「事実に負けてしまって、一生真実が見えなくなる」子供を作ってしまうからです。
この映画に一本通っている「芯」は正にそれで、この教育や子育てにとっての大きなテーマを見事に描ききっていると思います。
多分、あの子供は、どこかの時点で父親の嘘につき合い初めている、事実を直視する力を自分で身につけると同時に、嘘に込められた父の大きな愛情に気づき始めている。そんな風に思います。
最初に疑って、それを思い直した時がそうなのか、最後のシーンにやっとそれが起きたのか。その辺は、ハッキリとは描かれていないので、多様な解釈を許します。けれども、そのことも、この映画の素晴らしさのように思います。
教育云々と言ってしまいましたので、映画と離れて少し、上の話の続きをさせて頂きます。
勿論、子供に対して、事実を隠すだけでは駄目です。一定の保護をしてゆきながら、子供なりに「善悪」の価値観を身につけるように導かねばなりません。
それは、大人の目からすれば「タテマエ」ばかりの綺麗事で良いのです。それを社会全体として子供に見事に示すことが必要です。
色々な子供がいます。本当に強い子供は、そのタテマエを見事に守り通して、哲学や宗教や科学技術などの専門家として世界に貢献してゆくのでしょう。
一方で、そうしたタテマエを全く受け入れない子供も中にはいます。そうした子供達は、反発心から徹底した現実主義者になって、異なったタテマエ同士の調整が出来るようになるでしょう。そうして、多くの子供たちは、思春期の前後に、綺麗すぎるタテマエという上の世代の庇護から自ら進んで抜けだし、価値観と処世術を上手くバランスさせた大人として自立してゆくのでしょう。
現在の日本の教育の問題は、そうしたタテマエを見事に与えて子供を守りながら、子供が自発的に巣立って行く力を養わせるための基本的な価値観が、崩れてしまったことにあるようです。
この崩れは、古くて野蛮なものを壊すために必要な部分もありましたが、今はもう壊すより新しいものを建て直す時期に入っているのだと思います。
麗奈(1999年3月2日)
reina@osula.com
はるひこさんの「ライフイズビューティフル」の感想を読んではっとしました。
ホロコーストを軽く扱っているように見えるんですね。たしかに警備がちゃんと していなかったのは疑問に思えるところかもしれませんが、ここまで人生うまく 渡ってきた主人公だからそんなディテールも気になりませんでした。私はこの映 画の方が死体の山を見せたりするドキュメンタリーよりも衝撃的だと思いまし た。それは殺されていくユダヤ人を私達と同じ生活をしている人間だということ がメインに押し出されているからだと思います。ここで彼等は被害者である前に 笑うことが好きな、人生を愛する人間だからです。私はイスラエルの次にユダヤ 人が多いといわれるロスに住み、ホロコースト博物館へ何度も行ったり、実際に アウシュビッツに行ってた友達がいたり、ダカウの収容所に行ったりしました。
もちろん学校でもホロコーストの勉強をしましたし、いろいろなドキュメンタ リーも見せられました。また、街中にユダヤ人があふれているため、彼等の文化 についても普通以上に知っているつもりです。それでも、この映画を見るまでホ ロコーストをこんなに身近に感じたことはありませんでした。主人公が真実を子 供に告げないのは良いことか悪いことかではなく主人公がそこまで自分の子供を 守りたいと思う気持ちが大切だと思います。いや、この映画嫌いな人もいるんで すねえ。やっぱり映画っておもしろいですね。やっぱり、アカデミー賞は無理 か。
haruhiko(1999年3月14日)
ishii@binah.cc.brandeis.edu
以前パンちゃんへのメールに書いた通り、僕のあまりこの映画を好きになれなかったのです。kaeruさんのおっしゃるように、感情移入できるかどうかで評価は分かれてくるでしょう。映画評論家の書いた評を読んでも、絶賛から、ホロコーストはこんなに甘っちょろい物ではないという露骨な嫌悪まで、いろいろです。僕自身の感想は、コメディの部分はたっぷり笑わせてもらったので、それなりに楽しむことはできたけど、とても素直に感動はできないな、という感じです。一緒に見に行った人達は結構感動してたみたいですけど。
この映画は二つの部分からなっています。前半は主人公と将来の妻とのロマンス、後半は主人公がユダヤ人であるために、一家がユダヤ人強制収容所へ連れていかれた姿を描いています。
前半は古典的なドタバタコメディで何も考えずに笑えました。本当に可笑しかったので、僕としてはロベルト・ベニーニのストレートなコメディをもっと見てみたいと思いました。日本でもアメリカでも、この作品の他はジム・ジャームッシュ監督の作品位でしか彼を目にすることはないですから。
でも、この作品の主題はあくまでもユダヤ人の強制収容所を描いた後半です。この映画の感動が成立するのは、主人公が死と隣り合せの極限的状況にあるからこそだと思います。でも、僕にはこの映画の強制収容所がそんなに恐ろしい所には見えなかったんです。警備もいい加減そうだし、死の匂いも感じられない(最後の方で少しでてくるけど)。それに、ストーリーも少しご都合主義です。前半のようなストレートなコメディなら、それも笑ってすませられるけど、シリアスな内容が入る後半では違和感があります。結局の所、あまりにもリアリティーに欠けていると感じました。
「シンドラーのリスト」すら見ていない僕の限られた知識でも、ホロコーストはこの程度の物ではないと思います。この後、ホロコーストのドキュメンタリーであるThe Last Daysという映画の予告編を見たのですが、現実とフィクションの落差には愕然とします。あるいは、強制収容所の場面すら出てこない「さようなら子供達」の方がよほどホロコーストの残酷さが伝わって来ます。ユーモアもいいけど、この程度の現実は押さえて欲しかったと思います。
それから、ある人と話していて気がついたのですが、周囲で何が起きているのかを子供に伝えないのは果たして本当に良いことか、というのもいろいろ意見・異見があるでしょうね。僕だったら、ちゃんと教えて欲しいです。
kaeru(★★★★)(1999年3月7日)
kaeru-n@msn.com
ロベルト・ベニーニの演技、強制収容所の捉え方、ストーリーの展開に対して感情移入できない人がいるかもしれません。子供の感覚は鋭いものです。嘘をつきとおすことができるのでしょうか。
しかし、この映画にはイタリア映画独特の楽しさ、人に対する視線の優しさがあります。
私は大笑いしたあとに、「今、明かりをつけないで!」と思うほど大泣きしてしまいました。映画館から家まで帰る道の恥ずかしかったこと。「シンドラーのリスト」を見た人は違和感をおぼえるかもしれませんが、どのような題材も国民によりあるいは個人により捉え方は異なると思います。先入観をもたず、色々なかたに見ていただきたいです。
これからは「ホフマンの舟歌」を聞いただけでも泣いてしまうでしょう。見終わって自分の両親に感謝してしまいました。
アレックスのパパ(1999年3月3日)
dimsum@eclipse.net
★★★★★です。
麗奈さんの書かれた通り、素晴らしい作品です。
劇場ではみんな泣いていました。泣いているのを隠すのが、気恥ずかしくなるほどに。
特に小生は男の子の父親ですから、何か「who I am (自分が自分であること)」そのものを問いかけられたような、いや手がかりを見つけたような。そんな気持です。
監督・原作・主演のロベルト・ベニグーニ(カタカナはこうかな?)は、イタリアのコメディアンだそうですが、本当に素晴らしいです。笑いというのは、やっぱり「人間の素晴らしさ」を訴えるためのものだったのだと再認識させられました。その見事なまでに毅然としていること。
この映画も、人物造形のための前半と、メインのお話である後半の二つに完全に分かれているんですが、その見事なこと。道化すれすれのキャラクターで、良家のお嬢さんをモノにしたユーモアと情熱が、ホロコーストの惨劇の中にあって、今度は家族を守り抜く情熱になって行くんですね。その一貫性というか、相乗効果が本当に素晴らしいんです。(ちょっと書きすぎたかな。まあ、どの雑誌のレビューにも乗ってるから良いでしょう。)
『ライアン』の素晴らしさが、どちらかと言えば、ほろ苦さや知的な堂々めぐりを喚起しながら心に残って行くのに比べて、この作品は自分の心のど真ん中へとまっすぐに入ってゆく作品なのでしょう。Oscarの審査員はどうか分かりませんが、麗奈さんと同様、こちらに軍配を上げざるを得ませんね。『シン・レッド・ライン』は観てないので何とも言えませんが、ビクトリア朝の二つの時代劇も、この作品の前ではかすんでしまいます。史上初(だと思います)の外国語作品での作品賞を是非取って欲しいものです。
麗奈(1999年3月2日)
reina@osula.com
すばらしかったです。私はシンドラーのリストより気に入りました。主人公のユダヤ系イタリア人の男性が自分の子供をホロコーストの経験から守るためにこれはゲームだと嘘をつきます。ホロコーストの悲劇の中そのひどさを息子には知らせたくない。どんなにひどい状況でも「人生は素晴しい」と思うのは個人の気の持ちようとでも言うのでしょうか。この映画の主演/監督/脚本のロベルトベニーニ(とかいう名前ですよね?)がすばらしい。決してハンサムではないんだけどとても魅力的な人間。よくここまで頭が回るなと感心してしまいます。ストーリー自体もきちんとしているし、台詞も粋だし。すごいのは人が死ぬところを1度も見せていないのに、当時の悲惨さが伝わってくるんです。あまり詳しく書いてしまうともったいないので、書きませんが、とにかくさすがイタリア映画だと思いました。特撮があるわけでもバイオレンス、セックスシーンがあるわけでもない。こういった描き方こそが本当の映画であり、ヌードやバイオレンスがなくたって客が入るということをもっとハリウッドにわかってほしいです。ぜひ、アカデミー賞作品賞を取ってもらいたい作品です。
panchan world
Movie index(映画採点簿の採録)