39・刑法39条

監督 森田芳光 主演 鈴木京香

kigc(★★★★)(5月10日)
kigc@mail.goo.ne.jp
私は、あの心象風景はやはりあの犯人が思い描いたものと受け取りました。子供の時にああいうことをされたのは、実際には彼ではなかったのだけれども、戸籍を買った時点で本人から聞いた話をもとに犯人自身がイメージした映像であり、大人になってからの海岸でたたずむシーンはまさに犯人自身がリサーチのために訪れて体験したことなのだと解釈しました。
確かに、落としたサングラスに犯人の去っていく姿が写り込むあたりはいかにも演出臭くて観ていて気になったし、精神鑑定人が思い描いたイメージであることをにおわせるためにあえてそう演出したのかなと、パンチャンの感想を読んで思ったりもしたけど、それにしても、刑法第39条の是非について問題提起するために、精神鑑定というのは精神鑑定人の主観にすぎないという考えを述べるのは、やや極論的ではあるにしても、分かりやすくていいんじゃないかと思う。
決して、39条の意義を否定するための、そうした映画製作者の意図に観客を一方的に導くための、許されざる罠などではないと思います。
監督自身何かの雑誌のインタビューで、テーマに特別の興味があったわけではないが(全く無関心であったわけではない)仕事として取り上げるに当たって問題提起して観る人に考えてもらうようにしようと思った、というようなこと答えていました。
真実はどこにあるのか、ということをサスペンスのドラマとして見せつつ、ラストに意外な結末をもってきて問題提起する、という狙いは成功しているし、映画として完成度の高いものであったと思っています。
ただ監督は、テーマから映画の出来を論じられるよりも、「カメラがよかったね」といわれる方が嬉しいとも言っていて、いかにも森田監督らしいなと。手持ちカメラ、極端なクローズアップ、短いカット割り、などちょっとうるさくもあるけれど、「(ハル)」以降同じスタッフで撮っているという森田監督の映画は、そのあからさまなカメラの凝りっぷりにおいて好きです。
ちなみに私は5月1日の初日(ですよね?)に京都で観たんですが、最終回とはいえ(あるいは最終回なのに?)30から40人ぐらいしかお客さんがおらず、テーマがテーマだけにヒットはしないまでも、いくらなんでもこれじゃあ、て感じでした。
松竹はこれを最後に邦画系列にも洋画を流し(第1弾はケビン・コスナー主演の「メッセージ・イン・ア・ボトル」。パンチャンが予告編採点簿に書いてある通りの映画)、そのからみで洋画配給の老舗である松竹富士がなくなるということだけど、だからといって今松竹富士が配給している「シンレッドライン」や「ライフイズビューティフル」が観られなくなるということはなかろうし、けれども松竹富士っていかがわしげな映画(例えばピーター・ジャクソンの「ブレインデッド」や「乙女の祈り」あたりは確か松竹富士だったと思う)も結構いれてたからそういうのが観られなくなるのだったらとてもさみしい。それとは別に雇用問題でもめてるとも聞くけれど、鎌倉シネマワールドも当然のように閉鎖されたし、松竹もまだまだ大変なようで、シネマジャパネスクも今は遠い思い出ですな。
パンちゃん(★)(5月9日)
刑法39条(心神喪失者は罰せず、心神耗弱者は刑を軽減する)を、あるいは精神鑑定をテーマにしている。
心神喪失、あるいは心神耗弱を明確に判断することができるか。もし心神喪失や心神耗弱が「演技」であった場合、犯罪はどのように罰せられるのか……。
殺人事件と「二重人格」を題材に、この映画は、そのことを問う。
意欲作といえばいえるのだろうが、この映画は大変な間違いを犯している。
精神鑑定の過程で、様々なシーンがカットバックの形で挿入される。群れ飛ぶカモメ、北陸の海岸の暗い砂浜、斜めに傾いた水平線、海岸に落ちたサングラスに映る犯人の孤独な姿……。
このカットバックのシーンは、ごく自然に見れば犯人の心象風景として判断するのが妥当だと思う。犯人が背負った暗い過去、父とのぎくしゃくした関係をあらわした風景として見える。
しかし、最後になって、それが精神鑑定者が証言を聞いて思い描いた風景であることがあきらかになる。それは犯人の罠にかかった精神鑑定者が見た偽りの心象風景であり、犯人は別のことを考えていたことがあきらかになる。
精神鑑定など、結局、精神鑑定者が思い描いたシーンの上に成り立っているので、真実ではないということが、最後の法廷のシーンであきらかになる。
そのことから刑法39条の存在そのものの意義を問いかける。
犯人自身が、刑法39条の意義を問いかけるために犯罪を犯し、二重人格を演じたのだと証言する。
このどんでん返しはまことにご都合主義である。
テーマがテーマであるだけに、こういうご都合主義的なやりかたは間違っていると指摘しておかなければいけないと思う。
監督は主人公の女性の精神鑑定者の過去を複雑にし、彼女がかってに心象風景を思い描いたともとれるように映画を作っているが、一方でそうしたカットバックの心象風景とは関係ない部分(二重人格の演技に殺意を感じなかったという部分)を起点にして、彼女は鑑定を進める。
これは観客を、ただごまかすだけのものである。一方的な結論を導くだけのためにつくられた映画製作者の罠である。意図的な罠である。
(意図的な罠であることは、最後の法廷シーンの映像が、それまでの映像とまったくトーンが違っているところからも指摘できる。)
こうした意図的な映像の意味づけはフェアなやりかたではない。
私は刑法39条の定義が絶対的に正しいと主張するつもりはないが、その精神を、このような形で否定する、その否定の方法は絶対許されるべきものではないと思う。
映画が絶対にしてはいけないことを森田芳光はしてしまったのだと思う。森田芳光の汚点となる映画だ。この映画のために森田芳光は糾弾されつづけるかもしれない。
YUJI(5月4日)
yuji-f@cg.netlaputa.ne.jp
この映画、見に行ったときは結構客が入ってました。松竹は現在どん底の状態だけに、多少は光明になれば、と思いつつ観たんですが、これは邦画としてはかなりの力作でした。
あんまり書くとネタバレになるので多くは書けませんが、犯人は2重人格を演じているのか、本当にそうなのか、それとも何か、別に目的が有るのか?
監督ははっきりした解答は示しません。一応の解答は示しますが、それもはっきりしません。観客に考えて欲しいのでしょう。
少年法がかなりストーリーに深く関わってたりしますが個人的にはもっと厳しくした方がいいように感じました。
(あくまで私見ですが)最近の事件とか見てると本当にそう感じます。
評価は★★★★ですね。
邦画もまだまだ捨てた物では無いと感じました。
panchan world
Movie index(映画採点簿の採録)