ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ


監督 ガイ・リッチー 主演 ジェイソン・フレミング、デクスター・フレッチャー、ニック・モーラン、ジェイソン・ステイサム、スティング

金田鉄雄(2001年2月27日)
120分映画だけど全然飽きないで観ていられた。ラストのしつこさは賛否がわかれるかもしれないけど私は肯定派です。
★★★★☆
エイジ(★★★★★★★★)(2000年3月19日)
eiji@jf6.so-net.ne.jp
最高でした。ストーリーもいいし、映像もスタイリッシュ。
パンチャンの採点お読むと、ぼくも、イギリス人好きなのかも。
イギリスのファッション、音楽は大好きです。
一つの事件にかかわる人たちのそれぞれのマイペースな感じがよかった。
パンちゃん(★★★★)(1999年8月24日)
ヨーロッパへ行って石でできた大聖堂などを見ると、森有正ではないけれど、そこに時間の厚みというか重みみたいなものを感じる。強い圧迫感を感じる。時間が下から積み上げられて大聖堂という形になったような不思議な感じを抱く。ところが奈良で法隆寺の五重の塔を見ても時間が下から積み上げられている、そしてそれが形になったという感じにはならない。五重の塔の方が古いのに、しなやかに自然な感じがする。確かに古いのだけれど、その古さは山や川や緑が生きている古さと同じような古さであり、体にすんなりなじんでしまう。たぶん、それが私の中の「日本人」の感覚なのだと思う。
……という、どうでもいいようなことを書いたのは、この映画では、うまく説明できるかどうかわからないが、不思議な「イギリスっぽさ(イギリス人の感覚)」をそこに感じるからだ。これはアメリカ映画ともフランス映画とも違う。イギリス独特の匂いに満ちた映画だ。
街の風景の湿り具合、汚れ具合がアメリカやフランスの空気と明らかに違う。出てくる人間の表情が、また違う。
何よりも、ドラマのテンポが違う。たぶんシェークスピアの伝統が生きているのだと思う。『終わりよければすべてよし』ではないが、どたばたのそのどたばたさ加減がアメリカ映画やフランス映画とあまりにも違う。
登場人物はどれもこれもごく自然に「日常」を生きているのだが、ほんの一瞬の微妙なずれ、行き違いが、ボタンの掛け違いのように不思議な笑いを誘い出す。
この微妙なすれ違いはどこからくるか。借金取り立て人の描写が手がかりになると思うが、一つは、イギリス人の階級制度というか、個人主義のあり方が影響していると思う。借金取り立て人は借金を取り立てるということ以外は考えていない。彼のまわりにはいろんな事件が起きているのだろうけれど、そんなものは考慮しない。ただ借金を取り立てるという「仕事」(階級)を通してのみ接触する。だから、事件の全体など見ない。
他の人物もそれぞれ自分の「視点」からだけで「事件」を見る。そうすると「視点」の数だけ「事件」の姿が違って見えて来るが、実はそれは一つの「事件」に過ぎない。しかし、だれも「一つの事件」であることに気がつかない。(最後になって、やっと気づくが……)
この「一つの事件」と「複数の思い込み」のずれが不思議な笑いを引き起こすのだが、これって結局、「他者」と話し合うことが少ないイギリスの社会(文化)を反映していると思う。
「事件」にかかわるのは、いずれもチンピラというかうさん臭く、犯罪に適当に手を染めている人間なのに、「共通のチンピラ感覚」というものがない。
アメリカや日本のギャング・やくざ映画では、登場人物の「犯罪性」あるいは「男気」が「共通」なのに、イギリス映画では「共通のチンピラ感覚」がない。仲間うちには「共通するチンピラ感覚」があるが、グループが違うとその「チンピラ感覚」が違ってしまう。
イギリスでは、同じ社会(階級)の人は同じ階級(社会)の人とは話すが違った階級(社会)の人とは話をしないような感じがする。そうしたあり方が微妙に反映した映画だと思う。
一匹狼の借金取り立て屋はあくまで自分の「尊厳」にこだわっている。自分の「尊厳」を踏みにじる者に対して激しく怒る。
いいなあ、この感覚。この個人主義。
イギリス個人主義だけ作り出す、不思議な不思議などたばたであり、へんてこな笑いだ。
どの国の映画でも、その国の文化が自然に反映する。(石のカテドラルや木の五重の塔のように……)その反映がくっきりした映画というのは、とてもおもしろい。
しかし、シェークスピアは本当にイギリス人を作り上げてしまったのだなあ、と不思議な感動にもとらわれた。たぶんシェークスピア文学が根づいていなければ、この映画はできなかっただろうなあ。どこにもシェークスピアの登場人物は出て来ないのに、非常にシェークスピアを感じてしまった。そのリズムに。
ダグラス・タガミ(1999年8月14日)
イギリスのチンピラ映画です。
博打に負けたチンピラが、ヤクザの強盗した金をパクるはなしです。
「FACE」と違い、もっと、刹那的なかるい映画でした。
東京では大人気でほぼ、満席。明らかに、意識しているのは、 レザボア・ドッグスでしょうが、あれほどの泥臭さやリアリティはありません。
大体、大物の奴等の脇が甘すぎる、キレてるっぽい奴も、キレてること より、ただ単に頭がわるい感じ。動きが軽すぎ。悪い奴等ほど、臆病で、 用心深い事が全く描かれていないので、恐ろしさや悪役としての重みが、 感じられなかった。そして、あまりにも、都合よく作り過ぎ。
話は面白いが、ピカレスクロマン的なものは全く感じなかった。
もう少し、登場人物の焦点を絞って作ったほうが良かったかも知れません。
チンピラより、親子の取り立て屋が面白かった。もったいない。
ブリティッシュ・ロック(?)のプロモーションビデオ程度ですね。
編集での遊び方もまさしく。救いは、STINGが本当にシブい。
このチンピラのオヤジ役だけは良かったです。
ギャング映画ジャンルでレベル的には、まあ平均でしょう。
ちょっと、厳しいでしょうか。得意ジャンルなので。
それにしても、パンフ1000円は、ボリすぎ。